交錯する心、それぞれの思い
(1)

 柚巴たちは夕方、人間界は御使威家に戻って来ていた。
 その日は、世凪が突然現れることもなく、これといって何もなく、柚巴たちは就寝へ向かった。
 まあ、それは当たり前と言えば言えなくもない。
 何しろ、柚巴たちが人間界へ戻ってきたのは夕方。
 もう一日も終わりに向かっていたのだから。
 そして、翌日。
 柚巴が限夢界から戻ったと聞き、庚子と多紀がやって来た。
 学校はもう夏休みに入っており、柚巴と会う機会もそれほど多くはないので、庚子と多紀は、久しぶりに柚巴に会えるとあって嬉しそうである。
 柚巴もまた、喜びを隠していない。
「いらっしゃい。庚子ちゃん、多紀くん」
 玄関先に立ち、笑顔でニ人を招き入れる。
 ここ御使威家の玄関ホールは、一階から屋根まで吹き抜けになっており、玄関を入って正面には、左右からニ階へと続く大きな階段がある。
 もちろん、玄関から階段、そしてニ階に続くまで、赤絨毯が敷きつめられている。
 これはもう、何やら倒錯の入った装いである。
 しかし、それにもかかわらず、あちらこちらに施された細かな細工から、この屋敷の主のセンスが漂ってくるので、それも倒錯とは一概に言えないのかもしれないけれど。
 柚巴の招きに応じ、庚子と多紀が屋敷の中へと入って来る。
 ニ人は、別に、今回、はじめて柚巴の屋敷へやって来たわけではないが、やはり何度見てもその迫力には圧倒されてしまうらしい。
 一瞬、我を失ったかのように、ぽか〜んと天井を見上げていた。
 あの庚子と多紀でも、このようなことがあるらしい。
 柚巴はニ人を招き入れると、ニ人の一歩前、これまた赤絨毯の敷かれた長い廊下を歩き、つきあたりの応接間へと促す。
 この応接間からは、庭を一望することができる。
 そんな屋敷に住みながら、平然とそれが当たり前のように振る舞う柚巴の姿を見て、庚子はきゅっと多紀の服をつかんだ。
 すると、多紀は無言で庚子の頭をぽんぽんと軽くたたく。
 庚子は苦笑する。
 この柚巴を見て、柚巴がどこか違う世界の住人のような気がしてしまったから。
 淋しさを感じてしまう。
「かわっちゃったな、柚巴……」
 多紀に耳打つように、ぽつりと庚子が言った。
 そんな庚子のつぶやきは、一歩前を行く柚巴の耳には届いていない。
 変わらず、どこかすましたように柚巴は歩いている。
 柚巴たちが、応接間の扉の前にようやくやって来た。
 その瞬間、手も触れていないのに、ひとりでに扉が開かれた。
 庚子と多紀は、小さな驚きを見せる。
 しかし、柚巴に動じる様子はまったくない。
「ありがとう」
 そう言って、柚巴は、その開かれた扉を示し、庚子と多紀に先に入るようにと促す。
 ニ人は見つめ合い、そしてすぐに言われるまま応接間に入っていく。
「あれ? 由岐耶さんと麻阿佐さんが開けてくださったのですか?」
 多紀は扉をくぐると、ふとそこに立っている由岐耶と麻阿佐に気づいた。
 どうやら柚巴は、そこに由岐耶と麻阿佐がいることを知っていたようで、だから扉の前に来ても、自分で扉を開けようとしなかったのだろう。
 そして、それがなくとも、柚巴にはそこに由岐耶と麻阿佐がいることがわかったに違いない。
 ここ最近、急に増してきた力によって……。
「なんか、この前よりも、さらに警護が厳しくなっているのだな?」
 庚子もそれに気づき、多紀に続いて苦笑いを浮かべる。
 その言葉通り、応接間には、由岐耶と麻阿佐のニ人を入れて、七人もの使い魔がいる。
 玄関からここへくるまで、まったく使い魔の姿を見ないと思えば、皆ここに集まっていたというわけらしい。
 別に使い魔たちも、常に柚巴のそばにつき従っていなくとも、この屋敷中に張りめぐらされた結界によって、屋敷の中ならば、何かあればすぐに察知し、駆けつけることができる。
 だから、柚巴一人で、庚子と多紀を迎えに玄関まで行くことが可能だった。
 今も続く、世凪の脅威があるにもかかわらず。
「うん。ごめんね。わざわざ呼んじゃって」
 柚巴は応接間に入ってきながら、申し訳なさそうに微笑む。
 柚巴が完全に中に入ったことを確認すると、すぐに由岐耶と麻阿佐によって扉が閉められた。
 そして、柚巴の後に由岐耶と麻阿佐が続く。
「気にしない、気にしない。こういうわけだから、俺たちが呼ばれたのだろ?」
 多紀は柚巴をむかえ入れながら、ぽんと柚巴の背をたたいてにこっと笑う。
「ありがとう。多紀くん」
 柚巴も笑う。
 そして、庚子と多紀を、応接間の中央に置かれたアンティークなソファへ促す。
 細かな刺繍が施された、ビロード地のソファへと。
「あれ? もしかして……また一人増えている?」
 そう言ったのは庚子だった。
 庚子はソファに腰かけながら、そこにいた使い魔たちを見まわしている。
 みれば、ソファに腰かけ、ひとり偉そうにふんぞりかえっている使い魔がいる。
 そして、庚子とその使い魔の目があった瞬間、使い魔は不機嫌そうに顔をそむけた。
「……って、今度のは、なんかむしょうに腹立つ奴だな」
 庚子は使い魔のその態度に、むっとしてそう言った。
 するとその使い魔は、庚子のその言葉を聞いて自分のことだと判断したらしく、ぎろっと庚子をにらみつけてくる。
 しかし、庚子もこんな視線は学校で慣れたもので、まったく動じない。
「庚子ちゃん……」
 半分呆れたように柚巴が言った。
 柚巴が呆れたのは、その使い魔を庚子が相手にしようとしているからである。
 相手にしなくてもよい相手に、すぐに喧嘩をふっかける……それが庚子だから。
 わかっているけれど、やはりそれを目の前でされると、さすがの柚巴も呆れてしまうらしい。
 ただ多紀は、そんな庚子の様子を、庚子の横に腰かけ、楽しそうに傍観している。
 これも、いつもの多紀の反応である。
「莱牙さま。このニ人は、わたしの友達です。あまりおかしなことばかりすると、ここから出て行ってもらいますよ?」
 柚巴は、先ほど庚子とにらみ合った使い魔、莱牙をきっと見つめる。
 すると莱牙は、おもしろくなさそうに、またぷいっとそっぽを向いた。
 ぶすっとむくれ、憎らしげに窓の外に広がる庭を眺める。
 そんな莱牙を見て、柚巴は困ったように微笑んだ。
「ちょ……っ。柚巴。さま≠チて、一体……!?」
 庚子が驚いたように聞く。
 普段使い魔をさん≠ナ呼ぶ柚巴が、庚子が気に食わないその使い魔だけをさま≠ナ呼んだものだから、多少大げさに驚いてみせた。
「あ、あのね。実は〜……」
 柚巴は、ちらちらっと庚子を見る。
 答えに困っているらしい。
「何ということはない。ただの王族ですよ」
 困る柚巴の後ろで、さらりと由岐耶が言った。
 その言葉通り、由岐耶は清々しいくらい平然とした面持ちである。
 仮にも王族を、「何ということはない」と言うとは。「ただの王族」と言うとは……。
 さすがの庚子も、由岐耶のこの言葉には絶句してしまったらしい。
 そして、柚巴は相変わらず、困ったように微笑んでいる。
 すると、莱牙が案の定、由岐耶をぎろりとにらみつける。
「もしかしてもしかしなくても、仲はよろしくないのだね?」
 そんなニ人の様子を見て、多紀があっけらかんと言った。
 この辺もさすがは多紀で、そのただならぬ空気をよめていながら、あえて事態を悪化させるような言動をする。
 これだからこそ、庚子と上手くつき合っていけるのかもしれない。
 何しろニ人とも、デリカシーという言葉を持ち合わせていないから。
「そんなみもふたもない。多紀……」
 しかし庚子の反応は、いたってまともなものだった。
 そう言って、どっとつかれたようにうなだれる。
「ふ〜ん。それにしてもやるじゃない、柚巴。まさか、王族まで使い魔にしてしまうとは」
 庚子が気を取り直して言った。
 ぱちんと、柚巴にウィンクを送る。
「王族といっても、傍流ですがね」
 またしても、由岐耶がちゃちゃを入れる。
 ソファに腰かける柚巴の後ろに立ち、その前に座る莱牙をうっとうしそうに見下ろす。
 莱牙はというと、もう言わなくてもわかっているだろうけれど、例によって例の如く、由岐耶をにらみつけている。
 何やら、由岐耶と莱牙の間には、ばちばちとした見えない火花が散っているように見える。
 さすがに、もうそろそろ、莱牙に限界が近づいて来ているらしい。
「由岐耶さんと、特に仲が悪いようですね」
 そんな由岐耶と莱牙の見えない火花に気づき、今までの言動も含め、多紀が苦笑いをしながら言った。
「でも、傍流っていっても王族なのだろ? やっぱすごいよ、柚巴」
 庚子は満面の笑みを柚巴に向ける。
 そして、おもむろに立ち上がり、柚巴のもとまでくると、がばっと柚巴を抱きしめた。
「ちょ、ちょっと、庚子ちゃん。みんな見ているのに」
 柚巴は真っ赤になって、庚子の腕の中でもがくふりをする。
 それを見ておもしろくないのが、もちろんこの人、紗霧羅姐さん。
 窓際に立ち、あえて柚巴たちの会話には参加しないようにしていた紗霧羅の視線が、きつく庚子へつきささる。
 しかし、紗霧羅は莱牙よりは多少はできているらしく、庚子に喧嘩を売ったりはしない。
 ただ、自分も柚巴を抱きしめたくて仕方ないようで、もじもじと体をくねらせてはいるけれど。
 ――まったく……。ここの使い魔たちときたら……。
「そこでラブシーンしないでくれる?」
 ぽてっとソファに身を沈め、多紀は呆れ顔で柚巴と庚子を見ていた。


「なんか本当、大変だな? 柚巴、わたしたちにも何か手伝えることはない?」
 用意されたオレンジジュースをじゅるじゅるとすすりながら、庚子が言った。
 庚子は、多紀によって、また多紀の横に戻されている。
 柚巴と庚子の抱擁の後、都詩が人数分のオレンジジュースを運んできていた。
 藤でできたコースターの上に置かれたガラスのグラスは、すでに汗をかきはじめていた。
「庚子……下品……」
 多紀がすかさず、ぽつりとつっこみを入れる。
 そこはできたコンビ。
 ソファの下にのばされた多紀の右足を、庚子の左足が襲撃する。
「いた……っ!」
「ザマーミロ」
 庚子は楽しそうに、けけけと笑う。
 そして、何かに気づいたように、ごとんとグラスを置いた。
「って、遊んでいる場合じゃなかったんだ。で、柚巴、わたしたちに……」
「人間ごときにできることなどない」
 それまでしばらくの間黙っていた莱牙が、当たり前のように言った。
 ジュースの入ったグラスを両手で持ち、もてあそんでいる。
「ちょ、莱牙さま、あんた!」
 紗霧羅が急いで莱牙の後ろから手をまわし、口をふさぐ。
 そして、たら〜りと一筋の冷や汗を流し、庚子を確認する。
「まあ、莱牙さまは放っておいて……」
 そんな今にも庚子対莱牙の戦争が再開されそうな雰囲気の中、当たり前のように柚巴はそう言うと、あっさりと莱牙を無視した。
「柚巴……。あんた……」
 呆れたのは庚子と多紀である。
 いつもの柚巴ならば、こんな時、真っ先に慌てふためきそうなものである。
 それにもかかわらず、柚巴のこのさっぱりとした無視のしよう……。
 柚巴はあっさりと莱牙を無視すると、くるりと庚子へ顔を向けた。
「でね、庚子ちゃん。わたしを心配してくれるのは嬉しいのだけれど、庚子ちゃんを巻き込むわけにはいかないのよ」
 あまりにもあっさりと話を進める柚巴に、多少戸惑いながらも、庚子も自分のペースを崩さず続ける。
「でもさ、何かできるかもしれないだろ? 何なら、わたしたちも一緒に、その限夢界とかいうところに連れて行ってよ。なあ、多紀。多紀もそう思うだろ?」
 庚子は同意を求めるように、横に座る多紀を見つめる。
「まあね。柚巴ちゃんが大変な時に、何もできないなんておもしろくないからね」
 多紀は静かにそう言うと、オレンジジュースのグラスにささるストローをくわえた。
「だから、あんたの判断基準はそこなのか!」
 庚子が多紀の頭をぐりぐりと押しつける。
 しかし、多紀はまるで痛みなど感じていないというように、庚子に頭をいじられたまま、平然とジュースをくぴくぴと飲み続ける。
 そんな庚子と多紀の名――迷?――コンビぶりを見て、柚巴は苦笑いを浮かべた。
「あのね……それは無理なの」
「え? 無理って……?」
 柚巴のその言葉に、庚子と多紀は、じゃれ合うその体勢のまま動きをとめ、柚巴を見る。
 じっと、訝しげに。


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update:03/08/06