逃げられなかった子羊
(4)

「誰だ!? ――雫蛇、気を探れ!!」
「はっ!」
 薄暗い部屋に響く声に、蒼太郎は必要以上に反応し、雫蛇に命令を下す。
 すると雫蛇は、すっと目をとじ、気を集中させ、気配を探りはじめた。
 しかし、なかなかその気配を探り当てることができないようである。
 どうやら声を発した人物は、かなりの使い手らしい。
 そう簡単には、その気配を探り当てさせてはくれないようである。
「ああ、もう。面倒くさいな〜。そんなことをしなくても出てやるよ」
 なかなか気配を探り当てられない雫蛇に業を煮やしたのか、そんなことを言って、ぱっと世凪が姿を現した。
 ぽりぽりと、かなりうっとうしそうに頭をかき、見下すような腹立たしい表情をたたえている。
 カーテンの閉じられた窓際に、姿を現した。
 どこかで聞き覚えのある声のはず。
 声の主は、世凪だったのだから。
 世凪の姿をみとめた瞬間、蒼太郎と雫蛇の表情が険しくゆがむ。
 そして、多紀にいたっては、驚いた様子はなく、「遅いよ」と言わんばかりの視線を、現れた世凪に向けている。
「どうせ、こんなことだろうと思ったよ。多紀。たしか俺は、お前に気をつけろと言ったはずだろう?」
 やはりふてぶてしい態度で、世凪は多紀を見下ろす。
「……気をつけてはいたつもりなのだけれどね……?」
 見下ろす世凪の視線に、多紀は肩をすくめ、苦笑いを浮かべる。
 世凪は、そんな多紀に何かを言いたそうに口を開きかけたが、そこでやめてしまった。
 首を軽く横にふり、ぎろりと雫蛇をにらみつける。
「まあ、いい。この程度の奴なら、すぐ片づく」
「世凪……!」
 さらりと言い捨てた世凪に、多紀は険しい顔で怒鳴った。
 すると世凪は、そんな多紀にちらりと視線を移し、ふうっと面倒くさそうにため息をもらす。
「ああ、わかっている。殺しはしない……」
「……なら、いいや」
 世凪のその言葉を聞くと、多紀はけろりとした表情であっさりとそう言った。
 そして、何事もなかったかのように、相変わらずのひょうひょうとした態度をとる。
 先ほど、あれだけ愕然としていた多紀の姿はもうどこにもない。
 世凪の気配に気づき、世凪が現れると、多紀は安心してしまっていた。
 世凪ならば……今の世凪ならば、信用できる。
 そして、世凪ならば助けてくれる。
 多紀はそんなおかしな信頼を、世凪に抱いていた。
 あの世凪にである。
 かつて、あれだけ目の敵にしていた世凪を、今は全面的に信用している。
 その信頼はやはり、世凪は柚巴のためにならないことはしないという確信からきているものだろう。
 柚巴のためにならないことはしないということは、世凪は柚巴を悲しませるようなことはしないということで、さらに追求すれば、世凪は庚子と多紀を傷つけたりはしないということ。
 そう考えると、蒼太郎などよりは、よほど世凪という男は信じられる。
「散々好き放題言ってくれているが、この雫蛇は強いぞ?」
 さすがに世凪と多紀のやり取りを聞いては、蒼太郎も怒りをおさえることができないのだろう。
 ひくひくと顔をひきつらせながら、しかし余裕のある表情を浮かべ、ぎろりと世凪と多紀をにらみつける。
「ほう。それはそれは」
 そんな蒼太郎に、楽しそうに世凪が答える。
 ふんとふんぞり返り、見下しているようでもあった。
 その世凪の態度は、もちろん蒼太郎の怒りを増大させる。
「雫蛇はこう見えても、かつては限夢界に名をとどろかせた男だ」
「ふ〜ん。だが、俺は知らないな〜?」
 あっさりとそう言って、馬鹿にしたような視線を雫蛇に向ける。
 世凪もまた、多紀同様、ひょうひょうとしている。
「それで? 雫蛇とやら。どのように名をとどろかせていたのだ? ……たとえば……御使威家当主暗殺に失敗した使い魔だとか?」
「お前……!!」
 世凪のその言葉を聞いた瞬間、雫蛇は明らかに動揺の色を見せた。
 体がぐっと強張り、一瞬震えた。
 「何故、お前がそれを……!」と言わんばかりに、世凪に厳しいにらみをきかせる。
 どうやら、世凪の言ったことは事実のようである。
 では、この雫蛇が、かつて神のドームで由岐耶が言っていた、御使威家当主、柚巴の祖父を殺めようとした使い魔というのだろうか。
「俺をみくびるなよ。お前たちが思っているほど、俺は馬鹿ではない」
 けっと汚らわしいものでもはき捨てたかと思うと、さらっと世凪がそう言ってのけた。
 そして、ふっと不気味な笑みを、雫蛇に向ける。
 馬鹿にしているようであって、見下している。それでいて、侮辱している。
 こんな奴が使い魔などとは、限夢界はじまって以来のいい醜聞だと非難している。
「さてっと……。いつまでも、こんな奴らの相手をしているほど、俺もお人よしではない。そろそろ片づけるとするか」
 そう言って、世凪はにやっと微笑んだ。
 その笑みは、薄暗い部屋の中でも妙にそれだけが目立ち、不気味だった。
 その瞳も、鋭い光を発している。
 先ほど、多紀にああ言ったけれど、もしかすると世凪は、本気でこの二人を殺してしまうかもしれない。
 世凪は、それだけこの二人を憎んでいるはずだから。
 柚巴に仇なす者を、この世凪が放っておくはずがない。
 ぞっと背筋に冷たいものが走り、多紀は、恐怖を感じ不安を覚えた。
 世凪はすっと右手を上げる。
 その時だった。
 世凪たちの前に、いきなり柚巴たちが姿を現した。
 世凪のいく手を阻むように、攻撃を阻止するように、柚巴たちは姿を現し、世凪の前に立ちはだかる。
「ゆ、柚巴!!」
 柚巴の姿を目にした瞬間、世凪は驚きをあらわにした。
 どうやら世凪は、まさかここで柚巴が現れるなど思ってもいなかったらしい。
「世凪!?」
 それは、柚巴も同様だった。
 まさか、庚子と多紀を探していて、そこにすでに世凪がいようなど、ゆめにも思っていない。
 世凪の叫びに、柚巴も叫び返していた。
「ようやく来たな、京……。いや、御使威家ご令嬢」
 蒼太郎も多少動揺したようであるが、どうにか冷静を装い、柚巴にふっと笑みを見せる。
「……何が目的なの?」
 蒼太郎の言葉に、柚巴は即座に反応し、じっと蒼太郎をにらみつけた。
「……」
 蒼太郎は柚巴の問いかけには答えず、ぎろりと柚巴をにらみつけている。
「答えなさいよ!」
「柚巴。そんなことはどうでもいい。とにかく、さっさと片づけてしまおう」
 憤る柚巴を制し、世凪はさらりと言った。
 いつの間にか柚巴のもとにやってきていて、今にも飛びかかりそうな勢いの柚巴を、左腕をのばし制している。
 世凪にも、柚巴が胸に抱く、煮えたぎる怒りが理解できているらしい。
 柚巴にとっては、庚子と多紀は、はじめてできたといってもよい、大切な大切な友達。
 その友達を、蒼太郎は傷つけようとしているのだから。さらったのだから。
 柚巴の底知れぬ怒りが、空気を伝って、世凪たちにも、柚巴とともに現れた使い魔たちにも、ぴりぴりとやってくる。感じられる。
 ただ、蒼太郎にだけは、感じることができなかったけれど。
 いや、はなから、そんなものを感じる力量を持ち合わせていない。
 この思いは、心の貧しいものには、感じられるはずのない思いだから。憤りだから。
「でも……。もとから絶たなきゃ……」
 世凪の制止に、柚巴は悔しそうに唇をかむ。
「だから、片づけると言っているだろう。理由などどうでもいい」
 世凪は、そんな柚巴に冷め切った冷たい視線を注いだ。
 そして、一歩、また一歩と、ゆっくりと蒼太郎たちへと近づいていく。
 蒼太郎たちのすぐ近くには、まだ気を失ったままの庚子と多紀がいる。
 世凪のあの冷たい眼差しは、決して柚巴に向けられたものではない。
 たしかに柚巴を見ていたが、その眼光は、柚巴を見てはいなかった。
 その瞳にたたえられた冷たさは、蒼太郎と雫蛇に向けられたものだった。
 あまりにも冷たい眼差しに、柚巴は一瞬、ぞくっとしたものを感じた。
 世凪は、本気なのだ。本気で怒っている。
 柚巴はそう感じ、この冷たい目の限夢人に、恐怖を感じてしまった。
 そして次の瞬間、はっと我に返った。
「世凪……!」
 柚巴は、世凪の背に向かって叫ぶ。
 世凪が本気だということは、すなわち、蒼太郎たちの死を意味すると、柚巴は悟ってしまった。
 青ざめる柚巴に、ふいに世凪が振り返る。
 それは決して、柚巴の呼びかけに応えたものではない。
「柚巴! ほらよ!」
「え!?」
 世凪は振り返ると同時に、ひとまず、より世凪の近くにいた庚子を抱き上げ、柚巴へ向かって投げた。
 それに驚き、柚巴は体を硬直させてしまった。
 身動きのとれなくなった柚巴の前に、紗霧羅がさっと現れ、柚巴のかわりに、庚子を、胸いっぱい使い受け止める。
 かなりの衝撃があった。
「こら、世凪! 乱暴な奴だな」
 か弱い柚巴が受けとめられるはずがない。
 それを、世凪も承知しているはずである。
 たしかに、世凪は承知していた。
 紗霧羅が必ず間にわって入ってくることを承知していたので、そんな乱暴な行動に出たのだろう。
「お前たちは黙っていろ。多紀、お前もすぐに助けてやる」
 世凪は、困惑する柚巴たちに鋭い眼差しを向けた。
 そしてすぐに、多紀に視線を注ぎ、ふっと笑う。
「期待しているよ」
 多紀は肩をすくめ、少し困ったように苦笑する。
 多紀のその様子は、明らかに世凪を信頼しているようであり、そして世凪の助けを受けることを、どこか嫌がっているようでもあった。
 世凪に借りをつくりたくない。
 そんな気持ちが、多紀の心のどこかにあるのだろう。
 それをもちろん、世凪も承知している。
 世凪とて、多紀なんかに貸しをつくりたくない。
 つかみどころのない、ひょうひょうとした多紀に貸しなどつくっては、きっと、あとあと面倒なことになる。
 そんな思いがある。
 世凪と多紀の間にも、由岐耶との間に生まれたように、妙な友情が芽生えていく。
 世凪も多紀も、どこか余裕をにじませる笑みを浮かべる。
「……仕方がない。こんなところで、お前たちにつき合っている暇はないからな。行くぞ、雫蛇」
 世凪と多紀の、妙に信頼し合い、自信たっぷりのやり取りに、蒼太郎はかちんときて、雫蛇に言い放った。
「はい。マスター」
 雫蛇は静かに答えると、足元に座っていた多紀をひょいっと持ち上げた。
 まるで米俵を担ぐように、軽々と担ぎ上げる。


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update:03/10/26