舞い込んだ女神
(2)

「あはは。本当、こいつ馬鹿だよね〜。一応これでも、わたしらとそうたいしてかわらないランクの限夢人だとはね〜」
 馬鹿にしたように、紗霧羅が嚇鳴を見下ろす。
 そして、まだ祐の足の下にいる嚇鳴を、ちょいちょいとつま先でつついてみせる。
 彼らにかかっては、嚇鳴はいたぶりの対象……もとい、おもちゃでしかないらしい。
 人権といったものは、まったく無視されている。
 しかしまあ、それも普段の嚇鳴の行いがそうさせているので、同情の余地はないけれど。
「しゃ、紗霧羅ちゃん!」
 予想外の行動に出た紗霧羅に驚いて、慌てて柚巴がとめようとする。
 しかし、あっさりとそれはかわされ、紗霧羅も亜真も祐も楽しそうに笑い出した。
 ただ、嚇鳴だけが、いまだ祐の足の下で、ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てている。
 次の瞬間、事態は急変した。
 それまで和やかだった空気が、一瞬にして強張る。
 紗霧羅たちは、瞬時に笑いをやめた。
「柚巴……!」
 紗霧羅が柚巴を抱き寄せる。
 それと同時に、嚇鳴も祐の足の下から解放され、ばっと立ち上がった。
 亜真、祐、嚇鳴が、柚巴を抱く紗霧羅をかこむようにして警戒体制に入った。
 柚巴は、不安げに紗霧羅を見つめる。
 どうやら柚巴もまた、紗霧羅たちが気づいたことに気づいているらしい。
 やはり……柚巴の力が、増したということになるのだろう。
「しゃ、紗霧羅ちゃん!?」
「ああ。大丈夫」
 紗霧羅はそれだけ言って、険しい顔で辺りを見まわしはじめた。
 さらに緊張が走る。
 すると、柱の陰から一人の男が姿を現した。
 それは、紫色をした髪に、決して華美ではないがかなり値のはる装飾品をつけ、真っ赤なマントをまとった男だった。
 年の頃は、あまり柚巴とかわらないようである。
 その男をみとめた瞬間、紗霧羅、亜真、祐、嚇鳴の気が、さらにぴんと張りつめた。
 その男が、どこか逸脱した気をまとっていたから。
 彼らとは違う、だけど決して弱い力の気配ではなく、むしろ……。
 しかし、柚巴だけは違った。
「……はなして、紗霧羅ちゃん。彼は大丈夫だよ」
 じっとその男を見つめ、静かにつぶやいた。
「え……?」
 紗霧羅は一瞬驚いたが、柚巴を放そうとはしない。
 すると、柚巴はするっと紗霧羅の腕からすり抜けてしまった。
「柚巴……!?」
 そんな柚巴の行動に驚いたのは、紗霧羅だけではない。
 亜真も祐も嚇鳴も、驚かずにはいられなかった。
 なにしろ、紗霧羅ほどの力の持ち主の拘束を、柚巴はあっさりと解いてしまったのだから。
 普通ではあり得ない。
 人間が使い魔の力を中和してしまうというその行為からして普通ではあり得ないのに、それも紗霧羅ほどの力を持った使い魔の力を無効にしてしまったのだから、驚くなという方が無理なはなしである。
 しかし今は、そんなことに悠長に驚いている暇などない。
「あ……! 姫さま、お待ちを!!」
 誰よりも早く正気に返った亜真が、慌てて柚巴をとめにはしる。
 しかし、柚巴はそれもあっさりとかわし、先ほどの男のもとへと歩み寄っていく。
「何かご用ですか?」
 柚巴が男に微笑んだ。
 まったく裏のない、さわやかな微笑みで。
「……お前は?」
 柚巴の問いには答えずに、その男はそう言った。
 じっと柚巴を見つめながら。
「柚巴といいます。……人間です。御使威家の人間ですよ?」
「……御使威の人間だと? では、お前はここへ、使い魔を探しにきたのか」
 その男は、ぼうっと、どこかを見つめるようにつぶやいた。
 一見、柚巴と会話をしていないようにも見えるが、ちゃんと会話は成立している。
「ええ……。そのようなところですが。それで、わたしたちに何かご用でも?」
 にこっと微笑み、首をかしげる。
「いや、用はない。ただ、なんとなくここへきてみたら、お前たちがいたというだけだ」
 まだぼうっと……いや、呆然とした様子で言葉を出す。
「そうですか」
 柚巴はやはり、にこりと微笑んだままである。
「ひ、姫さま?」
 柚巴の横にやって来た亜真が、恐る恐る耳打ちする。
「この者は、大丈夫なのですか? 何か嫌な予感がします……」
「大丈夫だと思うよ? まあ……たしかに、他の限夢人たちとは違う気をまとってはいるけれど……」
 柚巴がこそりと亜真に答える。
 その行動を見ていた男は、怪訝な顔つきをした。
「何をこそこそとしている? 人間、お前は、使い魔のしつけもまともにできんのか?」
「う〜わ〜、嫌な奴」
 柚巴と亜真の少し後ろで控えていた祐が、ぼそっといつもの余計な一言をもらす。
 すると、それを聞き逃さなかったのか、男は不機嫌そうに顔をゆがめた。
「無礼者! たかだか近衛兵ごときが、わたしにそのような口をきいてよいと思っているのか! 傍流に追いやられたとはいえ、わたしは王族だぞ!」
「え……!?」
 亜真、祐、そして嚇鳴の間に、たらりとまずそうな空気が流れる。
 それはそうである。
 仮にも近衛隊に属する者が、傍流とはいえ、王族の顔を知らなかったとは……。
 そして、暴言をはき、とっていたその態度は、決してよいものではないのだから。
 これでは、近衛失格である。
「ああ! 思い出した。傍流においやられた紫色の髪をした王族で、それくらいの年齢といえば、王子のいとこの莱牙さまだ!」
 祐や嚇鳴の後ろからひょっこりと顔をのぞかせ、ひらめいたかのように紗霧羅がぽんと手をたたく。
「姐さん、思い出すの遅すぎ!!」
 亜真、祐、嚇鳴が、みごとにハモってそう言った。
 すると紗霧羅は、あはははと、愛想笑いをしてみせる。
 まったく……近衛三人組もたいがいであるが、紗霧羅も紗霧羅である。
 王族を王族とも思わないこの態度……。
 特に、近衛兵がそのような態度をとるなど……。
 この世界の王政も、たいしたことはなさそうである。
「王子様のいとこ?」
 柚巴はきょとんとした表情で、誰かに向かってといった感じではなく、独り言のようにつぶやいた。
「そうだ。お前、力を重視して、中味のない使い魔ばかりを選んだのではないのか?」
 亜真と祐を見て、皮肉っぽく莱牙が言った。
 ふんと鼻で笑ったような気さえする。
「え……? あの、この方たちは、わたしの使い魔ではありませんよ?」
 首をかしげながら、柚巴が答える。
「お前のではない……?」
 莱牙の表情が一瞬険しくなった。
「はい。わたしの父の使い魔です」
 それが当たり前のようににこりと微笑み、柚巴は答える。
「柚巴の使い魔は、わたしだけですよ。莱牙さま」
 いつの間にやってきていたのか、紗霧羅はするりと柚巴の肩を抱く。
 しかし当の莱牙の耳には、紗霧羅の言葉はまともに入っていないようである。
「まあ、そのようなことはどうでもいい。それより、お前たちは、ここで何をしていたのだ?」
 莱牙が、いかにも興味がなくなったというように話題をかえた。
 自分から話題をふっておいて、興味が失せたら即次の話題。
 まったくもって、わが道を行くお人である。
 まるで……誰かを思い起こさせられるような。
 もちろん、それを聞いて、亜真、祐、嚇鳴の三人が、かちんときたのは言うまでもない。
「何といわれても……」
 柚巴は言葉につまる。
 ちろりと紗霧羅の顔を見る。
 どうやら、答えのヒントを求めているらしい。
「答えられぬのか?」
 莱牙の表情が、怪訝なものへと変わっていく。
 それを見た柚巴は、困ったように微笑む。
「しいていうならばそうですね。何をしていた……というわけではないので」
 困っていたはずなのに、ためらいなくあっさりと柚巴はそれを認めた。
「な……っ。お前、他に言うことはないのか!?」
 そんな柚巴の開き直ったともとれる答えに驚いたのか、それとも腹が立ったのか、莱牙はつかつかと柚巴に近づいてくる。
「え……!?」
 莱牙のその行動に柚巴が驚きの声をあげると同時に、紗霧羅が柚巴を抱きしめ、その前に亜真が立った。
 柚巴と莱牙の間に、紗霧羅と亜真の壁ができる。
「それ以上、近づかないでください。……まさか、浮名を流す莱牙さまでも、人間の娘にまで手をお出しにはならないですよね?」
 亜真がきっと莱牙をにらみつける。
 王族である莱牙を。
 まあ、今の亜真にとっては、守るべき人は王族の莱牙ではなく、主の娘の柚巴なのだけれど。
 それにしても、このような態度がとれるとは、亜真はよほど主への忠誠心が強いのか、それとも、王族を王族とも思っていない怖いもの知らずか……どちらかだろう。
「……当たり前だろう、馬鹿にするな!」
 亜真の言葉を馬鹿にするように、だけどどこか気まずそうに、莱牙はふいっと顔をそむける。
 この矛盾した雰囲気をもつ莱牙の行動が、どうも腑に落ちない。
「……くしゅん!」
「柚巴!?」
 そんな緊迫しはじめた空気を、不謹慎にも、柚巴はくしゃみ一つでかき消してしまった。
 紗霧羅が、心配そうに柚巴の顔をのぞき込む。
「え?」
 柚巴はきょとんと、柚巴を見る紗霧羅を見つめる。
「嚇鳴! お前のせいで、姫さまがお風邪を召されてしまったではないか!」
 祐がななめ後ろに控えていた嚇鳴を引き寄せ、胸元をつかみあげる。
「そんな横暴な! どうして俺のせいになるんだよ!!」
 嚇鳴がむっとして叫ぶ。
 さすがにいわれがないとはいえないが、柚巴からふっかけた水のかけ合いで、柚巴がくしゃみをしたからといって、嚇鳴がこのような仕打ちをうけることは納得できない。
 どうやら嚇鳴は、自分の置かれたポジションを、まだはっきりと理解していないらしい。
 かわいそうだけれど、嚇鳴はいわば……やられキャラというポジションに位置しているのに……。
 それは、誰もが認めることである。
 嚇鳴本人を除いて……。
「お前のせいだ。無抵抗な姫さまに、水をかけていたではないか!」
 当たり前のように、祐は嚇鳴をののしる。
「おい! 待て。あれのどこがそうなる! 先に手を出してきたのは、あいつだろう!? それに、無抵抗って、一体あの女のどこに、そんなしおらしいところがあった!?」
 嚇鳴は祐に胸元をつかまれ、多少苦しそうにしながらも、そうきいきいとわめくことだけは忘れない。
「姫さまに対してなんたる暴言! お前、命の一つやニつ、失う覚悟はできているのだろうな!?」
「命がニつもあるか! ボケ!! ――おい、女。お前も何とか言えよ!」
 嚇鳴はとうとうぶち切れてしまったらしい。
 しかし、大切なことを忘れている。
 そんな言葉をはけば、その後どうなるか……ということを。
 だから、何かが一本抜けているというのだ。
 そして、よりにもよって、柚巴にふるなどとは――
「え……? あ、うん。あの、祐さん。別に、わたしは風邪をひいたわけでは……」
 嚇鳴の勢いにおされ、柚巴はおずおずと、憎らしげに嚇鳴をにらみつけている祐に言った。


* BACK * NEXT *
* TOP * HOME *
update:03/07/19