明かされた謎
(2)

「智神・タキーシャ……。――それが多紀くん、あなたなの?」
 妙に落ち着き払い、確認するように多紀を見る。
 そんな柚巴の反応に、多紀は苦笑いを浮かべた。
 使い魔たちは、その事実に思わずよろけてしまうほどに、取り乱してしまうほどに驚いているというのに、柚巴だけは驚きを見せず、落ち着いている。
 しかし、それが多紀には、妙に納得できてしまう。
「あまり驚かないね?」
「だって……」
 柚巴は、困ったように肩をすくめた。
 「多紀くんには、わかっちゃっているのでしょう?」と、そんなことを言っているように見える。
 多紀は、柚巴のその振る舞いに、くすりと微笑んだ。
 やはり、そうきたかと微笑む。
 そして、すっと柚巴のものへ降り立った。
 涙を流しながらも微笑む柚巴の頬にそっと触れ、涙をぬぐう。
 あおぐように、愛しそうに柚巴を見つめる。
「そうだね、君は知っているから。はじめて君がここへやって来た時、君は聞いただろう? 最高神・シュテファンの声を」
 柚巴は多紀を見つめたまま、一瞬、不思議そうに首をかしげた。
 だけど、すぐに答える。
「え……? ――そういえば、そんなことが……。何だったかしら? たしか……たしか、こうだったわ。――神に選ばれし人の子よ。お前に……お前に……」
「お前に、この世界の運命がかかっている=Aでしょう?」
 にこりと多紀が微笑む。
「う、うん。たしかそのような感じだった。だけど、それがどうしたの?」
 柚巴はじっと多紀を見つめる。
 答えを期待する眼差しで。
 多紀は柚巴の頬から手を引いた。
 そして、じっと柚巴を見つめる。
 たしかにその表情には優しさがあるけれど、それ以上に、厳しさと鋭さがあった。
「その言葉の通りだよ、柚巴ちゃん。君がこれからの限夢界を握っている。だから、俺は最高神・シュテファンに命じられ、君の世界に向かった。そして、人間の九条多紀として暮らしていた」
 柚巴は、肩から垂れるようにかけられた真っ白い衣を握り、じっと多紀を見つめる。
「え? でも、多紀くんは、ずっと前からいたでしょう? わたしがその声を聞いたのは、多紀くんと出会ってずいぶんたった頃じゃない!?」
 柚巴は、解せないとばかりに多紀を見つめる。
 そんな柚巴の反応に、多紀は苦笑する。
 しかし、この柚巴の反応も、多紀の予想の内だった。
「……君が生まれた時、すでに俺は遣わされていたのだよ。……時が来た時に、出会うようにね」
 多紀は、肩から垂れる衣を握る柚巴の手に触れる。
「そんな……。だって、多紀くんは、多紀くんはわたしの友達でしょう?」
 多紀の触れた柚巴の手が、小刻みに震えだした。
 何か、気づいたのかもしれない。
 だから柚巴の手が震えだしたのだろう。
「そうだね。……楽しかったよ。君と過ごした日々」
 しかし、そんなことも、多紀の予想通りである。
 柚巴ならば、必ずこのような反応をすると。
 多紀は、淋しげにふっと微笑をもらした。
「やだ。やめて! それじゃあ、まるで……」
 多紀の微笑で、柚巴は確信してしまった。
 だから、うろたえ、さらに強く衣を握り締める。
 手だけでなく、体全体がふるふると震えだした。
 その震えはもう、誰が見ても明らかなものとなっていた。
 大きく、柚巴の体は震える。
 こみ上げてくる悲しみと苦しみにたえ、柚巴の体が震える。
 この後、多紀の口から出るであろうその言葉が何であるかを、柚巴は確信してしまった。
 多紀の口から出る言葉、それは――
「お別れだから、これでもう」
 柚巴の胸は、その言葉を聞いた瞬間、撃ち抜かれたような衝撃に襲われた。
 ぎりぎりと音を立て、胸がきしむ。
 じりじりと胸が焦がれ、痛む。
 多紀は、その言葉と同時に、衣を握る柚巴の手をすっとはなしていた。
「嫌だよ、多紀くん」
 柚巴の手をとる多紀の手を振り払い、柚巴はまた多紀の胸元の衣をつかむ。
「でもね、最初から決まっていたことだから。俺は君を守り、導き、ここへ連れてくることが使命だった。そして、それが今、果たされたのだよ」
 また、多紀も先ほどと同様に、柚巴の手を衣からはなす。
 そして柚巴の手からも、その手をはなした。
 柚巴ははなされたその手をかたくぎゅっと握り締め、責めるように多紀を見つめる。
 その目からは、ぼろぼろと涙がこぼれ落ちている。
「……わからないよ、そんなこと。一体、わたしに何ができるというの? 運命って何よ、わからない。そんなの」
 ぶんぶんと、首を激しく横に振る。
 それと同時に、柚巴の目から流れる涙が飛び散る。
 その一つが、多紀の頬を射止めた。
 多紀は、涙のあたった頬にすっと手をやり、触れるか触れないかのところでとめ、ぎゅっと手をにぎりしめ、険しい顔で柚巴を見つめた。
 そこにはもう、先ほどまでの優しい多紀の表情はない。
 言い聞かせるように、諭すように、多紀は柚巴を見つめている。
「柚巴ちゃん。君はわかっているはずだよ。君がこれから何をすべきか。そのために、君はここにいるのだから」
 柚巴は多紀の言葉に反応し、首を振ることをやめた。
 そして、しばらく考えた後、すねたようにつぶやいた。
「……知らない」
 そんなこどものようにだだをこねる柚巴に、多紀は困ったような微笑を浮かべる。
「OK。じゃ、今はそうしておこう」
 多紀はそう言って、くすくすと笑う。
 そして、すっと笑いをやめ、使い魔たちへと視線を移した。
「では、わたしは、本来あるべき場所へ還るが、お前たちはこの娘を頼む。守り慈しみ、自由に――」
 力強い眼差しを向ける多紀に、使い魔たちは、もう全てを承知しているとばかりに無言でうなずいた。
 使い魔たちには、これまでの柚巴と多紀のやり取りで、全てわかってしまっていた。
 それは、多紀が智神・タキーシャであるとわかったその時に、全てを悟ってしまっていたのかもしれない。
 最高神・シュテファンのその言葉通り、柚巴は、あるいは――
「多紀くん……。行っちゃうの?」
 柚巴は、最後の勝負とばかりに、多紀にすがるような目線をおくる。
 伏目がちに、訴えるように見つめる。
 行って欲しくない。
 何も語らずとも、そんな思いは容易にわかる。
 多紀とて、このまま柚巴とはなれたくはないのだから。
 しかし、そうもいかない。
 智神・タキーシャとして覚醒してしまった今、多紀はこの世界の神々が住む場所へと還っていかねばならない。
 それが、定めである。
 多紀は、時が来た時、柚巴を導くためだけに人間界に遣わされていたのだから。
 それが、残酷ではあるが、現実である。
「うん。お別れだよ、柚巴ちゃん。もう俺は人間界には行けないから」
 多紀は、苦しそうに柚巴を見つめた。
 楽しかった柚巴との日々を思っていたのかもしれない。
 柚巴とはじめて出会った日、そして柚巴とともに過ごした日々。
 それらは全て、柚巴にも多紀にも、宝物となっていた。
 彼らは互いに、淋しかったその心を癒していた。慰めあっていた。
「……わかった。でもせめて、庚子ちゃんにだけはお別れを言ってあげて。だって、きっと庚子ちゃんは……!」
 柚巴は、意外にも素直に多紀の言葉を聞き入れた。最後の望みだけと語り。
 もう、多紀を引き止めることを諦めてしまったのかもしれない。
 すがっても無駄であると、理解したのだろう。
 どんなにすがろうとも、多紀の決意はかわらない。
 いや、抗ったところでどうにもならない。
 運命には逆らえない。
 最高神・シュテファンの命には逆らえない。
 それが、最高神・シュテファンに仕える七人の神の定め――
 最後の望みを紡ぐ柚巴に、多紀は声にならない慟哭(どうこく)を覚えた。
 それすらも、叶えてあげることができない。
 柚巴の最後の願いすらも。
「ごめん、それもできないんだ。――君たちが人間界に帰った時にはもう、人間界での九条多紀の記憶は全て消されている。いや……存在していない」
「そ、そんな!」
 柚巴は、責めるように多紀を見つめる。
 多紀を責めたところでどうにもならないとわかっていても、見つめずにはいられない。
 それすらも、かなわぬのか。
 柚巴は、うちひしがれる。
 多紀は、そんな柚巴に、少しでも……と、この言葉をつけ足す。
 少しでも、この言葉が気休めになればと。
「でも、大丈夫。君と、使い魔たちの記憶は消えない。消せないからね」
 多紀は悲しそうな、だけどどこかおだやかな顔をしていた。
 その言葉に柚巴が再び多紀を見た時には、もう多紀の姿は消える寸前だった。
 霧のように、ゆっくりと景色の中に、姿が溶け込んでいく。
 そして、完全に柚巴の前から姿を消してしまった。
「多紀くん……。多紀くん! 行っちゃ嫌だ。行っちゃ嫌だよ。多紀くん!!」
 多紀の姿が消えると、柚巴は火がついたように叫び出し、そのままその場に泣き崩れてしまった。
 肩をふるわせ、ひっくひっくとしゃくりあげる。
 今はそっとしておこうと、誰もが思った。
 だが、そういうこともいかないことを、誰もが承知している。
 由岐耶が口を開いた。
「なるほど……。これでようやく、今までの疑問が一つの線でつながった」
「由岐耶?」
 亜真が怪訝そうに由岐耶の顔を見る。
 疑問とは、一つでつながったとはと、由岐耶の言葉の意味が理解できていない。
 理解できないで当然かもしれない。
 何しろ由岐耶は、これまでの過程を、知りすぎるほど知っていたのだから。
「これは、世凪も言っていたことだが、九条多紀にはいろいろ腑に落ちない点が多すぎた。それが今回のこれによって、全て解き明かされたのだ。――九条多紀が、我々の世界の神の一人だったとはな……」
 由岐耶は淋しそうな表情を浮かべた。
 苦しそうでも悔しそうでもなく、淋しそうな表情である。
 それは、由岐耶の中にも、多紀の存在がたしかにあったということなのだろう。
 柚巴の大切な友人だから……その位置づけはいつの間にか、柚巴を見守る者同士、それによって微妙に変化していたのかもしれない。
 世凪とそうであったように。
「だが、決してもう、会えないわけではないだろう」
 腕組みをし、いつもの不遜な態度で莱牙はつぶやいた。
「莱牙さま?」
「ここにいる」
 そう言って、にやりと微笑み、莱牙は床を指差す。
 莱牙が指差したそこには、智神・タキーシャの彫刻がある。
「あ……。智神・タキーシャの彫刻ね、お兄様?」
 華久夜はそれを見て、もう素直じゃないのだからと、肩をすくめ微笑む。
「ああ」
 そんな華久夜のさりげない嫌味を、莱牙はさらりとかわした。
 今は、華久夜の相手をする気にはなれない。
 華久夜は、柚巴に歩み寄り、うなだれる肩にそっと腕をまわした。
 そして、柚巴を慰めるように、柚巴の顔をのぞきこむ。
「ねえ、柚巴。泣かないで。見て。ほら、いるわよ、多紀は」
 そう言って、柚巴の腕をつかみ、むりやり顔を上げさせ、智神・タキーシャの彫刻を指差す。
 柚巴の両眼が、智神・タキーシャをしっかりととらえた。
「そうだね。柚巴は幸い、御使威家の人間だ。会いたくなったらわたしたちが連れてきてやるよ。あんたの使い魔であるこのわたしがね」
 いつの間にか紗霧羅も柚巴のもとへとやってきていて、ぽんと軽く柚巴の背をたたいた。
 柚巴は、智神・タキーシャを見つめたまま、少し困ったようにくすりと笑う。
 そして顔を上げ、そこにいる使い魔たちをしっかりと見まわす。
 使い魔たちは、皆それぞれに、優しげな表情を浮かべていた。
「華久夜ちゃん、紗霧羅ちゃん。……みんな、ありがとう!」
 涙をぬぐい、精一杯の笑顔を見せた。
 たしかに、無理はしている。
 だけど、それでも彼らには十分だった。
 柚巴がこの悲しみを断ち切り、前へすすもうとしていることがわかったから。
 それだけで、今は十分である。
 しかし、柚巴は、彼らの期待以上の立ち直りぶりを見せた。
 ぎゅっと右手を握り、宙をにらみつけるようにつぶやく。
「――これで決まったわ」
「柚巴?」
 そのつぶやきに、不思議そうに華久夜が柚巴の顔をのぞきこむ。
 他の使い魔たちも、同様の反応である。
 柚巴の目は、そんな使い魔たちを誰一人として見てない。
 柚巴の目は、もっともっと高みを見ていた。にらみつけていた。
「多紀くんが言っていたこと。わたしがこの世界でしなければいけないこと。今はこれ、この一つ。もう決まっているの!」
 柚巴はそう叫び、得意げな表情で微笑む。
 ステンドグラスを通し差し込む陽が、虹色の鋭い光を柚巴に注いでいた。
 その光は、今の柚巴の決意を物語っていた。
 もう迷わない。惑わない。今はただ一つ、それだけに向かって――


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update:03/11/13