いざ、限夢界
(1)

 真夜中の御使威邸。
 そこの主が遅い帰宅をした。
 玄関に一歩足を踏み入れた主に、待っていたかのように竜桐が駆け寄り、そっと耳打ちする。
 その瞬間、主の表情が強張った。
 主は、竜桐を険しい顔でにらみつけるように見つめる。
「それは本当か!?」
「はい……」
 困ったように竜桐が返事をした。
 どこか覇気がない。
「そうか……。わかった。お前には世話をかけるな……。それと、一つ――」
 主は竜桐に聞こえるか聞こえないかという小さな声で、その続きをぼそりとつぶやいた。
 まるで、人目をはばかるように。
 竜桐はごくりとつばをのみ、主を見つめ返す。


 そんなやりとりがあった翌日。早朝。
 東からの太陽が柚巴たちを照らしていた。
 その日差しの下に、柚巴と使い魔たちがいる。
 御使威家の玄関先で、竜桐が柚巴を見ながら言う。
 どこか重苦しい雰囲気で。
「それでは、参りましょうか?」
 竜桐と柚巴のまわりには、使い魔たちが彼らをかこむように立っている。
「竜桐さま……。本当に姫さまをお連れするのですか!? あちらには、恐らく世凪が……!」
 由岐耶は竜桐のその言葉を聞くと、これが最後の確認だとばかりに、不似合いにも語気を荒げ迫る。
「わかっている。だから、お前たちも連れて行くのだろう? 由岐耶」
「は、はい」
 あまり気がすすまないというように由岐耶が答える。
 事実、由岐耶は悩んでいた。
 柚巴がその気になったことは喜ばしいことだけれど、あちらの世界には世凪がいる。
 そして、あちらの世界での柚巴の評判は――
 御使威家でも落ちこぼれといわれている柚巴を、限夢界の者たちは受け入れてくれるだろうか……?
 由岐耶たちは、この落ちこぼれといわれている柚巴の、そんなところをかわいい、愛しいとすら思っているけれど、たいていの限夢人はそうは思わない。
 最初から相手にしない、もしくは、侮蔑の眼差しを向ける。
 そんなところへ柚巴を連れて行くことはしのびない。
 柚巴にとってあちらの世界は、針のむしろのようなものである。
 由岐耶だけでなく、ここにいる使い魔誰もが、それを頭のどこかで気づいている。
「ごめんなさい。由岐耶さん。それに亜真さん、祐さん。ご迷惑をおかけします」
 由岐耶のそんな思いをわかってか、柚巴が申し訳なさそうに由岐耶の顔をのぞきこんでくる。
 わかっていてしているのか、それとも無意識なのか……。
 この行動は、由岐耶を動揺させるには十分すぎる。
 顔を少し赤らめ、どぎまぎとする。
 上目がちに由岐耶の顔をのぞき込む柚巴のその姿は、由岐耶の目にはとてもかわいらしく映る。
「いえ……! 迷惑などでは決してありません。ただ、我々は、姫さまが心配なだけですから!」
 慌てて、由岐耶が柚巴からすっと目をそらし否定した。
 目をそらさずには、もう平静をたもっていられなかった。
「ありがとう」
 柚巴は困ったように微笑む。
 その表情を見て、由岐耶は何故か罪悪感を感じた。
 柚巴は別に悪いことはしていない。
 そして、由岐耶たちも礼を言われるようなことはしていない。
 それにもかかわらず、自分のこの修行不足の振る舞いから、柚巴に気をつかわせてしまった……。
 そんな思いが、由岐耶に罪悪感をもたらす。
「では。姫……」
 竜桐が、これまでの由岐耶とのやり取りはなかったかのように、無表情で柚巴に右手を差し出す。
 柚巴はじっと竜桐を見つめ、その後、その差し出された手をとった。
 その行動を少し不思議に思ったけれど、竜桐はあえて何も言わないことにした。
 柚巴が竜桐の手をとるとまもなく、すうっとニ人の姿が消えていった。
 それに続いて、由岐耶、亜真、祐の姿も消えていく。


 限夢宮中庭。
 その中庭は綺麗に整えられ、花壇にはそれまで柚巴が見たことのないような、綺麗だけれど、どこか奇妙な形をした花々ばかりが咲いている。
 その一角に、奇妙な文字の書かれた石でつくられた円陣がある。
 その中に、柚巴たちは姿を現した。
 使い魔たちは、人間界から限夢界へ戻ってくると、必ずはじめにこの場所へ出る。
 そしてそこから、それぞれの行き先へと飛んでいく。
 これはまた、ニつの世界の均衡を保つための一つの決まりごとであるといわれているけれど、どうしてこのようになるのかという本当の理由は誰も知らない。
 しかし、誰も疑問には思わなかった。
 面倒臭いと思うことは、何度もあったけれど。
 それが当たり前になりすぎていて。
「竜桐さん、ここは……?」
 柚巴が、不思議そうに辺りを見まわす。
 花の咲き乱れるその中庭は、以前世凪に連れられやってきた時に、塔の上から見た、あのどこか遠い国の真っ白い神殿のような建物にかこまれている。
 柚巴はまだ、そこが王宮の中であると気づいてはいない。
 見たことがあるような、だけどどこでだっただろう?と、そんなおぼろげな記憶を手繰り寄せている。
 無理もない。
 柚巴が以前見たものは王宮の全景。
 そして、今柚巴がいるところは、その景色の中なのだから。
 目に入ってくるその光景は異なっている。
「ここは、王宮の中庭です」
「え? どうして王宮に……?」
 柚巴は先ほどの決まりごとを知らない。
 いや、御使威家の者でも、一体どれだけの者が、このことを知っているのかはわからない。
 これは、人間に知らせる必要のないことで、使い魔となった限夢人だけが知っていればいいことだから。
 もちろん、柚巴の父で御使威家当主である弦樋は、このことを心得ている。
「まずは王に挨拶をして、契約の許可をとらねばなりません」
 柚巴の質問には答えず、竜桐が言った。
 じっと、建物の奥深くを見つめるように。
「そうなの?」
 柚巴が竜桐を見つめる。
 答えをはぐらかされたことに気づいてはいたけれど、あえてそれを蒸し返すつもりは柚巴にはない。
「はい……」
 竜桐はゆっくりと視線を動かし、優しく柚巴を見る。
 そして、柚巴の手を引き、先ほどの視線の先、建物の中へと入って行く。
 由岐耶たちも、その後に続く。
 使い魔たちは皆、どこか無表情だった。


「姫は、こちらでお待ちください」
 荘厳にそびえ立つ、大きく、金で縁取られ、装飾も細かに施された真っ赤な扉の前で、竜桐がそう言った。
 その扉は王宮の深部に位置し、あまり人気もない。
 どこかぴりりとした空気が、その扉を覆っている。
 この様子から、その扉の先は、普通ではない空間へと続いているとわかる。
「え……? でも……」
「王への挨拶は、我々だけで行ってまいります。由岐耶、お前はここに残り、姫の護衛を。亜真と祐は、わたしとともに」
 そう言って、竜桐はその大きな扉を、ぎぎぎぎぎ……と音を立て、ゆっくりと人が一人通れるだけの隙間を開けて、中へ入って行く。
 それに続き、亜真と祐が中へ入ると、またぎぎぎぎぎ……と音を立て、扉はゆっくりと閉まっていった。
「ゆ、由岐耶さん……?」
 竜桐たちが扉の中へ消えてしばらくしてから、心配そうに柚巴が由岐耶を見つめた。
 そんな柚巴に気づき、由岐耶は柚巴に微笑みかける。
「ご心配なさいますな、姫さま」
「う、うん」
 柚巴がそう答えると、由岐耶は柚巴の肩を抱き寄せた。
 肩を抱き寄せられても、それに抗おうとはしていない。
 ぎゅっと、由岐耶の腕に力が込められる。
 柚巴もまた、生真面目な由岐耶がこのような行動を、理由もなしにとるとは思ってはいない。
 そして、先ほどから感じる、この奇妙な視線。
 それにも気づいている。
 だから本来ならば、柚巴一人を残して、由岐耶も王への挨拶に向かうところだけれど、護衛として残された。
 何も語らず、ぴんと張りつめる空気の中、沈黙がしばらく続く。
 そして――
「どうやら……行ってしまったようですね」
 由岐耶はそう言うと、ほっと一息つく。
「しかしまだ、竜桐さまたちが戻られるまで、しばらくはこのままで我慢してください」
 そう言って、辺りを見まわしはじめる。
 柚巴は由岐耶の言う通りに、そのまま静かに由岐耶に身をまかせる。
 二人が感じていたあの奇妙な視線、気配。
 あれは恐らく、世凪のものだろう。
 それからしばらくして、また大きな扉が音を立て静かに開き、中から竜桐たちが出てきた。
 そして、竜桐は、柚巴と由岐耶へ視線を送る。
 由岐耶が柚巴を抱くように寄りそっているので、一瞬、驚いたような表情を見せたけれど、すぐにもとに戻った。
「ご苦労だったな、由岐耶」
 どうやら、まだそこに残っていた世凪らしい気配に、竜桐も気づいたよう。
「いえ……」
 そう言って、由岐耶はようやく柚巴を解放する。
 柚巴も、そそくさと由岐耶からはなれる。
 由岐耶は柚巴を解き放った後も、まだ腕に残る柚巴のぬくもりを密かに抱きしめていた。
「あ、あの、それで、王さまの許可は……?」
 心配そうに柚巴が竜桐に聞く。
 すると、竜桐が微笑み言った。
「とれましたよ。では、早速でかけましょう」
「はい……!」
 嬉しそうに、勢いよく首を縦にふる。
 そんな柚巴を見て、竜桐は困ったように苦笑した。
 まだ竜桐の中では、わだかまりが残っている。
「まずは、お連れしたいところがございます。ご一緒くださいますね?」
 しかし、気を取り直し、竜桐は確認するように柚巴にたずねる。
「……?」
 柚巴は何を言っているのかわからなかったけれど、とりあえずこくんとうなずいてみた。


 王宮の中をあちらこちらと連れまわされ、神殿やら(みそぎ)場などが集中してある場所へ連れられて来た。
 ここは、限夢人たちの間では、神域と呼ばれている。
 そして、そのいちばん奥にある、色とりどりに輝くドームのような建物の前にやって来た。
 限夢界には、最高神・シュテファンをはじめ、その眷属(けんぞく)ともいえる七人の神が存在する。
 七人の神には、第一の側近、シュテファンの右腕ともいえる智神・タキーシャ。
 そして、女性神の一人、ローレライ。
 彼女は、美の女神である。
 その他にも、五人の神がいる。
「姫……。そこに手を触れてみてください」
 竜桐が、ちょうど柚巴の目線ほどの高さにある、ドームに彫られた王家の紋章を指差しながら言った。
「……?」
 柚巴はきょとんとした顔で、竜桐を見上げる。
 竜桐はそれに気づいていたけれど、あえて気づいていないふりをし、じっとドームを見つめている。
 柚巴はそんな竜桐から視線を下ろし、訳のわからぬまま、言われるままに、そっと王家の紋章に手を触れた。
 すると、触れたところから、まるでとけるように、縦に長い楕円状にすうと開いていき、入り口のようなものが現れた。
「……!」
 柚巴は驚いて、一歩後退する。
 それを竜桐が支え、ドームの中へ促す。
「ここは……!?」
 一歩足を踏み入れるなり、柚巴はそう叫んでいた。


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update:03/06/09