逃げられなかった子羊
(3)

「……柚巴の使い魔たちの間では、話されていたようだ。それに、由岐耶ものったらしい……」
「それはどういう……?」
 訳がわからないというように、竜桐が顔をしかめる。
 さらに訳がわからないのが、この妙に落ち着いた弦樋の様子。
 契約解除を求められているというのに、この落ち着きようは腑に落ちない。
「まあ、由岐耶の契約解除は、最後の手段だがね」
 そんな疑わしげな竜桐の視線に気づき、弦樋は淋しげにふっと笑った。
「あの若者。なかなかやるからな」
 弦樋に続け、幻撞はそう言うと、くすくすと笑い出す。
 弦樋の言葉を、幻撞はしっかりと理解していた。
 何しろ、幻撞もまた、柚巴の使い魔であり、その話し合いに加わっていたのだから。
 わからないという方がおかしなことである。
「マスター? おじいさま?」
 竜桐は明らかに動揺している。
 まったくもって、この二人の考えていることがわからない。
 いつも落ち着き、聡明な竜桐にしては、珍しい。
 こんなに時間を要してもまだ、答えを導き出せていない。
 そんなうろたえる竜桐に、弦樋は困ったように語る。
「王子の結婚の件、どうにもならなくなったら、柚巴を連れて逃げるそうだ。みんなで。……まあ、王を一応説得はしてみるようだが、恐らくどうにもならないだろう?」
「……正気ですか!? 姫の使い魔ということは、おじいさまも……!?」
 弦樋の言葉に、ようやく竜桐もその意図を理解した。
 そして、理解してしまえば、あとはもういつもの竜桐に戻れる。
 瞬時に、その事実に気づき、何とも言えぬ複雑な表情で幻撞をにらみつける。
「ああ。こんなおいぼれでも、少しは役に立つのならな……。まあ、王の説得はわしがを試みてはみるが……」
 ふっと、何かを思うように、幻撞は遠い目をした。
 今、幻撞の心の内では、どのような思いが抱かれているのだろう。
 この老紳士の心の内は……。
「どうしてそこまで……。たしかにわたしも、そうできればいいと思います。しかし、そんなことをしても、何の解決にもならない!」
 竜桐は、かっと目を見開き、幻撞を責め立てる。
 そんなことをしては、それこそ竜桐は柚巴を失うことになる。
 そして、柚巴だけでなく、柚巴の使い魔として仕えている祖父の幻撞や、部下の由岐耶も。
 竜桐にとっては、どうでもよいといえばどうでもよいが、一応は紗霧羅と莱牙も。
 莱牙にいたっては、王族であるから、ただでさえ使い魔になったということでよくは思われていないので、つかまった時、一体、どのような罰が待ち受けているかもしれない。
 それは、限夢界の王族の尊厳を汚す行為とされるだろうから。
「しかし、時間は稼げるだろう?」
 幻撞は、迫る竜桐に冷たい視線を向け、冷静に言い放った。
 たしかに、時間は稼げるだろう。
 だが、稼いだところで、解決策など生み出せようはずがない。
 しかし、そんなことを言っても、今は仕方がない。
 だから、話題をはぐらかすことにした。
「それと、由岐耶の契約解除と何が関係あるのです?」
 話題を由岐耶へと戻し、せめて由岐耶だけでも……と、竜桐の心はもだえている。
「わたしに、迷惑をかけたくないそうだ。……つまりは、わたしは、捨てられたということかな?」
 くすくすと、弦樋が笑う。
 少し淋しそうであったけれど、どこか嬉しそうでもあった。
 そんな弦樋の姿は、竜桐の目には不謹慎に映ってしまう。
「マスター!」
「いいのだよ。柚巴を守ってくれるのなら。それで……」
 竜桐の責めるような怒鳴りに、弦樋はやはり、ふっと微笑みをのぞかせる。
 全てを悟り、全てを理解し、全てを受け入れているようだった。
 そして、全ての安寧を。
 若者たちの激しい思いを愛しむように、微笑を浮かべている。
 彼らの強い意志と、幸せを願って。
 弦樋の世界もまた、柚巴を中心にまわっている。


 夜もしらじらと明けはじめている頃だった。
 ここ、人間界、佐倉邸の上にもまた、夜が明け、朝日が陽を降り注ごうとしている。
 そこのカーテンをかたくひかれた一室から、話し声がもれ聞こえてくる。
「やっぱりお前か」
 多紀が汚らわしそうにはき捨てた。
 多紀にしては、妙に悪態をついている。
 ひょうひょうとするところはあっても、人を見下げたような蔑みの目をしない多紀だから、これはどうも様子がおかしい。
 庚子と多紀は、佐倉邸に連れて来られていた。
 柚巴の屋敷に向かう途中、雫蛇につかまってしまっていた。
 庚子は気を失い、両腕を縄でくくられ、多紀の横に転がされている。
 多紀もまた、両腕を拘束されている。
 あぐらをかき、庚子をかばうように床に座っている。
 多紀の蔑みの眼差しを向けられている人物も、自然、誰だか容易に想像がつく。
 腕組みをし、ふんぞり返り、不気味な笑みをもらす人物。
 それは、佐倉蒼太郎。
「やっぱりということは、俺だとわかっていたと?」
 薄暗い部屋で、ぴくりと蒼太郎の眉が動く。
 それを多紀は見逃していない。
「その男を見た瞬間わかった。以前、非常階段で一緒にいただろう?」
 やはり多紀である。
 とらわれの身となっているにもかかわらず、ひょうひょうとした態度は崩さない。
「さすがは九条だな。侮れない」
 相変わらずの多紀のこのふてぶてしい態度に、蒼太郎の眉がぴくりと動く。
 この多紀の様子に、多少いらだちを感じたらしい。
「そんなことを言われても、嬉しくも何ともないけれどね」
 蒼太郎の怒りをあおるように、多紀はさらにそんなことをさらっと言ってのける。
 とらわれているというのに、どうやってもそのひょうひょうとした態度は崩れないらしい。
 さすがは、変人といわれるだけのことはある。
 そして、あの庚子の友達をしていられるというもの。
「それで、お前は、俺たちをこんなところへ連れて来て、何を企んでいる!?」
 急に多紀の表情が変わった。
 険しく、蒼太郎をにらみつける。
「別に。少し利用させてもらうだけだ。だが、命の保障はできんがな?」
 くすくすと蒼太郎は笑う。
 そんな蒼太郎を多紀がさらににらみつける。
 命の保障はできない。
 その言葉は、嘘ではないだろう。
 蒼太郎の、正気を失ったような不気味なこの目を見ればわかる。
 そして多紀は、それだけの恨みを買っているということも承知している。
 何しろ、庚子と一緒に、蒼太郎が柚巴へちょっかいをかけることを、ことごとく邪魔していたのだから。
 そして、決め手は、あの非常階段でのできごとだろう。
 柚巴につめ寄る蒼太郎の邪魔をしてしまったのだから。
 そして、聞いてはならないことを聞いてしまったのだから。
「……それにしても、松原はまだ気絶しているというのに、何故お前は、こんなにもはやく意識を取り戻す?」
 ちろりと庚子に視線を落とし、おもしろくなさそうに蒼太郎が言った。
 するとすかさず、多紀が悪態をつく。
 恨みを買ったとはいえ、命の保障がないとはいえ、だからといってひるむ多紀ではない。
「そんなの、俺が知るかよ」
「まあ、いい。お前たちには限夢界まで来てもらう。そこで、お前たちは死ぬんだ」
 蒼太郎の眉が一瞬ぴくりと反応したが、相変わらず余裕の表情はのぞかせたまま。
「お前……! 知っているのか!?」
 さすがに、その言葉には多紀も動揺せずにはいられなかった。
 まさか、蒼太郎がそのことを知っているとは。
 御使威の血を引く者以外が、限夢界に足を踏み入れれば、即刻その体は破裂し、死にいたる……。
 それは、かつて、御使威家当主と限夢王との間でかわされた契約。
 必要以上に互いの世界に干渉しないために。
 二つの世界の均衡を保つために。
「何を今さら……。京が御使威家の人間だと知っていると言った時に、すでにわかっていただろう?」
 多紀の反応に、どこか釈然としないといったように、蒼太郎は顔をゆがませる。
 馬鹿にしたようでもある。
 その蒼太郎の言葉と表情に、一筋の冷や汗を流しながらも、多紀は冷静を装う。
「しかし、そんなことをすれば、お前もただではすまないだろう?」
「さすがの九条も、そこまではわからなかったのか」
 蒼太郎は、くっと嫌な笑みをもらした。
「そこまで……?」
 多紀の表情が、暗く厳しいものへと変わっていく。
「俺には、御使威家の血が流れている」
「……!?」
 がたっと音を立て、多紀は驚きのあまり、思わず体勢を崩してしまった。
 それが事実ならば、愕然とせずにはいられない。
 蒼太郎が御使威の血を引く者だとすれば、最悪な事態を連想せずにはいられない。
 多紀は、瞬時にそれに気づいてしまった。
 しかし、多紀は、すっと体勢をたて直し、何事もなかったかのように冷静を装う。
「まあ、いい……。仮に、俺たちが限夢界に連れて行かれて殺されたとしよう。しかし、それでお前に何のメリットがある?」
「簡単だろう? お前たちと引きかえに、京を手に入れる。それが俺の最終目的だ」
 ふっと鼻で笑い、当たり前のように蒼太郎は言った。
 ついに語られた、蒼太郎の目的。動機。
「じゃあ、俺たちを利用して……!!」
 多紀の表情が苦痛にゆがむ。
 全ては、柚巴を手に入れるために……。
 たんに、蒼太郎の恨みからくる、庚子と多紀を抹殺しようとするものではなかった。
 直接柚巴に手を出そうとしても、使い魔たちが邪魔をし、手に入れることができない。
 そこで、庚子と多紀を人質にし、柚巴を手に入れようとしている。
 そうなると、庚子と多紀は、柚巴のとんだお荷物になってしまう。
 それだけは、多紀のプライドが許さない。
 多紀の男としての誇りが黙っていない。
 そして何より、守ろうとしている柚巴を、自らが危険にさらそうとしている……。
 多紀は、愕然と肩を落とした。
 こんなにむごい現実が、つきつけられようとは――
「だから、はじめからそう言っているだろう」
 やはり蒼太郎は、平然とそう答える。
 そして、にやりと笑い、庚子と多紀を見はるように、控えていた雫蛇に手ですっと合図をする。
 とうとう、庚子と多紀の命と引きかえにした、柚巴を手に入れるための交渉がはじめられようとしている。
 多紀は、全ての望みを失ったような気がした。
 しかし、その時だった。
 多紀に、新たな希望の光が差し込んだ。
「そう上手くはいかない」
 どこからともなく、そんな声が聞こえてきた。
 その声は、どこかで聞いたことが……いや、聞きなれた声だった。
 薄闇の部屋に、不気味に響き渡る。


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update:03/10/23