ひとときの平和
(1)

 あなたは、知っていますか?
 我々の住むこの世界とは異なる世界の存在を。
 我々を超越した者たちが住む世界を……。
 その世界の名は「限夢界」。そして、そこに住む者たちを「限夢人」と呼ぶ。
 それは、わずかな人間の間にだけ伝えられてきた世界。
 異世界――

 そして、そんな我々を超越した者たちは、限られた人間にだけ契約によって仕えることがある。
 契約によって人間に仕えるその限夢人を、彼らは「使い魔」と呼んでいる。


 ある日、限夢界の王子様は、人間の少女に恋をした。
 幼き日に見つけた、人目をさけて泣く少女に恋をした。
 王子様は少女を手に入れようと作戦をたてたが、それはことごとく失敗に終わり、かえって嫌われるはめになってしまう。
 しかし、ある時、奇跡は起こった。
 王子様は、ついには少女の心を射止めてしまったのである。
 その燃ゆる思いで、少女だけに向けられた、燃ゆる眼差しで――


「――王子……。この世界の王子というのが、実は俺だ」

 王子様は少女の追及に屈し、ついにはそう答えていた。


「あの世凪が王子!? ……信じられないな」
 この上なく、限りなく、果てしなく、とてつもなく嫌そうな顔をして、嚇鳴がはき捨てた。
 柱にもたれかかりながら、どうにも納得がいかないというような顔をしている。
 限夢界は王宮、限夢宮。
 中庭に面したテラスに、彼らはいた。
 きらきらとした陽光が差し込み、そこはとてもあたたかい。
 白い柱と白い壁、そして赤い絨毯の廊下の大きな建物の中央に、その庭は存在する。
 その庭は、普段なかなか人がやってこない、少し淋しい場所。
 しかしこの庭は、限られた限夢人にとってはとても大切な場所で、意味のある場所。
 彼らが人間界から帰ってくると、必ず最初に通る場所。
 そこが、限夢宮、中庭――
「はい。今まで黙っていて申し訳ありませんでした。しかし、これは世凪さまたってのご希望でして……。そして何より、このことは決して外にもらしてはいけないこと。――王子の御身を守るために……」
 建物の陰になり、薄暗いそこにきりりと立ち、多少すまなそうに梓海道が言った。
 彼は、件の世凪の従僕である。
 常に世凪につき従い、その命に背くことなく行動する。
 今回の一件での梓海道がとった行動もまた、そこからきたものだった。
 梓海道の告白を聞き、そこにいた使い魔たちは皆、一様に複雑な表情を浮かべていた。
 嚇鳴のように、これみよがしに嫌そうな顔をする者。口の端をひくひくとひきつらせている者。疲れたように、どっと柱にもたれかかる者。
 とにかく、誰一人として、よい反応は示していない。
 先ほど、梓海道の口から出たその真実は、彼らの思考を混乱させるには十分だった。
「……ということは、わたしたちにも黙っていろ……とそういうことですね? ……しかし、何故そのように大切なことを我々に?」
 くらくらと、いまださまよっている脳をフル回転させ、由岐耶がようやくそれだけを言った。
 彼は、王子様が恋した少女の父親の使い魔の一人である。
 そして、彼もまた、少女に特別な感情を抱く一人でもあった。
 だから、くらくらとすると同時に、胸がむかむかとむかつき、ちくんと痛んでいた。
 恐らく……心を射止めた王子様と、心を射止められた少女は今――
 その事実が、彼を苦しめる。
「それは……。柚巴さまが知った今、あなた方にも話しておいた方がよろしいかと思いまして……。もちろん、王の許可も得ています」
 梓海道は、由岐耶の問いかけに、たわいないとばかりにさらりと答える。
 常々思ってはいたが、この梓海道の身のこなしには洗練されたものがある。
 さすがは王家、しかも次期王といわれている王子に仕える従僕なだけはある。
 限夢界でも、飛びぬけて強い力を持つ者に仕える従僕なだけはある。
 主の力のバロメーターであるその銀の髪も、日陰にいるにもかかわらず、まぶしいほどに光り輝いている。
「ふ〜ん。まあ、いいけれどね……」
 梓海道の言葉に、とてつもなくおもしろくなさそうに紗霧羅がつぶやいた。
 さんさんと陽が降り注ぐ中庭のテラスで、しゃがみこみ、むすっとふくれた顔で目をすわらせていた。
 そして、そのすぐ横に立つ莱牙は、腕組みをし、難しい顔をしていた。
 ぎりりと歯を噛みしめる。
「……わたしは、あんなろくでなしのために、傍流においやられたのか!?」
 こちらもやはり目をすわらせ、そうはき捨てる。
 彼は、ここにいる誰もが暗黙のうちに了解している感情を抱いている。
 それは、王子に見初められた少女に恋する感情。
 かつて、王宮の神域、ローレライの泉の前で彼女を見つけ、そしてその瞬間、恋におちていた。
 それからは、王族では異例ともいえる使い魔の契約を結んだり、その心に秘める思いゆえに悩み苦しんだこともある。
 そしてその感情は、今もって彼を苦しめている。
 王子と少女が結ばれた今でも――
「あら、お兄様。人のせいにしてはいけないわ。それはお兄様に力がないからよ」
 上目遣いで、意地悪そうに、莱牙の妹、華久夜が莱牙を見つめさらりと言った。
「華久夜……。お前は……」
 するともちろん、莱牙のにらみが華久夜に入る。
 しかし、華久夜がそんなものに動じることはないことも、またいつものことである。
 そしてそれがエスカレートすると、彼らの住む屋敷を半壊に追いやる喧嘩をはじめる。
 通常は――
「ここにいたの? みんな」
 そう。今回は、喧嘩ははじまらなかった。
 そのような言葉で、彼らの喧嘩は一歩手前でとめられてしまった。
 声のした方に、皆一斉に注目する。
 するとそこには、陽の光を受けきらきらと輝く、首をかしげる少女の姿があった。
 彼女こそが、この度王子に見初められ、そして結ばれた少女である。
 柔らかな空気をまとい、春の陽だまりのような笑顔を向けてきた。
「柚巴……!」
 少女の姿を見るとすぐに、紗霧羅と華久夜が嬉しそうに叫びながら少女に駆け寄っていく。
 そして、二人そろって、がばっと少女、柚巴に抱きつく。
 柚巴は二人がかりで抱きつかれ、よろりとよろめいてしまった。
 しかし「なあに? 二人とも。おかしなの」と言うかのように優しく微笑み、二人を抱き返した。
「紗霧羅ちゃん、華久夜ちゃん……?」
 そしてまた、きょとんと首をかしげる。
「あんた、世凪におかしな真似されなかっただろうね!?」
 そんな柚巴の反応の鈍い姿を見て、紗霧羅はぎろりと柚巴をにらみつけた。
「お、おかしな真似って?」
 柚巴は紗霧羅のその言葉で、さらに首をかしげることになる。
「そ、それは〜……」
 あまりにも純粋すぎるその反応と答えに、紗霧羅は次の言葉を失ってしまった。
 どきまぎと、あちらこちらへと視線を泳がす。
 紗霧羅の視線の先では、彼女を嘲笑うかのように、悠々と蝶が舞っていた。
 そんな紗霧羅を、彼女のななめ下から、華久夜が怪訝に見上げている。
「あら、紗霧羅。はっきり言ってあげなさいよ。柚巴、あなたは世凪に……もがっ」
 華久夜がそこまで言いかけると、呆れ顔の竜桐によって、即座にその口がふさがれてしまった。
「華久夜さま。あなたともあろうお方が、何をおっしゃるおつもりだったのですか!? はしたない」
 まったく……。華久夜は、竜桐のその口ぶりから、その後一体どのような言葉を口にしようとしていたのやら……。
 それでは、竜桐に口をふさがれても仕方がない。
 そして、それでも一応、王族のはしくれなのだろうか。
 莱牙は、自分の妹がそんなめにあっているというのに、まったくの無視を決め込んでいた。
 下手にかかわりたくないと、体いっぱいでいっている。
「……ぷはっ。お黙り! わたしにこんなことをしていいと思っているの!? わたしは王族なのよ。そしてあなたは臣下! 臣下の身をわきまえなさい!!」
 ようやく竜桐による口の拘束を取り払うと、華久夜は憎らしげに竜桐をにらみつけた。
「そう思われるのでしたら、もっと王族らしくしてください」
 しかし、さすがは竜桐。そんな華久夜の言葉もにらみも、さらっと受け流す。さらには、皮肉まで言ってしまう始末である。
「んまあっ! やっぱり腹立たしい男ね! 柚巴、わたし、この男嫌いだわ!!」
 あっさりと返されたその言葉に、華久夜はさらにいきりたち、悔しそうにじだんだを踏む。
 もちろん、その金の髪は意思を持ったようにふわふわと四方に広がり、そして何故だか莱牙のもとへと向かっていた。
 とにかく、腹立たしいことがあれば、その怒りは全て莱牙に向けられることが決まっているらしい。
 華久夜はぐいっと柚巴の腕をつかみ、見せつけるようにまた抱きつく。
「……いや、あのね……。華久夜ちゃん。今のはあなたの方が……」
 柚巴はあきれ返り、そして頭を抱えてしまった。
 もう、この華久夜には何を言っても無駄であろうことはわかっているが、一応そこまで言いかけてみた。
 しかし、やはり最後まで口にすることはできなかった。
 そのあまりもの脱力感のために。
「ところで、世凪の奴はどうしたのですか? 姫さま」
 嬉しそうに柚巴にまとわりつく華久夜など完全に無視して、歩み寄りながら由岐耶がそう聞いてきた。
 すると、柚巴も同様に華久夜を無視し、由岐耶の問いに答える。
「え……? ああ、うん。王様に会っているわ。……何か、考えたいことがあるって……」
「……あの男は、またよからぬことを企んでいるのでは……!?」
 柚巴の答えに、由岐耶が即座にそう勘ぐった。
 すると、さらに間髪いれず、梓海道がさらりと、そしてきっぱりと言う。
「それはありえません」
「え……?」
 瞬時に、由岐耶の表情が強張った。
 その顔は、そんなこと、とても信じられないといっている。
 もちろん、由岐耶だけでなく、他の使い魔たちも同様の表情を浮かべている。
 やはり、これまでやってきたことがやってきたことなだけに、世凪は、まだまだ彼らの信用を得るには時間がかかりそうである。王子とわかった今でも。
 こういう時に、日頃の行いがものをいうというものだろう。
「世凪さまは、柚巴さまを手に入れることだけが目的でした。それがかなった今、もうこれ以上は何もしようとは思わないでしょう」
 またしても、梓海道はさらっとそんなことを言った。
 しかし、先ほどからのこの梓海道のさばさばとしたもの言いは、そこにいる者たちにかえって疑心させるものになっていた。
 もちろん、当の梓海道はそんなことに気づいてはいない。
 ただ柚巴だけが、困ったように彼らを見ていた。
 柚巴には、ここにいる全ての者が抱く感情がわかってしまっていたよう。
 ある、特別な感情だけを除き――


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update:03/12/10