舞い込んだ女神
(1)

莱牙(らいが)さま? 莱牙さま? どちらに行かれたのですか?」
 限夢宮、中庭。
 この中庭は、ある意味、使い魔たちにとっては特殊な意味をもつ場所。
 人間界ではみたことのない奇妙な花が咲いている……というだけではない。
 ここは、使い魔たちが人間界から限夢界へ帰ってきた時に、必ず通る道となる。
 そんな特別な場所である。
 ……しかし、使い魔となっていない限夢人には、それは知られていない。
 そんな特別な場所で、数人の使用人らしき者たちが、何やら莱牙という人物を探しまわっているようだった。
「まったく……。ここでお待ちくださいと、あれほど申しましたのに。ふらふらと歩きまわるのですから!」
 まだ年若い、しかしどこか風格のある、鮮やかな銀の髪をした男が言った。
 銀の髪……ということは、この人物もまた梓海道同様、身分ある限夢人に仕える者ということになるのだろう。
平良(ターラ)さん。早くお探ししないと、またどこぞの姫にちょっかいをかけて、大変なことになりますよ」
 平良に、困ったように別の男が言う。
 こちらは、平良より少し身分が落ちる……といったふうである。
 下男ふうの男である。
「わかっている! まったく、あのチャラ男はどうにかならないのでしょうかね!」
 そう言うと、平良と呼ばれた人物は、どしどしと神殿風の建物の中に入って行く。
 それに続き、残りの者たちも慌てて建物に入る。
 すると、その様子をそれまで見ていた一人の男が、木の陰からすっと姿を現した。
 平良たちは、すぐ近くに人が忍んでいたというのに、それに気づかなかったらしい。
 ……それとも、忍んでいたその人物が、平良たちをはるかに凌ぐ力を持っており、それで気配を悟られなかった……ということになるのだろうか。
「危ない危ない。せっかくの逃げ出すチャンスが台無しになるところだった……。誰が王になど会うものか! ――って、あいつ。主の俺に対して、よくも言いたい放題と……」
 ぶつぶつとそんなことを言って、木の陰に隠れていた人物は、その場からはなれて行く。


 先ほどの会話の後、神のドームから柚巴が出て来た。
 その後に続いて、嚇鳴も出て来る。
「噴水!?」
 ふと目をやると、目の前にはきらきらと水しぶきを上げる噴水があった。
「ああ……。ローレライの泉か」
 嚇鳴は珍しそうに目を輝かせる柚巴へ、微笑を向けながら言った。
「ローレライの泉?」
 柚巴はきょとんと嚇鳴を見る。
 すると、嚇鳴は柔らかく苦笑した。
「ああ。知らないのか? ローレライ。あんたたちの世界にもあるだろう? その美貌と美声によって船人たちを魅了し、船を沈めてしまうという恐ろしい水の精だったはずだぜ? あんたたちの世界では。――まあしかし、こっちの世界でいうローレライは、美の女神という崇める対象なのだけれどな。最高神・シュテファンの七人の神のうちの一人だよ。この噴水は、かつては泉で、そしてここで、ローレライが水浴びをしたという言い伝えがある。そこで、ローレライの泉と呼ばれるようになったんだ」
 嚇鳴にしては、やけに詳しい。
 そしてやはり、嚇鳴もエリート職である近衛隊に所属する人物なだけはあるということなのだろうか。
 嚇鳴とて、決める時は決めるらしい。
「そうなんだ……」
 柚巴は惹かれるように、ローレライの泉へ、嚇鳴を、腕を引き連れて行く。
 そしてニ人、子供のように水をかけ合ってはしゃぎはじめてしまった。
 もちろん、ふっかけたのは柚巴で、嚇鳴の性格からしてやり返さずにはいられなかった。
「……まったく、あいつは、いつまでたっても子供だな」
 あきれながら祐がドームから出て来て、柚巴と嚇鳴のはしゃぐ姿を見つけた。
「そこがかわいいのだろ?」
 祐の後から出てきた亜真が、にやにやとしながら祐を見る。
「そういうお前もだろ?」
 祐はため息をもらし、亜真をじろっと見た。
「まあね」
 祐のその視線に気づき、亜真は平然とにこっと笑う。
「それにしても、姫さまは短期間のうちにかわりすぎた。これでは……竜桐さまが心配するのも無理はないな」
 祐ははしゃぐ柚巴を見つめる。
 じいっと険しい顔で。
 ようやく神のドームから出てきた紗霧羅が、祐のその言葉と表情を見て、怪訝そうに聞いた。
「そんなにかわったのかい? わたしは最近の柚巴しか見ていないけれど、そうかわってはいないと思うが?」
「かわったよ。姫さまは少し前までは、本当に物静かで、こちらが心配せずにはいられないほど物分りがよく、決して自分の意見を述べようとはしなかった。いつも他人を最優先にして、自分のことはいちばん最後だ。しかし今の姫さまには、誰が見ても、積極的な面が現れている。……それは、良いことなのだが……」
 祐は多少口ごもりながら、そしてためらいがちに言った。
「そして……何よりもかわったことは、姫さまがご自分の力を自覚しはじめていることだ。それが問題なのだ。まあ、我々も最近になるまでは、姫さまの力に気づいてはいなかったが……。そして、竜桐さまも翁も、姫さまが力に目覚めることをひどく恐れていらっしゃる……」
 やはり険しい顔つきで亜真も続ける。
「それで、今問題視されているのはその力なのだろう? その他の変化については、むしろほほえましく思っている……と?」
 紗霧羅は、柚巴を、どこか遠くを見るように見ながら言った。
「まあ、そういうことだな。それで、その話を他の者達にもするために、我々は竜桐さまに、今回のことを頼まれたというわけだよ」
「じゃあ、あんたたちは、柚巴を監視すると……?」
 紗霧羅ははしゃぐ柚巴から視線をはずし、ニ人をにらむ。
「まさか!」
 紗霧羅のそんな詰問のような問いかけに、祐はあっけらかんと答えた。
「まさかそんなことをするわけがないだろう? たしかに、竜桐さまたちは見極めなければならないと言っているが、つまりは同じこと。俺は協力する気などはないからな。ただ……姫さまが、悲しい思いをしなければそれでいいのだよ」
「本当に姫さまが我々に仇なすものかどうかも疑わしいしな。姫さまは、今まで御使威家になかった力を持ち合わせているようだが、だからといって、それが必ずしも悪いものだとは限らないだろう?」
 亜真が続ける。
 どうやらこれが、祐と亜真の思いらしい。
 ――そう、必ずしも柚巴の力は、限夢界に仇なすものとは限らない……。
 それ以上に、祐と亜真の中での柚巴の存在は、大きくふくらんでいる。
 何しろ、柚巴を幼い頃より見守り続けてきたのだから。
 肉親に似たそのような感情を抱いていても、不思議ではない。
「まあね。わたしもそんな奴だったら、使い魔になどなっていないよ。まあ、あの子が、これからどう変化するか……が、楽しみではあるかな?」
 紗霧羅は優しくにっと微笑む。
 亜真と祐も、紗霧羅に答えるように微笑んだ。


 ん……? 迷ったか?
 そんなことを考えながら、先ほどの、王宮の中庭の木の陰に隠れていた男、莱牙が、きょろきょろと辺りを見まわしながら歩いている。
 そして、ひときわ明るい光を放つ広場を見つけ、それにひきずられるようにふらふらとそこへと歩みを進める。
 莱牙がやって来たここからは、柱の向こうに広場を見渡すことができる。
 今いる建物の内側とは異なり、目の前に広がる広場は、太陽の光を浴び、きらきらと輝いている。
「あ……。ここは、たしか……」
 そうつぶやいた時だった。
 莱牙の目に、ある光景が飛び込んできた。
「……女神? ――ファンタジア……?」
 彼が驚きと愛情を込めて言葉をもらしたそこは、神域だった。
 ――ファンタジア。
 それは、この世界に、数千万、数億年に一度現れるといわれている奇跡の女神。
 ファンタジアは、最高神・シュテファンとも、他の七人の神とも別格の存在である。
 神であって、神でない。
 それが、ファンタジア。
 だから人々は、彼女のことを、奇跡の女神と呼んでいる。
 ファンタジアもまた、この限夢界で密かに信仰されている存在である。
 人々は、その名をあまり口にはしない。
 彼女は、神のようで神でない、あやふやな存在だから。
 また、彼女がこの世界に姿を現す時、それはすなわち、この世界が危機に陥った時であるから……。
 ある意味、ファンタジアは、奇跡の存在とともに、不幸の、恐怖の象徴となっている。


「やだ、もう。どこかの誰かさんのおかげで、びしょびしょだわ!」
 びしょぬれになった服をぱたぱたと揺さぶりながら、嚇鳴をじろりと見る。
 柚巴の揺らす服からは、時折ぴしゃんと水滴が飛び散る。
 それがまた都合よく、嚇鳴に命中したりするから不思議である。
 ……なにやら、よからぬ意図を感じてしまう。
「それは、こっちの台詞だ」
 嚇鳴もまた、うへ〜っという表情をしながら、へばりつく服と格闘し、柚巴をにらむ。
 そうやって、んぎぎぎぎ……と、今にも聞こえてきそうに歯をかみ締め、にらみ合う。
「はい、そこまで」
 祐がそう言った瞬間、嚇鳴は地面と挨拶をわかしていた。
 祐によって、べしゃりと頭を地面におさえつけられてしまったから。
 それは、手ではなく、足によって……という辺りが、いかにも嚇鳴らしい。
 祐は、どうやって嚇鳴の頭のてっぺんにまで足を上げたのか……という辺りは、それは限夢人であるが故にということで、あえて追及はしないでおこう。
「おいおい。別に踏みつぶすのはかまわないが、神聖なこの場所が穢れるでしょ?」
 にこにこしながら、亜真はわざとらしく、地面と挨拶をかわす嚇鳴の様子をうかがう。
 もちろんそれは、心配してではなく、これからどうやっていたぶれば楽しく遊べるか……を研究するために。
「まあ、それもそうか」
 祐は、嚇鳴を踏みつけていた足をあっさりとどけた。
「てめーら、いつか絶対、痛い目にあわせてやる」
 嚇鳴は顔についた砂を払いながら、亜真と祐をにらむ。
 しかしまったく様になっていない上に、濡れているその顔や手では、かえって悪影響である。
 払い落とすどころか、砂をすり込んでいるようなものだから。
 あまりの怒りぶりに、嚇鳴はそれに気づいていない。
 祐も亜真も意地悪なことに、それを教えてやろうとはまったくしない。
 そんな二人の後ろでは、紗霧羅がにやにやという嫌な笑みを浮かべながら、何か言いたげな柚巴の口を押さえ、その様子を見ている。
 どうやら、嚇鳴にそのことを教えようとする柚巴を、紗霧羅が邪魔しているらしい。
「それは、俺たちに勝ってから言ってちょうだいなっ」
 そしてまた、嚇鳴は祐によって、地面と挨拶をかわさせられるはめになった。
「あ、あの〜?」
 ようやく紗霧羅の拘束から解放され、柚巴はぷはっと息をはくと、そのようにためらいがちに祐と亜真に話しかける。
「姫さまは黙っていてください。今、教育的指導を与えているところですから」
 祐が嚇鳴を見下ろしたまま、さらりとそう言った。
 その横では、亜真がくすくすくすと笑っている。
 紗霧羅もまた同様に、にやにやと笑っている。
「は、はい!」
 柚巴は勢いにまかせ、思わずそのように返事をしてしまった。


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update:03/07/16