逃れられぬ呪縛
(3)

「よい。世凪はお前にくれてやる。好きにするがいい。ただし、覚悟はしておいてもらおう」
 王はにやりと微笑み、そう言って玉座を立った。
「待ちなさいよ! 話はまだ終わっていないのよ!」
 怒りに満ちた叫びを上げる柚巴に、ちらりと視線を向け、王は去っていく。
「話は全てすんだ。梓海道、その娘を世凪のところへ連れて行け」
「……はい」
 梓海道は、一瞬のためらいを見せたが、すぐに承諾した。
 御意と頭を下げる。
「梓海道!?」
 柚巴はそんな梓海道に、非難の眼差しを向ける。
 梓海道は世凪の従僕なだけあり、世凪さえ自由になればそれでいいのだ。
 柚巴にそんな懐疑心が芽生える。
 たしかに、世凪は柚巴の自由のために自らとらわれの身となった。
 しかし――
 柚巴が好きなのは、会ったことも見たこともない王子ではなく、神出鬼没でふてぶてしく、傲慢で俺様な、たった一人の人。
「……申し訳ありません。王の命令には逆らえませんので……」
 梓海道はすまなそうに柚巴に頭を下げる。
 その瞬間、柚巴は悟ってしまった。
 梓海道は、世凪さえ自由になればそれでいいなどとは思っていないのだと。
 梓海道もまた、この状況を辛く感じているのだろうと。
 はじめて会った時のような、どこか柚巴を馬鹿にしたような様子はなく、むしろ柚巴に同情しているようである。
 梓海道のこの顔を見ると、そう感じてしまう……。
 柚巴は、ぴかぴかに磨き上げられた床にすっと視線を向け、諦めたように肩を落とした。
 床はこんなにぴかぴかに輝いているのに、柚巴の心は、皮肉にも、漆黒の闇に包まれている。
 もういいや。世凪が自由になれば……。
 柚巴はそう思った。
 あれほど、自らを犠牲にして柚巴の自由を守った世凪を非難していたにもかかわらず、結局、自分が同じことをしてしまっている。
 そしてはじめて、世凪の思いに気づいた。
 恐らく、辛かったのは、守られた方だけでなく、守る方も――
 世の中、ままならないね……と、柚巴はもう、全てに諦めてしまったようである。
 これまでこらえていたものが、じわりと柚巴の瞳からあふれ出てくる。
 頑張ったけれど、無理だった――
「……ああ、そうだった」
 去り際、王はふいに足をとめ、そうつぶやいた。
 柚巴は、まだ何かあるのか、これ以上、何をしようというのかと、きっと王をにらみつける。
 もう、この王が憎くて憎くてたまらない。
「娘。お前はどうやら、王子の名を知らぬようだから、教えておいてやろう」
 そう言って、王はくすくすと笑い出した。
 そんな王の振る舞いに、柚巴の表情はさらに険しくなる。
 もうこれ以上、苦しめないで欲しい。
 これ以上何か言われては、もうこの場に立っていられない。
 そう感じていたが、柚巴は気丈に振る舞い続ける。
「そんなもの、今さら聞いても意味がないわ!」
 柚巴はぷいっと王から顔をそむけ、ぐっと涙をこらえる。
 そして、頬に伝う涙をぐいっとぬぐう。
 泣かない。泣いたってもう、どうしようもないと。
 王は、そんな柚巴にはかまわず、愉快そうに言葉を続けた。
「わたしの一人息子にして、唯一の王位継承者。その者の名は――」


 柚巴は梓海道に連れられ、世凪のいる部屋まで案内されている。
 気の遠くなるような、広く長い王宮の回廊を歩き。
 王宮の回廊から見える空は、そろそろ陽が中天に達しようとして、ぎらぎらと輝いている。
 陽の光は、今柚巴の心を焦がす思いのように、じりじりと柚巴に照りつける。
「ねえ、梓海道。どうして世凪は……」
 遠慮がちに、一歩前を行く梓海道に柚巴が話しかける。
 梓海道は振り返ろうとはせず、ちらりと柚巴をみるだけで、そのまま歩みをすすめる。
「それは、ご自分でお確かめください」
「え……?」
 その瞬間、ぴたりと梓海道の歩みが止まった。
 慌てて柚巴も歩みを止める。
 二人が歩みを止めたそこには、細かな装飾が施された大きな扉があった。
 謁見の間ほどではないが、この扉もなかなかに立派なものである。
「さあ、つきましたよ」
 梓海道は振り返り、すっとその扉を示した。
 どうやらここが、世凪がとらわれている部屋――
 じっと梓海道を見つめる柚巴に、ふっとやわらかな微笑みを向け、梓海道はその扉をノックした。
 すると中から、聞きなれた、あのふてぶてしい声が聞こえてくる。
「誰だ?」
 その瞬間、柚巴の胸にこみ上げるものがあったけれど、それを必死でこらえた。
 まだ、駄目と――
「梓海道です」
 梓海道が扉に向かってそう言うと、少しの間の後、中から許可が下りた。
「……入れ」
「はい。失礼します」
 梓海道は、少し重そうにその扉を開けた。
 そして、すっと柚巴に視線を移し、中へ入るようにと促す。
 柚巴はこくんとうなずき、まっすぐに前を見すえ、ゆっくりと部屋の中へ入っていく。
 柚巴が部屋に入ると、すぐに扉は閉められた。
 梓海道は、部屋の中へは入らなかった。
 閉めたその扉に背をもたれかけ、すっと目を閉じ、天をあおぐ。
 梓海道の体いっぱいに、真昼の太陽が降り注ぐ。
 部屋の中に入ると、こちらを向こうとはせず、じっと窓の外を眺める世凪の姿があった。
 その姿はいつも柚巴が見ている、自信たっぷりのムカつくものではなく、ぼうっと心を宙に漂わせているような頼りなげなものだった。
 信じられない。あの世凪が……。
「……梓海道。どうした? 何か用か?」
 世凪は、窓の外を見つめたままそう言った。
 ぼんやりと、風に吹かれる雲を見ている。
「……」
「梓海道! 用は何かと聞いている」
 問いかけに一向に返る言葉がなく、世凪は多少いらだちながら、しかしそれでも窓の外を見つめたまま怒鳴る。
 すると、そんな世凪らしい態度に、柚巴はくすっと小さく笑い、そのまま窓際の世凪目指して駆け寄った。
 そして、世凪の背にどすんと重みが加わる。
 柚巴が、世凪に走りより、抱きついた。
「……!?」
 世凪は、その行動にかなり驚いたようである。
 びくっと体をふるわせていた。
 まさか、梓海道がこのようなことをするはずがないから。
 そして、感じてしまった。
 この背に感じるぬくもり、重みは――
 世凪は慌てて振り返り、そしてそこにあるものを見つけた。
 自分の背にしがみついていたのは、柚巴だった。
 まさか! そんな……!!と、明らかに動揺の色を見せる。
「ゆ、柚巴!? ……何故、お前がここに!?」
「王様が……王様が、許してくださったのよ。世凪、あなたはもう自由よ!」
 柚巴は目に涙をにじませ、嬉しそうに微笑む。
 そしてまた、きゅっと世凪の背に抱きつく。
「馬鹿な……! そんなことがあるはずがない。――柚巴! まさか、お前は……!?」
 柚巴の言葉に、世凪の脳裏にある不安がよぎった。
 世凪が自由の身になれたということは、すなわち――
 うったえるように柚巴をじっと見つめる。
 すると柚巴は、ふっと悲しそうな顔をした。
「うん。王子様との結婚が条件……」
「柚巴! 何をしている! 一体、俺が何のために……!」
 世凪は振り返り、抱きつく柚巴を逆に抱きしめる。
 ぎゅっと、力いっぱい抱きしめる。
 とても辛そうな、切なそうな表情で。
「わかっているわよ! でもね、世凪。わたしは、あなたと引きかえの自由なんて欲しくない。嬉しくないの!!」
 ぐいっと世凪の胸を押し、柚巴は世凪の目を見つめる。
 まっすぐに、世凪の目を射抜く。
「……!?」
 世凪は、とっさに柚巴を引きはなそうと体をよじった。
 しかし、それは即座に、柚巴によって阻まれた。
 ぎゅっと世凪の両腕をつかみ、自分から逃れることを許さない。
「逃げないで!」
「なっ……!」
 柚巴の言葉に、世凪は図星をさされたようにかっと顔を真っ赤にした。
 そして、悔しそうに柚巴を見つめる。
 柚巴は世凪を見つめ、迫る。
「もう逃げないでよ、わたしから。……あなたがあの時わたしにくれた言葉は嘘だったの? ……何があろうと、わたしを守るのでしょう!? だったら、ずっとわたしのそばにいて守り続けなさいよ! 約束は守ってよ! 男ならそれくらいしなさい! ……ねえ、お願い。もう逃げないで……」
 そうして、柚巴はぎゅっと世凪の胸に自分の顔をおしつける。
「俺は逃げてなど……!」
 世凪は、柚巴をつき放すことも抱きしめることもできず、ただ辛そうに、自分の胸に顔を埋める柚巴を見つめる。
「俺は逃げてなどいない。ただ俺は、お前が幸せになれるのならば、それでいいから。だから……」
「だから、それが間違いなのよ」
 世凪の胸に顔を埋めたまま、柚巴はさらりとそう言った。
「柚巴……!?」
 世凪が柚巴の言葉に驚くと同時に、柚巴は顔を上げ、まっすぐに世凪を見つめる。
「世凪はわかっていない。何がわたしの幸せなのか。何がわたしの望みなのか。わたしね、気づいたの。わたしの幸せは、世凪なしではありえないのよ」
 そう言って、柚巴は柔らかく微笑む。
 きらきらと、まるでこの降り注ぐ陽の光のようにまぶしく、目がくらみそうなほどの微笑みを世凪に向ける。
「え……?」
「もう。女にここまで言わせているのだから、何か言いなさいよ。どう? 男冥利につきるでしょう?」
 柚巴は、くすくすと笑い出してしまった。
 試すように世凪を見つめる。
 そんな柚巴に、世凪は、もう何を言っても無駄だなと諦め、苦笑いを浮かべる。
 そして、意を決したかのように柚巴を見つめる。
 そらすことなく、まっすぐに。その心のままに。
「柚巴……。俺は、お前に秘密にしていることが、まだ一つある」
「うん……。わかっている」
 柚巴は微笑み、きゅっと世凪を抱きしめる。
 同時に世凪も、それまで行き場を失っていた両腕を柚巴の背にまわした。
 二人は、力強く抱き合う。
 もう、この手を放さないと。やっと、手に入れたと――
 二人なら、どんな困難でも乗り切ることができるだろう。
 柚巴と世凪は、互いのぬくもりからそれを確信する。
「ねえ、世凪。もうはぐらかさずにちゃんと教えてね。……世凪、あなたは何者なの?」


 ――その者の名は……世凪。

 そうして、その瞬間、柚巴に、決して逃れられぬ世凪の呪縛がかかる。


人間界編 おわり

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update:03/11/20