逃げられなかった子羊
(5)

「貴様ら……!!」
 蒼太郎と雫蛇のいきなりの乱行に、世凪は怒鳴った。
 不覚にも、世凪は完全に多紀を人質にとられてしまったのである。
 多紀が雫蛇の手の内にあるということは、そうやすやすと攻撃を加えることもできない。
 コントロールには自信があるが、その破壊力をおさえることは、今の怒りを抱いた心では、いささか不安がある。
 過ぎた破壊力の影響で、多紀にもしものことがあれば……と、世凪はそこを心配し、悔しそうに顔をゆがめる。
 世凪とて、多紀を傷つけることは本望ではない。
「ああ、もう。本当にうるさい奴だな。お前には用はないんだよ。ほら、行くぞ」
 そう言って、蒼太郎はあっさりと世凪を袖にする。
「待って! 多紀くんをどこに連れて行くつもりなの!?」
 うろたえる世凪にかわり、柚巴が足を踏み出し、蒼太郎をにらみつける。
 すると蒼太郎は、何を今さら……と言わんばかりに、馬鹿にした表情をのぞかせ、にやりと笑った。
「どこって……限夢界さ。俺にも使い魔がいることだし、可能だろう?」
 そして、いけしゃあしゃあとそう答える。
 柚巴の表情が、さらに変わっていく。
 これまでよりも、もっとひどい顔色に。
「まさか、多紀くんも連れて行くというのじゃないでしょうね!?」
「何を今さら……。お前たち、俺の目的に気づいているのだろう? ならば、不思議ではないではないか」
 ふんと鼻で笑い、多紀を抱える雫蛇の腕にそっと触れた。
「……扉の番人をつくるために……。でもそれじゃあ、多紀くんでは無理だわ。御使威家の人間でないと!」
 柚巴は、狼に追いつめられた兎のように、切羽つまった苦しそうな表情を浮かべ、蒼太郎に怒鳴る。
「どういうことだ?」
 そんな柚巴の言葉と態度に、蒼太郎は怪訝そうに顔をゆがめる。
「あなたは知らないの? 御使威家の人間以外が……」
「駄目だ、柚巴ちゃん! 騙されては駄目だ!」
 柚巴がそこまで言いかけると、多紀は体をねじらせ、柚巴の目をとらえ叫んだ。
 雫蛇に担がれたそこで、抵抗を試みている。
「た、多紀くん!?」
 多紀の思いもよらない言葉に、柚巴は驚き、動揺する。
 騙されては駄目だとは、一体……?
 柚巴の心が、ぐらりと揺れる。
「こいつの本当の目的は、君なんだ。君を……」
「黙れ!!」
 多紀の言葉に蒼太郎ははっとなり、いきなり頭を殴りつけた。
「う……っ」
 目の前がくらっとして、一瞬気を失いそうになる。
 蒼太郎は、苦々しげに多紀をにらみつけている。
「余計なことは言うな」
「多紀くん!!」
 柚巴は思わず走り出そうとしたが、その手をぐっと莱牙につかまれ、引き止められる。
 責めるように莱牙を見つめるが、莱牙は気にならないとばかりに涼しい顔をしている。
 莱牙の後ろでは、苦しそうに、由岐耶が静かに首を横に振っている。
 それで、柚巴にも、莱牙と由岐耶の思いが伝わり、ふっと体の力を抜いた。
 ここで柚巴が多紀に駆け寄ったところで、事態が悪化するだけ。
 そして、それをみこして、恐らく、蒼太郎は多紀を殴ったのだろう。
 いや、蒼太郎のことだから、純粋に、余計なことを口走る多紀に怒りを覚えただけかもしれない。
「それで? 御使威家の人間以外がどうした?」
 蒼太郎は、莱牙に腕をつかまれたじろぐ柚巴に、先ほどの言葉の続きを促す。
 柚巴は、一瞬答えることをためらうような素振りを見せたが、すぐに意を決したように、きっと蒼太郎をにらみつけた。
「……御使威家の人間以外が限夢界に行くと、死ぬのよ。――だから、わたしにしなさい」
 きっぱりと、柚巴はそう言った。
 そして、するりと莱牙の腕を振りほどく。
「ゆ、柚巴ちゃん!」
 多紀が苦しそうに叫んだ。
 そして使い魔たちも、柚巴の予想外の言葉に驚く。
 皆、動揺をあらわにしている。
 多紀が恐れ、止めようとしたことが、とうとう現実になってしまった。
 その言葉を柚巴の口から出すことを恐れ、とめようとしたというのに。
 多紀の犠牲も、ついには無になってしまうというのだろうか。
 愕然とし、体から力が抜けていき、その目は呆然と宙をさまよっている。
 全てが……終わってしまった……。
 多紀は、もうまわらなくなった頭で、ぼんやりとそう思った。
「――なんて、わたしが言うとでも思ったの?」
 いきなり、くすりと柚巴が笑った。
 同時に、多紀と使い魔たちは目を見開き、柚巴を凝視する。
「なっ……! お前は、友達を見捨てるというのか!?」
 柚巴の言葉に動揺したのは、蒼太郎ただ一人だった。
 蒼太郎に仕えるはずの雫蛇は、普段から感情をあまり外に出していなかったとはいえ、こういう時でも無表情で、多紀を抱え立っている。
 それが、この雫蛇という男を、ますますわからなくさせる。
 この男は、その鉄仮面のような無表情の下、一体、何を思い、何を考えているというのだろう。
 かつて御使威家当主を暗殺しようとし、そして今、蒼太郎の下につき、柚巴たちを陥れようとしている。
 彼の本意は、一体どこにあるのだろうか。
「まさか。その逆よ。多紀くんは助ける。そして……わたしは、あなたの言いなりにはならない!」
 きっと蒼太郎をにらみつけ、きっぱりと柚巴が言った。
「よっしゃ! それでこそ柚巴だ!」
 柚巴の力強い言葉に、紗霧羅は嬉しそうに叫ぶ。
 他の使い魔たちも、妙に誇らしく、得意げな笑みを浮かべている。
 柚巴の言葉に、そして柚巴の判断に、誰も異存はない。
 むしろ、成長した柚巴をたのもしく感じている。
 柚巴についていこうとすら思っている。
 誰もが、柚巴をあたたかく見守っている。柚巴の決断を支持している。
 柚巴は、自分の言葉を肯定してくれる相手として世凪を選び、視線を向ける。
 すると、世凪はその視線に気づき、強い眼差しでうなずいた。
 それで、柚巴は自分の判断は間違っていないと確信し、叫ぶ。
「世凪……!!」
 柚巴がそう叫んだ瞬間、世凪は待っていましたとばかりに、多紀を抱えている雫蛇に向かって飛びかかった。
 しかし、一歩遅かった。
 世凪の手がとどかぬうちに、多紀ともども、蒼太郎と雫蛇の姿はそこから消えていた。
 外はもうすっかり、明るくなっている。
 夜が明けてしまっていた。
 多紀を連れた蒼太郎たちの姿は、もうそこにはない。
 つまりは、限夢界に向かったということだろう。
 多紀が限夢界へ連れ去られたということは、すなわち、多紀の死を意味する。
 そんなことは、口に出さずとも誰にでもわかること。
 限夢界に足を踏み入れた人間がどうなるかなど、容易にわかること。
 多紀は、もう――
「……!?」
 柚巴の心臓に、衝撃がはしる。
 どくんと、しめつけられるような痛みがはしる。
 そして、がくがくと足を震わせ、じわじわと体全体をゆさぶっていく。
「そ、そんな、まさか……」
 がくんと、柚巴の体が倒れこみそうになった。
 それを、とっさに世凪が受け止める。
「柚巴、すまん……。――多紀はもう……」
 震える柚巴をぎゅっと抱きしめ、世凪が苦しそうにかすれた声で言葉をしぼり出す。
 柚巴は、世凪の腕の中で、がくがくと震えている。
 顔は真っ青で、いや……もう色すらなく、目からは絶えることなく涙が流れ続けている。
「わたしのせいだ……。わたしが余計なことを言ったから。余計なことをしたから……だから多紀くんが……。……ううん。わたしが素直に言うことを聞いていればよかったのだわ。だって、だって……わたしの存在があるから……」
「柚巴!」
 柚巴の言葉をさえぎるように、紗霧羅が怒鳴った。
 その顔は、苦痛にゆがんでいる。
「そうじゃない。柚巴は何も悪くない!」
「だ、だって紗霧羅ちゃん! これは、わたしが巻き込んだようなものじゃない!?」
 柚巴を抱く世凪の腕をぐっと握り締め、柚巴は涙を飛び散らせ、紗霧羅に迫っていく。
「違う!」
 紗霧羅は柚巴を直視することができず、柚巴からすっと視線をそらし、ただそれだけを叫んだ。
 紗霧羅にはもう、その言葉しか言うことができなかった。
 他の言葉など浮かんでこない。
 考える余裕もない。
 紗霧羅もまた、たとえることのできない衝撃に見舞われていた。
 多紀は、もうすでに――
「違わない……。違わないのよ!」
 柚巴は激しく首を振り、紗霧羅の言葉など聞きいれようとしない。
 ただ、その抱えようのない苦しみだけが、悲しみだけが、柚巴の心を支配する。
「柚巴!」
 取り乱す柚巴に、やりきれないと、世凪は柚巴を抱え込み、首を振るのをやめさせる。
 世凪もまた、苦しそうに柚巴を抱きしめる。
 恐らく、誰の心も今、同じ痛みを抱えているだろう。
 誰もが、多紀を救えなかった……その苦しみを胸に。
 限夢界へ連れて行かれた人間の末路は、決まっている。
「すまん……。俺が悪いのだ。あれが柚巴なら、俺は間違いなく助けていただろう……。だが……」
 世凪は苦しそうにつぶやいた。
 やはり、世凪もまた、そのことで衝撃を受け、苦しんでいた。
 助けてやると言っておいて、助けてやることができなかった。
 みすみす、目の前で連れ去られてしまった。
「世凪。あんたもそうじゃないよ」
 紗霧羅は、重いため息をもらした。
 やはり、紗霧羅にはその言葉しか思いつかない。
「……もう、こうなってしまっては仕方がない。とにかく今は、限夢界に戻ろう」
 絶望を漂わせる柚巴と、その柚巴を苦しそうに抱きしめる世凪に、莱牙が静かに言った。
 すると柚巴は、憎らしそうに莱牙をにらみつける。
「……行ってどうなるの? 行ってももう、多紀くんはいないのよ……!?」
 よくこんな時にそんなことが言えたものね!と、非難の眼差しを向ける。
 もう、柚巴の頭は正気ではなかった。
 その苦しみ、悲しみでいっぱいで、何も考えられない。
 しかし、世凪は違った。
 莱牙の言葉に、世凪は正気を取り戻していく。
「それはそうだが、行かないよりはましだろう。……あいつらのいいように操られているようで癪だが、多紀をむかえに行かなければならないからな」
 すっと柚巴を抱く腕の力を弱め、柚巴の頬に触れ、言い聞かせるように世凪が言った。
 ぐいっと、頬を伝う涙をぬぐう。
 むりやり柚巴の顔をあげ、柚巴の目を見つめる。
「しっかりしろ! お前がそれでどうする!? お前が多紀をむかえに行かなくてどうする! たとえ多紀は死んでしまったとしても、細胞まで消滅したわけではない。全て消えたわけではないのだぞ!? わかっているのか、柚巴!」
 世凪の叫びに、柚巴はじっと世凪を見つめる。
 ふるふると震える手で世凪の腕をぎゅっとつかみ、世凪にさらなる言葉を求める。
 決意をあらたにする言葉を。
「……むかえに行く?」
「そうだ。お前が多紀をむかえに行け。それが友達としての、お前の最後の役目だ」
 多少つきはなすように、きっぱりとそう言った。
 世凪の目にはもう、先ほどまでの後悔の念も苦しみもなかった。
 ただそこにあるのは、ぎらぎらとした、復讐を示唆させる鋭い光だけ。
 約束を違わせた蒼太郎と雫蛇に対する、怒りだけ――
 しかし、柚巴にはそれで十分だった。
 柚巴は、世凪の言葉により、決意をあらたにすることができる。
「――わかった。行こう……」
 柚巴は、涙をぬぐい、きっと世凪を見つめた。
 泣いていても、何もはじまらない。
 そんな暇があるのなら、自らのために犠牲になった多紀のために何ができるのか。……何かをしなければ。
 柚巴の思いは、次のそのステップへと移っていく。
 もうくよくよしない。泣かない。多紀をむかえに行く。
 今、柚巴の思いは、そこへ向かっている。
 しかし、多紀が連れ去られてしまったそこには、相変わらず、重苦しい空気が流れている。
 それは、誰にも払拭することができない。
 柚巴にとって、多紀がどれほど大きな存在であるか承知しているだけに。


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update:03/10/29