明かされた謎
(1)

 梓海道が去り、重々しい空気だけが残されたすぐ後のことだった。
 茅は抱いていた多紀を由岐耶に託した。
 これから、人間界へ多紀を連れて行かねばならない。
 そうなると、世凪のいなくなった今、茅は人間界へ渡ることができない。
 ならば、自力で人間界へ行ける使い魔の誰かに、多紀を託さなければならない。
 託す使い魔は誰でもよかった。
 だからすぐ横にいて、そして多紀とも面識がある由岐耶に託した。
 由岐耶は、多紀が柚巴にとってどれほど大切な友人なのか承知しているので、大切に多紀の亡骸を受け取り抱える。
 多紀のもう目を開くことのないその顔を見ることができない。
 体は冷たい。
 本当に、多紀は死んでしまったのだろう。
 由岐耶の中に、おさえ切れない感情がこみ上げてくる。
 ――しかし、奇跡は起こった。
「あれ……? 俺は……」
 冷たくなったその体の持ち主が、気だるそうに目を開いた。
 そして、そうつぶやいていた。
 なんと、死んだはずの多紀が目を覚ましたのだ。
 たしかに体は冷たく、赤みも帯びていない。
 それなのに、何故……。
 多紀の目覚めにいちばん驚いたのは、もちろん、多紀を抱えていた由岐耶である。
 由岐耶は多紀の死を、その体をもって実感していただけに、その意外な展開についていけない。
 多紀の口からそのような言葉がもれると、自分の耳を疑いつつも、視線を多紀の顔へと落としていた。
 そして、見てしまった。目を開く多紀の顔を。
 それと同時に、次第にあたたかくなっていく多紀の体温を感じる。
 もうこれは、多紀が生きかえったとしか、奇跡が起こったとしか思えない。
「た、た、多紀さん!?」
 由岐耶は明らかに動揺した声でそう叫ぶと、ばっと多紀を放り投げてしまっていた。
 驚きと同時に、不気味に感じてしまったのかもしれない。
 どしんと、多紀の体がお尻から地面に落ちる。
「ちょ……っ。痛いじゃないですか、由岐耶さん」
 多紀は由岐耶を非難するように見つめ、腰の下をさすりながら起き上がった。
 その他にも文句を言いたかったが、由岐耶のこの姿が妙に気になった。
 そこで、何かに気づいたのか、ゆっくりと辺りを見まわした。
 すると、そこは見慣れぬ場所で、柚巴、そして使い魔たちが、由岐耶同様、何ともいえぬ表情を浮かべていた。
 驚いたような、不気味なものでも見るような、そして恐れすらも抱いていたかもしれない。
 彼らの視線は、一点に、多紀に注がれている。
「……どうかした?」
 多紀は、ほにゃっと不謹慎な笑みをもらし、冷や汗を流しながらぽつりとつぶやいた。
 使い魔たちのもの言わぬ視線に、気まずい空気を感じてしまったから。
「た、多紀く〜ん!!」
 多紀がつぶやくとすぐに、柚巴が叫びながら多紀に駆け寄り、そして飛びつくように抱きついてきた。
「って、ええ!? 柚巴ちゃん!?」
 多紀は抱きつく柚巴を、思わず抱き返しそうになったが、触れるか触れないかのところで、ぴくりと手をとめてしまった。
 抱きしめてはいけない。
 瞬時に、多紀の脳裏に、そのような言葉がよぎったから。
「本当に、本当に、どうしようかと思ったのだから。多紀くんが死んじゃったのじゃないかって……!!」
 柚巴は多紀の胸元をつかみ、ぐすぐすと泣きはじめる。
 それはもちろん、嬉し涙。
 ぐしゃっとつかまれた多紀の服は、柚巴の涙で湿っていく。
 しかし多紀は、それを嫌がる様子はなく、かわりに、柚巴に優しい視線を注ぐ。
 柚巴の思いが、胸に染みたのだろう。
 それにしても、先ほど、使い魔の誰一人として、その驚きようから我に返ることができなかったというのに、柚巴のこのはやい覚醒ぶりはどうも解せない。
 いや、腑に落ちない。
 どうして、柚巴は誰よりもはやく叫び、多紀に駆け寄ることができたのだろうか。
 誰かのかげに隠れ、守られているような柚巴が。
 柚巴はまた、ここで、使い魔をも凌ぐ、その秘めたる不思議な力を顕現しつつあったのかもしれない。
 それは、心の強さを意味する力――
「え? 俺が……? ……じゃあ、もしかしてここは限夢界?」
 多紀は、柚巴の言葉より、瞬時にそう推察した。
 見慣れない風景。複雑な使い魔たちの表情。そして、連れ去られる前の、蒼太郎のあの言葉。
 それらを考慮すれば、ここが限夢界であることくらい、多紀にならば容易にわかってしまう。
 多紀は使い魔たちを見まわし、自分の考えが間違いでないことを確認する。
「ああ、そうだ」
 ようやく平静を取り戻しつつ、由岐耶が静かに多紀に答える。
 多紀はじっと由岐耶を見つめ、そして目を閉じた。
「そうか……。そうですか……。だけど、どうして俺は死んでいないのですか?」
 その答えは、誰にも導き出すことができない。
 それは、今誰もが抱いている疑問なのだから。
「んなの聞かれてもわかるかよ。俺たちの方が聞きたいくらいだ」
 頭の後ろで両手を組み、ぶっきらぼうに嚇鳴が言った。
 そして、にやっと嬉しそうに微笑む。
 微笑んだ嚇鳴の目には、何やらにじむものがあった。
 普段ならそれをネタにひやかすところだけれど、今は誰もそれをいじったりしない。
 理由はわからないが、多紀が生きかえった。
 それに驚きと嬉しさを、ひしひしと感じているから。
「多紀くん……。多紀くんは、本当にわからないの?」
 柚巴は多紀の胸から顔をはなし、じっと見つめる。
 多紀は柚巴のその顔を見ると、何か尋問されているようなそんな奇妙な感覚にとらわれた。
 柚巴の目は、「多紀くんは、知っているはずよ」と、そう言っているように、多紀の目には映っていた。
 それが、どことなく、多紀に罪悪感のような感情を抱かせる。
「あ……ああ、うん……」
 多紀は、言葉につまってしまった。
 それはもっともなことである。
 柚巴にそんな目で見つめられたところで、わからないものはわからないのだから。
 しかし、この純真無垢な瞳で見つめられると、それでも何か自分が悪いような気にさせられるから不思議である。
 しばらく、柚巴は多紀をさぐるように見つめていた。
 その柚巴の視線から逃れるように、多紀は視線を泳がせる。
 その泳がせていた視線が、急にぴたりと止まった。
「……ドーム……」
 考えるように、多紀がつぶやいた。
 そして、柚巴の肩を抱き、にらむように使い魔たちを見まわす。
「ここに、ドームのようなものはありませんか!?」
 切羽つまったように、多紀は使い魔たちを見つめた。
 すると、おずおずと、紗霧羅が多紀の言葉に答える。
「ドーム……。ドームなら、神のドームというものがあるが、それがどうかしたのかい?」
 不思議そうでいて、訝しげな視線を多紀に向ける。
 紗霧羅が言葉にした瞬間、多紀の表情が変わっていた。
「それです! 俺を、そこに連れて行ってください!!」
 両手で柚巴を抱き寄せ、今にもくらいつきそうな勢いで叫ぶ。
 多紀のその表情があまりにも真剣だったので、使い魔たちは驚きの色を隠せないでいた。
 限夢界のことなどあまり知らないはずの多紀が、神のドームを言い当て、そして求めている。
 それは彼らにとって、驚かずにはいられないことである。
 何よりも、多紀のこの鬼気迫った迫力が、彼らに焦りを覚えさせる。
「ああ、かまわないが。そこに何かあるのか?」
 紗霧羅は、平静を装い多紀に問う。
 すると多紀は、急にその迫力を失い、力なくつぶやいた。
「わかりません……。しかし、そこに行けば、何かがわかるような気がするんです」
「わかった。じゃあ、行ってみよう」
 紗霧羅は少し考え、そう言って多紀の手を取った。
 この不可解な多紀の甦生の謎が解けるのならと、紗霧羅は承知したのだろう。
 他の使い魔たちにも、異存はなかった。


 それからすぐに、柚巴たちは、場所を神のドームへと移した。
「多紀くん、何か感じる?」
 神のドームまで歩み寄ると、柚巴はすぐに多紀にそう尋ねた。
 多紀はふるふると首を横に振り、ささやくように言う。
「いや……。まだ……。――あの、この中には入れないのですか?」
 多紀は、ためらいがちに竜桐を見上げる。
 すると、竜桐は多紀に視線を落とし、無表情で答えた。
「入れないことはないが、入りたいのか?」
「はい。お願いします」
 多紀は即答した。
 竜桐は、何やら少し考え、承知する。
「わかった」
 そして、柚巴に視線を送った。
 柚巴はこくんとうなずき、ドームの王家の紋章へ手を触れた。
 そしてまた、例のように入り口が姿を現してくる。
 入り口がその姿を完全に現すと、使い魔たちに促され、まずは柚巴が中に入っていく。
 それに続き、多紀と使い魔たちが足を踏み入れる。
 神のドームには、相変わらず、天井に奇跡の女神・ファンタジアをまつり、足元には一面、最高神・シュテファンと、それに仕える七人の神の彫刻が施されている。
 ここは、限夢界の全ての神をまつる、神聖なドーム。神のドーム。
 だが、そんな神聖な場所には、いささかファンタジアは場違いのような気がする。
 何しろファンタジアは、奇跡の女神と呼ばれると同時に、口にするのもはばかられる、不幸と恐怖の象徴とされているのだから――
 全員がドームの中に入った瞬間、ふっと入り口が姿を消した。
 誰も何もしていないというのに、入り口がひとりでに消えたのである。
「い、入り口が!?」
 最後に入った茅がそのことに気づき、驚きの声を上げた。
 茅の声に反応し、使い魔たちも振り返り、入り口があったはずの場所に視線を注ぐ。
 たしかに、入り口の姿は、影も形もなくなっていた。
「……一体、どういうことだ? こんな事例はきいたことがない」
 莱牙が悔しそうに、入り口があったであろう場所を凝視する。
 そして、すぐ横にいた華久夜に視線を落とした。
「華久夜、お前はどうだ?」
「……いいえ、お兄様。わたしも何も……。王族のわたしたちですらわからないわ」
 華久夜は真っ青な顔をし、扉があったはずの場所をまっすぐとにらみつけている。
 華久夜もまた、その現象の意味がわからない。
「そうですか……」
 竜桐がため息まじりにつぶやいた。
 王族がわからないとなれば、臣下の彼らがわかるはずがない。
 しかし、その現象に驚いてはみたものの、誰一人、動揺しているものはいなかった。
 恐らく……どこかで気づいていたのかもしれない。これから起こるであろうことに。
 だから、驚きや悔しさは抱いたが、恐怖は感じていなかった。
 誰もが入り口のこの奇怪な現象を追究することを諦め、ふうとため息をもらした時だった。
 どこからともなく、不思議な声が聞こえてきた。
 それはまるで、何ものにも汚されていない、澄んだ、心地のよい、だけど、神々しさを感じさせる声音。

 ――目覚めの時が来た。さあ、目覚めるのです。我が同胞(はらから)よ……。

 その声と同時に、いきなり多紀の体は青白い光に包まれ、ふわっと宙に舞い上がっていた。
 そして、ドームの中央に漂いはじめる。
 多紀はそれに動じることなく、どこか悲しそうな表情で、眼下の柚巴を見つめた。
「た、多紀くん!?」
 もちろん柚巴は、いきなりのその光景に驚いている。
 不安げに多紀を見上げている。
 しかし多紀は、もの悲しそうに微笑むだけだった。
「……柚巴ちゃん。今わかったよ。俺はもともと、この世界のものだったんだ」
 そう言って、すっと天井をあおぐように見上げた。
 目をつむり、体全部で何かを感じているようである。
「え……? 多紀くん?」
 そんな多紀の姿に、柚巴はぎゅっと自らを抱きしめる。
 何かに気づいたように。何かよからぬことを悟ってしまったかのように。
 それを否定するために、自分を抱きしめる。
 そんな柚巴を、多紀は少し困ったように見つめ、微笑む。
「見て……」
 そう言うと、多紀は両手を広げ、すうと息をのむ。
 その瞬間、多紀の体はみるまに姿を変えていった。
 その姿は、どこかで見たことのある姿。
 それは、このドームに入ってすぐに目にした姿。
 床に描かれた彫刻の一つによく似ている。
 肩から真っ白い布を垂らし、右手に分厚い書物のようなものを持っている。
 しかしその書物は、すぐにとけ込むように消えてしまった。
 そして、髪は金色がかった銀髪を腰までのばし、天使のような真っ白いふわふわの羽を一対背負っている。
 それは、まるで――
「多……紀くん……」
 柚巴の先ほど悟ってしまった事実は、これだったのかもしれない。
 今はもう、自らを抱くことをやめ、凛とした姿でそこに立ち、姿の変わった多紀を見上げている。
「柚巴ちゃん。俺はね、最高神・シュテファンに仕える七人の神の一人、智神・タキーシャだったのだよ」
 悟りきったように多紀は柚巴を見つめ、そう言った。
 柚巴を優しく見下ろしている。


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update:03/11/10