嵐の兆候
(1)

「俺のところにたまるのは別にかまわないが……。俺の気のせいか? 何か増えていないか? こう……毛色の違うものが一匹……」
 ずるずるとお茶をすすりながら、目をすわらせて茅が言った。
 茅の持つティーカップから、何とも不思議な香りが漂ってくる。
 限夢界でのみ栽培されている茶葉で淹れた、お茶の香りである。
 柚巴たちはあれからすぐに、茅の屋敷へ戻ってきていた。
 戻ってくると居間に通され、それと同時に、タイミングよく午後のおやつが運ばれてきた。
 それは、茅が柚巴たちが戻ってくる頃を知っていたような、そんなタイミングだった。
 しかし、誰も驚いたりはしない。
 限夢界では、これは別に珍しいことでもないから……。
 皆、それぞれ特殊な力を持っている。
 先を見る……それは、茅の一つの力なのかもしれないと、茅が何も語っていないにもかかわらず、そう勝手に納得したから。
 ――実際に、茅がそのような力を持っているかどうかは、定かではないけれど……。
「すまん、茅。わたしも予想外のことで、どうしたものかと考え中だ」
 お茶をすする茅の前にいる竜桐が、かちゃりっとカップを置きうなだれる。
「まあ、別にいいけれどね……。俺はね、俺は……。でもいいのか? あれを放っておいても?」
 呆れながら茅が、くいと親指でとある一角を示す。
「今のところはな……」
 竜桐は再びカップを持ち上げ、ため息まじりに答える。
 茅の指し示した方は見ていない。
 茅が示したそこでは、柚巴を間にはさみ、紗霧羅と莱牙が火花を散らしている。
 柚巴はうんざりといった様子で、目で使い魔たちに助けを求めている。
 茅の言うところの毛色の違う一匹≠ニは、どうやら莱牙のことらしい。
 竜桐を除く使い魔たちは、それぞれ皆、手にカップとソ−サーを持ち、窓際に立ち、柚巴と目を合わせることを避けるように庭を眺めている。
 その様子があまりにもわざとらしいので、柚巴は多少ムカっとしていたかもしれない。
「おい、竜桐さまよお。いいのか? どうやらあの王族さまは、よりにもよって、姫さんに惚れたらしいぞ?」
 嚇鳴が、こそこそと竜桐のところへやって来た。
 そして、そう耳打ちをする。
「まあ、今のところは、さして問題ないと思うが……。決して、あのことを、莱牙さまに知られぬようには、はからわなければならないがな」
 また仕事が一つ増えてうんざりというように、不機嫌そうに竜桐が言った。
「だけど、あの姫さんの、一体どこに惚れたっていうんだ?」
 嚇鳴がまったく理解できないというように柚巴たちの方を見て、首をかしげる。
 そんな嚇鳴を見て、竜桐も茅もくすりと笑う。
「お前がそれを言うのか?」
 竜桐が少しからかうように嚇鳴を見る。
 そして、茅と一緒に、見透かしているかのような視線を嚇鳴に送る。
「げ……っ。もしかして……?」
 恐る恐る、嚇鳴は、ちろりと竜桐を見上げた。
「ああ」
 嚇鳴が見上げたそこには、にやっとした竜桐の顔があった。
 それで、嚇鳴は確信してしまった。
「ああ〜っ」
 頭を抱え、その場にしゃがみ込む。
「お前も難儀だなあ」
 くすくすと笑いながら、また茅がお茶をすする。


「しかしあの娘、ますます底が知れないな」
 それまで、竜桐、茅、嚇鳴の話を黙って聞いていた幻撞がそう言った。
 幻撞は、窓際に立つ由岐耶たち使い魔とは別に、竜桐たちのいるソファに同じく腰かけている。
 しかし、そのあまりもの静かさぶりに、そこに幻撞がいるということを誰も意識していなかった。
 だから、幻撞が口を開き、わずかに驚いたような様子をしている。
「おじいさま? それは一体……」
 たしかに少しは驚いているはずなのに、やはりその程度の驚きでは表に見せることはないらしく、竜桐は無表情で首をかしげる。
「そのままの意味だよ。本来、限夢人同士でもなかなかそういう感情を抱かない限夢人を、こうもたくさん惹きつけるとは……」
 幻撞が柚巴を見つめながら言った。
 その目に込められた光には、愛しさと困惑と……そして険しさがあった。
 どうやら、幻撞ともあろう者ですら、柚巴のこの不思議な魅力に動揺しているらしい。
 どのように判断すればよいのか、いまだに答えを見出せないでいる。
「それは、つまり……。あれですか?」
 そう竜桐が言うと、幻撞が苦笑する。
「莱牙さまや、嚇鳴だけでなく、最近では、由岐耶や麻阿佐まで、すっかり姫に流されている。そして……亜真や祐もその兆しがある」
 竜桐が険しい顔をした。
 姫に流されているとは、それは一体どういう意味で……?
 そんなものは、聞かずともすぐにわかること。
 すなわち、竜桐が言おうとしていることは――
「まあ、いいんじゃないのか? 別に惚れちゃいけないってわけでもないし? 王族である莱牙さまを除いてはな? それだけ惹きつけるものを持っているんだよ、あの姫さまは」
 茅が涼しい顔で言った。
 どうやら、これといって茅に害があるわけでもなく、むしろ何だかとっても面白いことになりそうなこの状況を、不謹慎にも楽しんでいるらしい。
 まったく……これだから、変わり者扱いをされるわけである。
「……たしかに……」
 嚇鳴がぽつりとつぶやく。
 すると、竜桐も茅も幻撞も、皆嚇鳴に注目した。
 じっと嚇鳴を見る。
「たしかに、あの女には何かがあるよ。俺がそうだった。あいつにはじめて触れられた時、ピンときたんだよ。……それに、とてもあたたかかった。――決して、限夢人では持ち合わせていないものがある。恐らくみんな、そこに惹かれてるのだと思う」
 嚇鳴が柚巴を見つめながら言う。
 愛しそうに見つめている。
 見ていていじらしい。
 たしかに、嚇鳴が言う通り、彼は……。
「おやおや、あっさり認めた上に、のろけられてしまったよ」
 茅がからからと笑う。
 それまでの嚇鳴の珍しいシリアスシーンが、一気にぶち壊されてしまった。
 まあ、嚇鳴にシリアスなど似合いはしないのだから、ごく自然の成り行きだけれど……。
「うるさいよ、変人オヤジ!」
 嚇鳴は、悔しそうにきっと茅をにらむ。
 しかし、茅は涼しそうな顔で、気にもとめていない様子。
 それがまた、嚇鳴の怒りをあおる。
「ところでさあ、竜桐さまたちは、こっちの世界に、こんなおっさんなんかのより立派な屋敷を持っているんだろう? なのになんで、よりにもよって、こんなちんけな屋敷にたまるんだ? もっと警備の行きとどいたところの方がよくないか?」
 嚇鳴が他意なくさらっとそう言うと、茅が嚇鳴をじろりと見た。
 しかし嚇鳴は、そんなことなどまるで気にしていない。
 いや、気にしていないというよりは、これはいわば嚇鳴の仕返しであり、茅を怒らせようとして発したので、期待通りの茅の反応に内心喜んでいるのかもしれない。
 ――まったく……。本当に、まだまだ子供なのだから。
 人間の年齢でいえば、嚇鳴は立派な大人なのだけれど、限夢人の寿命からすれば、まだまだ若造≠ナあるので、まあ、子供でも無理はないのかもしれないけれど。
 嚇鳴と茅のそんな低レベルな喧嘩などどうでもよいというように、竜桐は我関せずといった様子で答える。
「ああ、それはもちろん考えたが、恐らく、我々の屋敷はすでに世凪にマークされているはずだ。その点、茅の屋敷なら、まだ知られていないかもしれないと思ってな。茅は使い魔ではないから」
「それもあやしいがな。なにしろ、相手はあの世凪だ」
 竜桐に続いて、茅が言った。
 さすがは、嚇鳴よりは大人の茅である。
 もう先ほどのことを引きずるのはやめ、本筋に戻ってきた。
 茅のその言葉に、竜桐たちはあらためてそれに気づき、険しい顔で互いに何やら見つめ合う。
 たしかに、相手はまったく常識の通じないあの世凪。
 一筋縄でいくはずがない。
「その通り。俺を甘く見てもらっちゃ〜困るね?」
 そう言って、いきなり世凪が竜桐たちの前に現れた。
 ふわふわと宙に浮き、竜桐たちを見下ろしている。
「せ、世凪!!」
 竜桐がそう叫ぶと、竜桐たちから少しはなれたところでわいわいとやっていた柚巴たちが、一斉に注目した。
 部屋中、しんと静まりかえる。
 緊張が走る。
 そして世凪は、柚巴に視線を移すと、宙をわたりすうっと柚巴の所までやって来て、床に降り立った。
 それから、ソファに腰をおろしている柚巴と、目線を合わせるように腰をまげる。
「ねえ、柚巴。もうそろそろだってさっき言ったよね? 俺、もう待てないんだよね。早く、王子様と結婚しちゃってよ」
 少しにらみがちに、世凪は柚巴に言う。
 瞬時に、柚巴の顔は険しくなる。
「……嫌。あなたの言うことはきかないって言ったはずよ? 何度も言わせないで。あなたの思い通りになんてなってやるものですか!」
 柚巴は、きっと世凪をにらみつける。
「本当、わかっていないよね? 柚巴。お前が俺に敵うわけがないんだよ? 痛い目をみないうちに、言うことを聞いておく方が得策でしょう?」
 意地悪げにそう言って、柚巴に触れようとした時だった。
 世凪の左腕に、微かな痛みがはしる。
「……!?」
 世凪は目線をゆっくりと左側へ移した。
 するとそこには、手に火の玉をつくった莱牙が、すごい形相で世凪をにらみつけながら立っていた。
 莱牙は、真っ赤な炎をまとっている。
 目が覚めるほどの鮮やかな赤である。
 それは、世凪の髪の色と、どちらが鮮やかか……。
 比べることのできない鮮やかさ。
 どうやら先ほどの痛みは、莱牙がまとっている炎が、微かに触れた痛みだったらしい。
「へえ、俺に喧嘩を売ろうっていうの? あんたが、俺に?」
 馬鹿にしたように、だけど怒りをにじませながら、世凪は莱牙を見る。
 そして、まわりを見まわす。
 すると、莱牙だけでなく、そこにいた全員が戦闘体勢に入っていた。
 皆、世凪に攻撃の照準を合わせている。
「やれやれ。血の気の多い連中ばかりだな」
 世凪が呆れたようにため息をもらす。
「世凪さま!」
 そう言って、梓海道がいきなり現れた。
「梓海道?」
 梓海道は現れるやいなや、すたすたと世凪に歩み寄り、そっと耳打ちをする。
 すると、見る間に世凪の顔色がかわった。
 苦々しく、唇をかむ。
「……ちっ。余計なことを。――仕方がない。こちらにも、どうやら急用ができたようだから、今回はおとなしく引いてやるよ」
 そう言って、世凪と梓海道はあっさりと姿を消した。
 完全に世凪の気配が消えると、一同はほっと胸をなでおろした。
 しかし、それでは終わらなかった。
 莱牙が腕組みをして、ふてぶてしい態度で、偉そうに柚巴につめ寄ってきた。
「どういうことだ? 王子と結婚とは、どういう意味だ?」
「あの……それは……」
 柚巴はどぎまぎとし、目線を泳がせる。
 そして、柚巴の右手は、隣に座る紗霧羅の服をしっかりとつかんでいた。
「あなたに教える義理はない」
 柚巴につめ寄る莱牙の背後で、竜桐がぴしゃりと言った。


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update:03/07/25