さまよう思い
(2)

「おい、柚巴」
「莱牙さま……」
 限夢界神域、ローレライの泉の前で、莱牙が柚巴に声をかけてきた。
 この神域という場所は、限夢界においては、世凪の居住区、中庭に次ぎ、柚巴との遭遇率の高い場所である。
 柚巴は限夢界にいる間は、たいていそのどこかにいる。
 世凪の居住区と中庭にいる時は、ほとんどが世凪と二人きりなので、柚巴に会おうと思うと、そこにわって入ることになってしまう。
 もちろん、柚巴はそれでも笑顔でむかえてくれるが、世凪といえば、それはもうあからさまに不機嫌な態度に急変する。
 それがまた癪に障るので、極力そこにいる時は柚巴との接触をはからないようにすることが、いつの間にか当たり前になりつつあった。
 そして今は、幸いなことに、柚巴は神域にいて、さらには一人である。
 そのようなふってわいたチャンスを、莱牙が逃すはずがなかった。
 というよりかは、今回に限っては、莱牙はどうやら柚巴を探していたようである。
 ここに来る以前にすでに、中庭、そして世凪の居住区に行って、世凪に思い切り喧嘩をうられてきたのだから。
 柚巴は、ここ神域にいる時は、ほとんどの確率で、うかない顔をしている。
 それは、その理由は、誰にでも容易にわかってしまう。
 柚巴は、いまだ多紀のことをひきずったままなのである。
 こんな短期間で忘れろという方が無理なことかもしれないが、どこか淋しげな柚巴を見るのは辛いものがあった。
 だからできれば、ここで柚巴が一人でいる姿はあまり見たくない。
 今は、どのような慰めの言葉も無意味におわってしまうとわかっているだけに……。
 莱牙に声をかけられ振り返った柚巴は、やはり淋しそうな表情をたたえていた。
 莱牙は柚巴のそのような姿に、苦笑いを浮かべ肩をすくめる。
 そして、一度首を左右にふると、何事もなかったかのように、尊大かつさらりと問う。
「もう世凪とは会ったのか?」
 そんな莱牙の気づかいが柚巴にもわかり、嬉しいので、柚巴は少し困ってしまう。
 柚巴も同様に苦笑いを浮かべ、肩をすくめる。
 そして、にこっと微笑む。
「うん。これから、王様とお話があるとかで、行っちゃったんだ」
「それで、お前はこんなところで暇をしていたと?」
 莱牙は少し意地悪げに、にやりと柚巴に微笑みかける。
 すると柚巴は、んもう意地悪!と言いたげに口をとがらせ、そしてふうと息を吐き出した。
 その時にはもう、どこか悟ったような諦めた表情に変わっていた。
 それでも、やっぱり淋しそうで。
 だけど、その淋しさは多紀を思う時の淋しさとは違うようで……。
「仕様がないよね。徐々ではあるけれど、王子としての役目を果たすことになっちゃったんだもん」
 ちろっと舌をのぞかせ、苦笑する。
 すると莱牙は、そのような柚巴に少し切なそうに、愛しそうに微笑みかける。
 そして、ふうとため息をもらした。
「まったくあいつは……。遅すぎるのだ。散々今まで好き放題しやがって」
 そう言った時の莱牙は、いかにも憎らしげに顔をゆがめていた。
 どうやら、今もって、世凪のこととなると、面白くないことにはかわりないようである。
 ここまではっきりと、柚巴と世凪に対する態度が違うと、むしろ清々しさすら感じる。
 今の今まで不機嫌だった顔を、今度は優しさをたたえた微笑みに変え、柚巴に問いかける。
 まったくもって、この百面相ならぬニ面相はたいしたものである。
「それよりも柚巴、今日はどうするつもりだ? あちらに帰るのか? ならば送るが……」
 そうは言ってみたものの、やはり莱牙は少し名残惜しそうである。
 本当は、もっともっと一緒にいたいはずだろうから。
 世凪と心通わせてしまった今でも、そう簡単に柚巴に寄せる思いは消えない。
 そう。莱牙には、まだ思うところがあった。
 それは、結ばれたばかりで幸せいっぱいの柚巴と世凪では気づくことのできないことに気づいていたから。
 気の遠くなるくらい長生きする限夢人と、せいぜい百やそこらしか生きられない人間との恋愛には、障害があることに気づいた時、二人は破局をむかえるだろうと、とりとめなくわかっているから。
 世凪などどうでもよいが、それで柚巴が傷つくのはどうにも我慢がならない。
 そう思うと、知らぬ間に怒りを覚えている。
「う〜ん、どうしようかなあ。明日は学校も休みだし……」
 柚巴は、どこか煮え切らないといった様子で考え込んでしまった。
 柚巴もまた、人間界に帰ることにあまり気がすすまないらしい。
 そんな柚巴の様子に、莱牙はここぞとばかりに、だけどさりげなさをとりつくろって言ってみる。
 ある期待をこめて。
「そうか。ならばうちへ来い」
「え?」
 当然、莱牙のそんな突拍子もない言葉に、柚巴はきょとんと莱牙を見つめる。
 すると莱牙は、少し悲しそうに苦笑いを浮かべた。
 まさか、今発した言葉の意味すら、誤解することも理解することもしてくれないのかと、不甲斐ない自分を嘲笑してしまいそうである。
 しかし、そんなことにも柚巴には気づかれることはできない。
 もう、気づかれてはならない。
 だから、懸命に平静を装う。
「華久夜が、お前を連れて来いとうるさいのだ。世凪の件が片づいてからは、あいつもあまりお前に会えないからな」
 いかにも妹思いの兄を演じてみせるが、実はそれは莱牙自身にも言えたことかもしれない。
 世凪と蒼太郎の件が片づいてからというもの、柚巴は以前と同様に限夢界にやってくるが、使い魔たちとはあまり顔を合わせることはない。
 それはことごとく、柚巴を独り占めする世凪によって邪魔されているために。
 柚巴の使い魔であるのに、そばに寄ることもままならない状況が続いている。
 同じ使い魔の紗霧羅姐さんに言わせると、「そりゃあ、世凪と二人きりだと思うと、腹立たしいことこの上ないけれど、柚巴が幸せなら……仕方ないだろう。それにわたしだって、こっちで自分の仕事があるのだし、そうそうかまってもいられないだろ」なんて、さばけたものである。
 そして、幻撞にいたっては、あのようにおっちょこちょいにもほどがある弟子に手をやいて、基本的に柚巴に呼ばれるまで関わろうとはしない。
 柚巴の使い魔の中で、莱牙だけが、柚巴になかなか会えないこの状況を恨んでいた。
 だから、これはふってわいたチャンスなのである。
 うまくいけば、華久夜を口実に――といっても、華久夜がうるさいのも事実なのだけれど――柚巴と少しでも長く一緒にいることができるかもしれない。
「でも……お家の方は……」
 莱牙の誘いに、柚巴はそんなずれた心配の色をうかがわせた。
 莱牙にとってはずれたことでも、柚巴にとっては重大なことである。
 理由はわからないが、莱牙の家族は、傍流に追いやられてしまった王族なのだから、何かしら王家をあまりよく思っていないだろう。
 そう思うのが、普通で妥当なところだろう。
 心配そうに莱牙を見つめる柚巴に、莱牙はその心配をぬぐうように優しく微笑みかける。
「それは問題ない。両親もお前を歓迎する」
「でも、どうして?」
 莱牙のその言葉に、柚巴はさらに訳がわからなくなってしまった。
 歓迎するとは一体……?
 そんな柚巴を、莱牙は愛しげに見つめる。
 その表情とは裏腹なことを口にしつつも。つっけんどんな態度をとりつつも。
 その顔に自然ににじみ出てくるものは、莱牙にはどうしようもないらしい。
 また、莱牙はそれに気づいていないらしい。
「お前は馬鹿か? お前はもう、次期王妃という存在になったのだぞ? そんなお前を拒む王族がいるか」
「だけど、莱牙さまたちは傍流に追いやられたって言っていたでしょう? それなのに、わたしは人間なのに……」
 やはり、柚巴は傍流に追いやられた王族というその事実にこだわっているらしい。
 さらには、もっとどうでもいいことにもこだわっているよう。
 柚巴は人間である……ということ。
 そんなことは、莱牙にも、柚巴を妃にと決めた世凪にとっても、はいてすてる程度のどうでもいいことである。
 だから当然、莱牙の口から出てくる言葉も、どこか冷めたものである。
「お前が、そんなことを気にするとは思わなかったな」
「だって……」
 柚巴は冷たい莱牙のもの言いに、むうっとすねたように莱牙を見つめる。
 変わった変わったといわれる柚巴だけれど、やはり根本的には変わっていないらしい。
 そんなどうでもいいことを気にして、控えめな態度をとるあたり。
 恐らく、ここに世凪がいれば、「かわいい!」とか何とか言って、その胸にむぎゅっと柚巴を抱きしめていたところだろう。
 少しすねたふうに上目遣いで訴える柚巴の表情には、どこか庇護欲を、男心をくすぐるものがある。
 だから当然、莱牙も柚巴のその表情に、しかもちゃっかり潤んでいる瞳に、どきっとした。
 しかし、それを悟られまいと、懸命に誤魔化す。
 やはり、どこか冷たい態度をとって。
「いいから一緒に来い!」
 内心どきどきで、心臓ばくばくで、それでも呆れたように見せかけ、莱牙は乱暴に柚巴の腕をつかむ。
 そして、ぐいっと自分の方へと引き寄せる。
 その時に、ふわりと柚巴の髪から何ともいい香りが漂ってきたものだから、莱牙はもうやりきれない。
 その頬が紅潮していくのをこらえるのがやっとである。
「もう、莱牙さまは……」
 だけどやっぱり、莱牙のそのような内なる戦いも柚巴はまったく気づいていないらしく、むうと頬をふくらませ、あまつさえ呆れたように莱牙に従う。
 まったく、鈍いにもほどがあるというもの。
 そして、そんなかわいそうな莱牙は、そのまま柚巴の腕を引き、建物の中へ入ろうと一歩足を踏み出す。
 その時、ぷきゅっという奇妙な音とともに、踏み出したその足に違和感を覚えた。
 ん?と、怪訝そうに首をかしげる。


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update:04/01/19