小さな仲間
(1)

「……これは、一体……?」
 だらだらと、どうすればそれだけ流せるのかと言わんばかりの大量の冷や汗を額から流しながら、虎紅がかすれた声でつぶやいた。
 といっても、あくまでそのような気がするというだけで、実際にはそんなに大量の冷や汗など流していない。
 多少顔色が悪く、一筋たらりと、そのどこか冷めたものを感じさせる顔に、線を描いているという程度である。
 その横で、芽里も呆然とし、言葉を失ってつったっている。
 あわあわと何かを口にしたそうだけれど、それがのどの奥にとどまって声になっていない。
 彼らは、目の前にあるものを見て、そのようになってしまっていた。
 彼らの視線の先にあるものとは……ソファに腰かける柚巴の膝を、我が物顔で占領している鬼栖の姿だった。
 そのずんぐりむっくりの姿からは想像ができない、ちょこんというかわいらしい座り方をしている。
 どこか癪に障る。
「鬼栖ちゃん」
 虎紅のつぶやきに、柚巴は首をかしげきょとんと虎紅を見た。
 すると虎紅は、はあと盛大にため息をもらし、手で額をおさえた。
 頭痛でもしてきたのだろうか?
「いや、だからそうでなくて……。どうしてあなたが、この小悪魔を従えているのかと……」
 虎紅は、今にも遠のいてしまいそうな意識を懸命に引きとどめ、やはりため息まじりにそれを口にする。
 すると柚巴は、また首をかしげる。
「う〜ん。わからないけれど、なんかいつの間にかそういうことになっちゃいまして……」
 つんつんと、膝の上の鬼栖をつつきながら、柚巴は苦笑いを浮かべた。
 そのような柚巴のどこか煮え切らない姿を見て、虎紅はさらにため息をもらす。
 今度は、どこか諦めたような含みがある。
「はあ……。それにしても、驚きました。鬼栖の後を追ってきたら、あなたがすでに従えていたので……」
「ふん。どうせ俺様を連れ戻し、封印するつもりだったのだろう? 残念だったな。――恨むのなら、そこのおちこぼれ術師を恨むのだな」
 めまいすら覚えはじめた虎紅と、その横でいまだ放心状態の芽里を、思い切り嘲笑うように、けけけと嫌味な笑みを鬼栖がもらした。
 すると即座に、鬼栖の真丸い体が、上が欠けた半月状にゆがむ。
 ごいんと大きな音とともに。
「調子にのるな、小悪魔!」
 虎紅に殴られた鬼栖は、一瞬ぎろりと虎紅をにらみつけたが、すぐににやりと微笑み、ぐりぐりと柚巴の胸にそのまん丸の体を押しつける。
 このような、あからさまな嘘のおまけつきで。
「柚巴、痛い〜」
 いかにも虎紅に見せつけるためだけにとっているとわかる行動に、柚巴は当然あきれ返ってしまった。
「鬼栖ちゃん……」
 そうつぶやき、柚巴もまた、ため息をもらす。
「それより、用がすんだのなら、とっとと帰れ!」
 莱牙は柚巴の胸にすがりつく鬼栖を、ぐしゃっとつかみ上げ、虎紅と芽里を一瞥した。
 もちろん、この上なく面白くなさそうな顔をしている。
 手に持つ鬼栖の顔?を、びろ〜んと真一文字にのばしながら。
 莱牙の手の中では、鬼栖が何か文句を言っているようではあるが、それはまるで言葉になっていなかった。
 ただ、きいきいうなっているとしか聞こえない。
「そうですね。では、今日はこれくらいで失礼します。――行くぞ、芽里」
 莱牙のあからさまな「邪魔だ。消えろ」という態度と言葉に、虎紅は冷たい視線を注ぎ、一礼し、芽里を連れてあっさりと帰って行く。
 瞬間移動ではなく、扉を開けて、すたすたと。
 それが何ともあてつけがましく、嫌味に莱牙は感じていた。
 そのような様子を見ていた柚巴は、やはりどこか呆れたように肩を落とした。
 いや、うんざりといったようにかもしれない。
 まったくもって、また面倒なことが柚巴の身に舞い込んできたものだとばかりに。
 ただ、驚いたのは、これまでの虎紅との会話の間、華久夜がおとなしく柚巴の横に座っていたということである。
 屋敷の破壊行動に移らずに――


 限夢界。限夢宮。
 ここは、陰湿な空気をかもし出す、限夢宮にある呪術部屋。
 そこで、これまた何やら怪しげな薬品の瓶がたくさん並べられた棚の前で、薬品の瓶をいじる幻撞がいた。
 しかもその棚がまた、お決まりとばかりに、くもの巣がはっていたり、ほどよい感じでほこりがかぶったりしているものだから、何というか――
 その横には、そんな幻撞に話しかける虎紅の姿もある。
 しかし幻撞は、薬品の瓶をかわるがわる持ち上げたり、棚に戻したりと、そちらばかりを気にして、ちらっとも虎紅を見ようとはしていない。
「そうか……。あの鬼栖を従魔にしたのか……」
 ラベルの文字が消えかけた茶褐色の瓶を棚に置くと、幻撞はふうとため息をもらしそうつぶやいた。
「はい。驚きました。まさか、あれほどまでの力をお持ちとは……」
 幻撞の言葉に、虎紅は、この薄暗い部屋のためかはわからないが、色の悪い顔で重苦しそうに答える。
 幻撞は、そんな虎紅に体を向け、ふっと優しげな表情を浮かべた。
 これまでの無表情をさらっと払拭して。
「それでどうだ? お前は、お嬢ちゃんをあまり歓迎してはいなかったが、これでわかっただろう?」
 幻撞の問いかけに、虎紅は一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐにまた難しい顔に戻る。
「……それはまだわかりませんが、たしかに、柚巴殿には何か底知れぬ力があるように思えます」
 どこか戸惑ったふうに言った虎紅を見て、幻撞は優しく微笑んだ。
 そして、いたずらっぽい表情をつくり、ふぉっふぉっと笑いながら、そのまま呪術部屋をすっと出て行ってしまった。
「師匠……。あなたは一体、何をお考えなのです?」
 消えてしまったそんな幻撞の後姿を追うように、虎紅がぽつりとつぶやいた。
 やはり、その顔には難しい表情がたたえられている。
 どうにも合点がいかないばかりか、理解すらできないといったふうである。
 事実、虎紅には、この時、自分の師匠が何を考えているのかわからなかった。
 普段から、にこにこ顔の師匠の考えなどよめなかったが、今回はことさらである。
 ただただ、困ったようにそこに立つだけ。
 多少の、畏怖の念と動揺をはらみつつ。
 幻撞はにこにこ顔なだけに、その奥に隠されたものがわからず、恐ろしいのである。
 虎紅は、そのような師匠にどこか冷たいものを感じていた。


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update:04/01/25