嵐の兆候
(4)

「ねえ、紗霧羅ちゃん」
 柚巴が、紗霧羅の腕をくいっと引っ張った。
 ここに来てからそうしているように、今も居間にいる。
 柚巴はふかふかのソファにもたれかかるように腰かけ、何やら複雑な表情を浮かべていた。
 使い魔たちのほとんどは出かけて行ってしまい、屋敷の主である茅と幻撞、そしてそれでは頼りないので由岐耶が残された。
 もちろんそれは、柚巴の護衛のためである。
 柚巴の横に腰かけていた紗霧羅が、柚巴を見る。
「何? 柚巴」
「どうして世凪は、あんなことをしようとしているのかな?」
 よいしょと小さくつぶやき、柚巴はソファにもたれかけていた体を起こし、じっと紗霧羅を見つめた。
「あんなこと?」
 紗霧羅は首をかしげる。
 すると、そんな紗霧羅を見て、柚巴は難しそうな顔をした。
「扉よ。扉を使おうとしていること」
「え?」
「だって、何かしっくりこないじゃない。世凪自身は、扉などなくたって、自由にニつの世界を行き来できるのでしょう? それに、どう考えても、世凪は誰かのために何かをするようなタイプではないと思うの。今まで話してきてわかったわ。たいして世凪の利益になるとは思えないのに、何故……」
 柚巴は訳がわからないといったように、考え込んでしまった。
「そういえば、そうだね……」
 柚巴の考えを聞き、納得したのか、紗霧羅がぽつりとこぼした。
 するとそんな会話をしている柚巴と紗霧羅のもとへ、窓際に立ち、庭を眺めていた由岐耶がすっと歩み寄ってきた。
「奴の考えていることなど、誰にも理解できませんよ」
 そして、おもしろくなさそうに顔をゆがめる。
「由岐耶さん?」
 いかにも軽蔑しているようなそんな由岐耶の表情を見て、苦笑した。
 柚巴のこれまでの言葉からもわかるように、柚巴は由岐耶や竜桐たちのように、それほど世凪を軽蔑も、警戒もしていないらしい。
 むしろ、世凪のことを理解し、友好的であるかもしれない。
 それに薄々由岐耶は気づきはじめていたので、だからあえてこのように言ったのかもしれない。
 そしてそれ以上に、柚巴が世凪に歩み寄ることを恐れていた。
 それは、由岐耶だけでなく、竜桐にもいえることである。
 何しろ竜桐は、由岐耶以上に、柚巴の行動一つ一つに敏感になっているから。
 柚巴に、彼らを凌ぐ力があるかもしれない……。そう気づきはじめた頃から……。
「そうだな。奴のやることは誰にも予想できない。一体、何を企んでいるのか……。純粋に、扉のためだけに動いているとは思えないしな」
 難しそうに茅も言った。
 この疑問は、今まで誰もが抱いていて、そして誰も言おうとしなかった疑問である。
 何よりも自分の利益を優先しそうなそのような世凪なのに、たいして自分の利益にもならないことに、こうも躍起になるものだろうか?
 ということは、その裏に、また別のもくろみがある……。そう思うのが自然だろう。
「なんだ? それは……」
 突然、柚巴たちの後ろからそんな声がした。
 慌てて振り返ると、そこには怪訝な顔をした莱牙が立っていた。
「まずい……。話に夢中になって気づかなかった」
 茅が舌打ちをする。
 普段なら誰か人が近づいてきたら、その気配で察知できるはずであるが、世凪の不可解な行動に気をとられ、誰も莱牙が近づいてくることに気づいていなかったらしい。
 由岐耶も紗霧羅も、そして幻撞も、茅同様、困ったような苦笑いを浮かべている。
 ただ柚巴だけが、しらじらしく涼しい顔をしている。
 ……ということは、柚巴はもしや、使い魔たちでさえ気づかなかった莱牙に、気づいていたということになるのだろうか?
 気づいていて、わざと気づいていないふりをしていた……?
「だから、一体何なのだ? 扉とは。わたしは、そんなことは聞いていないぞ!?」
 莱牙は不服そうに言って、当たり前のように、柚巴の紗霧羅とは反対側のあいている席に腰かける。
 そして、訴えるように柚巴を見つめてくる。
 その言葉より、どうやら、莱牙は今来たばかりで、扉に関して詳しいことまでは聞いていなかったようなので、皆一様にほっと胸をなでおろした。
「あなたが……あなたが、王族である以上、教えられません」
 由岐耶は莱牙を見下ろし、きっぱりとそう言った。
 もちろん、そう言った由岐耶に、莱牙のにらみが入る。


 夕方。
 朝、柚巴が言った通り、ひとまず柚巴たちは人間界に帰ろうとしている。
 茅の屋敷の玄関前に、柚巴たちはいた。
 使い魔たちは、それぞれ柚巴をとりかこむように立っている。
 やはりこのような時でも、いつ世凪がまた柚巴をさらいにやってくるかしれないので、皆気が抜けない。
「それじゃあ、後はお願いします。またニ日後にうかがいにきますね」
 柚巴が茅に微笑を向ける。
 柚巴たちは人間界で、そして使い魔になっていない茅と嚇鳴は限夢界で、それぞれの世界で、世凪について調べたり、護衛にあたったりする。
 そのような約束がかわされていた。
「ああ。……まあ、あまり朗報は期待しないでもらいたいがな」
 困ったように茅は苦笑した。
 その言葉通り、茅は短期間で……いや、たとえ長い時間をもらったとしても、世凪について、そうたくさんのことを調べる自信はない。
 しかし、それでも何かの足しになればと、柚巴たちに協力している。
 そしてまた、彼自身も、世凪との過去のある出来事より、世凪に興味を抱いている。
 だから協力している。
「それは、こちらもですね?」
 茅に合わせ、苦笑いする。
 柚巴も同様に、謎だらけの世凪について調べるなど、そう簡単なものではないとわかっている。
「では、我々はそろそろ帰りましょうか」
 困ったように笑う柚巴に気を使ったのか、竜桐が優しく柚巴に話しかける。
 すると柚巴は、横に立つ竜桐の顔を見上げ、じいっと見つめた。
「ええ、そうですね」
 そしてそう言うと、やけに大げさな笑みを向けた。
 それが、竜桐にどこか不安を感じさせる。
 何かはわからないけれど、とりとめのない不安を……。
 柚巴は、紗霧羅の手をとろうと、手をのばす。
 紗霧羅の手助けによって、柚巴は人間界へと帰るから。
 紗霧羅が使い魔になっていなければ、それはもちろん、こちらの世界に連れてきた竜桐の仕事である。
 だから竜桐は、内心複雑だった。
 無事柚巴が使い魔を手に入れられたことは喜ばしいことだが、彼が柚巴にしてあげられることが、これでまた一つ減ってしまったから。
 ……いや、これから次第に減り続け、そして最後には何もなくなってしまう。
 これまで柚巴のために竜桐がしてきたこと全てが、柚巴の使い魔である紗霧羅と幻撞の特権となっていく……。
 それが、竜桐に淋しさを感じさせている。
 竜桐はあくまで、柚巴ではなく、柚巴の父親、弦樋の使い魔だから。
「待て!」
 柚巴が紗霧羅の手をとろうとすると、見送りに来て、そこにいたままずっと押し黙っていた莱牙が大声を上げた。
 その声に驚き、柚巴は思わず手を引っ込めてしまった。
 紗霧羅は、「邪魔しやがって……」と、憎らしげに莱牙をにらむ。
 しかし、莱牙はそんな紗霧羅など無視し、じっと熱い視線を柚巴へ送る。
 そして、叫んだ。
「柚巴!」
「は、はい!?」
 莱牙がいきなり柚巴の名を呼んだので、柚巴はびくっと驚き、まじまじと莱牙を見つめた。
 そんな柚巴にはおかまいなしに、莱牙はつかつかと柚巴へ歩み寄ってくる。
 そして、おもむろに柚巴の両手を握り締める。
 変わらず、熱い視線を柚巴に送りながら……。
「契約をかわす」
 一瞬ためらったかのようにも見えたが、意を決したように、莱牙がその意外な言葉を口にした。
「え?」
 もちろん、柚巴は意味がわからず首をかしげる。
 意味がわからないのはその言葉ではなく、何故莱牙がその言葉を口にしたのか、ということにである。
 契約をかわすということはすなわち、柚巴の使い魔になるということになる。
 王族である莱牙が、どうして、わざわざ人間である柚巴の使い魔になるというのだろう?
 信じるに値しない言葉である。
「契約をかわすと言っているのだ。俺はお前の使い魔になる」
 そうきっぱりと、誰もが信じがたい言葉を莱牙が発した途端、その場はしんと静まり返ってしまった。
 使い魔たちはそれぞれ目を見開く。
 ある者は冷や汗を流したりもして、驚けるだけ驚いているようである。
 それほどまでに、王族である莱牙の口から発せられる言葉としては、信じがたいものである。
 ……いや、あってはならないことである。
「あの……。わかっているのですか? 王族のあなたが、わたしなんかの使い魔になるなんて……」
 さすがに柚巴でさえも、そう確認せずにはいられなかった。
「わかっている」
 そう言って、莱牙は柚巴の手をとる手にいっそう力を込め、さらに熱い視線を送る。
 じっと柚巴の目をとらえ、決してそらそうとはしない。
「俺は、お前と一緒にいるためならば、何でもする」
 そして仕舞いには、莱牙はさらりとそんな爆弾発言をやってのけてしまった。
 莱牙に握られた柚巴の手から、じわじわと汗がふきだしてくる。
 柚巴は、次の言葉が思いつかなかった。
 ただじっと、信じられないといったように、莱牙を見つめるばかり。
 すると莱牙は、困惑している柚巴に気づき、にこりと優しげな微笑を向けた。
 ――これでもう、確定してしまった。
「……すごい……。王族はじめての使い魔の誕生だ。姫さまはすごい方ですね」
 麻阿佐が声を殺しつぶやいた。
 すると、それがきっかけとなったのか、その場がどっと盛り上がる。
 口々に、柚巴への賞賛の言葉が飛びかう。
 柚巴は嬉しいやら困ったやら、複雑な表情で愛想笑いをしていた。
 そして莱牙は、嬉しそうに、得意げな顔で笑っている。
 使い魔たちが興奮する中、ただ竜桐と幻撞だけが、険しい顔で柚巴を見つめていた。


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update:03/08/03