過ちは繰り返される
(4)

「今、この瞬間、お前に流れる御使威の血との契約は消し去った。よって、お前はもうただの人間だ。――一分間の猶予をやろう。その間にこの世界から立ち去らぬと、お前の体は吹き飛ぶぞ!!」
 くわっと、王の顔がすさまじい形相をのぞかせる。
「く……っ!!」
 さすがに蒼太郎も、王のこの迫力にはたじろぎ、悔しそうに、憎らしそうに王をにらみつける。
 たじろいでもなお、そのふてぶてしく図太い態度は崩れない。
 そんな蒼太郎を、雫蛇は苦しそうに見つめている。
 雫蛇は、このどこまでも強気の……勘違いを続ける、正気を失いかけた主を、哀れに思っていた。
 もう、雫蛇には、抵抗する気などなかったから。
 いや、はじめからなかったのかもしれない。
 しかし、過去の因縁から、蒼太郎に従わざるを得なかった。
 自らすすんで、この行動に出ていたわけではない。
 それは、罪悪感、脅迫観念、そして贖罪の念からとっていた行動だったのだろう。
 今、力なく主を抱く雫蛇の姿を見ると、そう思わずにはいられない。
 この雫蛇こそが、哀れに見える。
 雫蛇は、蒼太郎を片手で抱いたまま、もう一方をすっと地面につけた。
「……王。しばし、わたしにも猶予を下さい。その間にマスターを……いえ、この人間を、人間界に送りとどけて参ります。その後は、いかようにもご処分ください」
 もう、雫蛇には、逃げようと、抗おうとする気などないことは、誰が見ても明らかだった。
 ただ、今は、蒼太郎を無事人間界に送りとどけることしか頭にない。
 そして、全てに絶望しきっている。
 雫蛇からは、哀愁を感じさせられるとともに、まるで世界の終わりにいるような気にさせられた。
 全て、終わった。もう、何もない――
「……行け」
 王は、表情一つ変えず、雫蛇に許可を与えた。
 すると、ふっと雫蛇の表情がゆるんだような気がした。
 雫蛇は、この瞬間、全てのしがらみから解放されたのだろう。
「ありがとうございます」
 そう言って、蒼太郎を連れて、すっと姿を消していった。
 雫蛇と蒼太郎の消えたそこには、微かに彼らの気配が残っていた。
 その気配を、ささやかに吹く風にのせ、王は感じる。
 ふっと、切なそうな表情をのぞかせる。
「愚かしい人間だ。馬鹿な真似さえしなければ、大切なものまでなくさずにすんだものを。――のう、雫蛇?」
 まるで、雫蛇に問いかけるように王がつぶやいた。
 その言葉を聞き、使い魔たちは、鈍器で頭をなぐられたような衝撃を受ける。
 たしかに、たしかにそうである。
 蒼太郎さえあんな馬鹿な真似をしなければ、誰よりも彼を思い、大切にしていた雫蛇までも失わずにすんだはず。
 御使威家当主の座は手に入らないが、しかし、それでもいいではないか。
 ただ一人、彼をいちばんに思う者が、ずっとずっとそばにいさえすれば。
 どうして蒼太郎は、その幸せに気づかなかったのだろう。
 そんな簡単なことに、気づかなかったのだろう。
 その事実は、彼らの胸に冷たいものを運ぶ。
 雫蛇はもう二度と、蒼太郎のもとに戻ることはない。
 蒼太郎を無事に送りとどけた後は、彼には厳しい罰が待ち受けているのだから。
 その事実から、目をそらすことはできない。
「王! 何故、王自ら……」
 そんな痛く苦しい思いを抱えた使い魔たちの中から、竜桐が王へと駆け寄ってきた。
 すると王は何も言わず、竜桐を見ようとはせず、すっと世凪に視線を移した。
「その男と、取り引きをしたからな」
 王の横で、ふてぶてしい態度で、ふんと世凪が王から顔をそむけた。
 顔をそむけたそこでは、おもしろくなさそうにじっと地面をにらみつけている。
「……」
 世凪は、何も言おうとはしない。
 そんな世凪のいつもとは違う様子に、柚巴は急にとりとめのない不安にかられ、きゅっと世凪の腕を握った。
 心配そうに、世凪の顔をのぞき込む。
「世凪……?」
 それでもやはり、世凪は何も答えようとはしない。
 じっと押し黙っている。
 そんな世凪の態度に、王は困ったようにふっとため息をもらした。
 そして、柚巴へと視線を移す。
「娘。お前と王子との婚姻の話は、なかったことにする」
「え!?」
 柚巴は、今王の口から出た意外な言葉に驚き、がばっと振り返り、王の顔をまじまじと見つめた。
 王は、涼しい顔で柚巴を見下ろしている。
 まるで、最初から何もなかったかのように冷めた眼差しで。
「約束は果たしたぞ。次はお前の番だ、世凪。行くぞ」
 王が世凪にそう言うと、世凪は一瞬ためらったような素振りを見せたが、すぐに柚巴をぐいっと引きはなした。
 そして、うつむいたまま、重い足取りで王へと歩み寄る。
「世凪!!」
 柚巴は、信じられないとばかりに叫んだ。
 あの世凪が……あの世凪が、柚巴の手をはなし、王のもとへ行くなど誰が信じられようか。
 柚巴さえ手に入ればそれだけでいいと言ってしまえるほど柚巴を愛している世凪が、自らその手をはなすとは。
 そして、たしかに世凪は言っていた。
 王族を……王を嫌っていると。
 あんな奴と一緒にされては気分が悪いと。
 考えただけで虫唾が走ると。
 それなのに何故、世凪は今、自ら王のもとへ行こうとしているのだろうか。
 王の手に落ちようとするのだろうか。
 こんな現実、受け入れられるはずが、信じられるはずがない。
 世凪は、世凪を引きとめようと一歩足を踏み出した柚巴に振り向き、切なそうに見つめる。
「……柚巴。言っただろう? 何があっても俺はお前を守ると」
 柚巴を見つめた世凪のその目は、追うなといっている。
 これでいいのだと、これで全てまるくおさまると。これが全てだと。
 もう、何も望まない。
 あの夜、柚巴に全てを告白した時、世凪はもう決めていた。決意していた。
 柚巴とはなれることになっても、柚巴だけは守る。
 柚巴の自由と、幸せだけを願って。
 自らは、王のとらわれの身となる。
 それが、先ほど王が言っていた、世凪が王とかわした約束。
 だから世凪は、どんなことがあっても柚巴の味方だと、信じて欲しいと、あの時言ったのだろう。
 この時を見こして。全てを承知した上で――
 世凪の世界は、柚巴のためだけにある。柚巴のためだけにまわっている。
 柚巴にすがるような視線をあびせられ、世凪はもう苦笑いを浮かべるしかない。
 もう柚巴に何もしてやることも、言ってやることもできないと、世凪は苦しそうに微笑む。
 それが、今、世凪のできる全て――
「これでお別れだ。……もう二度と会わない」
 そう言うと、世凪はふいっと柚巴から顔をそむけ、そのまますぐに王とともに姿を消した。
「世凪……!!」
 柚巴は、体を震わせ、涙を飛び散らせ叫ぶ。
 しかし、そんなことをしても、もう世凪は戻ってこないことを知っていた。
 世凪が二度と会わないといえば、恐らくそれは現実となるだろう。
 世凪とは、そういう男だから。
 抱きはじめていた、感じはじめていた、柚巴の心に芽吹いた小さな花は、今、この瞬間、枯れ、散ってしまった。
 愕然とくずおれる柚巴の前に、世凪と入れ違うかのように梓海道がすっと姿を現した。
「梓海道!」
 柚巴は梓海道の姿を見つけると、梓海道にしがみついた。
 責めるように、梓海道をにらみつける。
「ねえ、王との取り引きって何!?」
 すると梓海道は、苦しそうに柚巴から目線をはずす。
 半分かすれたような声で、言葉を紡ぎ出す。
「世凪さまは……世凪さまは、ご自分の自由と引きかえに、柚巴さま、あなたの自由を手に入れられたのです。そして……佐倉蒼太郎の件の片づけを……。王にそれを約束させたのです。世凪さまにとっては、あなたの幸せこそが全てでしたから。そして、王にとっては、世凪さまの自由を奪うことこそが何よりも必要でした。だから、世凪さまはそれを持ち出し、王と取り引きをされました。――いうなれば、世凪さまは王の弱みですから……」
 やはり、そうだった。
 世凪は自らを犠牲にし、柚巴を救ったのである。
 柚巴のために、世凪の世界は動いている。
 それが、柚巴にも痛いほどに伝わってくる。
 世凪の海よりも深い愛を感じる。
 口が悪く、態度も悪い。
 だけど、柚巴に抱くその思いだけは、まぎれもない真実。
 しかし、その真実に気づいた時には、全て遅かった。
 もう、世凪はいない。
 柚巴は絶望の淵に立たされたように、梓海道の服を握り締め、ずるずると再びくずおれていく。
 見るにたえぬ光景だった。
 柚巴のあふれ出す苦しみが、そこにいる誰にも伝わってくる。
 こんなうちひしがれた柚巴の姿は、今まで見たことがない。
 泣きわめくわけではなく、ただじっとその苦しみにたえ、小さな体をふるわせる柚巴。
 恐らく、柚巴もまた、世凪に惹かれていたのだろう。
 いや、惹かれていた。
 自らも気づかぬうちに――
 今、この時になって、ようやくそれに気づくなど、なんて皮肉なことだろう。
 梓海道は、もう何も言うことができない。
 服を握り締める柚巴の手にそっと自らの手を重ね、苦しそうに柚巴を見つめている。
 そして、柚巴の手を服からすっとはなし、そのまま景色にとけ込むように姿を消していく。
 そこに残されたのは、絶望をはらんだ大気だけ。


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update:03/11/07