生まれる波紋
(1)

 あの、庚子、多紀と、竜桐の会話。そして、世凪と竜桐の会話から、さかのぼることわずか十分。
 その時にはもう、竜桐の言葉通り、全て事はすんでいた。終わっていた。

 鬼導院家地下牢。
 そこで、柚巴は足を三角に組み、膝に自分の顔をうずめていた。
 そんな柚巴のもとに、この薄気味悪い地下牢にふさわしく、まるで幽霊でも現れるかのように、すうっと由岐耶が現れた。
 そして、顔をうずめたままの柚巴に優しく声をかける。
 もちろんそこには、おどろおどろしいものはない。
「姫さま、ご無事ですね?」
 その声を聞き、柚巴ががばっと顔を上げた。
 驚き半分、やっと来てくれたという安心感半分といった、微妙な表情だった。
 そして、由岐耶の姿を確認するやいなや、一瞬のうちに表情が崩れていく。
 由岐耶はそんな柚巴を見て、困ったように微笑む。
「ご安心ください。わたしが参りましたからには、もう姫さまに不安な思いなどさせません」
 表情とは異なり、由岐耶のその言葉は、確信めいたはっきりとしたものだった。
 その語調で、柚巴はさらに安心を深めていく。
 由岐耶はそっと柚巴に触れた。
 柚巴は触れた由岐耶の手に自分の手を重ね、きゅっとその手を握り締める。
 そんな柚巴を、由岐耶は愛しそうに見つめる。
 今にも柚巴を抱きしめてしまいそうな表情だった。
「おいおい。お前だけいい格好をするのはずるいぞ。俺たちを忘れてもらっては困る」
 皮肉たっぷりに都詩が現れた。
 都詩も由岐耶同様、どこからともなく予告なしにその場所にいた。
 由岐耶はこの状況を見られてしまったけれど、少しも慌てることなく柚巴から目線をはずし、都詩を見る。
「都詩……。もう片づいたのか?」
「俺のノルマはね」
 楽しそうに都詩が言う。
 その表情通り、どうやら都詩は、半分、鬼導院の部下たちをのしていくことを楽しんでいたらしい。
 また、使い魔である都詩にとっては、鬼導院の部下のような人間などは、最初から彼の敵ではない。
 都詩にとっては、ちょっとからかってやろう程度でしかない。
 しかし当の人間にしてみれば、そのからかいも、命がけの太刀打ちとなる。
 それを知ってか知らずか、この都詩もなかなかのくせ者である。
 彼は限夢界では文官であるはずだけれど、どうも争い好きの感がいなめない。
 一方、由岐耶は武官であるはずだけれど、どうも争いは好まないよう。
 このニ人、そっくりそのまま、役職を交換する方がよいのではないだろうか。
「姫。由岐耶に騙されてはいけませんよ。こいつは誠実そうに見えて、実は結構あくどい奴なのですから」
「都詩!」
 由岐耶がきっと都詩をにらみつけ怒鳴る。
 祐や亜真だけではなくこの都詩という使い魔も、口の悪さはなかなかに素晴らしいらしい。
「では、姫。帰りましょう。みんな心配して待っていますよ」
 憤る由岐耶をそっちのけで、都詩がそう言ってにこりと微笑み、柚巴に手をさしのべる。
「……うん。ありがとう」
 柚巴は、何のためらいもなくその手をとった。
 ぼろぼろと涙を流しながらも、一生懸命に笑顔をつくりながら。
 今の柚巴には、憤る由岐耶と楽しむ都詩の間に、仲裁にわって入る余裕などない。
 由岐耶はまた、そんな柚巴を愛しそうに見つめる。
 柚巴の触れる都詩のその手が、自分の手でないことを残念に思いながら。
 自分の気持ちのはずのそんな感情に、由岐耶はまだ気づいていない。


 柚巴が由岐耶と都詩に支えられるように御使威邸に帰ってきた。
 するとそれを発見し、真っ先に竜桐が駆け寄ってきた。
「姫。お帰りをお待ちしておりました」
 駆け寄ったにもかかわらず、竜桐は意外と落ち着いている。
 そして、さすがは人間とは比べ物にならない体力をもつ使い魔。まったく息が切れていない。
 この竜桐という男は、やはりどんなことがあっても、岩のように、感情が、表情が動かない、そういう男なのかもしれない。
 だからといって、何も感じていないわけでも、冷血漢でもない。
 ただ、表に感情を出すのが下手なだけ。
 不器用な男。
 柚巴はそれを承知しているので、苦笑いを浮かべる。
「竜桐さん……。ごめんなさい。心配をおかけしました」
「いいえ。滅相もございません。我々の力がいたらないばかりに、この度は姫にご不快な思いをさせてしまい、なんとお詫び申し上げればよいか……」
 あくまで、柚巴に対しては低姿勢な竜桐。
 弦樋以外の人間にも、使い魔にも、このような態度は恐らくとらないだろう。
 これが、弦樋に次いで、柚巴が彼にとって特別であると物語っている。
「気にしないでください。わたしに落ち度があったのですから」
 柚巴が困ったように苦笑する。
 そして、いつの間にか集まってきていた、そこに控える他の使い魔たちを見まわしながら言った。
「みなさんも、ありがとうございました」
 竜桐以外の使い魔にも、そう微笑みかける。
 そして、ふと気づく。
「あれ……? 今まで気づかなかったけれど、麻阿佐さんがいませんね。どうかされたのですか?」
 使い魔たちを一通り見終わって、柚巴が気づいたことはそれだった。
 たしかに、ここには麻阿佐がいない。
 弦樋の使い魔たちは、七人全員が一ヶ所にそろっていることが多い。
 それが、一人欠けている。
 柚巴がその違和感に気づかないはずがなかった。
 その言葉に、竜桐と衣狭が気まずそうに目配せをする。
 彼らにとって、今いちばん柚巴に聞かれたくなかったことがこれだろう。
 それをあっさりと聞かれてしまったものだから、ニ人は少々返事に困った。
 そんなニ人のよそよそしい態度に気づき、柚巴は首をかしげる。
「……竜桐さん? 衣狭さん?」
「……」
 聞かれたくなかったのに、聞かれてしまった。
 そんな空気が、ニ人の間には漂っている。
 ばつが悪そうに、竜桐と衣狭はお互いに視線を絡ませる。
「実は……。麻阿佐はまた、暴走してしまいまして……」
「また?」
 呆れたように柚巴が言った。


 弦樋が書斎の机に腰かけ、窓の外の御使威家の庭……漆黒の森を見つめながら、静かにコーヒーを飲んでいる。
 その後ろから、竜桐がためらいがちに声をかけた。
 コーヒーをすするその弦樋の後姿は、どこかはかなげでいて、そして哀愁すら漂わせていた。
 柚巴がとらわれているその事実が、弦樋をここまで打ちのめしていることは、誰が見ても明らか。
 一見、あまり仲が良さそうに見えない親子だけれど、見た目で判断してはいけない。
 この御使威本家の親子は、そのような親子だから。
 しかし、弦樋に声をかけた時の竜桐は、いたっていつも通り、冷静な竜桐だった。
「マスター。姫を無事に救出いたしました」
「そうか、ありがとう。すまなかったね……」
 弦樋は振り返りもせず、それだけを言って、またコーヒーをすする。
 今は振り返ることができない。
 竜桐たち使い魔の主であるという自負と責任がそうさせていた。
 使い魔たちにこの情けない姿を見せるわけにはいかない、そういう義務感も弦樋の脳裏にはあっただろう。
 弦樋の言葉と行動を確認すると、その心を悟り、竜桐は書斎から静かにはなれた。
 やはり、竜桐の表情は、平静そのものだった。


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update:03/05/28