匙を投げられた
(3)

「おほめいただき光栄ですよ。――ふーん。華久夜嬢は、少しは成長されたようだ。では、あなたも好きになってあげよう」
 けらけらと、嘲るように笑う世凪。
 その言葉とは裏腹に、世凪にはまったくその気がないことは明らかである。
「けっこうよ」
 さらっと華久夜が答える。
 彼女にしては、やけに寛大な対応である。
 そして、冷静な反応である。
 これが莱牙相手なら、恐らく大噴火していることだろう。
 華久夜もやはり、世凪などまともに相手にするだけ無駄だと学習しているらしい。
 世凪とは、そういう男だから。
 この限夢界にその名をとどろかす、要注意人物だから。
「それは残念」
 当然、華久夜に馬鹿にされているとわかっていながら、くすくすと世凪はおかしそうに笑う。
 そのような反応をしてしまえるから、逆に華久夜が馬鹿にされているような気になってしまう。
 華久夜は、むかむかと怒りがこみ上げるのを必死におさえるかのように、その表情を複雑なものへとかえていく。
「それで、世凪。一体、何が目的なの? 別に扉が目的なわけではないでしょう?」
 必死で怒りをこらえ、平静を装いつつ、華久夜は世凪をにらむ。
 普段の華久夜なら、この時点で、すでに火の玉の一つや二つ、投げつけているところだろう。
 もしくは、相手を火だるまにでもしてしまっているかもしれない。
 かわいい顔をして、そのようなことを平気でやってのけてしまうのが、華久夜だから。
 その華久夜に目をつけられておきながら、今もなお無事でいられるのは、恐らくこの世凪だけだろう。
 世凪には、どうやっても太刀打ちできないと、華久夜もちゃんと理解している。
「ああ、そうだな……」
 世凪は案外素直に認めた。
 案外素直というべきではないかもしれない。
 何しろ、世凪は、もうすでにその目的を達成していると言っても過言ではないのだから、別に今さら隠す必要はない。
 柚巴が世凪の本当の目的を、望みをわかってしまっているから。
 柚巴にさえ伝われば、世凪はそれでいい。
 それが、世凪の本当の目的……。
 世凪は、柚巴にさえその心を、気持ちを、本当の望みを気づいてもらえればそれだけでよかった。
 その心に秘める真の望み……。
 ――それは、柚巴が世凪を理解し、そして受け入れる。ただそれだけ。
 そのためだけに世凪は、あんなまわりくどいことをしていた。
 それに気づかれずに柚巴を手に入れるためには、それが必要だった。
 そのために、意に反し、柚巴に侮蔑の眼差しすら向ける必要があった。
 それは恐らく……知って欲しい、気づいて欲しいという気持ちの反面、恥ずかしさもあったからだろう。
 それを誤魔化すため、照れ隠しのため、世凪は、柚巴にもあのような腹立たしい態度をとっていた。
 またそれを、柚巴のまわりにいる使い魔たちに気づかれてはいけなかった。
 悟られては、この計画は失敗となってしまうから。
 だから誤魔化すために、わざと悪役を演じていた。
 ……いや、使い魔たちに対する態度は、誤魔化しなしの真のものだったかもしれないけれど。
 それらのことに、柚巴は気づいてしまった。
 気づかれたので、世凪もそれ以上、隠す必要はなくなった。
 柚巴に対してだけは素直になった。
「それで、柚巴にはすでに言ったのね? だから、柚巴はそこでおとなしくしているということね?」
 華久夜はおもしろくなさそうに、解放されても、いまだ扉の前で座り込んでいる柚巴をちろっと見ると、世凪に視線を戻しにらみつけた。
「本当、華久夜嬢は立派になられたものだ」
 世凪は感心したように、うんうんと首を縦に振ってみせる。
 それがまた、何故だか癪に障る、そのような腹立たしいものだった。
 他のものならいざ知らず、世凪がこのような発言とともにそのようにふるまうと、誰でも腹立たずにはいられないだろう。
 世凪という男は、人の気を逆なでる雰囲気と要素を十分に持っているから。
「だから、あなたにほめられても、まったく嬉しくないわよ」
 もちろん華久夜も、嬉しくも何ともなく、むしろ怒りがこみ上げてくる。
 おもしろくなさそうに、はき捨てるようにそう言った。
 その華久夜に少し黙っているようにと、竜桐は右手を出し、それ以上の発言を制した。
 それがまた、華久夜の怒りの手助けをする。
 華久夜は何か言いたげに竜桐をにらみつけ、悔しそうに舌打ちした。
「それで、世凪。姫に何を言ったかは知らないが、姫にはもう手を出さないのだな!?」
 そんな華久夜に気づいてはいたが、今は華久夜の相手をしている時ではないとばかりに無視し、詰問するように世凪をにらみつける。
「さあて、それはどうだろうね〜? 最近気づいたけれど、柚巴には今までに例をみない不思議な力がある。俺は、そちらにも興味があるのでね?」
 もちろん世凪の反応は決まっている。
 からかうように、馬鹿にするように竜桐を見る。
 そのような振る舞いはいつものことなので、竜桐とて今さらどうということはないが、問題は世凪のその発言である。
 よりにもよって、柚巴の力に気づいていて、さらにはそれに興味を示しているなど大問題である。
 竜桐は体全体で怒りをあらわにし、この上なくにくらしそうに世凪をにらみつける。
 しかしやはり、世凪はひょうひょうとした様子で、ふざけたような態度をとっている。
 あきらかに竜桐を挑発している。
「もういいから、世凪」
 それまで世凪のその振る舞いをおとなしく見ていた柚巴が、立ち上がり世凪の腕を引っ張る。
 少し困ったように、切なげに世凪を見つめている。
「大丈夫」
 そして、優しく微笑む。
 にこりと、柔らかな笑みを世凪に向ける。
 そんな柚巴を見て、世凪は照れたようにぷいっとそっぽを向いた。
「本当、素直じゃない」
 世凪のそのような振る舞いを見て、柚巴は優しげな表情でくすくすと笑う。
 そして、愛しそうに握っている世凪の腕を抱きしめる。
「ひ、姫……。どういうことか説明願いします。我々には、一体、何のことか……」
 竜桐は、柚巴のそのような発言、さらには自ら世凪に歩み寄る柚巴を見て、かなり動揺している。
 体は小刻みに震え、その顔からは色が失われている。
 竜桐は、今自分の目の前のこの光景が、まだ信じられない。
「別に。見たままよ? もう世凪はわたしを番人にしようとも、ましてや王子様と結婚させようだなんて思っていないわよ」
 少し意地悪げに竜桐に視線を流すと、柚巴は握っている世凪の腕にそのまま身を寄せた。
 柚巴と世凪、寄りそうように立っている。
「ただ、淋しかっただけなのよね。世凪……」
 柚巴はそう言いながら、世凪を見つめるように見上げる。
 すると、世凪は何も答えずに、ただ顔を真っ赤にしてうつむいていた。
 素直に柚巴に従っているふうでもある。
 今まで決して見たことのない反応……。
 使い魔たちは、意外な世凪のその反応に、目を見開き、信じられないというように眺めている。
 世凪の目的がわかり、求めるものもわかった。
 そして、柚巴はそれを受け入れ、世凪を受け入れようと……いや、受け入れている。
 もう世凪の望むものは何もなくなった。
 欲しいものは手に入れたから。これ以上はいらない。
 ただ世凪は、柚巴とともにいたかっただけなのだろう。
 柚巴の優しさが手に入った今、もう世凪には何も望むものはなくなり、そして柚巴をさらう理由もなくなった。
 ただ、どうして柚巴に執着していたのか……。それだけが今もまだ残る疑問ではあるけれど。
 しかし、もう柚巴に危害を加えることはないだろうということだけはわかる。
 もともと世凪には、柚巴に危害を加える気はなかった。
 ただ柚巴が欲しかっただけだから。
 柚巴の持つ、その慈愛に満ちた優しさで、彼の淋しい心を癒してほしかっただけ。
 その淋しさは、彼自身も気づいてはいなかっただろうけれど。
 あまりにもとりとめのないもので……。
 これが、限夢人の悲しい性。
 生れ落ちたその時から、限夢人は誰に頼ることもなく、ただ一人で生きている。
 時にそれは、彼らに気づくことのできない淋しさを与える。


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update:03/09/08