秘密の逢瀬
(4)

 翌日の昼休み。
 蒼太郎は、いちばん奥まった場所にある、普段人通りのあまりない古びた校舎の非常階段ニ階踊り場にいた。
 一人ではない。
 例のあの雫蛇と呼ばれる男と一緒だ。
 てすりにもたれかかるようにして、目の前にひざまずく雫蛇を見下ろしている。
「マスター。今後はどのようにいたしましょうか」
 雫蛇は、意思を確認するように蒼太郎を見上げる。
「う〜ん。そうだな〜……」
 蒼太郎は雫蛇の言葉に、にやにやと何かを考えているように微笑した。
 そして、雫蛇に視線を戻し、くすりと笑う。
「もう少し、京に目をひいてから、あのことを実行しようか? ……ああ、そうそう。例の封印の件、上手くやってくれたようだね?」
「それは……ご命令の通りにいたしましたが、上手く……とは?」
 蒼太郎のそんな意味深な言葉に、雫蛇はあまり乗り気ではないといったふうに答える。
 蒼太郎は柚巴を巻き込み、何かよからぬことでも企んでいるというのだろうか?
 ――いや、企んでいるのだろう。
 何しろ世凪が、蒼太郎に警告をするくらいだから、何かを企んでいるに違いない。
 そして、その企みには、柚巴が不可欠であるのだろう。
 そう考えると、かつての世凪の警告、そして蒼太郎のこの言葉が納得できる。
「だって、由岐耶だっけ? あの使い魔が、一人で王宮に向かっていたからね」
 にやりと、蒼太郎は不気味な笑みをもらす。
「……気づきませんでした。マスターは、気づかれたのですか?」
 雫蛇は、無表情で蒼太郎を見上げる。
 この様子からは、雫蛇の考えていることはよくわからない。
 果たして雫蛇は、蒼太郎のこの企みにのり気なのか、それとも主のいうことに服従しているだけなのか……?
 いまもって、雫蛇の真意はわからない。
 ただわかることは、必要以上に、雫蛇は、蒼太郎を大切に扱っているということだけ。
「ああ、だって……」
 そこまで言って、蒼太郎は、思いだしたようにくすくすと笑い出した。
「ああ、でもあれはもうそろそろいいかな? そろそろばらすよ。いや、ばれているかな?」
「……はあ……」
 蒼太郎のその言葉の意味は、恐らく雫蛇にもわかっているだろう。
 だけど、相変わらずどこか気のない返事をする。
 そして、心配そうに蒼太郎を見つめる。
 しかし、蒼太郎はそんな雫蛇にかまおうとはせず、それまでてすりにもたれかけていた体をくるりと返した。
 それから、てすりに手をおき、昼下がりの澄み渡った初秋の青空を仰ぐように見上げる。
「俺が、御使威家の血をひく人間だって……」
 不気味な笑みをもらし、そうつぶやいた。
 その時だった。
 非常階段の出入り口付近で、ばさばさと本が落ちるような音がした。
 蒼太郎はその音に気づくと、ゆっくりと音のした方を振り向き、不敵な笑みを浮かべる。
「くす。ばれちゃった?」
 そして、どこか意地悪げに、それを最初からわかっていたかのように、にやりと笑う。
 蒼太郎の視線の先には、目を丸く見開き、真っ青になった柚巴が立っていた。
 柚巴の足元には、教科書とノート、そして落ちて散らばったペンケースの中味が散乱している。
「……あなた、今わざと言ったでしょう? わたしがいることを知っていて」
 柚巴は、それらを拾おうとはせず、険しい顔で蒼太郎をにらみつける。
 そのような反応を見せる柚巴がおかしいのか、蒼太郎はくすくすと笑い、馬鹿にしたような目を柚巴に向けてくる。
「お前だって気づいていたのだろう? この男が使い魔だって。だから、普段なら俺の姿を見たとたん逃げ出すお前が、俺たちの会話を盗み聞きしていた」
 そして、柚巴をきっとにらみつける。
 この男とは、今、蒼太郎の足元にひざまずく雫蛇のことだろう。
 何しろここには、柚巴、蒼太郎、雫蛇の三人しかいないのだから。
 これで納得ができる。
 これまでの、雫蛇の蒼太郎へのかしずきよう。
 そして、必要以上に蒼太郎を大切に扱うわけ。
 それにしても、本当にこの雫蛇という男は、使い魔なのだろうか?
 蒼太郎が御使威家の血をひく者とも、まだ決まったわけでもないのだから……。
 蒼太郎のその言葉とその目に、柚巴は悟りきったようにふっと微笑をもらした。
「……まさかとは思ったけれどね」
 そして、とらえるように、蒼太郎の目を見つめ、射抜く。
 蒼太郎は、柚巴のそのような、これまで見せたことのない強い眼差しに一瞬たじろいだが、すぐに気を取り直し、するりとてすりからはなれる。
「ねえ、だからさあ……」
 そして、ゆっくりと柚巴に歩み寄り、柚巴の顔に自分の顔を近づけた。
「仲良くしようよ。同じ御使威の血を引く者同士」
 そのような言葉が発せられると同時に、蒼太郎の右手が柚巴の頬へと近づいてきた。
「……よらないで」
 ぱちん……。
 その言葉と、その音とともに、蒼太郎の右手は、容赦なく柚巴に払われていた。
 認められない。認めてはいけない。
 御使威家の秘密は、秘密であって秘密でない。そのような複雑な秘密。
 佐倉姓である蒼太郎が、御使威家の者しか持つことのできない使い魔を従えているなど、認められない。
 御使威家の者でない者が、使い魔を持つということは、それはとんでもないことである。
 そして、蒼太郎が御使威家の血をひく者だとは、そんなことは聞いたことがない。
 現在、御使威の名を名乗る者以外が、使い魔を従えているということ自体も聞いたことがない。
 ――それは……許されないことだから。
 そもそも使い魔というものは、この人間界において、あってはならい異質な存在である。
 使い魔のその力は、時に人間界を脅威に陥れる、そのような力だから。
 普段使い魔は、仕える主を守るためだけにその力を使うが、場合によっては、仕える主の命によっては、その力を異なったことに使わなければならないこともある。
 その強大な力の使い道は、すなわち、主によって決まると言っても過言ではない。
 したがって、幼い頃よりよく教育を受けた、御使威家の人間しか使い魔を持つことが許されない。
 そして、その権利もない。
 何しろ……使い魔のその力は、下手をすれば、この人間界を破滅においやる力でもあるのだから……。
 逸脱した力の持ち主世凪や、弦樋や柚巴に仕える位の高い使い魔でなくても、使い魔ならば、使い魔の力をもってすれば、この人間界に甚大な被害をもたらすことも容易だろう。
 だから……限夢王と御使威家の間で、契約が結ばれている。
 御使威家のみ、使い魔を従えることができるという契約が……。
 ニつの世界の均衡を保つために――
「そう言うと思った」
 蒼太郎は左手で右手を握り、一歩後退する。
 しかし、その表情は、相変わらず癪に障るほど余裕を見せていた。
「だけど、覚えておけ。お前は俺を拒んだことを、必ず後悔する」
 ぎろりと柚巴をにらみつける。
 その表情が、蒼太郎のその言葉は嘘ではない、口だけではないと物語っていた。
 とても憎らしそうに、柚巴をにらみつけている。
 そして、まだひざまずく雫蛇の横に歩み寄る。
 それと同時に、雫蛇がすっと立ち上がり、蒼太郎のすぐ後ろに控えるように寄りそった。
「……!!」
 あまりにも蒼太郎の表情が恐ろしいものだったので、柚巴は言葉を失い、一瞬ひるんでしまった。
 悔しそうに蒼太郎をにらみつける。
「柚巴ちゃん?」
 にらみ合う柚巴と蒼太郎に向かって、校舎の中からそんな声がかかった。
 柚巴はその声にはっとなり、がばっと振り向いた。
 何しろ、これまでの会話を第三者に聞かれていては、一大事だから。
 そして、誰かが近寄ってくる気配に、柚巴は気づいていなかった。
 それほどまでに、柚巴は、蒼太郎との会話に、蒼太郎の口から発せられた事実に、動揺していたということだろうか。
 その事実は、さらに柚巴に動揺を与える。
 柚巴が振り向いたそこで、多紀が蒼太郎をにらみながら立っていた。
 多紀の手には、教科書とノートがある。
 多紀も柚巴同様、教室移動の途中だったらしい。
「九条!!」
 多紀の存在をみとめると、蒼太郎は舌打ちして、雫蛇の腕を強引に引き、悔しそうに階段を降りて行く。
 そして、ニ人が下まで降りきり、木々の間に姿を隠していったことを確認すると、多紀の表情はやわらいだ。
「大丈夫だった? 柚巴ちゃん」
 多紀は優しくそう言って、先ほど柚巴が落としたままになっていた教科書、ノート、そして散らばったペンケースの中味を拾い上げる。
「う、うん。ありがとう、多紀くん」
 柚巴は、動揺しながらも、懸命に、ひきつりながら笑う。
 そして多紀から、教科書などを受け取った。
 柚巴は気づいていた。
 多紀のこの登場は偶然ではないと。
 恐らく多紀は、これまでの柚巴と蒼太郎の会話を聞いていただろう。
 しかし多紀は、そのような素振りはまったく見せない。
 そして柚巴は、気づかなかった。
 多紀がそこにいたことに。
 普段よく慣れた多紀の気配に。
 多紀は恐らく、かなり前からそこにいて、柚巴と蒼太郎の会話を聞いていたに違いない。
 そうして、柚巴が言葉につまって困っているようであったので、助け船を出してきたのだろう。
 柚巴は、頭のどこかでそう気づいていた。そう思っていた。
 また、そのような疑いをもたれているかもしれないとわかりながら、相変わらずひょうひょうとする多紀のその姿が、今は妙に憎らしい。
 普段は、そんな多紀の姿をどこか潔く思い、好感さえ持っていたはずなのに……。
 柚巴は、多紀という男がわからなくなった。
 ――多紀は……多紀は、一体、どこまで知っているのだろうか? どこまで気づいているのだろうか?
 今では、世凪よりもむしろ、この男の考えていることが、行動がわからない。


「おい、雫蛇! 気づいていたなら、何故言わない。あの男に悟られては、もともこもないのだぞ!!」
 木々の間に姿を隠すとすぐに、蒼太郎は雫蛇の胸倉をつかみ上げた。
 そして、ぎろりとにらみつける。
 すると雫蛇は、困惑したような表情を見せた。
「申し訳ありません、マスター。しかし……感じなかったのです。あの男の気配を……!」
 自分の胸倉をつかむ蒼太郎の手に、そっと自分の手を触れさせる。
「なんだと!?」
 もちろん、雫蛇のその言葉に、蒼太郎が驚かないはずがない。
 狐につままれたかのような顔をのぞかせる。
 仮に、もし……いや、もう決定づけてもよいだろう。
 雫蛇が使い魔とすれば、当然、世凪や竜桐たちのような、人の気を、気配をよむ力を持ち合わせているだろう。
 いや、持ち合わせていて当然である。
 そんな雫蛇がよめない気とは……。
 また、柚巴も、多紀の気配には気づいていないようだった。
 蒼太郎は、雫蛇の胸倉をつかむ手をふるふると震わせ、そして勢いよくばっとはなした。
 その拍子に、雫蛇の体はかすかにゆれた。
「九条多紀……。やはり、侮れない奴だな」
 そうつぶやき、ぎりりと歯をかみ締める。


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update:03/09/29