下された決意
(2)

 柚巴は、今、自分が口にしたその発言が、どれほど重大なものなのか気づいているのだろうか?
 使い魔と契約を結ぶということは、すなわち――
 それが、竜桐にとりとめのない淋しさを、せつなさを感じさせる。
 しかし、何故か不安はなかった。
 どこかで、竜桐はちゃんと柚巴を信じている。
 柚巴なら、あるいは――
 幼い頃より、我が子のように、恋人のように、大切に大切に慈しみ愛してきた柚巴が、今自分のもとから飛び立とうとしている。
 竜桐の目には、柚巴は、まだ巣立ちには少し早い、そんな危なげな雛に映っている。
 それにもかかわらず、自分の立場の重責に追いつめられたかわいそうなこの雛は、まだ早い巣立ちをしようとしている。
 竜桐にはそう思えてならなかった。
 ――不安はないが、やるせなさはある。
「姫は、そのようなことをする必要はありません。我々でお守りします」
 竜桐はきっぱりとそう言って、柚巴を穴があかんばかりに見つめる。
「どうして? できないでしょう? だってあなた方は、わたしではなく、父の使い魔なのだから……」
 柚巴は困ったように苦笑する。
 その言葉は嬉しいけれど、それがかえって柚巴を追いつめることを竜桐は気づいていない。
 柚巴は、それほど鈍くはない。
 ちゃんと自分の立場をわきまえている。
 自分は決して、竜桐たちに守られる立場でないということを。
 そして、守りが欲しければ、自分でそれを手に入れねばならない立場にあるということを。
 ――柚巴は、望みさえすれば、いつでもそれが可能な立場にいるはずだから。
「マスターのご命令であれば、マスター以外の方もお守りします」
 竜桐がさらっと言った。
 竜桐が、真に柚巴に伝えたいことはそんなことではない。
 しかし、竜桐のその立場が、自らの思いを語ることを許さない。
 焦燥の思いがこみ上げてくる。
 竜桐は純粋に、まだあどけない無垢なこの少女を守りたいだけ。
 それが、自らの望み。
 柚巴も、それをなんとなくは感じている。
 だからといって、それに甘えるわけにもいかない。
「でも……。わたしは……」
 あくまで食い下がろうとしたけれど、何かに気づき、そこで言葉をとめた。
 何か思うところが、柚巴にもまたあるらしい。
「とにかく、わたしは行きます。わたしは、今、わたしがどのような状況におかれているのかわかっているつもりです。だから、これは、わたし自身でどうにかしなければならないと思います」
 竜桐の目をまっすぐにとらえる。
 竜桐は、柚巴のその眼差しに一瞬ひるむ。
 それまで、柚巴のこんなまっすぐで真剣なまなざしを見たことがなかったから。
 意志の強い、他人の意見を無視してまでもそれを貫こうという、頑固なまでの柚巴の強い眼差しを、竜桐は知らない。
 柚巴の新たな一面を垣間見たような気がして、竜桐はまた淋しさを感じる。
 竜桐の中には、あくまで柚巴は自分が守る。……命をかけても――
 そんな使命感が刻まれているので、それを柚巴に拒まれてしまうと、竜桐は淋しさや切なさを感じざるを得ない。
 まるで手塩にかけた娘の花嫁姿を見ている、そんな父親の心境……。
 それは、弦樋と同じ時間だけ柚巴を見守り続けてきた竜桐が抱く感情としては、至極当然の感情。
「……それはやはり、限夢界で、何かあったと思ってもいいということですね?」
 竜桐が柚巴の瞳を見つめ返す。
 見透かすように、試すように、詰問するように。
「……!?」
 柚巴は、それまで竜桐を見つめていた目をさっとそらした。
 竜桐のその眼の奥に、微かな怒りを感じ取ってしまったから。
 それが、少し怖い。
 何故、竜桐が今、微かな怒りをたたえているのか、柚巴にもなんとなくはわかるので、返す言葉が思いつかない。
 しかし柚巴は、あくまで自分の決意を貫こうとする。
 その思いが、柚巴のそんな姿から伝わってくる。
「……わかりました。では、限夢界へお連れいたしましょう」
 とうとう竜桐の方が根負けしてしまったのか、ため息まじりに言った。
「とにかく、今はお部屋にお戻りください。このままでは、本当にお風邪を召されてしまいます」
 そう言って、竜桐は柚巴を家の中へと促す。
 竜桐にとっては、今柚巴が風邪をひかないように配慮することが最優先される。
 使い魔云々に関しては、また日をあらためて説得すればいい……。そのように軽く考えていた。
 しかし、それが竜桐に取り返しのつかない後悔をもたらすことになるなど、この時はまだ気づいていなかった。
 そうやって、静かに夜が更けていく。


「おっはよう! 柚巴!」
 翌朝、そんな声とともに、柚巴はずしんと体に重みを感じた。
 気づくと、朝日がさんさんと降り注ぐその部屋で、庚子が、寝ている柚巴の上に大の字を描き、覆いかぶさっている。
 柚巴より少し早めに目を覚ました庚子は、シャーっとカーテンを開け広げ、その体いっぱいにさわやかな朝日を浴びた。
 それが一段落し、暇になった庚子が、この行動に出たことは容易に想像できる。
「か、庚子ちゃん……。重い……」
 苦しそうにうめきながら、柚巴は目をこする。
「だから、やめろって言ったのに」
 柚巴と庚子が寝ていた部屋のふすまに気だるそうにもたれかかりながら、多紀がぼそっとこぼす。
「え……? 多紀くんも? あれ? 今何時!?」
 柚巴は多紀に気づくと、慌てて庚子を押しのけ起き上がる。
「九時。俺も、庚子にさっき起こされたところ」
 不機嫌そうに多紀が言う。
 この辺が、庚子の柚巴と多紀の扱いの差。
 すやすやと眠る柚巴を先に起こすのは何やら忍びなく、ひとまずは多紀を起こし、それで暇をつぶした後、柚巴に移ればよいと庚子は当然判断していた。
 しかも、起こし方にも大きな差がある。
 それは、語らずとも想像のできることだろう。
 多紀のこの不機嫌さから……。
「多紀は、低血圧大魔神だからな。でもそれ以上に、柚巴はねぼすけのようだけれど?」
 意地悪っぽく庚子は柚巴を見る。
 別に多紀はこれといって低血圧ではないけれど、そのように多紀を(おとし)めるような発言をするのが庚子である。
 多紀はただ、庚子のその常識から逸脱した起こし方に不機嫌なだけ。
「庚子ちゃんの意地悪……」
 柚巴はすねてみせる。
 恨めしそうに庚子を見つめる。
 だけど、目は笑っている。
「とにかく、ほら、起きた起きた!」
 庚子はすねる柚巴を気にせず、ぐいっと腕を引っ張り立ち上がらせる。
「朝ごはんはもうできているよ。さっさと食べて、海へ行こう!」
 庚子がぐいぐいと柚巴の腕を引っ張る横で、多紀も優しげな微笑みを柚巴に向けている。
 柚巴は、庚子と多紀を確認するかのように見くらべる。
 ニ人とも、いつものどこかふてぶてしい笑顔をしている。
 それで、柚巴の気分も一気に上昇する。
「うん……!」
 そして、元気よく返事をした。


 まだ太陽が真上より少し東がわにある頃の砂浜で、庚子は目をすわらせ、多紀は呆れ返ったようにぼけっと一点を見つめている。
 柚巴はその横で、愛想笑いを浮かべている。
 庚子と多紀の視線の先には、昨晩、柚巴に声をかけられた竜桐と、他に、由岐耶、亜真、祐もいる。
 この青い真夏の海には、不似合いな男が四人――
「って、何なんだよ、こいつら!!」
 庚子が竜桐たちをびしっと指差し、そう怒鳴る。
 それはもっともなことである。
 何しろ、昨夜まではいなかったお邪魔虫が四人も、いつの間にか現れ、目の前にいるのだから。
 せっかく柚巴と――この際、多紀はおいておいて――ニ人きり、水いらずで楽しめると思っていたのに……。
「ごめんね……。庚子ちゃん。昨日の夜遅くやって来て、竜桐さんたちも一緒したいって……」
 柚巴はしどろもどろに言った。
 もちろん、これは嘘。
 竜桐たちは最初からついてきていた。
 しかし、この状況でそう言ってしまえば、庚子が爆発するのは目に見えている。
 だから柚巴は、そのような嘘をとっさに口にした。
「まったく……。仕様がないな〜。まあ、仕方ないからね、今の状況では。だって、まだ柚巴、あの訳のわからない世凪とかいう使い魔に狙われているのだろ?」
「そんな中、強引に柚巴ちゃんを連れ出した庚子にも問題があるしな」
 多紀がすかさず庚子につっこみを入れる。
「多紀……。てめ……っ」
 庚子は多紀を、裏切り者!とでも言いたげにぎろりとにらむ。
 そして、横にいる多紀の足をだんと踏みつけようとしたけれど、すっとその足を引っ込められ、庚子は多紀の足に攻撃できず、よろりと体勢を崩しかけた。
 それを、慌てて立て直そうとする。
 そんな庚子を無視し、多紀は涼しい顔で、わずかに肌に感じる海風をあびている。
 ――まったく、庚子ではないが、どこか癪に障る男である。
「まあまあ、ちゃんとわかっているから。庚子ちゃんは、わたしを元気づけようとしてくれたのだよね?」
 柚巴は庚子ににこっと微笑みをむけた。
 するとそれまで憤慨していた庚子は、柚巴の微笑みひとつで怒りをおさめてしまった。
「ねえ、せっかくだから、みんなで遊びましょう?」
 柚巴がそう言うと、庚子が諦めたようにうなずいた。
 どうしたって庚子は、柚巴には逆らえない。


「へえ〜。平和そうに遊んじゃって」
 柚巴たちから少しはなれた海辺の松の大木の枝に腰かけ、世凪がおもしろくなさそうにぼそりとつぶやいた。
 じっと、柚巴たちがいる砂浜を見つめている。
 どうやら世凪は、一部始終、そこから見ていたらしい。
 その尋常ならざる視覚と聴覚で。
 いや、普段は、人間と変わらない視覚、聴覚だけれど、世凪がその気になりほんの少し力≠使えば、このようなことはたわいもない芸当になる。
 松の大木の枝は、世凪が腰かけているにもかかわらず、びくともしていない。
 悠々とその身を海風に吹かせている。
「世凪さま?」
 世凪の横で、宙にぷかぷかと浮いている梓海道が、世凪の様子をうかがう。
「ああ、まだ手は出さない。もう少し……もう少し、油断させてからだ」
 またいつものように、世凪は意味ありげな微笑みを浮かべた。


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update:03/06/06