涙に濡れた愛情
(2)

「だけど、本来は、それが最も理想的なかたちかもしれないわ。……本当は、ニつの世界がまじわってはいけなかったのよ」
 どこか思いつめたように、華久夜がぽつりとこぼした。
「華久夜、お前は……!!」
 そのつぶやきを聞き、莱牙は紗霧羅の肩を抱いたまま、ぎろりと華久夜をにらみつける。
 しかし、華久夜はひるむことなく、逆に莱牙をにらみ返した。
 華久夜の表情には、切羽つまったような、そのようなものも感じられる。
「だって、お兄様。そう考えないとやりきれないじゃない! たかだか馬鹿王子のわがままで、どうして柚巴がこんなめにあわなければいけないの!? ……わたしだって、せっかく柚巴と仲良くなったのだもの。このままはなれるなんて嫌! ただでさえ、限夢人と人間の寿命は違うのだから……!!」
 華久夜はそれだけを叫ぶように言うと、それまで必死にこらえていたものを吐き出すように泣きはじめた。
 両手で顔を覆い、わあっと大声を上げて泣く。
 いつも、はしくれとはいえ王族なだけあり、そんな弱い部分など見せようとしない、大人びた感じのある華久夜が、子供のように泣いている。
 それが、妙にいたたまれない。
 すると、幻撞が華久夜に歩み寄り、優しく華久夜を抱き寄せ、ぽんぽんと背をたたいてあやしはじめる。
「まだ幼い心で、よく頑張っていますね。華久夜さま」
「幼くなんかないわよ!!」
 華久夜は、きっと幻撞をにらみつけ、そしてそのまま幻撞に抱きついた。
 幻撞の胸と腕をかり、すがるように泣きじゃくる。
 ひっくひっくと引きつったような華久夜の泣き方は、そこにいた誰にも胸に痛みを感じさせる。
「なあ、ところで、姫さんと世凪の奴を、ニ人きりにしてよかったのか?」
 華久夜に気をとられる中、茅が突然そんなことを言った。
 それで皆、はっと我に返り、多少慌てたように亜真が相槌をうつ。
「あ……。そういえば、今、姫さまは世凪と一緒ですね……」
「え? そうなのか!?」
 少し驚いたように、祐が亜真を見る。
「ああ。さっき、世凪が姫さまのお部屋に向かっていたから……。――竜桐さま?」
 亜真は、顔色をうかがうように、じっと竜桐の顔をのぞきこむ。
 亜真には、この後竜桐がとるであろう反応がわかっていた。
 最近、竜桐は柚巴をよく思っていない。
 そして、そんな柚巴が世凪と一緒にいることを、よく思わないのは当然のことである。
 しかし、竜桐の答えは、亜真の予想に反するものだった。
「かまわないだろう……。そうですね? マスター」
「まあ、仕方がないだろうな」
 竜桐も弦樋も、渋々といった様子でそう言った。
 渋々ではあるが、柚巴と世凪を二人きりにすることを認めてしまった。
 これは、かなりの進歩といっていいかもしれない。
 弦樋はともかくとして、あの竜桐が認めたのだから。
「……それは、今の姫さまのお心を楽にできるのは、世凪しかいないということですか?」
 由岐耶が、竜桐と弦樋を真剣な眼差しで見つめる。
 それは、せめてこの二人にだけは……いや、竜桐にだけは認めて欲しくなかったと、非難しているようでもあった。
 事実、由岐耶は反対して欲しかった。
 もちろん、柚巴の気分が少しでも楽になるのなら、それもいたしかたのないことだけれど。
 しかし、今、由岐耶が抱くこの思いからは、それは認めることができない。
 これまでの由岐耶は、純粋に柚巴のためになることなら……と、それだけで、どんなことでも認めてきたが、今は違う。
 柚巴の思いなど関係なく、ただ由岐耶の心が、この胸に抱くもやもやが、それを認めることを拒絶している。
 認めたくない。
 そんな思いが、由岐耶の心を支配する。
 由岐耶にも正体のわからない、とても苦く苦しい思い。
 認めたくない。
 それは、今のこの状況?
 それとも、柚巴と世凪が、急激に惹かれあっていること……?
「まあ、そのようなところだ」
 竜桐と弦樋はため息をもらし、由岐耶の言葉を肯定する。
「やはり、あのニ人は、そういうことになってしまったのですね……」
 麻阿佐が、うつろな瞳で苦しそうにつぶやいた。
 そのつぶやきを耳にした由岐耶の厳しいにらみが、即座に麻阿佐に注がれる。
 由岐耶は今、一体、その胸に、どのような思いを抱いているのだろうか。


「俺は、幼い頃からすでに、人並みはずれた力を持っていた。俺の力は、その頃から頭角をあらわしていて、人に恐れられていた。そして、そんな俺の楽しみは、その頃から、人間界へ遊びに来ることだった……」
 自分の胸に顔をうずめる柚巴に、いきなりそんなことを世凪が言った。
 いきなりではあるけれど、その声色は優しい。
 柚巴を慰めるように発せられている。
「世凪……?」
 さすがに柚巴も、この告白のようなつぶやきに顔を上げ、不思議そうに世凪を見つめる。
 すると、上げられた柚巴の頬に流れる涙を、手でぬぐいながら世凪が続ける。
 柔らかく、優しい光を柚巴に注ぎながら。
 熱く、柚巴を見つめる。
「そして、そんなある日、お前を見つけた。それがはじまりだ」
 世凪は、ふっと微笑を浮かべる。
 その心はもうすでに、遠く、かつての子供時分の自分へとはせていた。
 懐かしむようでいて、とても愛しそうに微笑む世凪。
「俺はどうやら、つくづくお前の泣き顔に弱いらしい……」
 そして、心をまた柚巴へと戻し、柚巴の頬に触れ、切なそうに見つめる。
「……」
 柚巴は言葉を紡ぐことができず、ただじっと世凪を見つめている。
 相変わらず目からは涙を流し、それを世凪がぬぐっている。
「お前、幼い頃、よく泣いていただろう?」
「え……?」
 柚巴は、きょとんと世凪を見つめる。
 先ほどの、柚巴を見つけたという世凪の言葉もそうだったけれど、今のこの言葉も、柚巴にはどうもぴんとこないものがある。
 世凪は、そんな柚巴に、少し困ったようにまた微笑を向ける。
「母親をはやくに亡くし、父親はというと仕事が忙しく、あまりお前にかまってはくれなかった。しかし、それでもお前は、父親の前ではさも平気そうにふるまって、そして陰で泣いていた。いつも……。――全て見ていたよ。お前の全てを……」
 世凪はそう言うと、おもむろに柚巴を抱きしめた。
 両手いっぱいに思いのたけをこめ、ぎゅっと柚巴を抱きしめる。
 その姿はまるで、柚巴は誰にもやらない。そう言っているように見えた。そう決意したように見えた。
「え……?」
 柚巴は世凪に抱きしめられたことよりも、その言葉に反応していた。
 どうして世凪が、そんな子供の頃のことを、しかも弦樋の使い魔ですら知らないようなことを知っているのか……。
 世凪の腕の中で、とても不思議に思った。
 世凪に抱きしめられても、これまでのように抵抗しようとはしない。
 むしろ、心地よさそうに、世凪の胸に自分の体重をあずけている。
 今抱くこの悲しみ、この苦しみを、世凪が吸い取ってくれている……。
 そんな心地よさを柚巴は感じている。
 ただ世凪に抱きしめられているだけで、全ての不安がとけてなくなっていくよう……。
 心が、次第にあたたかくなっていくよう。
「でも、はじめてお前を意識したのは、他のことだったけれどな……」
 相変わらず、柚巴を抱きしめたまま、世凪はつぶやいた。
 柚巴のこれまでとは明らかに違う反応に、世凪は気をよくする。
 そして世凪もまた、幸せをかみ締めているのかもしれない。
「い、意識って……。世凪!?」
 さすがに、その言葉を聞いては、柚巴も動揺してしまい、ようやく抗いはじめる。
 しかし、本気の抵抗ではなく、体をくねくねとゆさぶる程度のもの。
 そんな赤ん坊のような抵抗に、世凪は黙って聞いていろというように、自分の人差し指を立てて柚巴の口もとにもってきた。
 それを、そっと柚巴の唇に重ねる。
 柚巴はそれだけで、もう抵抗することができなくなってしまった。
 じっと、もの言いたげに世凪を見つめる。
 少し顔を赤らめ、素直に世凪に従う。
「屋敷に残って、遊び相手をしていた使い魔と遊んでいる時のお前。笑顔がとてもまぶしかった」
 世凪は、妙に真剣な顔をし、柚巴の目をとらえる。
 すると、柚巴は目を丸くして驚き、肩をすくめ苦笑する。
「キザ……」
「だから、黙って聞いていろと言っているだろう」
 世凪は、恥ずかしそうに、柚巴の髪を無造作にくしゃっとなでる。
 ほんのりと頬が赤く染まっている。
 やはり、世凪でも、さすがに先ほどの言葉は恥ずかしかったのだろう。
 しかし、世凪の言葉を聞き、柚巴は、幸せに……心がさらにあたたまった。
 嬉しそうに微笑んでいる。
 そんな柚巴をちらっと見て、世凪はそれで安心したのか、こほんと一つ咳払いをし、続ける。
「それでだな。その……お前の笑顔を見た瞬間に、見つけたと思った。それからだよ。それから、お前を見るようになり、平気なふりして実は淋しがりやなところとか、気弱そうにみえて、本当はしんのしっかりした女だってことがわかったんだよ。それでやられたの。お前に。こんな変な女に!」
 最後のあたりは、もうほとんどはき捨てるようだった。
 ぶっきらぼうに叫んでいた。
 恥ずかしくて、恥ずかしすぎて、普通には話せないのだろう。
 世凪も、なかなかに愛い奴である。
 しかしまあ、世凪がこれほどまでに柚巴を思っていたとは、もしや、みくびっていたところがあったのかもしれない。
 世凪はただ、柚巴の優しさで淋しさをうめてほしかった。
 だから柚巴を欲した……のではなく、それはたしかに、深い愛情から柚巴を欲していたのかもしれない。
 いろいろ複雑な感情、思いがまざり合い、もう柚巴でなければならないと思ったのだろう。
 感じたのだろう、その心で。
「ひ、ひどい。何よ、散々おだてておいて、最後は結局それ!?」
 柚巴はぐいっと世凪の胸を押しやり、思いっきりぷうっとふくれてすねてみせる。
 そのなんとも子供のようなかわいらしい仕草に、世凪はくすりと笑う。
 そしてまた、ぐいっと柚巴を抱き寄せる。
「仕方ないだろう? 実際、そんな女なのだから。お前は」
「もう、世凪ったら!」
 世凪の腕の中で、少し動かしずらそうに、ぽすぽすと世凪の胸をたたく。
 その手を世凪はとり、ぎゅっと握り締めた。
「まあ、お前は、いくら俺がその気を見せても、勘違いをしていたようだがな?」
「……気づいていたわよ、ちゃんと……。だけど、あなたがやってきたことがことなだけに、信じられなかったのよ。……それに、いきなり……恥ずかしいじゃない」
 顔を真っ赤にさせ、やはり相変わらずぼろぼろと涙をこぼし、きっと世凪をにらみつける。
 にらみつけてはいるが、これまでのように世凪を拒絶する光も、険しい光もそこにはない。
 ただ、優しい光だけがこめられている。
「たしかに、かなりまわりくどかったかもな?」
 柚巴のその言葉と反応に、世凪は肩をすくめ、くすりと笑う。
 多少は、反省の色を見せる演技をしているらしい。
「かも……ではなく、まわりくどすぎなのよ!」
 柚巴が力まかせに叫ぶ。
 すると、また世凪はくすくすと笑う。
 とても幸せそうに。
「……もう、これで十分だな」
 そして、急に真剣な表情をして、つぶやいた。
「え……?」
 柚巴は、世凪の急変に、怪訝な表情を浮かべる。
 どことなく、それに不安を覚えた。
 柚巴の心が、警鐘を鳴らす。
「だからもう、これで十分だと言ったのだ。お前の気持ちも、なんとなくはわかったしな?」
 世凪は、少し淋しそうに柚巴を見つめた。
 柚巴は、不安な表情を浮かべ、世凪をじっと見ている。
 そして、その不安を否定するように、言葉を出す。
「勝手にわからないでよ。気持ちって何?」
 世凪は柚巴の頬にすっと触れて、そのまま自分の顔を近づけ、柚巴の頬を伝う涙をぺろりとなめた。
 柚巴は驚くことも抵抗することもなく、ただ不安そうに世凪を見つめるだけだった。
 ぎゅっと、世凪の腕を握る。
「だから、俺は言っただろう? お前が手に入ればそれでいいって。俺はお前が手に入るならば、それだけで十分だった。他には何もいらない。お前だけが欲しい。お前の心が欲しい」
 すっと柚巴を引きはなす。
 切なそうに柚巴を見つめて。
 それが、柚巴の不安を確定していく。形のあるものへと変えていく。
「世……凪?」
 柚巴は、引きはなされてもなお、世凪の腕を握っている。
 今、この手をはなしたら、世凪はこのままどこか遠くへ行ってしまう。
 そして、もう二度と、現れない。
 そんな気がする……。
 だから、柚巴は、世凪の腕を執拗に握り締める。
 きゅっと、少女のか弱い力で。
 世凪は、柚巴のその手に、自分の手を重ね合わせた。
 そっと触れ合い、柚巴のぬくもりを記憶していくように。
 それが、柚巴の不安を決定づける。
「だから、これだけはわかっていて欲しい。覚えていて欲しい。俺はたとえどんなことがあっても、お前の味方だ。絶対に裏切らない。――お前は、必ず俺が守る」
 そう言って、世凪はすっと姿を消した。
 柚巴の手は、そこにあるはずの、だけど今はもうない世凪の腕を、ぎゅっと握り締めている。
 そしてそのまま、ぼすっとベッドに両手をつき、顔を(くう)に向け、苦しそうに、悔しそうに叫ぶ。
「待って、世凪! 言っている意味がわからないよ。どういうことなの!? 世凪……!!」
 それだけを叫ぶと、もう世凪が戻ってこないことを悟り、柚巴はそのままベッドに倒れこみ、泣き崩れてしまった。
 うっく、ひっくと、声を殺し泣き、ベッドをぬらしていく。
 柚巴にも、わかりはじめていた。気づきはじめていた。
 その気持ちを残し、世凪は柚巴のもとを去っていってしまった。
 柚巴は、狂おしいほどに、世凪に惹かれはじめている。
 気づいた時には、もうすでに遅かったようだけれど――
 世凪は、一体、これから何をしようというのだろうか。


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update:03/10/14