下された決意
(1)

 弦樋、そして竜桐たちには、わからないことがある。
 それは、世凪が柚巴をさらう理由。
 決して柚巴はそれを話そうとはしないし、世凪もあれ以来、ずっと息をひそめおとなしくしている。
 ……そして、あれ以来、姿を現さないのは世凪だけではない。
 麻阿佐もまた、弦樋のもとへ戻っては来ていない。
 自室に使い魔たちを呼び集め、椅子に腰かけ、その前に彼らを従え、弦樋は神妙な面持ちでいた。
「ったく、麻阿佐の奴、何を考えているんだよ! 普通使い魔ってのは、主の命なく、長期間、主のそばをはなれることは許されないのだぞ! あれでは、世凪と変わらないではないか!」
 ぼやくことで有名な祐が、またぐちぐちと麻阿佐を非難しはじめた。
 これはいつものことである。
 祐がぼやくことは日常、ありふれたことだけれど、こと麻阿佐に関しては、そのぼやきも辛口になる。
 ……そこから、祐はあまり麻阿佐を好ましく思ってはいないのでは……?と、密かにささやかれていたりもする。
 それを知らないのは、当人たちだけなのだけれど……。
「そんなことより、今問題なのは、世凪が姫さまをさらう理由だろう?」
 亜真がすかさず祐に制止を入れる。
 これもごくありふれた日常の光景。
 祐がぼやきはじめると、ある程度は好きにさせて放っておくけれど、頃合いを見て亜真がとめに入る。
「姫も……おっしゃってくださればいいのに……。理由がわかれば、何か打つ手もあるかもしれないではないか……」
 都詩がため息まじりに言った。
「姫をせめてもどうにもならないだろう? 姫が何もおっしゃらないということは、何かお考えがあってのことだろう」
 竜桐が、冷たく都詩たちを見つめる。
 竜桐の辞書には、姫……すなわち柚巴を非難することなど、のっていない。あり得ない。
 竜桐とて、都詩のようなことを思わないわけではない。
 しかし、竜桐は、決してそれを口にはしない。
 ――まだ、この段階では……。
「マスター。それでは、お時間ですので……」
 竜桐はころっと態度を変え、弦樋に向き直りそう言った。
 弦樋は無言でそれまで座っていた椅子から立ち上がり、玄関へと向かう。
 それを見て、由岐耶と衣狭が顔を見合わせる。
 都詩と衣狭は、そそくさと弦樋の後を追う。


 よせてはかえす……。
 そんな言葉が似合う海辺がある。
 あまり人の姿のない、少し寂びれたこの海辺に、柚巴、庚子、多紀の三人は、夏休みを利用し遊びに来ていた。
 日本海を臨むこの海辺は、夏であるのに、どこか冬の海を思い起こさせる。
 ――淋しいところである。
「いいところだね?」
 柚巴が波打ち際に立ち、海を眺めながら言った。
 その横で、いつものように、庚子と多紀は、互いに履物を履いたまま、海の中へと押し合いをして小競り合っていたが、柚巴のそんな言葉が耳に入り静かになった。
「だろう? 柚巴も、一度ここへ連れて来たかったんだ」
 多紀をぽいっと捨てて柚巴にすり寄り、にこにこと庚子が微笑む。
「そして、あと一つ。庚子のおばあちゃんも、これまたいい味を出しているんだ!」
 庚子の肩ごしにひょいと顔を出し、多紀が得意げにちゃちゃを入れる。
「え? じゃあ、多紀くんは、来たことがあるの?」
「ああ、俺たちって、実はおさななじみとかいうヤツだからな」
 多紀は庚子をひょいとかわし、柚巴の前に躍り出て迷惑そうに言う。
「じゃあ、お前、帰れば? どうせ、お前はおまけなのだし?」
 負けじと、庚子も多紀に言い返す。
 当然、ここでまた、庚子と多紀の小競り合いがはじまるものとばかり思っていたのだけれど……。
「それよりも、もう戻らないか? そろそろ肌寒くなってきた」
 多紀は庚子の言葉など気にもとめていないというように、さらりと言った。
 そう言うと、もちろん、庚子が多紀に言い返すのだけれど、それをさせまいと柚巴は慌ててニ人の間にわってはいる。
 そして、にこりと微笑む。
「そうだね」
 そうやって相槌をうつ。
 柚巴が相槌をうったのには訳がある。
 このままニ人を野放しにしておいては、言い合いがエスカレートし、そしてあの恐れているパターンになることを心得ているから。
 せっかく夏休みを楽しむため海までやってきたというのに、これからはじまる楽しいことを前に、ニ人の仲が険悪になっては意味がない。
「……ったく、仕様がないなあ〜」
 庚子は不服そうに目を細める。
 何やら、上手いことかわされ、そして多紀に馬鹿にされているように感じてならない。
 だから、ぶうっと頬をふくらませている。
 多紀に腹を立てても、柚巴にとりなされては、庚子にはそれ以上争いを続けることはできない。
 庚子は、柚巴には敵わないから。

 柚巴と多紀は、庚子の祖母の家に招待されていた。
 先ほど、柚巴たちがいた海辺は、人でにぎわうビーチから少しはなれたところにあり、地元の人間くらいしか知らない小さな砂浜になっている。
 そして、その砂浜のすぐ近くに、庚子の祖母の家はある。
 ほんの少し前、三人はここへ着いたばかりだった。
 もう日も傾きはじめていたので、泳ぐには無理があるけれど、ひとまずは海だけでもみに行こうとなり、砂浜までやって来ていた。
 そして、その夜は、庚子の祖母もまじえ、一通り騒いだ後、明日に備えて早々と眠りにつくことにした。
 柚巴と庚子はニ階の一室に寝間をしつらえてもらい、多紀は一階の客間を用意された。
 庚子はここまでやって来るまでの疲れが出たのか、ふとんにもぐり込むなり、気持ちよさそうにすうすうと寝息をたててすぐに熟睡に入った。
 しかし、柚巴はすぐには眠りにつくことができず、一人縁側に出て、夜空を眺めている。
「……いるのでしょう?」
 夜の闇に浮かぶ少し欠けた月をぼうっと眺めるようにして、ぽつりとつぶやく。
 ここには、柚巴以外には誰もいない。
 ただ、波の音だけが異様に耳に入ってくる。
「わかっているの。いつも、わたしを見守ってくれているものね。もうわかっているから、そろそろ出てきてはいかが?」
 柚巴は月を眺めたまま、悟りきったようにそう言った。
 すると、観念したのか、竜桐が柚巴の前にすっと姿を現した。
 宙に浮いている。
 少し欠けた月をバックに、竜桐の姿は薄白くぼやけている。
「やはり……お気づきでしたか」
 柚巴を見つめ、静かに言う。
 そして、すっと柚巴の前へ降り立つ。
「うん……。ずっといたよね? 限夢界から戻ってきてから、ずっと……」
 柚巴が微笑む。
 その柚巴の姿は、竜桐の目にはどこかはかなげに映っていた。
「はい」
 無表情で竜桐が答える。
 言いたいことはたくさんあるだろう。
 今の柚巴にはそれすらも悟られているように、少しの焦りを感じはじめていた。
 何かが変わりつつある……。
 竜桐は、そう感じている。
「姫。そのような薄着では、お風邪を召されますね」
 そんな思いを気づかれまいと素知らぬふりをして、竜桐は自分が着ていたスーツの上着をさっと脱ぎ、柚巴の肩にかける。
「ありがとう。でも、それじゃあ、竜桐さんは寒くないの?」
 どことなく潤んだ感のある大きな瞳で、柚巴は竜桐を見上げる。
 きゅっと、竜桐のかけた上着を握る。
「寒くはありませんよ。もともと、我々には気温や温度という概念はありませんから」
 竜桐は相変わらずのその無表情で、だけど声だけは優しく、柚巴を見つめる。
「そう……なんだ?」
 柚巴ははかなげに、また夜空に視線を移した。
 限夢人たちには、気温や温度という概念はない。
 そこに、人間との違いをあらためて気づいたけれど、あえてそれには触れなかった。
 それに触れてしまったら……もう後戻りできなくなる。
 さらに、人間と限夢人は違う生き物だと決定づけてしまうことになる。
 それが、柚巴にはたまらなく辛い。
 ずっとずっと、親のように、兄のように、そして友人のように慕ってきた彼らを――
「ねえ、竜桐さん。この旅行から戻ったら、わたしを限夢界に連れて行ってください」
 柚巴は夜空を見上げたまま、はっきりとした口調でそう言った。
「え……!?」
 竜桐が顔をしかめる。
 じっと柚巴を見つめる。
 今耳にした言葉を疑った。
 その言葉は、柚巴の口から出た言葉とはとうてい思えない。
 ――何かの……聞き間違いでは……!?
 これまで何度も、柚巴を限夢界へと促したことはあったけれど、いつもそれは拒絶され、そうしているうちに、もうそれを諦めてしまったのか、誰も口にしなくなっていた。
 それが、何故、今さら……?
「……わたしも、そろそろ勇気を出してみようかと思って。もう、これ以上、あなた方の手をわずらわせるわけにはいかないから……」
 柚巴は、夜空からすっと竜桐に視線を移し、どこか艶かしい瞳で見つめる。
 そんな普段とは異なる、色気さえ感じる柚巴の潤んだ瞳に、竜桐の胸がどくんと波打つ。
「……ということは、つまり……」
 神妙な面持ちで、切なそうに、苦しそうに、柚巴を見つめる。
「うん。わたしも、使い魔と契約を結ぶ……。――結べればの話だけれどね?」
 柚巴は不安をにじませ、苦笑した。


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update:03/06/03