契約が結ばれる時
(1)

 険しい顔をして、ゆっくりと歩きながら、柚巴はあちらこちらを見まわしている。
 それを痛々しく竜桐が見つめる。
 竜桐の表情には、やるせなさがある。
「あれ〜? 人間のお嬢さんとは、これはまた珍しい」
 そう言って、一人の女性が柚巴に近寄ってくる。
 見れば、その女性は、真っ赤なビロード地のドレスを着て、長い青い髪を豊かに流している。
 その瞳も、髪と同じ色をしている。
 このサロンにいる他の者たちは、変わらずそれぞれの会話を楽しんでいる。
「……」
 柚巴は無言で、うかがうようにその女性を見つめる。
「そんなに怖い顔をしていちゃあ、誰も寄って来ないよ? ……って、そりゃあ違うか。もうわたしが寄ってきちゃっているのだから」
 にかっと女性が笑う。
「あなたは……?」
 柚巴は苦笑いを浮かべた。
 どうやら、その心を見透かされ、図星をさされてしまったと、柚巴は思ったのだろう。
 しかし、それでも不思議と嫌な気はしない。
「わたし? わたしは、紗霧羅(しゃむら)っての。あんたは?」
 紗霧羅と名乗ったその女性は、ひょいっと腰をまげ、柚巴の視線に自分の視線を合わせる。
「わたしは、柚巴です」
 いきなりのその行動にもひるんだ様子は、不思議とない。
 むしろ、微笑さえ浮かべている。
「ふ〜ん、柚巴か。……ん、柚巴? ってことは、あんたあれか! 御使威家の中でも、唯一力を持てなかったという……!」
 紗霧羅が驚いたように大声で言った。
 柚巴はぎょっとする。
 それを耳にした限夢人たちが、興味深げに、次々に、わらわらと集まって来る。
 どうやら、限夢人たちの間では、柚巴は力を持てなかった異端として有名になっているらしい。
「……!?」
 柚巴はすっかり見世物になってしまった自分をどうしたらよいのかわからず、おどおどとしている。
 しかしそれでも、すぐ後ろに控える竜桐に、決してすがろうとはしない。
 この辺りは、柚巴のよいところとも言えなくはないが、強情なところでもある。
 一度そうと言ったら、何が何でもそれを貫く。
 ――これは、御使威家当主の娘としての立場が、そのようにしたのかもしれないけれど。
「これはまた、思い切ったことをしたな。娘」
 そう言ったのは、口ひげをはやした老紳士だった。
 きちっとスーツを着こなし、いかにも位高そうな雰囲気をかもしだしている。
 左手には、褐色のステッキを持っている。
「そうだな。力のない人間が、まさかここへやって来るとはな」
 にやにやと笑いかける黒髪の男。
 彼もまた、フォーマルに身を包んではいるけれど、着崩しているためか、どこかしっくりこない。
 このサロンでは、ういている。
 いかにも無骨そうな男である。
「へえ〜……」
 そう言いながら、柚巴にのばしてくる手がある。
 それをみとめた瞬間、それまで控えていた竜桐がその手をぱしっと払った。
「触らないでいただこうか」
「りゅ、竜桐さん!?」
 慌てて柚巴は竜桐を見る。
 見上げた竜桐のその顔は険しかった。
 手を振り払った男をにらみつけている。
「な……っ。お前! 誰に向かって……!!」
 手を払われた男は、怒りの表情を竜桐へ向ける。
「お前だ。その言葉、そっくりそのまま返してやろう」
 そう言って、竜桐はその男をぎろりとにらむ。
 見下しているようでもある。
 竜桐にしては珍しい、いや、ありえないことではないだろうか。
 自ら、他人に喧嘩をふっかけるなど……。
 だから、普段冷静な竜桐を知っている柚巴も驚かずにはいられない。
 そして、焦らずにはいられない。
 早く竜桐をとめなければ、とんでもないことになるのではないか……。
 このサロンに来てからの竜桐は、どこかいつもの竜桐とは違いぴりぴりしている。
 だけど、まさか自ら喧嘩をふっかけるなど、そんなことは思ってもいなかった。
 そんな竜桐の態度は、柚巴を困惑に突き落とす。
「りゅ、竜桐さん、やめてください。これはわたしの問題です。それに、手は出さないとさっき言ったばかりじゃないですか!」
 柚巴が竜桐の腕をつかみ、きっとにらむ。
 非難しているようでもある。
「ひ、姫。しかし……!」
 竜桐は、予想もしていなかったところから制止が入り、少しうろたえつつも食い下がる。
「いいから、竜桐さんは手を出さないでください」
 柚巴がぴしゃりと言った。
 これも、竜桐は予想していなかった。
 あの柚巴が、竜桐に意見するなどとは……。
 だから竜桐は、一気に気落ちしてしまった。
 柚巴には嫌われたくない……。
 そんな気持ちが竜桐の中にはあるから。
 すごすごと、柚巴の後ろへと控えなおす。
「すみません。痛かったですか?」
 そう言って、柚巴は、竜桐に手を払われた男の手をとる。
「……」
 柚巴に手をとられた男は、無言で柚巴を見ている。
「お前、この男とどういう関係だ?」
 そして、おもむろにそう言ってきた。
「え……?」
 突然の質問に、柚巴は慌てる。
「御使威家のおちこぼれといえば、使い魔を一人も従えていないことで、こちらでも有名だ。それなのに、何故お前を守る奴がいる? もしかして、この男を、すでに使い魔にしたとでもいうのじゃないだろうな?」
 男は怪訝そうに、じろりと竜桐をにらみつける。
「……違います。竜桐さんは、父の……父の使い魔です」
 柚巴はすっと男から目線をそらし、つぶやくように言った。
「へえ〜……」
 男はなめるように柚巴を見る。
 その視線を受けて、柚巴はたじろぐ。
「あ……!」
 いきなり、紗霧羅が男の背後で大声を上げた。
「竜桐ってどこかで聞いた名前だと思っていたが、もしかしてあの竜桐さま!?」
 紗霧羅は男をぐいと押しのけ身を乗り出し、竜桐をまじまじと見る。
 男は紗霧羅に覆いかぶさられ、ぺちょっとつぶれている。
 紗霧羅の下で、じたばたともがいている。
「あの……とは?」
 竜桐は、柚巴からゆっくり紗霧羅へ視線を移し、無表情で答える。
 相変わらず、その誇り高い態度は崩さない。
「王家直属の近衛隊将軍の一人息子。そして、自らも近衛隊大佐の地位にいる。その力も、稀に見るものだとか……!」
 紗霧羅は男の頭を押さえつけたまま、あいている方の手の人差し指をぴっと立て、試すように竜桐を見る。
「ああ。たしかに、わたしは近衛隊大佐だが、力があるかどうかは自分ではわからないな」
 顔色一つ変えずに、さらりと竜桐が答える。
 それがまた、得意げに語るよりも驕って見えるから不思議である。
 全ては、この竜桐という男が持つ雰囲気がそうさせている。
 それは生まれつきのものだろうから、竜桐にもどうすることもできないのだけれど。
「げ……っ!? じゃあ、上官!?」
 紗霧羅の下敷きになっている男は、ばっと紗霧羅を振り払い、竜桐に指をさしてうろたえる。
 上官ということはすなわち、この男も近衛隊に所属しているということだろう。
 それにしても、まがりなりにも上官なのならば、指をさしてはいけないだろう、指をさしては。
 ……まあ、そうでなくても、人に指をさしてはいけないのだけれど……。
 では何故、紗霧羅が気づくまで、竜桐が答えるまで、竜桐が彼の上官であるというその事実に気づかなかったのか?
 自らの上官であるにもかかわらず……。
「え……? 竜桐さんって、そんなにすごい人だったのですか!?」
 柚巴は驚いたように、まじまじと竜桐を見る。
「姫……。だから、わたし自身はこれといってたいしたことはありませんよ。ただ、父に力があるというだけです」
 竜桐は苦笑する。
 相変わらずその言葉は謙遜しているけれど、彼のかもしだす雰囲気がそうはさせてくれない。
 竜桐が謙遜すればするほど、気持ちがかき乱される者が数多といる。
 まったく、損な男である。
「そうでもないだろう?」
 口ひげをはやした先ほどの老紳士が、竜桐の言葉を否定した。
 すると、竜桐は、はじめてその存在に気づいたとばかりに、ばっと老紳士に振り返り、その顔をみた瞬間ぎょっとした。
「おじいさま!?」
 竜桐には珍しく、うろたえながら老紳士を凝視する。
「はは……。久しぶりだな、竜桐」
 老紳士は楽しそうに竜桐を見る。
 そして、持っていたステッキの先で、こつんと竜桐をこづいた。
「はい……。おじいさまも、いらしていたのですか」
 戸惑いながら竜桐が答える。
 これは彼にしては珍しい振る舞いである。
 そうそう見れるものではない。
 あの竜桐が、ここまでうろたえる様は。
 しかし何故、自分の祖父に会ったというのに、これほどまでにうろたえなければならないのだろうか?
 先ほどの竜桐の部下とかいう男といい、竜桐といい、まったくもって、限夢人が考えていることはわからない。
「ああ、たまには、若者の中に混ざるのも良いかと思ってな。そうしたら、この騒ぎだ」
 うろたえる竜桐とは違い、楽しそうに老紳士が笑う。
「へえ〜。ふ〜ん」
 竜桐と老紳士のやり取りに興味がわかないのか、その横で、ニ人をまったく無視し、まじまじと紗霧羅は柚巴を見ていた。
「な、何ですか?」
 柚巴はちらちらと視線を泳がせ、紗霧羅のその視線に戸惑っている。
「あんた、ここへは、もちろん遊びに来たのではなく、使い魔を探しに来たのだろう?」
「……は、はい」
 柚巴はどきまぎと答える。
 にじり寄る紗霧羅に、多少動揺している。
「で、あんたは一体、使い魔に何をお望みだい?」
 柚巴の答えに、そうあらためて違う質問を投げかけながら、とんと柚巴の胸を紗霧羅の右手人差し指がつく。
「え……?」
 柚巴はいきなりの質問に戸惑う。
 今度の質問には、すぐに答えることができない。
「何かあるのだろう? おちこぼれのあんたが、無謀にもここへやって来るってことはさ」
 手を自分のもとへ戻しながら、にやっと紗霧羅が笑う。
 その笑いは、まったく嫌なものを感じさせない。
 むしろ、柚巴を無条件で受け入れている……そんなふうでもある。
 他の限夢人たちとは違う、奇異や興味の眼差しではない。
 柚巴はじいっと紗霧羅を見つめ、そしてひとつため息をもらした。
「はい……」
 柚巴は、確認するように竜桐をちらっと見る。
 竜桐もそれに気づき、こくんとうなずいた。
 竜桐のその横では、真剣な面持ちで、その後の成り行きを竜桐の祖父が見つめている。
「世凪に……世凪と遣り合えるだけの力のある限夢人が必要なのです」
 柚巴は、きっと紗霧羅を見つめる。
「はあ!?」
 紗霧羅は驚きのあまり、こけそうになった。
 やはり世凪という男も、どうやら限夢界では柚巴同様有名らしい。
 もちろん、世凪も悪い意味での有名人である。
 紗霧羅がこけそうになるのと同時、そこに集まっていた限夢人たちの間にどよめきが起こっていた。
「あ、あの?」
 心配そうに柚巴が紗霧羅を見る。
「あんた、自分が何を言っているのかわかっているのかい? 世凪ってあの世凪だろ? 自らすすんで、あんな奴の相手をするもの好きなんて……」
 紗霧羅は体勢を立て直しながら、思いっきり柚巴を馬鹿にしてみせる。
 同様に、そこにいる限夢人たちも、奇異の眼差しを柚巴に向けている。
「ここにいるぜ」
 そう言って限夢人たちの間から進み出てきたのは、先ほど柚巴を馬鹿にした黒髪の男だった。
 あまり気持ちよいとは言えない、薄笑いを浮かべている。
「どういう経緯で世凪を相手にしているのかはわからないが、世凪と遣り合おうってのは気に入った」
 そして、にかっと豪快な笑みをもらす。
「え……?」
 驚いて、柚巴は男の顔を見上げる。
 柚巴よりも頭数個分上に、その顔は位置している。
 かなりの長身。
「まあ、使い魔云々はおいおい考えるとして、協力はしてやってもいいぜ?」
 両腕を組み、にやっと男が笑う。
「俺は(かや)。よろしくな」
 柚巴は一瞬、目を真ん丸く見開いたけれど、
「は、はい!」
すぐにそう答え、嬉しそうに笑った。
「姫。そう簡単に……!」
 簡単にこの不審な男を受け入れた、そんな警戒心ゼロの柚巴を、竜桐が慌ててとめに入る。
「あんたは、この件に関しちゃ、口出しできないはずだよ」
 とめに入る竜桐を阻止するように、茅は竜桐をちらりと見る。
 過保護な奴だな……と、この時の茅は竜桐をそう評価していた。
 だからからかってやろうという、そんな意地の悪い気持ちも多少は含まれていたかもしれない。
「く……っ!」
 竜桐は悔しそうに、胸の前で左の手のひらと右の握った拳をぶつけ合わせる。
 ばちんと、乾いた音が響く。
「じゃあ、決まりだな」
 茅は言葉を失ってしまった竜桐を確認し、勝ち誇ったようにカカカと笑った。


* BACK * NEXT *
* TOP * HOME *
update:03/06/15