嵐の兆候
(2)

 柚巴は、ひとまず茅の屋敷の客間の一つで、部屋の中に紗霧羅を、そしてその周辺に由岐耶、亜真、都詩を護衛にし、眠りにつくこととなった。
 これは、竜桐の強いおしによるものである。
 客間といっても、それは限夢界でも力のある茅の屋敷。
 大きな部屋の中に天蓋つきのベッドが、ぽつんと淋しくある。
 その他、最低必要であろう鏡台やらの調度品が、ちらほらとおいてあるだけ。
 調度品は、白木や藤造りで、そして、ベッドカバーやらカーテンといったものは、とうてい茅からは想像もできないような乙女ちっくなものだった。
 レースのカーテンに、ピンクの花柄のベッドカバー。
 どうやらこれは、柚巴のために特別に用意させたらしい。
 何というか、茅もおかしなところにこだわるものである。
 これではまるで、初孫を喜ぶ祖父のような……。
 もちろん、それを目にした時、そんなあきらかに柚巴のためと思える装いに、柚巴は困ったように、だけど嬉しそうに微笑んでいた。
 そんな部屋へ柚巴を押し込め、先ほどの居間で、竜桐たちは柚巴には内緒の密談をはじめた。
「まずいな……。世凪の奴、どんどん力をつけてきている。もうあいつの気配がよめない」
 竜桐が、苦虫をかみつぶすように言った。
 ソファに腰かけ、膝の上で両手を組み、ぎゅっと握り締めている。
「行動の予測もつかないしな。もともと素早い奴だったが、もうあいつのスピードにはついていけなくなりつつある」
 どかっとソファに深く腰かけている茅も同意する。
 そして、ふうっと大きなため息をついた。
「あれ? そう言うってことは、おっさん、世凪とやりあったことでもあるのか?」
 嚇鳴は、竜桐と茅ニ人の間のソファの背に、後ろ側から覆いかぶさるように組んだ両手をおいて、自分の横にある茅の顔をじっと見た。
「まあな。以前、少し……」
 茅は困ったように微笑んだ。
 そんな茅とは違い、嚇鳴はあっけらかんとしている。
「だから、あの時、協力を名乗り出たのか?」
「そんなところだ」
 茅は目をつむり、思い出すかのようにつぶやいた。
 さすがに、そのような茅の様子を見せつけられると、嚇鳴も何やら複雑そうな表情を浮かべる。
 そして、ぽてっとソファの背に自分の顔をおき、じっと茅を見つめた。
「お前たちは、世凪とやりあうつもりなのか?」
 それまで窓際に立ち、窓の外を眺めながら静かに聞いていた莱牙が、口をはさんできた。
 詰問するかのように、そこからじっと竜桐たちを見つめている。
 月光に照らされ、莱牙の姿はほのかに黄色がかっている。
「莱牙さまにお話することはないと、言ったはずですよ?」
 竜桐は険しい顔で莱牙をにらむ。
 あたかも、「あなたには関係ありません。むしろ、ここにいられるだけでも不愉快だ」と、そのように言っているようである。
 しかし、さすがといおうか王族なだけあり、そんな感じの悪い態度をとられても、莱牙の不遜ぶりはかわらない。
 むしろ、そんなことはどうでもよく、今の莱牙にとっていちばん大切なことは、柚巴の安全だったのかもしれない。
 何しろ、王宮の神域で柚巴を見つけたその時から、莱牙には感じるものが、思うものがあったのだから。
 そして、柚巴ともう少し一緒にいたい……。それだけの理由で、茅の屋敷にまでついてきてしまったのだから。
 ――ただ、その行動の理由を、当の莱牙がまったく自覚していないというのが、多少問題ではあるけれど……。
「そんなことはどうでもいい。とにかく、戦うのか戦わないのか。それをわたしは聞いているのだ!」
 莱牙はいらだちながら言った。
 答えだけを簡潔に述べよ、と竜桐をにらみつける。
 しかし、竜桐の返事は、あいかわらず遠まわしなものである。
「戦う……と言いえば、あなたはどうされるのですか?」
「……」
 莱牙は答えようとせず、じっと竜桐をにらみつけたままである。
 そんなかたくなな莱牙の態度に、竜桐はため息をもらした。
 どうやらもう、諦めてしまったらしい。
 あの竜桐が、莱牙に根負けしてしまった。
「戦わないわけがないでしょう? わたしたちは、姫をお守りしなければならないのですから」
「世凪の奴に、くれてやるわけにはいかないからな」
 竜桐に続け、すかさず茅もそう言った。
 そして、竜桐と茅の間には、にっと笑う嚇鳴の姿があり、そのまわりに控えている祐たち使い魔も、決意の眼差しですがすがしい表情を浮かべていた。
 莱牙はそんな使い魔たちを見て、心を決める。
「……わかった。わたしも戦おう」
 皆一丸となり、同じ目的を持っているその様子を確かめるように見まわした莱牙が、彼らと同様に、何かを決意したかのように真剣な表情を浮かべた。
「はあ!? 何をおっしゃっているのですか、あなたは」
 しかし、そんな莱牙に返された言葉は冷たいものだった。
 呆れたように衣狭が言う。
「それを口実に、さっきの件を聞き出そうって魂胆じゃないだろうな?」
 祐が疑わしげに莱牙をにらむ。
 衣狭と祐の莱牙を拒絶するそんなあからさま態度を見ても、莱牙に気にする様子はない。
「馬鹿言え。わたしは、それほど汚くはない」
「どうだか? なにしろ浮名を流す王族さまだ」
 嚇鳴もくってかかる。
 ソファの背に組んだ両手をおいたまま、ぴっと人差し指だけ莱牙に向ける。
 そして、じろりとにらみつける。
「やめろ。今はそんなことを言い争っている場合ではないだろう」
 半喧嘩ごしの使い魔たちの態度に、竜桐はそろそろ雲行きが怪しくなってきたとでも言いたげに、面倒くさそうに、嫌々仲介に入る。
「莱牙さま。あなたは、ご自分が言っていることを理解されていますか?」
 竜桐に続き、幻撞は莱牙を見てそう言った。
「当たり前だ。わたしが、考えなしにこんなことを言えると思っているのか?」
 莱牙は、じろりと幻撞をにらみつける。
 馬鹿にされたようなそのようなもの言いに、莱牙はむかっときたのかもしれない。
 まあ、これ以前にも、同様の態度を他の者たちにもとられていたので、今さらではあるけれど。
「いいえ、思っていません。だからですよ」
 幻撞はわざとらしくにこりと微笑む。
 それがさらに、莱牙の不審と怒りをかう。
「ふん。何しろ、相手はあの世凪だ……。奴のことだ、どうせよからぬことを企んでいるのだろう?」
 当然次に出る言葉は、幻撞を非難する言葉であろうと思っていたが、莱牙の口から出た言葉は案外まともなものだった。
 むしろ、的を射ているといってもよい。
「とにかく、あの娘に手を出している以上、放ってはおけない」
 莱牙は窓越しに、夜空にぽっかり浮かぶ、少し欠けた月をきっとにらみつけ、ぐっとこぶしを握り締めた。
 そんな莱牙の様子を、困ったように使い魔たちは見ていた。
「……いいのですか? そんなことを言ってしまって……」
 興味深そうに、そして楽しそうに、だけどどこか呆れて茅が莱牙に確認する。
「さして問題はない」
 莱牙はゆっくりと使い魔たちへ顔だけを向け、月に照らされほのかに黄色いその姿で、にやっと笑った。
 妙にぞっとするものがあった。
 思わず、使い魔たちは、息をのんでいた。


 からっとよく晴れた朝。
 空を見上げると、雲ひとつない良い天気。
 それを望むことができる大きな窓のあるダイニングで、柚巴たちは朝食をとっている。
 カチャカチャと、食器が触れる音が響く。
「そういや、姫さん。今日はこれから、一度あっちへ帰るんだよな?」
 茅が、唐突に柚巴に話しかけてきた。
 ゆで卵の皮を丁寧にむきながら。
 そんな細かな作業をする茅は、妙に違和感がある。
 彼の性格からして、とうてい想像もできない。
「え? はい。夕方頃には帰ろうかと……。向こうの世界でも、心配していると思いますので。それに今回は、茅さんたちに協力のお願いに来ることが目的でしたし」
 柚巴は、ことんとフォークを置き、茅を見る。
「まあ、俺と嚇鳴のボウヤは、こっちの世界でしか協力できそうもないがな?」
「それでいいです。こちらの世界でしかできないこともありますし、それをお願いできれば」
「OK。わかった」
 茅はにやっと得意げに微笑む。
 そして、パンを一つまみとって、ぽいっと口へ運ぶ。
 どうやら、柚巴との会話のこの短時間の間に、ゆで卵を一つ、ぺろっと胃袋へと放り込んでしまっていたらしい。
 なんとも天晴れな早業である。
「柚巴、それとってくれる?」
 紗霧羅が、柚巴の右隣に置いてある塩の小瓶を指差した。
「……ってまさか、紗霧羅ちゃん、それにお塩をかけるの?」
 柚巴は、今紗霧羅の手にあるものを見てぎょっとした。
「悪い?」
 紗霧羅は怪訝そうに柚巴を見る。
 柚巴は苦笑いを浮かべる。
 そして、塩の小瓶を手にとった。
「ううん、悪くはないけれど……。それ、桃のタルトだよ?」
「うーん。わたし、甘いもの苦手だから」
 塩の小瓶を柚巴から受け取りながら、紗霧羅が言う。
「だったら、最初から食べなければいいだろう?」
 これまでの柚巴と紗霧羅のやりとりを、むすっとした顔で聞いていた莱牙が、とげとげしく言う。
 どうやら莱牙は、紗霧羅だけちゃっかり柚巴の横を占領して、自分は柚巴の正面の席に追いやられたことを根に持っているらしい。
 先ほど、早い者勝ち競争をして、あっさり紗霧羅に負けてしまっていた。
「うるさいよ。了見のせまい男は嫌われるよ。なあ? 柚巴」
「え……?」
 カシャン。
 急にふられ、驚いてぽろっと持っていたフォークを落とした。
 まあ、驚いたのは急にふられたからだけでなく、その紗霧羅の言葉にもだけれど……。
 よりにもよって、どうしてそれを柚巴に……?
 柚巴とて、それほど鈍くはない。
 何故莱牙が一緒についてきたのか、うすうす気づきはじめていた。
「ああ。もう、何やっているんだ、あんたは。おっちょこちょいなのだから」
 紗霧羅が、柚巴の落としたフォークを拾いあげる。
 すると、すっとメイドがやってきて、新しいものと取りかえていった。
「本来ならば、そんなことはメイドにさせるものだろう?」
 紗霧羅のその行動を見て、怪訝そうに莱牙が言う。
 ぴくりと、紗霧羅の眉が動く。
 そして、何故だか、にやりと微笑んだ。
「いいんだよ。わたしが拾ってやりたかったのだから。それに、柚巴はそういうことを嫌うんだ」
 勝ち誇ったように紗霧羅が言った。
 その紗霧羅の態度を見て、言葉を聞いて、莱牙は悔しそうに持っていたフォークを握り締める。
 するとそのフォークは、一瞬にして、ぱらぱらぱら……と砕け落ちてしまった。
「あれ……わざとだよ、絶対。姐さん、莱牙さまに見せつけるためにしたんだ」
 そのように、亜真と祐が、莱牙に聞えぬようにこそこそと話していた。


 むすっとした顔で、莱牙がダイニングを出ようとしていた。
 まだ先ほどの紗霧羅との一件を根に持ち、ムカムカしているらしい。
 みんなそんなことなど気にもせず、あっさりと莱牙を無視して、それぞれダイニングを後にしようとしている。
 すると、そんな莱牙の背中側の服が、ちょんと引っ張られた。
 莱牙は驚いて、さっと後ろを振り向く。
 すると、そこには柚巴が立っていた。
「あの……。聞きたいことがあるのですが、少しいいですか?」
 柚巴はちろりと莱牙を見上げ、おずおずと聞いてくる。
 言うまでもなく、柚巴の姿を目にした瞬間、莱牙の顔はゆるんでいた。
 だから、返事も決まっている。
「別に、かまわないが……」
 ゆるんだ顔を気取られまいと、懸命にきりりと顔をひきしめる。
 しかしやはり、口の端はゆるんだまま。
 莱牙の案外好意的な返事に、柚巴はほっと胸をなでおろす。
「じゃあ、お庭に出ませんか?」
「え……? 他の奴らには聞かれたくないことなのか?」
 驚いたように莱牙が聞く。
 驚いたような表情を浮かべているが、内心嬉しくてたまらないのも事実。
 一瞬にして、先ほどの紗霧羅とのバトルをきれいさっぱり忘れ去り、心弾んでいた。
 莱牙の問いかけに、柚巴は苦笑する。
 それを見て、莱牙は真剣なまなざしを柚巴へ向ける。
 もう、莱牙の先ほどまでの心うきうきるんるんは消え去っていた。
 そして、ニ人がダイニングを後にしようとすると、それまで大人しく柚巴と莱牙のやりとりをみていた紗霧羅がやって来て、わたしも連れて行けと迫ってきた。
 そうしたら、今度はそれを見ていた嚇鳴も来て、紗霧羅と同様のことを言い出した。
 あとはもう、芋づる式である。


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update:03/07/28