つかの間の安らぎ
(4)

 先ほどの竜桐とのやりとりにぶち切れて、ダイニングを出た柚巴が自室に戻って来た。
 そして、多少乱暴に、勢いよく扉を開けた。
 すると、まだそこには、世凪がいた。
 柚巴の天蓋つきのベッドの上に、先ほどと同じように世凪は腰を下ろしている。
 入ってきた柚巴を、薄闇の中、じっと見つめている。
「あれ? 世凪、まだいたの?」
 世凪の姿を見つけた瞬間、柚巴の怒りは鎮まっていた。
 静かに扉を閉め、とことこと世凪に歩み寄る。
 そして、世凪の前まで来ると、首をかしげ、見下ろす。
「ああ……」
 世凪は微笑を浮かべ、目の前に立つ柚巴を見上げ、そっとその腕に手を触れた。
「どうしたの? 元気ないよ」
 どこか元気のない世凪を気遣うように、柚巴がそう言う。
 すると、世凪は切なげな表情を浮かべ、柚巴の腕に触れていた手でそのまま腕をつかみ、自分の方へと引き寄せる。
 そのはずみで、柚巴の体は世凪の胸の中へと倒れこむ。
 倒れこんだ柚巴を、世凪はそのままぎゅっと抱きしめた。
 柚巴の耳に、世凪の吐息がかかる。
 その吐息は妙に甘く、吐息がかかったそこへ全神経を集中させる。
 柚巴の胸をくすぐる。
 それにまかせるように、そっと世凪の胸に自分の頭をあずける。
 そして、何かに気づいたように、静かに顔をあげ、世凪を見つめる。
「世凪……? どうしたの? ……泣いているの?」
 世凪は柚巴からぷいっと顔をそらし、窓の外を眺めていた。
 先ほど柚巴は、世凪の胸に顔を触れ、そして気づいてしまっていた。
 小刻みに震える、世凪の体に。
 何故、どうして、あの世凪が……?
「ごめんね。一人にして淋しかったのね」
 顔をそむけたままの世凪の頭を、右手をすっとのばし、よしよしとなでる。
「だから、俺は子供では……」
 すると世凪は、少しすねたように柚巴に顔を戻し、頭をなでる柚巴の手をきゅっと握った。
 そして、そのままの体勢で、世凪は柚巴をじっと見つめる。
 いつ頃からか柚巴に向けるようになっていた、熱いまなざしで。
「うん。わかっている」
 そんな世凪らしからぬ反応を見せる世凪を見つめ、柚巴は優しく微笑む。
 そうやって、その夜は、そのまま更けていった。


 とうとう夏休みも終わり、九月最初の日。
 世間一般では、学校の授業が再開される日。
 当然、柚巴も学校にやって来ていた。
 久しぶりに姿を見た級友たちは、この夏を思い切り楽しんだのか、休みがはじまる前より肌が黒くなり、そして生き生きとした表情をのぞかせている。
 久しぶりに再会した友達と、つもる休みの間の話をして、楽しんでいるふうである。
 そこかしこから、楽しそうな笑い声が上がっている。
「おはよう。庚子ちゃん、多紀くん」
 教室に入ってきた柚巴は、真っ先に、窓際に立ち、窓の外を眺めながら語り合っている庚子と多紀を見つけ、歩み寄っていく。
「ああ、おはよう。どう? 宿題は片づいた?」
 庚子がからかうように言った。
 庚子と多紀のその姿は、朝日に照らされ輝いて見えた。
 逆光で、柚巴はまぶしそうに目を細める。
「うん。おかげさまで」
 庚子と多紀のもとまでやって来た柚巴は、そう言ってにこっと笑う。
「庚子ちゃんと多紀くんのおかげで、結局ずるをするはめになったのよね」
 そして、そんな皮肉を言って、くすくすと笑う。
「うわっ。もしかして、怒っている?」
 庚子は気まずそうに顔をゆがめ、柚巴の顔色をうかがうように顔をのぞきこむ。
 どうやら庚子にも、罪の意識というものはあるらしい。
 柚巴の宿題を手伝いにいったはずなのに、多紀といつもの喧嘩をはじめて、そして結局、柚巴の邪魔をすることになってしまった。
 それを、気にはしているらしい。
「もしかしなくても、怒っているよ〜。見てよ、このクマ!!」
 柚巴は、庚子にずいっとつめより、ぴっと自分の目元を指差す。
「ごめんってば、柚巴」
 たじたじ気味で、庚子は慌てて平謝りをする。
 そして、柚巴と庚子は顔を合わせて、くすくすと笑う。
「ねえ、それより早く行かなきゃ。始業式がはじまっちゃう」
 そう言って、もうまったく気にしていないというように庚子に笑顔を向け、柚巴は嬉しそうに庚子の手を引く。
「ああ、そうだな。行くよ、多紀」
 柚巴のその行動に、庚子も満面の笑みを浮かべる。
 それまでニ人のやりとりをほほえましそうに見ていた多紀は、庚子に声をかけられ、にこりと微笑んだ。
「OK」
 そして、三人は教室を後にし、体育館へ向かって、朝日が差し込む長い廊下を歩いていく。

 校長先生の長い話がうっとうしい始業式も一通り終わり、担任の学期はじめのいらいらする説教も終わり、もう放課後である。
 放課後といっても、今日は始業式しかなかったので、まだ太陽も真上よりは少し東に位置している。
 お昼よりは少しはやい、そんな頃。
「なあ、柚巴。この後暇?」
 庚子が校門へ続く、桜並木のゆるやかな坂を下りながら、柚巴に声をかけてきた。
 桜並木といっても、今は季節はずれなので、花も葉もない、少し悲しい桜並木ではあるけれど。
 だけど、それも盛りの頃、春には満開の花をつけ、それはもう見事な並木である。
「うん、暇だよ?」
 柚巴は、首をかしげ答える。
 柚巴の返事に、嬉しそうに庚子が微笑む。
 そして、ばっと柚巴の右手をとった。
「じゃあさ、どこか遊びに行かない? 夏休みは結局、ほとんどどこにも行けなかったしさ」
 得意げな笑みを柚巴に向ける。
 庚子のその言葉を聞き、柚巴は一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐに嬉しそうに庚子の手を握り返した。
「行く! どこに行くの?」
 まさか、庚子から遊びの誘いがあるなどとは思っていなかったらしく、本当に嬉しそうである。
 この後屋敷へ帰っても、どうせまた竜桐に理不尽な説教を食らうのが目に見えているので、それはさらにだろう。
 本当に、最近の竜桐は柚巴を目の敵にでもいしてるのか、何かといっては迫ってくる。
 それに、もうほとほとうんざりしていた。
「ん〜、遊びっていうか〜……」
 庚子は、ためらいがちにそこで言葉をとめる。
 そんな庚子を、きょとんとした目で柚巴は見つめた。
 すると多紀は、そこで庚子が言葉をとめた理由に気づいてしまった。
 怪訝そうな顔を庚子に向ける。
「お前、この間、おいしそうなケーキバイキングの店をみつけたとか言っていたな? そこだったら、俺はつき合わないぞ」
 訴えるように、じとりと多紀が庚子を見る。
 どうやら、多紀の嫌な予感ははずれていなかったらしい。
 多紀のその言葉を聞き、庚子はにやりと嫌な笑みを多紀に向ける。
「ケーキバイキング!? 行きたい!」
 そんな庚子と多紀のいつもの遊び?がはじまっていることに気づかず、柚巴は目を輝かせ、庚子と多紀を見つめる。
 庚子はそんな柚巴と多紀を見くらべ、にしゃりと笑った。
 そして多紀は、ああ〜と声にならない叫びを上げ、頭を抱え込む。
 こんな柚巴のきらきらした期待の眼差しを向けられては、多紀にはもうさからうことはできない。
「よっしゃ! じゃあ、行こう。さっさと行こう。さくさくっと行こう!」
 庚子は勝ち誇ったようにそう叫びながら、柚巴と多紀の手を引き、桜並木の坂を下っていく。
「だから、俺は行かないって言っているだろう!」
 多紀は最後の抵抗を試みてみるが、調子づいた庚子はもうとめられない。
 ぐいぐいと、嫌がる多紀の腕を引く。
 そこでようやく柚巴も、庚子と多紀が何を考えているのか気づいたらしく、ちょいちょいと庚子の腕をつつく。
 そして、振り返った庚子と顔を見合わせ、にたりと何かを企むように微笑を浮かべた。
「問答無用っ」
 楽しそうにそう言うと、今度は柚巴も多紀の腕をつかみ、庚子と一緒に引っ張っていく。
 多紀はもう抵抗することを諦め、泣き出しそうな顔で、にこにこと微笑む柚巴と庚子に、ずるずると引きずられるように坂を下っていった。
 ようやく、太陽が中天にさしかかってきていた。


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update:03/09/17