いざ、限夢界
(2)

 柚巴の目に飛び込んできたものは、それはまるで夢物語のような世界だった。
 虹色の空間に、余すことなく陽光が降り注いでいる。
 あまつさえ、天使の歌声でも聞こえてきそうな、そんな神聖な雰囲気があった。
 とても……神秘的な世界。
「ここは、この世界の神をまつっている神のドームです。ここなら誰にも邪魔されず、ゆっくり話をすることができます」
 竜桐がそう説明すると、柚巴はぐるりとドームの中を確認するように見まわしながら、ぽつりとつぶやいた。
「わたし……ここへ来たことがあるわ」
「え?」
 竜桐の顔色が、一瞬にして変わった。
 険しいものとなる。
「世凪につれてこられた時、最初にここで目を覚ましたわ」
 柚巴は竜桐に迫るように言う。
 顔から色が消えている。
「そんな馬鹿な……!」
 由岐耶が叫んだ。
 もちろん竜桐も、亜真も祐も驚いている。
 竜桐は迫る柚巴の肩をすっと抱きよせる。
 その額からは、彼には珍しく、一筋の汗が流れ落ちている。
「ここは、王の許可なくして入ることは許されていないのですよ」
 柚巴は一瞬動きをとめ、怪訝そうな表情を浮かべ首をかしげる。
「え……? でも、今わたしたちは入っているじゃない?」
 そして、きょとんとした顔で竜桐を見る。
「ええ、だからです。我々は、いつでも出入りできるよう王の許可を得ています。だから、今このように入ることが可能なのですよ」
 竜桐が多少焦りの色をのぞかせつつ、柚巴に説明する。
「でも、あの世凪のことだ。王の威厳など、無に等しいのではないでしょうか? あの破天荒ぶりは、もう限夢界中に知れ渡っていることですし」
 亜真が苦虫を噛みつぶしたかのような表情を浮かべる。
 柚巴と竜桐の背後で、ぼそりとつぶやく。
「ということは、ここも安全ではない……ということか。まったく、世凪の入って来られないところは、どこにもないというのか!?」
 由岐耶が亜真の横で仁王立ちになり、はき捨てるように言った。
「まあ、いい。今は我々もいることだし、とにかく話だ」
 竜桐が動揺する由岐耶たちを制する。
 しかし、たしかに竜桐にも、動揺が色濃く残っている。
「は、はい」
 竜桐にたしなめられ、由岐耶たちは慌ててそう答えた。
 ここでようやく、動揺する心を落ち着きへ向かわせることができる。
「姫。姫は一体、どのような使い魔をお望みですか?」
 もうすでに平静に戻りきった竜桐が、確認するように柚巴を見る。
「え……?」
「使い魔と一口に言いましても、いろいろいます。勤勉なものから、力重視のもの。気位の低い使い魔。高い使い魔。それぞれの特性を持った使い魔が集うところがあるのです。ですから、姫のお望みの使い魔が集う場所に、姫をお連れした方がよろしいかと思いまして……」
 柚巴は考え込んでしまった。
 そこまで具体的なことは、まだ考えていなかった。
 柚巴の心を占めているものは、使い魔の契約を結ぶ=Aただそれだけだから。
「……ごめんなさい。わたし、そこまでは考えていなかったわ。ただ……あなた方の手をわずらわせることのないようにと、そればかりを考えていて……」
 柚巴が苦しげに言葉をしぼり出す。
「姫さま……。決してそのようなことは……」
 由岐耶がそこまで言いかけると、竜桐がとめた。
 竜桐は知っていた。
 今下手ななぐさめをしても、それは柚巴を追い込むことに他ならないことを。
 だから、竜桐はあえてなぐさめることをしない。
 しかし、由岐耶にはそれができない。
 今、目の前で落ち込む柚巴を放ってはおけない。
 だからなぐさめようとしたのに、それを竜桐に阻まれてしまった。
 そのやるせない感情が、由岐耶を苦しめる。
「姫。それでも良いのです。つまり姫は、姫の身を守れるような使い魔が必要だということですね?」
 竜桐はあらためて確認するようにそう言う。
「……う、うん。でもね……」
 柚巴の返事は、どこかはっきりとしない。
 しかし、それでも竜桐にはわかってしまう。
「わかっております。世凪から身を守れるような使い魔が必要だということですね?」
「――可能……かしら?」
 竜桐の言葉を聞き、柚巴はじっと竜桐を見つめる。
 不安そうに、心配そうに竜桐を見る。
 先ほどから、不安がる柚巴に竜桐は無表情のままである。
 懸命に、その内に秘める感情を悟られまいとしているようにも見えた。
「可能……ではありますが、ただとても難しいかと。ただでさえ、世凪の力には並みはずれたところがあります。それに敵う使い魔など、そうはおりません。それに、それほど力のある者ならば、当然プライドも高いですし……。そう簡単にはいかないかと存じます」
 申し訳なさそうに竜桐が言った。
 皮肉なことに、ここでようやく竜桐の表情が変化した。
 けれど、この竜桐の言葉は、かえって柚巴のやる気を奮い立たせることになった。
 彼の心配とは裏腹に――
「うん、わかっている。でもね、それでもしなくちゃいけないから。だって、このまま世凪につかまってしまったら、わたしは今度こそ……」
 柚巴が苦しそうな表情を浮かべる。
 そして、そこで言葉をつまらせた。
「姫さま……?」
 由岐耶が心配そうに柚巴を見つめる。
 今すぐにでも、こんなことはやめさせたかった。
 そんなことをしなくても、柚巴は自分が守る!と、声を大にして叫びたかった。
 しかし、由岐耶もやはり、その立場からそれは不可能である。
「ううん、なんでもない。とにかくがんばらなくちゃね? それで、連れて行ってもらえるかしら? そういう方たちが集う場所に……」
 ぎこちない笑顔を、竜桐たちに向ける。
「お望みならば」
 竜桐が柚巴に合わせ微笑を浮かべ、承知した。


 竜桐に連れられて、どこか貴族のサロンでも思い起こさせるような雰囲気のホールへとやって来た。
 ここは、城下の表通り、王宮を望むことのできる一角に位置し、上流階級の者たちが好んでやって来る。
 いわば、彼らの社交場。
 ホールの中に入ると、竜桐は柚巴の横に立ち、辺りを監視するかのようににらんだ。
「ここは、力も位も高い限夢人が集う場所です」
 竜桐は腰をかがめ、柚巴に耳打ちする。
「そうですか。ありがとうございます。竜桐さん。では、ここからはわたし一人で……」
 柚巴は正面を見つめたままそう答えた。
 強張った、険しい顔をしている。
 そこから、柚巴の決意の程もうかがえる。
「いけません」
 ぴしゃりと竜桐が言った。
「え? でも、契約を結ぶ時は、自分一人の力でないと……」
 柚巴はうろたえたように竜桐を見上げる。
「たしかにそうですが、今はそうも言っておられません。わたしは手出しはしませんが、おそばには控えさせていただきます」
 そう言って竜桐は、柚巴の一歩後ろに下がる。
 そして、柚巴がゆっくりと歩き出すと、柚巴の後についていく。
 由岐耶、亜真、祐の三人は、笑顔で柚巴たちを見送った。
 しかし、見送ったとみせかけて、柚巴たちの姿を見失わない程度の距離はたもちながら後についていく。
「あ〜。行っちゃったな〜、姫さまたち」
 祐が頭の後ろで両手を組み、おもしろくなさそうに言う。
「そうだな……」
 由岐耶は、それに気のない返事をする。
 じっと柚巴の後姿を見つめて。
 どこか上の空である。
「何? 由岐耶。お前は、姫さまが使い魔を使役することを、あまり快く思ってはいないのか?」
 亜真が、怪訝そうに由岐耶に聞く。
「ああ、そうだ。別に、今さら新たに契約しなくとも、我々でお守りするというのに……」
 誤魔化すことなく、きっぱりと答える。
 そんな由岐耶を見て、亜真は苦笑いを浮かべる。
「しかし、姫さまは、それでは納得しないだろう?」
「何故だ!?」
 非難するように亜真を見る。
 亜真はそんな由岐耶と目が合い、物言いたげにため息をもらす。
 そして、
「所詮、我々はマスターの使い魔であって、姫さまの使い魔ではない」
さらっと言ってのけた。
 由岐耶は何か言いたそうだったけれど、それ以上は言葉にすることをやめた。
 今さらながらに気づいてしまった。その事実に。
 ……恐らく、彼の中では、今は、自分の主である弦樋よりも、柚巴を守ることの方が――
 しかし、それは決して口に出しては、思ってはならないこと。
 どうにもならない感情が、ふつふつとわいてくる。
 それが、由岐耶を苦しめる。
「それにしても、俺が気がかりなのは、姫さまのあの発言だ。今度世凪につかまると……という」
 亜真の表情は、今までの、半分由岐耶をからかうように薄ら笑いを浮かべていた顔から一変して、真剣な顔つきにかわった。
「ああ、それは俺も気になっていた。あれはどういう意味なんだ?」
 祐もすっと亜真の横に進み出て同意する。
「姫さまが何も言わない限り、我々は知ることを許されない」
 由岐耶が亜真の答えを待たずに、自らに言い聞かせるように苦しそうに言った。
 それに亜真も祐も気づいたけれど、あえて触れないことにした。
 その方がいいから。由岐耶のためにも、みんなのためにも。
 由岐耶は、由岐耶は恐らく――
「そうだな。しかし、姫さまも思い切ったことをしたものだ。はじめからこんなところに乗り込むなんてな」
「それを言うなら、竜桐さまもだろう? 何故、姫さまをここへ連れてきたのだ?」
 亜真と祐が、首をかしげ見つめあいながら困惑する。
 しかしそんなニ人とは異なり、由岐耶にはなんとなくわかりはじめている。竜桐の思惑が。
 以前、竜桐の後を追って、そして聞き出した事実。
 竜桐は、そして弦樋は、柚巴の秘められた可能性に気づきはじめているという事実。
 それが、由岐耶にヒントを与える。
 しかし、竜桐との約束がある。
 それをにおわせてはいけない。口にしてはいけない。
「それはつまり……時間がないということだろう?」
 そのことを誤魔化すために、由岐耶は、どこかピントはずれな言葉を選んだ。
 いや、これもあながちはずれてはいないが……。
「もう、我々には時間が残されていないのだ。もちろん、仮に姫さまが契約を結べたとしても、我々が姫さまの護衛からはなれることはない。むしろ、その新たな使い魔との協力を必要とされる。……悔しいが、そうまでしても、あの世凪に勝てるかどうか……!」
 これは、由岐耶の本音である。焦りである。
 由岐耶は静かに床をにらみつけた。
 そんな由岐耶を、少し困ったように亜真と祐は見つめる。
「……世凪って、一体何者なのだろうな?」
 亜真がしみじみとつぶやく。
 由岐耶と祐は、亜真をまじまじと見る。
 彼らも、亜真と同様の疑問を抱いている。


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update:03/06/12