つかの間の安らぎ
(5)

 柚巴たちは桜並木を下り、ようやく校門までやって来た。
 相変わらず多紀は、柚巴と庚子に腕を引かれたまま。
 校門までやってくると、そこに立つ、見覚えのある男を見つけた。
 その男は、庚子にいたっては、見ただけではらわたが煮えくりかえる、ムカつく男。佐倉蒼太郎だった。
 蒼太郎は、まるで柚巴たちがやってくることを待っていたかのように、柚巴たちを見つけるとすたすたと歩み寄ってきた。
「何か用かよ!?」
 近づいてくる蒼太郎を、当然のように庚子はぎろりとにらみつける。
 そして、それまでおとなしく腕を引かれていた多紀も、するりと柚巴の手を自分の腕からはなし、守るように柚巴の前に出る。
 柚巴は、おどおどとして、庚子と多紀の後ろで様子をうかがっている。
「ああ。しかし、お前たちに用はない。用があるのは京だけだ」
 その言葉を聞き、柚巴はぴっと悲鳴を上げ、体をびくつかせた。
 蒼太郎はさっと庚子と多紀をよけ、そんな柚巴の腕をつかみ、自分の方へと引き寄せる。
「きゃ……」
 柚巴は、びくびくと震えながら、小さな悲鳴を上げた。
 一瞬の出来事だったので、とっさに庚子と多紀は反応できなかったらしく、悔しそうに蒼太郎をにらみつけている。
「てめっ……! 柚巴を放せ」
 庚子が蒼太郎に飛びかかろうとしたが、それを多紀がとめた。
 多紀は庚子の腕を握り、その視線で訴えかける。
「大丈夫だ。余計なことをすれば、怪我をする」
 そして、そんな多紀とは思えぬ、柚巴を突き放した言葉を発する。
「って、あんた、多紀! 柚巴を助けることのどこが余計なことなんだよ!」
 当然、庚子は多紀のその言葉にかちんときて、多紀の胸倉をつかみ上げる。
 何やら、怒りの矛先が、蒼太郎から多紀へと移ってしまったらしい。
 今は、そんなことでもめている時ではないというのに……。
 それでも、多紀はまったく動じることなく、相変わらずひょうひょうとしている。
 それがさらに庚子の怒りをあおる。
「だって、ほら……」
 胸倉をつかまれたまま多紀はそう言って、蒼太郎と柚巴の後ろを指差した。
 その指先を、庚子は怪訝そうに見つめる。
 その瞬間、多紀が指差したところに世凪が現れた。
 そして、一瞬のうちに、柚巴を蒼太郎の腕から取り返す。
 庚子は、その一瞬の行動に、目を見開き驚いている。
 するりと多紀の胸倉から、その手が放された。
 多紀は、無表情でじっと世凪たちを見ている。
「言ったはずだ。余計なことはするなと」
 突然現れ、そして柚巴を取り返した世凪が、ぎろりと蒼太郎をにらみつける。
「ああ、怖い怖い。やはり、いつでも京のまわりには、番犬がついているのか」
 しかし蒼太郎は、世凪の脅しには動じることなく、そんな憎まれ口をたたいて、あっさりと去って行く。
 坂の上の校舎へと向かって歩いていく。
「一体何だったんだ〜? あいつ」
 怪訝そうに、立ち去る蒼太郎を庚子がにらみつける。
 柚巴は、世凪の腕の中でじっと世凪を見つめている。
 何か、思うところがあるように、そしてもの言いたげに。
「まあまあ。そんなことより、行くのだろ?」
 多紀が、蒼太郎の後姿をにらみつける庚子の肩をぽんとたたき、にこっと笑った。
「え? ああ……うん」
 多紀に肩をたたかれ、しどろもどろに庚子は答える。
 まだにらみ足りないけれど、それを途中で多紀にさえぎられ、そしてはぐらかされてしまったような気がした。
 しかし、そんなものも、次に柚巴が発した言葉によって、あっさりと吹き飛んでしまった。
「あ。世凪、ありがとう。助かったわ」
 柚巴は世凪に抱かれたまま、世凪に微笑みかける。
 それに気づいた庚子は、今度はぎろりと世凪をにらみつける。
 けれど世凪は、そんなことはどうでもよいらしく、庚子などまったく眼中に入っていない。
 柚巴に……柚巴だけを見て、優しげな微笑を浮かべている。
「いや……。それよりも柚巴、本当に気をつけろ。あの時言ったことは、脅しでも冗談でもないからな」
 そして、急に険しい顔をして、そう忠告した。
 先ほどまで同様に微笑を浮かべていた柚巴の表情も、世凪のその言葉を聞き、急に険しくなった。
「うん。わかっている」
 世凪をじっと見つめながら、うなずく。
「それじゃあ、わたしたちは行くから」
 柚巴は、するりと世凪の腕の中から抜け出ると、名残惜しそうに世凪を見つめそう言った。
「ああ」
 世凪も世凪で、少し残念そうに微笑みながら、あっさりと柚巴を見送る。
 そのニ人の振る舞いが、庚子には、しっくりこない、怪訝なものに映っていた。
 つい最近まで、あれほど敵視し合っていたこのニ人が、どうしたら急に、こんなに接近……親しくなれるのだろうか?
 たしかに柚巴は、世凪の真の目的を知り、そして世凪ももう柚巴には手を出さないと言った。
 しかし、だからといって、こんなに簡単に世凪を信用してもよいのだろうか?
 世凪に心を許してもよいのだろうか?
 今の柚巴と世凪は、まるで信頼し合っているように思えてならない。
 そのあまりにも無防備すぎる柚巴に、庚子は不安な気持ちを覚えはじめていた。
 柚巴たちを見送る世凪の横を、柚巴、庚子が通り、そして多紀が通る。
 そのすれ違い様、多紀はぽつりとつぶやいた。
「俺は、ちゃんとわかっているから」
 世凪は、意味ありげに耳元でつぶやかれたその言葉に、驚いたように多紀を凝視する。
 しかし、多紀はもうすでに、何事もなかったかのように、柚巴と庚子の後を追って行っている。
「え……?」
 一寸遅れて、世凪はようやくそれだけをつぶやいた。
 街の雑踏に消えて行く、柚巴、庚子、そして多紀……。
 とりわけ、多紀の姿を、世凪は怪訝そうに、そして不思議そうに見送っていた。
 一体……多紀は、世凪の何をわかっているというのだろうか?
 予想外の人物から発せられた、予想外の言葉――


 限夢界。茅邸。
 ここは相変わらず、その主に似ず、よく手入れされている。
 やはりこの屋敷では、執事の力が健在らしい。
 由岐耶たちは、そんな茅の屋敷へ遊びに来ていた。
 ……と言っては語弊があるかもしれない。
 以前、世凪が警告したことについて、それぞれ調べていたことをまとめるために集まってきたから。
 世凪が警告したことといえば、『これで安心するな』、『世凪はこれ以上は企んでいないが、しかし他に企んでいる奴がいるかもしれない』ということである。
 もちろん、こうやって今なお集まっていることは、余計な心配をかけないためにも、柚巴には知らされていない。
 しかし、彼らの話題はそのことではなく、いつの間にか世凪本人についてになっていた。
「冗談じゃないぜ。後から訳のわからないことをぬかしやがって! 結局、それが目的だったのか!!」
 嚇鳴が憎らしげに怒鳴る。
 ソファにふんぞり返り、憤っている。
「まあ、落ち着けって。嚇鳴」
 その横に座る茅が、ぐいっと嚇鳴の頭を押しつけるようになでる。
 嚇鳴はそんな子供扱いをする茅を、恨めしそうににらみあげる。
 しかし、茅はまったくそれには気づいていないようで、注意はもう他のところにいっていた。
「ん? そういえば、莱牙さまはおとなしいな? こういう話をすれば、いちばん騒ぐと思ったのだが」
 からかうように莱牙を見る。
 すると莱牙は、むすっとした表情で、まるで茅を馬鹿にするように、ちらりと視線を送ってきた。
「わたしは、それほど子供ではない」
「あ、さいですか」
 案外、落ち着いた反応の莱牙に、おもしろくなさそうに茅が答える。
 莱牙のことだから、当然、ここで得意げに、世凪についての悪口、暴言を思う存分語ってくれるものだろうと思っていた。
 しかし、莱牙は無駄なことは語ろうとしない。
「だけど、こうなってはじめてわかるような気もする。柚巴は世凪に出会って、はじめて力に目覚めたのだろう? つまりは、世凪と出会わなければ、力も目覚めなかったかもしれないということだ」
 紗霧羅が困ったように言った。
 それはすなわち、柚巴と世凪が、現在のように惹かれあうように接近し出したのは、当たり前のことと言いたいのだろうか?
 ニ人は必然のように出会い、そして惹かれあう。
 それが、皮肉なことに、柚巴の力を目覚めさせる要因になってしまった。
 ニ人の出会いには、それだけの意味があったと……?
「あのニ人には、互いに、どこか惹かれるものがあるのだろう」
 紗霧羅の疑問に、つけ足すようにそう言ったのは幻憧である。
 幻憧もまた、紗霧羅と同じことに気づいていたらしい。
「翁!? それで納得するのか!?」
 けれど、それでは、どうにも納得がいかないのが由岐耶である。
 非難するように幻撞を見る。
 そんなことがあってたまるか! 姫さまが……姫さまが……!!
 言葉には出していないが、由岐耶はまぎれもなく、その言葉も吐き出したかったようである。
 苦しそうに顔をゆがめる。
「ああ……。実際、あのニ人は、世凪がおとなしくなってから急接近しているしな。若いニ人だ。わしはとめんよ?」
 幻撞は苦笑する。
 しかし、その苦笑いの中に、どこか微笑ましい光がこめられていたことは、誰も気づいていない。
 それはすなわち、幻憧は、ニ人の急接近を認めてさえいるということだろう。
「でも、あの世凪だぜ!? 急に信じられるかよ!」
 嚇鳴が怒鳴った。
 嚇鳴の怒りは、言葉はもっともである。
 今まで散々、柚巴を、そして使い魔たちをこけにしておいて、いざその目的が達成されると、手のひらをかえしたようなこの急接近ぶり。
 そして、あまつさえ、今ではすっかり柚巴を守るナイト気どりなのだから。
 そう……。柚巴の使い魔たちでさえ、邪魔者にするようなナイトぶり……。
 事実、使い魔たちが守るよりも、世凪が守ったほうがよほど効率的で、なおかつ安全である。
 それがまた、使い魔たちのプライドをいたく傷つける。
 やはりどうやっても、世凪という存在は、使い魔たちにとって、癪に障る存在であることは変わりない。
「だが、姫さまは信じてしまわれたようだ。信じて疑わない。実際、あまりにも簡単に世凪を受け入れているので驚いたが、対峙している間も、お互いに感じるところがあったようだな。それならば納得もできる」
 由岐耶が意外にも、そんな理解のあるようなことを口にした。
 たしかに由岐耶は、世凪に邪魔され、そして世凪の柚巴への急接近ぶりに尋常ならざる感情を抱いているが、それとこれとは話が別らしい。
 こんな時でも、冷静な判断力は失っていない。
 これが由岐耶のよいところと言えば言えなくもないが、何か……気の毒なほどに、同情せずにはいられなくなる。
 そんな冷静な判断をしてしまえる由岐耶に――
「でも、だけど……!!」
 嚇鳴はあくまで食い下がろうとする。
 やはり、これもまた嚇鳴らしいところ。
 由岐耶とは正反対の反応、思考である。
 彼もまた、麻阿佐同様、衝動にまかせ、行動に出てしまう人物だから。
 嫌だと思えば嫌で、憎らしいと思えば憎らしい。
 そんな単純な思考回路。
「別に……限夢人と人間の恋愛は法度ではない。ただ、今まで例がなかったというだけにすぎない。――ただし、王族以外に限るがな……」
 それまで静かに使い魔たちの話を聞いていた莱牙が、そう言って苦笑した。
 莱牙のその言葉に込められた思いが、莱牙の気持ちを知っている使い魔たちの心に響く。
 そして、その言葉は耳に痛かった。
「莱牙さま、あんた……」
 紗霧羅が困ったように、そして愛しそうに莱牙を見る。
 いつか、同志と言ったその莱牙が、今、こんなにも苦しんでいる。
 それは仕方のないこととわかっているけれど、どうにかしてやりたいとも思う。
 ――どうにもならない、その感情。
 莱牙の言葉通り、限夢人と人間の恋愛は、たしかにご法度ではない。
 しかしそれは、王族を除く限夢人に限ってである。
 王家の血を汚すことは許されないから。
 それがたとえ、傍流に追いやられた王族であっても。
 王族にかわりはない。
 だからどんなに莱牙が望んでも、また柚巴を泣かせても、莱牙は愛しい人を手に入れることはできない。
 ただ、思うだけ。見ているだけ。
 ――しかしそれも、莱牙が王族の身分を手放せば、話は別である。
 だか、そうして愛しい人を手に入れたとしても、その愛しい人を傷つけてしまうことになると、莱牙は承知している。
 だから今の莱牙には、その愛しい人を見守ることしかできない。
 王族の身分を手放すことを恐れているのではない。
 愛しい人を傷つけることを恐れている。
 それが、紗霧羅には手にとるようにわかる。
「だからといって、わたしは諦める気はない。わたしはすでに、はじめて例外をつくった王族だ。例外の一つや二つ、増えたところでたいしたことはない」
 当然、落ち込んでいるだろうと、思い悩んでいるだろうと思っていた莱牙が、何かをふっきったようにそう言った。
 そこで、そこにいた使い魔たちは、目からうろこが落ちるように、そして珍しいものでも見るかのように、莱牙を凝視する。
 それは、この莱牙の口から出る言葉にしては、あまりにも意外すぎる言葉だったから。
「それ、今、華久夜さまが聞いていたらどう言いますかね?」
 紗霧羅が困ったように、だけどからかうように、苦笑いしてみせる。
「すごいわ、お兄様。わたしのために、柚巴を連れてきてくれるのね=v
 莱牙が無表情で、棒読みでそう言った。
「あはは。さすがはご兄妹!」
 紗霧羅は、目に少しの涙をため、愉快そうに爆笑する。
 笑ってはいるものの、紗霧羅の中にある、どこか沈んだ感情は、莱牙に対する同情の感情は、消えることはない。
 結ばれることは、恐らくないだろうとわかっていても、いじらしいほどにその思いにしがみつく莱牙を思うと――
「それで、華久夜さまは、まだ人間界にいるつもりなのか? 紗霧羅姐さん」
 莱牙のおかげで、その場の雰囲気がまたやわらぎはじめていたことを決定づけるために、茅は素知らぬふりをして、そんな関係のない質問を紗霧羅へする。
 紗霧羅も茅のその意図を読み取り、あっけらかんと答える。
「ああ、そうみたいだな。華久夜さまも華久夜さまなりに、思うところがあるのだろう。我々と一緒に、柚巴の護衛をしてくれているよ」
「そうか……。あの華久夜さまが……」
 茅は何やら感心したようにうなずく。
 あの華久夜さまとはよく言ったものである。
 たしかに、あの華久夜が、まともに護衛をするなどとは、誰も思ってはいないから。
 ――まあ、護衛の傍ら、その生活のほとんどを莱牙いじめに費やしていることは、ここは大目にみて……。
「まあ、半分は莱牙さまをからかって遊んでいるけれどな」
 そのように、紗霧羅はつけ足した。
 結局、莱牙の役まわりは、このようなものである。
 そのつけ足された言葉は、誰も何も言わなくてもわかっていることだけれど……。
「紗霧羅、貴様。余計なことばかり言いやがって」
 莱牙は憎らしげに、そしてほんのりと頬を染め、紗霧羅をにらみつける。
 しかし、紗霧羅にそんなにらみなど通じるはずがなく、にやにやと笑い続けている。


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update:03/09/20