さまよう思い
(3)

「あっ!!」
 莱牙の足元に視線をやった柚巴が、小さな声を上げた。
 柚巴の声に、莱牙はさらに訝しげに首をかしげ、自分の足元へと視線を移す。
 するとそこでは、あの小悪魔鬼栖が、莱牙の足の下敷きになってつぶれていた。
「何だ、これは?」
 莱牙は、鬼栖を踏みつけたまま、無表情に無慈悲にぐりぐりと鬼栖を地面にすり込んでいく。
 莱牙にもてあそばれている鬼栖は、声すら上げることができないようである。
 苦しそうに腹立たしげに抵抗を試みているようだが、まったく意味をなしていない。
 それを見た柚巴は、はあと大きなため息をつき、鬼栖を踏みつける莱牙の足元にしゃがみこむ。
「また……。君〜、一体、何しているの?」
 莱牙の足の下におさまりきらなかった部分をちょんとつつき、柚巴は困ったように言った。
 すると鬼栖は、やはりそれでも不遜な態度を崩すことなく、苦しそうに言葉を紡ぐ。
「ふん。お前に教えてやる筋合いはない!」
「うわあ。相変わらず、かわいくないね」
 くすくすと柚巴は笑う。
 その笑いは、明らかに鬼栖をまともに相手にしていないといっているも同然である。
 柚巴も、これでけっこう、なかなかに、鬼栖を馬鹿にしているらしい。
 そんな柚巴の余裕の態度に、鬼栖はかちんときた。
「人間! 見ているなら助けんかい!!」
 莱牙の足の下では様にならないにもかかわらず、一応は怒鳴り散らしてみる。
「どうしようかな〜」
 相変わらず、柚巴はからかいがちにくすくす笑っている。
「な、なんて奴だ! 人間のくせに!!」
 もがきながら、また一応はきいきいといってみているようである。
 しかし、どうにも莱牙の足の下というその位置では、どうやったって様になることなどない。
 莱牙はもうそろそろ飽きてきたようで、面倒くさそうにつぶやいた。
「……このままつぶしてやるから、柚巴、よそを向いていろ」
 そして、威圧するように、ずーんと足の下の鬼栖を見下ろす。
 同時に、鬼栖の顔から色が引いていく。
 今回も、そのような気がしたというだけだけれど。
「つぶすって、殺すということ?」
 莱牙の言葉に、柚巴はぎょっとして莱牙を見上げた。
 すると莱牙は、冷め切った目で、さらりと言う。
「当たり前だろ。こんな小物にうろちょろされては、邪魔なだけだ」
 莱牙の言葉を聞き、柚巴は面倒くさそうに頭を抱えてしまった。
「あ〜、もう、待った。――ほら、君もおかしなことばかり言うから、こんなめにあうんだよ?」
 そう言いながら、つんつんと、莱牙の足の下からのぞいている鬼栖を再びつつく。
 しかしもう、鬼栖に対抗する気力は残っていないらしい。
 さきほどの莱牙の一言が、よほどきいているようである。
「莱牙さま、放してあげて?」
 柚巴はつつくことをやめ、困ったように莱牙を見上げた。
 莱牙はおもしろくなさそうに眉を寄せ、柚巴を見下ろす。
「柚巴、正気か? こういう輩は人間が……」
「うん、知っている。でも大丈夫だよ、このこなら。だって、全然たいしたことないもん」
 あっけらかんとそう言って、にやりと笑い鬼栖を見た。
 すると鬼栖は、そのぎょろんとした目の端で柚巴の笑みをとらえてしまったのか、瞬時に顔色が変わった。先ほどとはくらべものにならないくらい。
 当然今回も、そのような気がするというだけである。
 その黒く毛むくじゃらな球体からは、顔色などといった高度なものは、うかがい知ることすらできない。


 限夢界の城下には、王族や位の高い者たちの屋敷がたち並ぶ区画がある。
 そこでもひときわ目をひく大きな屋敷。
 それが、莱牙の住まう、現王の王弟の屋敷である。
 王弟でありながら、傍流に追いやられた王族の息子であるから、莱牙も傍流と位置づけられている。
「柚巴〜っ!!」
 莱牙に連れられ屋敷にやってくるやいなや、どうやってその気配を察知したのか、華久夜が一目散に柚巴に飛びついてきた。
 そして、幸せそうに柚巴に抱きつく。
 さらには、柚巴の胸に顔をうずめ、ぐりぐりやったりなどしている。
 まったく、莱牙にとってはうらやましい限りの光景である。
 それと同時に、目の毒でもある。
「ぎゃっ!!」
 しかし、華久夜が柚巴に抱きつくと同時に、そのような不細工な音が聞こえていた。
「ぎゃっ=H」
 華久夜は、怪訝に思い、そっと柚巴から腕をほどく。
 するとそこには、柚巴と華久夜の間には、柚巴の腕の中で、ぐるぐると目をまわしている鬼栖の姿があった。
 まったくもって、この程度で目をまわすなど、やはり鬼栖は口ほどにもない小悪魔である。
「なに、この物体」
 華久夜は鬼栖を見ると即座に、汚らわしそうにそうはき捨てた。
 そして、ひょいっと柚巴の腕からそれを奪い取り、もやしを一本、これまた汚らわしそうにつまみ、ぶらんぶらんとゆれるそれをじろじろとにらみつける。
「鬼栖ちゃん」
 華久夜の言葉に、柚巴が即座にけろりと答えた。
 するとさらに、華久夜の顔が疑わしげにゆがむ。
「そうじゃなくて、どうして、柚巴がこんなものを持っているのよ?」
 はあと呆れたようなため息をもらし、華久夜はじろっと柚巴を見る。
「いや〜、それが〜……」
 柚巴は視線をあらぬ方向へやり、うやむやにする体勢に入ってしまった。
 それでさらに、華久夜は不機嫌に顔をゆがめていく。
 そんな二人の間に、莱牙がひょっこりわり込み、さらりと言う。
従魔(じゅうま)になるのだとさ」
「は!?」
 莱牙の言葉をきくやいなや、華久夜はこれでもかというほど顔を崩し、馬鹿にしたように柚巴と莱牙を凝視した。
 そんな華久夜を、やはり面倒くさそうに莱牙はちらりと見て、案の定面倒くさそうに言葉を吐き出す。
「だから、こいつは柚巴の従魔になると言って、柚巴について来た」
 今度は莱牙が華久夜の手から、今もって目をまわしている鬼栖を奪い取り、鬼栖で雑巾しぼりをはじめてしまった。
 やはりその顔に込める表情は、汚らわしげで憎らしげで、あらぬ他意を感じさせる。
 柚巴の腕をこれまで独占していたという、やきもちに似た感情もふくまれていたかもしれない。
 さらには、従魔などと、迷惑この上ないといった様子でもある。
「ちょっと待って、お兄様。相手は一応悪魔よ? そんな奴の言うことなんてあっさり信じて……」
 鬼栖が莱牙の手に渡ると同時に、華久夜は額をおさえ、よろりとよろけていた。
 あまりにもあきれ返るその言葉に、もうめまいを覚えずにはいられないらしい。
「事実だ。その証拠に、すでに自分の心臓を差し出し済みだ」
 あきれる華久夜に、これまたうんざりといった様子で、莱牙がにくらしげにそう告げた。
 すると、とたんに華久夜は目を見開き、言葉を失ってしまった。
 もうそれ以上は、何もいえなくなってしまった。
 その突拍子もない事実に。
 今、目の前につきつけられている現実に。
「まったく、柚巴は。どうして、こうやっかいな奴らに好かれるのだ?」
 さらに力をこめ、鬼栖をしぼり込んでいきながら、莱牙はこれでもかというほど大きなため息をもらした。
「それは、自分も含まれているって気づいているの? お兄様」
 すると莱牙のその言葉に、さっさと正気を取り戻してしまった華久夜が、さらりとそんなことを言った。
 それで絶句してしまった莱牙などおかまいなしに、華久夜は、柚巴の腕を引き、さっさと屋敷の奥へと引っ張っていく。
 さすがは小悪魔、兄を兄とも思わぬ華久夜嬢である。
 華久夜と華久夜に引っ張られる柚巴の姿が完全に消えると、莱牙は憎らしげにつぶやいた。
 さきほど華久夜が言ったことは、悔しいことに、間違いなく図星をついていたから……。
「華久夜の奴……」
 そして、手にあった鬼栖をびたんと床にたたきつけ、それをぐりぐりと踏みつぶす。
 まったくもってタイミングよく、莱牙はよい八つ当たりのためのおもちゃを手にしていたものである。
 さすがに莱牙は、どんなに腹が立っても、屋敷を半壊や全壊にしたりなどできない。
 どこかのメドゥーサよろしく少女と違って。
 その辺りの分別は、どうやらあるらしい。


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update:04/01/22