匙を投げられた
(1)

 嚇鳴の報告を受け、竜桐たちは紗霧羅に合流した。
 紗霧羅は、いつもどこか自信に満ちた彼女には似合わず、蒼白な顔をし、頼りなげだった。
 今回のこのことは、よほど彼女にショックを与えるものだったらしい。
 ――いや、与えて当然だろう。
 自分の目の前で、自分の主がさらわれてしまったのだから。
 彼女の誇りを、果ては自尊心を、打ち砕くには十分である。
「すまない……。わたしがついていながら、柚巴をさらわれてしまった」
 胸の前で両手をぎゅっとかたく握り、普段の紗霧羅からは想像もできない、女性らしいしぐさをする。
 とてもしおらしい。
 もちろん、その表情は相変わらず真っ青で、苦しそうである。
 これが守備隊随一、いや、この限夢界でも屈指の女性武人だと誰が思うだろう。
 紗霧羅は今、不謹慎ではあるが、とても女性らしい愛らしい表情をしている。
「今はそんなことはどうでもいい。とにかく、姫を救い出さねば!」
 苦しみを隠さない紗霧羅に向かって、容赦なく竜桐がそんな言葉を投げかける。
 とても険しい表情をしている。
 それはまるで、紗霧羅を非難しているかのようでもあった。
 姫の使い魔だからまかせたというのに、この失態。どう責任をとるつもりなのだ!?と、責めたてているようである。
 そして、このようなことになるとわかっていれば、わたしが姫をお守りしていたものを……!と、後悔と自責の念が感じられる。
「しかし、どうしてこのようなことになったのだ? 姫さまはたしか、世凪を振りほどくだけの力を……」
 由岐耶が腑に落ちないというように、ぼそりとつぶやいた。
 たしかに柚巴は昨日、あの世凪をもろともせず、平手打ち一つで振り払い動揺させていた。
 そんな光景を目の当たりにした由岐耶としては、柚巴が世凪にさらわれてしまったことは、納得できなくて当たり前だろう。
 恐らく、今の柚巴ならば、抵抗しようと、世凪を振り払おうと思えば、簡単にできるだろうから。
「やっと本気を出してきたというところだろう? ムカつくことに!」
 そんな由岐耶の疑念を、いともたやすく莱牙が打ち払う。
 そうだった。そのような考え方もできる。
 今まで世凪が本気でなかったから、だから柚巴でも簡単に振り払えた。
 しかしやはり、本気になった世凪には、柚巴とて敵わなかった……。
 そして恐ろしいことに、今までからかって遊んでいた世凪が、とうとう本気を出してかかってきてしまった……ということがわかる。
 ついに、この時がやってきてしまった。
「そういうことだな」
 あっさりと、茅が莱牙に同意する。
 よくよく考えれば、簡単に導き出せる答えだった。
 人間の少女が、限夢界でも一ニを争う力の持ち主、世凪に敵うはずがないのだから。
「じゃあ、今までは、わたしたちは言葉通り、世凪に遊ばれていたということか!?」
 莱牙と茅のその言葉に、自分に確認するように、由岐耶はそう言って顔をしかめる。
 そして、ぎゅっと握られた右手の拳からは、ぴりぴりとしたオーラがにじみ出てきている。
 由岐耶は誰に対してでもなく、漠然とした底知れぬ怒りを感じている。
 ……いや。それは、世凪に対して、あるいは、自分に対して。
 もしくは――
「亜真。気は探れるか?」
 そんなぴりぴりとしたオーラを発する由岐耶を心配そうに見ていた亜真を、竜桐が険しい顔でみつめる。
 竜桐のその言葉に気づき、亜真は冷たい眼差しを向け、妙に落ち着いた様子で答える。
「今しているところですよ」
 ただでさえ正気を失いそうなこんな時に、亜真にこのような態度をとられては、さすがの竜桐も我を忘れて怒りそうになる。
 しかし、幸いにも、ぎりぎり理性が勝ち、それにはいたらなかった。
「……王宮……」
「え?」
 そうつぶやいたのは、華久夜だった。
 そこで竜桐は、こんな時に……!という面倒くさい気持ちとともに、驚きを覚える。
 すっと華久夜に冷たい視線を注ぐ。
「きっと、王宮よ!」
 しかし華久夜は、そんな竜桐にかまうことなく、自信たっぷりの表情でそう叫んだ。
 そして、使い魔たちを見まわす。
「柚巴は、王宮につれて行かれるはずよ。だって、扉の番人にさせるのでしょう!?」
「あ……!!」
 華久夜の意外にも的を射たその発言に、皆一様に、ようやくそのことに気づき、顔を見合わせる。
 どうやら、この中でいちばん落ち着いていて、分析するだけの冷静さが残っていたのは、最年少の華久夜だったらしい。
 彼らは皆、やられたという悔しい気持ちを抱いてしまった。


 限夢宮。
 あかずの間。
 華久夜が予想した通り、柚巴と世凪はそこにいた。
 薄暗いその部屋の奥に、天井から垂れた、間仕切り用のビロードの真っ赤な布がある。
 そして、その隙間から、柚巴が木でできたような簡素な扉の前に座らされているのが見える。
 しかし、拘束されている様子はない。
 扉を背に、こちら側を向いている。
 柚巴の前には、相変わらず趣味の悪いマントに身を包んだ世凪が、柚巴を見下ろし立っている。
 その赤い髪の鮮やかさだけは、どんなところにいても失われない。
「ねえ、これからどうするつもりなの? 前みたいに、王子様に引きあわせるの?」
 柚巴は世凪をじっと見上げる。
「いや……」
 世凪はすぐに、静かに答えた。
 柚巴を見つめたまま。
「じゃあ……どうして? だってあなた、この部屋に結界をはっただけで、わたしをどうこうしようなんて考えていないもの。これじゃあ、いつでも逃げ出せるわよ?」
 柚巴は、困ったように首をかしげ苦笑する。
 その言葉通り、世凪は柚巴をここにつれてきただけで、それ以上何かをしようとはしていない。
 柚巴を扉の前に座らせ、じっと見つめたまま。
 そうやって、どれだけの時間が経過しただろうか。
 さらわれ、そして監禁されているはずなのに、柚巴のこの余裕は、一体どこからくるのだろうか。
 少しも、恐ろしそうな様子も、泣き出しそうな様子もない。
 むしろ、落ち着いて世凪と会話をしているよう。
 この柚巴の様子には、どこか恐ろしいものが感じられる。
 どうして、今まで避けて逃げて、そしてようやく戦おうと決めた男相手に、こうも落ち着けるのだろうか?
 いや、もしかしたら、ただたんに、もう諦め、開き直っただけなのだろうか……?
 拒絶の反応を見せることなく話す柚巴を、世凪はやはり静かに見下ろし、見つめるだけ。
 柚巴の問いかけに答えようとはしない。
 一向に答えようとしない世凪のその様子を見て、柚巴は納得したように、独り言のようにつぶやく。
「そっか。そうよね。あなたの本当の目的は、他にあったものね? ねえ、話してくれない? もしかしたら、わたし、何とかできるかもしれないわよ?」
 そして、あまつさえ、そんなことを言いだした。
 それではまるで、世凪のその目的に協力を申し出たようなもの。
 よりにもよって、世凪のよからぬ野望に、柚巴は加担しようというのだろうか。
「そうだな……。恐らくこれは、柚巴にしか叶えられないだろうな」
 世凪は切なげな表情で、熱いまなざしを柚巴に向け優しく笑う。


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update:03/09/05