生まれる波紋
(2)

 柚巴は、使い魔たちの居住スペースにやってきていた。
 そこは、屋敷のいちばん奥にあり、使用人たちは滅多なことがない限り近づくことさえ許されていない。
 いわば、御使威家の禁域。
 故意にしろ過失にしろ、ここに足を踏み入れた使用人で、現在もなお御使威家に仕えている者はいない。
 誰も語ろうとはしないけれど、彼らは皆、ここに足を踏み入れた瞬間、首が決定してしまっていた。
 そこの居間のソファに腰かけ、紅茶などをふるまわれていた。
 柚巴を取りかこむように、使い魔たちもソファに腰かけている。
 そして、無事帰宅を果たした柚巴に、優しげな微笑を向けている。
「あの……。それで今、麻阿佐さんはどこに……?」
 少しためらいがちに尋ねる。
 先ほど、よそよそしい態度をとっていた衣狭をちろりと見る。
「行方はわかりません」
 由岐耶がさらりと答えた。
 これは、微かに動揺を見せた衣狭をかばうかたちだった。
 衣狭は柚巴に気づかれぬように、ほっと胸をなで下ろしている。
「え……? それって、大変なことではないのですか? いつも、自由にどこへでも飛んでいくとはいっても、行き先はわかっていますよね?」
 柚巴のその言葉通り、麻阿佐は普段からふらふらと一人、どこかへ飛んでいくような奴なのだけれど、律儀にその行き先を誰かに伝えている。
 だから、誰も彼がいきなり姿を消しても驚きはしない。
 必要があれば、すぐに連れ戻すことが可能だから。
 しかし、今回は違う。
 誰も麻阿佐の行方を知らない。
 だから柚巴は驚きつつも、多少の焦りを感じていた。
 もしこのまま、麻阿佐が帰ることがなければ――
「それが……今回はちょっとありまして……。あいつ、相当きていましたしね……。最後に麻阿佐の姿を確認したのが、衣狭です。限夢界ででした」
 由岐耶は先ほど衣狭を助けたはずなのに、何故だか今度は衣狭に話をふるかたちで追い込む。
 どうやら、先ほどはかばったのではなく、結果的にそうなっていただけらしい。
 由岐耶はあくまで、柚巴に忠実であるだけだった。
 しかしそんな由岐耶も、柚巴には本当のところは隠している。
「衣狭さん……?」
「はい」
 確認するように衣狭の名を呼ぶ柚巴に、笑顔を見せながら衣狭が答える。
 その笑顔は、あたかもつくったかのようで、どこかぎこちない。
 それを柚巴に悟られまいと、亜真がわって入ってきた。
「まあ、放っておけば、そのうちふらふらと帰ってくるとは思いますが」
 亜真のそのわざとらしい振る舞いを、柚巴はもちろん不審に感じる。
「そう……ですか……」
「姫さまがお気になさることではありません。どうぞ、捨て置きください」
 亜真も亜真で、さすがは普段、あの祐につっこみを入れているだけの口の悪さの持ち主なだけに、事もなげにさらりと言い放つ。
 しかし、柚巴にはわかる。
 言葉は乱暴だけれど、亜真もまた、麻阿佐を心配してやまないのだろうということが。
 そして、亜真も、衣狭、由岐耶同様、柚巴に何かを隠している。
「姫さま。そろそろお部屋に戻られてはいかがです? もう夜も遅いですし、明日に差し障りが出ては……」
 何やらしっくりこないといったように思いふける柚巴に気づいた由岐耶が、この話はもうおわりとでも言うかのように、話を中断させようとする。
 もちろん、それは柚巴でも気づく。
「え? あ、はい。では、そろそろ失礼します」
 由岐耶の意図がわかると、柚巴は立ち上がり、由岐耶の言うとおりにすることにした。
 今は、それが賢明だと判断したからだろう。
 今、無理に聞きだそうとしたところで、この使い魔たちは、絶対に柚巴に真実を語ってはくれないと柚巴は知っている。
「姫。わたしがお部屋までお送りします」
 そう言って、都詩も立ち上がった。
 これもまたいつものこと。
 この使い魔たちの居住スペースに遊びにやって来て、そして自室に戻る時、必ず誰かが柚巴につきそう。
 それは、広い夜の御使威家の中を、柚巴一人で歩かせないためにという配慮からきている。
 この御使威家は、昼間でも、人気の少ないところではどこか不気味なので、夜ともなると、それがさらに深まるから。
 それに、柚巴が怯えないために……。
「ありがとうございます」
 にこりと微笑む。
 別に柚巴とて、自分の家の中で怯えるも何もないのだけれど、彼らの行為を無下にするつもりもないので、いつもそれを受け入れる。
 そして今は、時期が悪い。
 世凪が……世凪がいつも、柚巴のまわりで目を光らせているような気がする。
 使い魔たちはそこまで感じてはいなかったけれど、柚巴はそう感じていた。
 使い魔たちがまだ知らない、世凪の目的を知っているから……。
「お茶、おいしかったです」
 そう言うと、都詩は促すように柚巴を部屋の外へ連れて行った。
 それを一同、息をのんで見守っている。
「ふ〜。危なかったな。まさか、姫に本当のことは言えないし……」
 柚巴が部屋を出てだいぶ遠ざかったことを確認すると、衣狭は倒れこむようにソファに体をうずめた。
「ったく……。麻阿佐の奴は、どこまで人に心配をかければ気がすむのだ……!」
 衣狭の横で、険しい表情の由岐耶が唇をかみしめた。


 鬼導院家の上空。
 闇の中、世凪と梓海道が、鬼導院家を見下ろしながら浮いている。
 ふいに空を見上げる者が街行く人々の中にもあるだろうはずなのに、彼らは何のためらいもなく空に浮いている。
 彼らの存在はあまり知れてはいけないはずなのに、どこか緊張感というものが欠落しているよう。
 今夜は満月には満たない、少し欠けた程度の月。
 夜の闇にまぎれているとはいえ、赤い髪の世凪はさほどでもないだろうけれど、鮮やかな銀の髪を持つ梓海道は不利なはず。
 その銀色の髪に月明かりが反射し、きらきらと輝いているから。
 何故、ためらいもなく、我が物顔で空に浮いていられるのだろう。
 それはやはり、彼らの姿が人間には見えないから?
 世凪と梓海道は、人間界にいる間はほとんどその姿を消している。
 ――余計な厄介ごとに巻き込まれないための知恵である。
「……どうやら、一足遅かったようだな。もうここには、柚巴の気配はない」
 世凪が苦々しく言い放った。
 趣味の悪い黒マントを、風がもてあそぶ。
 夏であるのに、そのような暑苦しい黒マントをつけて、蒸さないのだろうか。
 世凪は涼しい顔をしている。
「そのようですね」
「まあ、仕方がない。今回はおとなしくひくとしようか」
「世凪さま……?」
 梓海道が少し不思議そうに世凪を見る。
 世凪の性格をよく知る梓海道にとって、負けず嫌いで自信家がこうもあっさりひくとは、意外中の意外なのである。
「まだ、チャンスは何度でもある……」
 にやりと微笑み、世凪はそのまま姿を消した。
 この世凪の言葉で、梓海道は世凪が何を考えているのかわかりかけたような気がした。
 吹く夜の風に髪をなびかせ、身をゆだねる。
「あ……。世凪さま……!」
 そして、梓海道も慌てて姿を消す。


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update:03/05/28