涙に濡れた愛情
(1)

 王子の結婚話を聞かされてから、数日がたった。
 もちろん、王子の結婚話のことは、人間界にいた使い魔たちも知っている。
 そして、茅と嚇鳴も、世凪に連れられて人間界へやって来ていた。
 世凪は自らもそうであるが、他人をも人間界に連れてくる力を有している。
 使い魔でない茅と嚇鳴は、気がすすまないとはいえ、世凪の力をかりなければならない。
 また、蒼太郎のこともわかっていることは全て話され、警戒を続けている。
 御使威の血をひき、雫蛇という使い魔を持ち、そして、その使い魔を使い、よからぬことを企んでいる……。
 そのよからぬ企みとは、柚巴をあかずの間の扉の番人にしようとしていること。
 しかし蒼太郎は、柚巴に御使威の血をひく者だと告白してからは、何もしかけてこようとはしない。やけにおとなしい。
 それが、妙に不気味だった。
 そして、ざわざわとした不安をもたらしている。


 御使威邸。柚巴の自室。
 柚巴は、明かりもつけず、ベッドにうつぶせるようにして倒れこんでいる。
 そこへ、唐突に世凪が姿を現す。
 暗闇の中、いきなり現れた世凪は不気味だった。
 もし、存在するならば、それはまるでおばけのよう。
「柚巴。部屋を真っ暗にして、何を考えている?」
 世凪は、部屋の入り口まで歩いていき、ぱちんと電気のスイッチを入れた。
 すると、ぱっと明かりがつく。
 真っ暗闇からいきなり明るい世界に変わり、柚巴は目くらましにあったような気がした。
 目をこすり、顔を上げたそこには、明かりに照らされたまぶしい世凪の姿があった。
「世凪……」
 こちらへと歩いて来る世凪を、すがるような目で見つめる。
 世凪は、これまで見せたことのない柚巴の弱々しい姿に、苦笑してしまった。
 そして、ゆっくりと柚巴に歩み寄る。
 世凪は、この柚巴の態度が嬉しかった。
 今、柚巴は、自分を頼っている……そう思うと、嬉しくてたまらない。
 それは、いつ頃からか抱きだした、世凪の望みでもあったから。
 柚巴に頼られたい。柚巴を守りたい。
 そんな、恋をした男にはありがちの感情が、世凪の中にもわいている。
 しかし、ここで嬉しさのあまりにやついてしまっては、もともこもない。
 柚巴のことだから、怪訝そうに世凪を見つめ、すんでのところで世凪を拒否するだろう。
 だから世凪には、そんな様子をみじんですら見せることが許されていない。
 少し緊張し、強張った体で、柚巴へと歩み寄る。
「どうした? 今までの元気はどうした? あいつらみんな、お前を心配しているぞ」
「いつになく優しいね?」
 言葉通り、珍しく優しい世凪の態度に、柚巴はわざとらしく眉をひそめてみせる。
「憎まれ口をたたく元気だけは、残っているようだな?」
 世凪は、つんと人差し指で柚巴の額をつく。
 世凪にしてはあり得ないほど、優しく柔らかい眼差しで柚巴を見つめている。
 この時にはもう、すでに世凪の緊張はほぐれていた。
 そんなことよりも、今目の前にいる柚巴に優しくする、慰める……それが、世凪にとって優先されるべきことになっていたから。
 緊張などしている暇はない。
 柚巴は静かに自分の額に手を触れる。
 先ほど、世凪の指先が触れたそこへ……。
「だって……。もう、どうにもならないのでしょう? お父様も言っていたわ。限夢界の王族が、ましてや王が、本気になったら、たとえ契約を結んでいる御使威家当主でも、どうにもならないって……」
 柚巴の目に涙がにじむ。
 じっと、何かを訴えるように、願うように世凪を見つめる。
 今、柚巴が願っていることは、言葉に出さなくても誰にでも容易にわかる。
 王子との結婚……。
 それを、柚巴はこの上なく嫌がっているから。
 扉云々は抜きにしても、王子とは絶対に結婚することができない。
 何があろうとも。
 柚巴の心は、そう叫んでいる。悲鳴を上げている。
 しかし、現実はそれを許してはくれない。
 頭はちゃんとそれを理解している。
 だけど、願わずにはいられない。
 今、目の前に世凪がいるばかりに……。
 世凪なら……逸脱した力の持ち主といわれる世凪なら、柚巴の願いを叶えてくれるかもしれない。
「そんなに嫌なのか?」
 世凪は辛そうに柚巴を見つめる。
 そして、ぽすんと、柚巴の横に腰を下ろす。
 世凪が腰を下ろした瞬間、世凪の重みの分だけ、余計にベッドが沈んだ。
 それにより、よろけた柚巴の体が、そっと世凪の体に触れる。
 優しく……柚巴を守るように、世凪の体は柚巴に触れている。
「当たり前じゃない! わかりきったことをきかないでよ。世凪の馬鹿!」
 柚巴はそのまま、ぎゅっと世凪に抱きついた。
 そして、小刻みに体を震わせはじめる。
 これが、柚巴の精一杯の願い、抵抗。
 たしかに震えるほど、目の前に迫った現実に怯えているのに、無理に気丈にふるまおうとする。
 そして、憎まれ口すらたたいている。
 だけどそれは、全て、その不安を誤魔化すためのはかない抵抗にすぎない。
 それはもちろん、世凪も気づいている。
 世凪は苦しそうに柚巴を見つめ、抱き返した。
 ぎゅっと、力いっぱい柚巴を抱きしめる。
 世凪は、柚巴さえ手に入れば、あとはもうどうでもいいと言った。
 しかしその柚巴が、今、王子にもっていかれようとしている。
 それなのに、世凪はこのまま黙っているというのだろうか?
 いや、あの世凪が、そのまま泣き寝入りするはずがない。
「俺が……俺が何とかしてやる」
 柚巴の耳元へすっと口を近づけ、そうささやいた。
 決意に満ちた力強い光を、世凪の両眼は発している。
「え……!?」
 柚巴は自分の耳を疑い、ばっと顔をあげる。
 今、世凪がささやいた言葉、それは柚巴が待ち望んでいた言葉。
 だけど、それは決してもらえないと思っていた言葉。
 そんな矛盾した言葉が、今、世凪から柚巴に贈られた。
「言っただろう? 俺は王に顔がきくからな」
 ふっと、得意げに世凪は笑ってみせる。
「そういえば、そんなことを……。でも、だからって……」
 しかし、そんな言葉は、とうてい柚巴には信じられるものでない。
 ほぼおたずね者のような世凪が、まさか限夢界のトップ、限夢王に顔がきくなどとは、誰が聞いても信じられないだろう。
 しかし、世凪は言ったことがある。
 王族に近い者と……。自らを。
 それを思うと、もしや、世凪ならば――
「方法がないわけではないのだ……」
 世凪は舌打ちをして、そんなことを苦しそうに言う。
 もちろん、そのような世凪の様子では、柚巴が心配しないはずがない。
 世凪のその態度から導き出される答えは……自然、こうなる。
「まさか……! それって、危険なことじゃないでしょうね!?」
 世凪の襟をつかみ、じっと険しい表情で見つめる。
 まさか、そんなことをしてみなさいよ。そんなことをしたら、ただじゃすまないわよ!!と、柚巴は、世凪に無言の圧力をかける。
 それと同時に、わたしのために、そんな危ないことはしないで。お願い……と、訴えているようでもあった。
 柚巴の眼差しからいえることは、どちらも、世凪の身を案じているということだけ。
 この世凪ならば、柚巴のためなら、どんな危険もいとわないだろう……。
 最近は、誰もがそう感じるようになってきた。
 世凪は、自らのためと、柚巴のためにしか動かない男だから。
「大丈夫だ。危険ではない……。ただ、少し犠牲をはらわねばならないかもしれないが……」
 世凪はふっと、どこか遠くを見るように微笑んだ。
 その微笑は、柚巴の不安をかきたてる。
 ざわざわとした、とりとめのない不安を柚巴へ運んでくる。
「世凪……?」
 今にも泣き出してしまいそうな苦しそうな表情で、世凪を見つめる。
 世凪は、そんな柚巴に困ったように微笑み、ぽんと、頭を軽くなでてやる。
「いってみれば、俺は王の弱みだからな」
 そして、微妙な苦笑を浮かべる。
「言っている意味が……わからないよ」
 柚巴はもう聞きたくないというように、ぎゅっと世凪の胸へ自分の顔を押しつけた。
「そのうち話すよ」
 そんな柚巴の背を、世凪はまた、ぽんぽんと軽くなでる。
「そのうちそのうちって、そればかりね……」
 世凪の胸の中で、柚巴はまた憎まれ口をたたく。
 しかし、世凪にとっては、そんな憎まれ口ですらとても愛しい。
 柚巴が、自分の身を案じてくれている……。
 それが、世凪にとって、何よりも嬉しいことだから。
 それだけで、世凪は、どんなことだってできる。


 一方、こちらは御使威家当主、弦樋の私室。
 そこに、使い魔たちが集まっていた。
 皆一様に、険しい表情をたたえている。
「マスター。このまま、姫のことを黙っているおつもりですか!?」
 彼ら使い魔に背を向け、椅子に腰かけ、両手を組み、窓の外に広がる闇夜の庭をにらみつけるように眺めている弦樋に、竜桐がつめ寄る。
 だんと机を叩き、竜桐にしては多少取り乱したふうだった。
「黙っているつもりはない」
 竜桐に背を向けたまま、かすれた声で弦樋は冷静につぶやく。
「では何故、手をこまねいているのです!?」
 しかし、竜桐は執拗に弦樋につめ寄る。
 すると、とうとう業を煮やしたのか、眉間にしわを寄せ、弦樋はくるりと椅子をまわし、迫る竜桐をにらみつけた。
「お前は……お前は、それでいいのか?」
 そして、そんなことを苦しそうにはき出す。
 同時に、あの冷静な竜桐がたじろぎ、悔しそうに舌打ちする。
「それは……!!」
 竜桐は、言葉をつまらせてしまった。
 それでいいのかと聞かれ、それでいいと言えるほど、竜桐は冷たくもないし、馬鹿でもない。
 うろたえる竜桐を見て、弦樋は大きなため息をつく。
「たしかに、方法がないわけではない。わたしも、最初にそれを考えた。……しかし、それを選んで、いちばん傷つくのは、恐らく柚巴だろう……」
 弦樋の言葉に、打ちのめされたようなショックの色を見せる竜桐。
 そして、急にその迫力が衰え、苦しそうにつぶやく。
「そうですね。姫はそういう方ですから……」
 弦樋と竜桐は、大きなため息をつき、黙り込んでしまった。
 すると、その会話を扉付近で聞いていた嚇鳴が、前に立つ由岐耶の背をちょいちょいとつつき、不思議そうに耳打ちする。
「なあ、方法って、一体何のことだ?」
「ああ……。お前は知らないのか……」
 嚇鳴の問いかけに、由岐耶は一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐに眉尻を下げ肩をすくめてしまった。
「……限夢界との関係を絶つということだよ。嚇鳴くん」
 由岐耶の答えを待たず、弦樋がそう答える。
「げっ……。聞こえていたわけ!?」
 嚇鳴は、彼らの会話に口をはさんできた弦樋の言葉に、ぎょっとする。
「馬鹿……。これだけ静まり返っていれば聞こえるだろう」
 驚きうろたえる嚇鳴を困ったように見て、紗霧羅が苦笑した。
 すると、嚇鳴は悔しそうに紗霧羅をにらみつけ、ぷうと頬をふくらませ、ふんと紗霧羅から顔をそむける。
 こういうところは、本当にエリート集団であるはずの近衛隊に属する者かと疑いを抱かせてしまう、嚇鳴の困ったところであり、かわいいところである。
「関係を絶つ……。ということはすなわち、我々は、もう会うことはかなわぬということだな……」
 顔をそむけた先にいた幻撞が、優しく諭すように嚇鳴に言った。
 嚇鳴は、幻撞の言葉の意味を瞬時に理解できなかったのか、難しそうな顔をしている。
「え? それってどういう意味だ? もう二度と柚巴に会えないってことか?」
「それだけではない。使い魔の存在もなくなる。ニつの世界は、完全に絶たれる。……そう、永遠に……」
 竜桐のすぐ後ろにいた莱牙が、振り向き、静かに言った。
 莱牙の言葉を聞き、嚇鳴はゆっくりと莱牙へと顔を向ける。
 やはり嚇鳴の表情は、とても難しそうに曇っている。
「じゃあ……」
 そして、ようやく理解したようにつぶやき、顔がゆがむ。
 誰を見るともなく、ただその視線は、(くう)をにらみつけているよう。
 胸に、ちくっとした痛みを感じ、ぞわぞわとした底知れぬ怒りと不安を抱く。
 その正体は何なのか、嚇鳴にはまだわからない。
 そして、その不安は、そこにいた誰もが抱いているもの。
「だから、困っているんだよ。わたしたちは、それでも柚巴を救えるならかまわない! しかし、それを知った柚巴が、どれほど傷つくか、容易に想像できるだろう!?」
 急に、紗霧羅が苦しそうに叫んだ。
 その目には、暴れ馬の霧氷の紗霧羅にしては、あり得ないものをにじませている。
 紗霧羅は、この短い間に、世凪との対峙の間に、柚巴へ抱く感情を深めたらしい。
 もう紗霧羅の頭には、「見限ったその時は、契約破棄させてもらうけれどね」と言った、契約時の言葉はない。
 ただ紗霧羅の心をしめるものは、いうなれば、柚巴に対する母性愛のようなものと、ほのかな期待。
 次第にその力を顕現していく柚巴に対しての、まだ自らも気づかぬ期待――
 紗霧羅にはもう、柚巴とはなれることなど考えられない。
 紗霧羅の中では、そんなものはあり得ない。
 そして何より、柚巴を傷つけるものは許さない。
 それが、紗霧羅の強い決意。
 しかし今、それを目の前につきつけられている。
 それが、現実。
「落ち着け、紗霧羅」
 莱牙は紗霧羅に歩み寄り、小刻みに震える紗霧羅の肩をそっと抱く。
「莱牙さま……」
 今にも泣き出しそうな顔で、紗霧羅は自分の肩を抱く莱牙を見つめる。
 莱牙は、妙に優しい顔をしていた。
 けれど、莱牙もまた、苦しそうだった。
 莱牙にも、紗霧羅の抱く思いがわかってしまう。
 それは、主を同じにした、同胞ゆえに共有できる感情。
 だから、同じ思いを抱く紗霧羅に共鳴し、彼に似合わず、思わず紗霧羅に優しくしてしまったらしい。
 同じ痛みを胸に抱く、同胞ゆえに――


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update:03/10/11