広がる疑惑
(3)

 御使威邸。
 夏の昼下がり、庚子と多紀が遊びに来ている。
 太陽は憎らしいほどに、人の肌をじりじりと焦がす。
 そんな時、恋しくなるものはもちろん、エアコンのきいた部屋と冷たい飲み物。
 柚巴や庚子、多紀の前には、透明なグラスにたっぷりと注がれたオレンジ色の液体がある。
 グラスの中で、その液体とまわりの熱にとかされて、カランと音を立てて氷の塊が崩れる。
 柚巴たちだけではない。
 そこにいる使い魔も含め、全員分のグラスが用意されている。
 ただ……紗霧羅は、「そんなこどもみたいなもの飲めるか!」と、大人げないだだをこね、シロップもクリームも入っていないブラックのアイスコーヒーを所望し、幻撞などは、この暑い日にさらに暑くなるような飲み物を望んだ。
 それは、あつあつに沸かした熱湯で淹れた、湯気を立ち上らせる日本茶。
 限夢人でも、日本茶を飲むらしい。
 ……まったく、温度やら気温やらを感じないとかいう使い魔だから、そのようなことも可能なのだろうが、嫌ってほどに温度やら気温やらを感じてしまう人間のことも考えてもらいたい。
 見ているだけで、ようやくひきかけた汗も、また吹き出てくるようである。
「庚子ちゃん、多紀くん、紹介するね。こちらが、今度わたしに協力してくださることになった、紗霧羅ちゃんと幻撞おじいちゃん」
 このエアコンのきいた部屋で、庚子と多紀がやって来ることをずっと待っていた柚巴は、涼しい顔をしながらそう言うと、紗霧羅と幻撞を示した。
 庚子は柚巴のその言葉を聞き、やはり暑さがぶり返したような気がした。
 多紀は……庚子とは違い、柚巴同様、涼しい顔をしている。
 この辺が、多紀の人と異なったところである。
「協力って……。わたしたちは、あんたの使い魔だろ?」
 紗霧羅は柚巴を見て苦笑する。
 コーヒーのグラスにさしてあるストローをいじり、カランという氷の音をさせる。
 その氷の音は、ほてった体の庚子の耳には、ムカつくことに妙に心地よかった。
 幻撞はやはり、にこにことしている。
 幻撞は出会った時もそうだったけれど、始終にこにこと微笑んでいる。
 この辺りは、年の功というものなのだろうか?
 しかし、庚子と多紀の顔は、少々ひきつり気味である。
 何か言いたくて仕方がないという表情でもある。
「これはまた、竜桐さんたちとは一味違う使い魔ばかりで……。お姉さんにおじいさん……。柚巴らしいといえばらしいけれど……」
 庚子は顔をひきつらせたままである。
 それに続いて多紀が、けろりと言った。
「偏っているよね。竜桐さんたちは、みんないかにも強そうなのにね?」
「それはどういう意味だい!? ボーズ!!」
 多紀の言葉にぴくんと反応し、そしてひくひくと口の端をひきつらせ、紗霧羅が威圧的に多紀を見下ろす。
「う〜わ〜。怖いお姉さんだね?」
 多紀はたじろぐことなく、にこっと笑う。
 その態度は、まるで紗霧羅を思い切り馬鹿にしているようにも見える。
「……」
 紗霧羅は予想していた反応とは違う反応を見せる多紀を、面白くなさそうにじとりと見下ろす。
 紗霧羅の頭の中では、多紀は慌てて平謝りをするとふんでいた。
 しかし、多紀のこのひょうひょうとした反応。
 多紀という人間をまだ知らない紗霧羅なだけに、この反応は不思議であるのと同時に、面白くない。
「それにしても、本当に柚巴が使い魔と契約してくるなんてね……。最初聞いた時は、絶対に無理だと思ったけれどね?」
 ひょうひょうとした態度で紗霧羅をからかう多紀と、次の対応を考えている紗霧羅はそっちにおいておいて、こちらでは、グラスを持ち、ストローで液体と氷をころころと転がしながら、意地悪っぽく庚子が柚巴を見ている。
 ストローを口にくわえ、ゆっくりとオレンジの液体を吸い上げていく。
「ひっど〜い、庚子ちゃん。……まあ、自分でもそう思っていたけれど?」
 柚巴がおどけてみせる。
 そして、柚巴もグラスを持ち上げ、すねたように一気にオレンジジュースを飲み干した。
 グラスの底にほんの少し、吸い上げ切れなかったオレンジジュースが残っている。
「だろ?」
 庚子も笑う。
 水滴で覆われたグラスを、テーブルの上にことんと置く。
 庚子のグラスには、まだ半分ほどのオレンジジュースが残っている。
「でもまあ、いい人たちが協力してくれることになってよかったね?」
 いつの間にか、紗霧羅との戦い?をやめていた多紀が、あっけらかんと言った。
 すると柚巴も庚子も、紗霧羅、幻撞までも自分の耳を疑い、ぽか〜んと多紀を眺める。
 それでもなお、多紀一人だけが、にこにこと笑っている。
 ジュースを飲み干したグラスの中では、もう氷がとけはじめ、少し残っていたオレンジジュースの上に透明な液体がかぶさり、二重の層の液体ができていた。


 その日の夜。
 昼間、庚子と多紀と騒ぎすぎたのか、早々と床につき、すでに熟睡体勢に入っている。
 天蓋つきのシングルベッドニつ分の大きさのベッドの上で、シーツの海に体を沈めている。
 すやすやと寝息をたてる柚巴の寝顔を見つめながら、紗霧羅が横に立つ幻撞に話かける。
 紗霧羅も幻撞も、柚巴が眠りについた後、柚巴の部屋へやってきて、ベッド脇に立ち、柚巴の寝顔を見ていた。
「なあ、翁。あんたどう思う? 世凪のこと」
「どうとは……?」
 幻撞はステッキで床をたたき、コツンと小さな音を響かせる。
「だって、おかしいだろう? 御使威家の娘をさらって、一体何をしようというんだ?」
 紗霧羅は不服そうに幻撞を見る。
 幻撞にそのような顔をしても無意味ではあるとわかってはいる。
 しかし、紗霧羅は、この言葉とは関係のない、まったく別の顔をするという高等技術を持ち合わせてはいない。
「さあ、わしにもわからんが……。世凪がこの子を選んだということは、この子には何かがあるのだろうな」
 幻撞がそっと柚巴の頬に触れた。
 頬にかかっていた柚巴の柔らかな髪を、そっと頬からはなしていく。
「翁……。あんた、柚巴が好きなんだね〜」
 その様子を見ていた紗霧羅が、しみじみと言った。
「ああ。孫みたいでね」
 間髪いれずそう答えると、幻撞は優しく微笑む。
「孫って、あんた。あんたの本当の孫とはえらい違いだよ。あの男は堅物じゃないか」
 呆れるように、だけどどこか優しげに紗霧羅は微笑む。
「だからだよ。女の子の孫を、一人は持ちたかったものだ」
 おどけた調子で幻撞は答える。
 それを見て、紗霧羅は急にまじめな顔をした。
「まあさ、そういう理由で、柚巴の使い魔になったわけじゃないだろう?」
「さあ、どうかねえ?」
 にこにこと笑って、幻撞は答えをはぐらかす。
 相変わらず、このにこにこ顔の老紳士の考えていることはわからない。
「まあ、いいけれどね……」
 おもしろくなさそうに、紗霧羅はため息をもらした。
 もうそれ以上は追求しないことにした。
 ……追求したところで答えるわけもなく、無駄だと悟ったのだろう。
「それで、お前さんは、どうしてこの子の使い魔になろうと思ったのだ?」
 いきなり話題を戻され、紗霧羅は一瞬たじろいだ。
 今度は、紗霧羅がその質問をされてしまった。
「お前さんほどの力と誇りの持ち主だ。こんなまだ幼い子に、素直に従うなどとうてい思えないのだが?」
「そ、それは……」
 紗霧羅は痛いところをつかれて困ったというような表情をする。
 そしてすぐに諦めてしまったのか、ちらっと幻撞の顔を見ると、赤面して、ぶっきらぼうに答えた。
「柚巴を見つけた瞬間、何かを感じたのだよ。何かはわからなかったけれど、とにかくわたしは、この子を守らなければならないってな」
「それでいいのだよ」
 幻撞はぽんぽんと紗霧羅の肩をたたいた。
 優しげな表情で、紗霧羅に微笑みかける。
 紗霧羅は赤い顔のまま、不思議そうに幻撞の顔を見つめていた。


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update:03/06/26