眠れる姫君
(1)

 柚巴の前に、はじめて世凪が現れたのは、七月の頃。
 日差しが厳しくなりはじめたその頃は、まさかこのようなことになるとは、柚巴も、そして柚巴をとりまく人々も、露にも思っていなかっただろう。
 そして気づけば、秋。
 しかも秋も半ば。
 そろそろ涼しいを通りこし、寒くなりはじめる頃である。
 どこをどう間違ったのか、こんなことになってしまっていた。
 それは、誰にも……唯一人を除いて、意図していなかったことだろう。
 そう、その唯一人というのが、俺様王子様。


 人間界。御使威邸。
「由岐耶! 姫はまた、世凪のところへ行っているのか?」
 使い魔たちの居間でくつろぐ由岐耶たちのもとへやってきた竜桐が、憎らしげに由岐耶にそうたずねた。
 現在、人間界には弦樋の使い魔たちが皆そろっている。
 もう世凪の企みも、蒼太郎の脅威もなくなり、以前のようにのほほんとした日々を取り戻しつつあった。
 よって、弦樋の使い魔たちが柚巴のそばにいる必要も意味もない。
 さらには、そばにいる口実すらなくなってしまった。
 柚巴にはもう立派に、紗霧羅、莱牙、幻撞という三人の使い魔がついているのだから。
 その事実が、多少ちくっと彼らの胸を痛めさせるのは、彼らの胸にだけとどめておけばいいこと。
 ただ……由岐耶においては、ちくっとではすまされない痛みであったけれど――
「そうですが? それが何か?」
 かちんと冷たい音を響かせ、持っていたカップをソーサーの上に置き、由岐耶は無表情に答えた。
 どこか、おもしろくないといった様子である。
 事実、この上なく面白くないのだろうけれど。
 柚巴は昨日、限夢界へ行ったきり帰ってきていない。
 つまりは、あちらでお泊りをしたということである。
 柚巴が華久夜にまとわりつかれながら、華久夜のベッドの中で夜を明かしたことなど知らない由岐耶に、おもしろくない感情を植えつけるには、それだけで十分だった。
 そして、もしかしたら……と疑心させるには十分すぎた。
「それが何かではないだろう! お前はわかっているのか!?」
 あくまで冷静……というか、静かに怒る由岐耶の必要以上に冷めた態度に、竜桐は怒りボルテージを上げていく。
 当然、竜桐の怒りの原因になっているのは、由岐耶と同じものである。
「……ええ? 仕方ないでしょう。何しろ、どこをどう間違ったのか、姫さまは世凪……いえ、王子ですか? 王子と婚約してしまったのですから」
 由岐耶はやはり、しらっとそれだけを言った。
 由岐耶には、それが精一杯だった。
 気づいてしまった自分の気持ちと向き合って、そして出した結論。
 それは、決して誰にも悟られてはならないということ。
 柚巴へと抱く、自分の気持ちを。
 王子と結ばれた柚巴を、困らせないために。
 柚巴の笑顔を守るために。
 柚巴の心を守るために。
 今にも飛んでいってさらってしまいたいその衝動を必死でおさえ、由岐耶は静かに怒れるのである。
 それにもかかわらず、そうぽんぽんまくしたてる竜桐にも、少しむっとしていた。
 まったく、人の気も知らないで……というように。
 全てわかっているからこそ、こうやって懸命に平静を装っているというのに……。
 どうして竜桐には、この手の感情はわかってもらえないのだろうか。
 由岐耶のどこかつれないつっけんどんな態度に、竜桐は大きくため息をもらし、もうこれ以上は無駄だなと、そのまま去っていってしまった。
 そんな竜桐を見送り、由岐耶の前で涼しい顔で、これまでの様子を見ていた亜真がおかしそうにくすくすと笑う。
「竜桐さまは相変わらず、姫贔屓だな」
「というか、もうあれは異常の域に達しているだろう?」
 亜真に続け、さらりと祐がそんなことを言ってのけた。
 例の一件より、竜桐の威厳もがた落ちのようである。
 そして、いまだ柚巴と竜桐の間に起こった確執は、当人たちを除き、そのまわりでは尾を引いているようである。
 それはもちろん、竜桐の鉄面皮をくずすのに役立つから……からかって遊べるからである。
 まったくもって、この使い魔たちは、本当にいい性格をしている。
 さすがは変わり者……個性的な者たちばかりの近衛所属の連中なだけはある。
 そして使い魔たちは、そんないつまでたっても困った竜桐を思い、顔を見合わせ、ため息をつく。
 困ったように、微笑ましそうに微笑を浮かべながら。


 かわってこちらは、限夢界は限夢宮。件の世凪の私室。
 その部屋は、王宮の奥に設けられた、世凪専用の居住区の中に位置している。
 世凪の居住区は、次の王位が約束されている王子というだけあり、それはさすがなものだった。
 人間界の御使威邸の本宅と同等くらいの広さを有している。
 そして、世凪の私室……というよりかは、寝室もそれはそれは広い。
 そう、無駄にだだっ広いのである。
「またこいつは、待ちくたびれて寝たのか……」
 自分の天蓋つきのベッドを占領して、すやすやと幸せそうに寝息をたてている柚巴を見下ろし、世凪が呆れながらつぶやいた。
 あの後、莱牙の屋敷を後にし、再び王宮に戻ってくると、世凪はまた王につかまってしまっていた。
 そして、あれやこれやと政治向きのことをぐだぐだと、王直々に今までたたき込まれていた……。
 いや、ただ王一人でぐだぐだと言っているだけで、当の世凪は上の空だったかもしれない。
 熱弁を繰り広げる王の前で、肘をつき、つまらなそうに目をすわらせていたのだから。
 その頭の中では、柚巴のことだけを考え。
 だから、時折、にやっと思い出し笑いを浮かべていたかもしれない。
「まあ、仕方ないか……」
 やはり、幸せそうに眠り、一向に起きようとしない柚巴を見て、世凪は肩をすくめた。
 それから、柚巴にブランケットをかけ、自分はベッドの端に腰かけた。
 そして、柔らかい柚巴の頬にそっと触れ、飽きるまで……飽きることなく、柚巴の寝顔を見つめつづける。


 限夢宮。謁見の間。
 そこで、王はうんざりといった様子で、玉座に腰かけていた。
 あまつさえ、肘掛けに肘をつき、その上に気だるそうに顔をおいたりなどして。
 どうやら、玉座の前で、気位の高そうな女が、何やらぐちぐちとクレームをつけているのを、仕方なしに聞いているというようである。
 いや、実際は、右の耳から入って左の耳から出て行く……状態かもしれない。
「信じられませんわ! まったくどういうことですの? 非常識にも程がありましてよ、王!!」
 そんなぞんざいな王にもかまうことなく、女はとにかく何でもいいから文句をつけたいらしく、ぎゃあぎゃあわめいている。
 王はとうとう嫌気がさしたのか、あいている方の手をしっしと追い払うように振り、退出を促す。
伽魅奈(きゃみな)姫。そのことはもう決まったことだ。お前が何を言おうとどうにもならん」
 しかし、やはりといおうか、伽魅奈姫と呼ばれたその女は、執拗に食い下がる。
「いいえ、どうにかしていただきます! 叔父様にならどうにかできるでしょう!?」
「しかしな〜。当の王子があれでは……」
 もうこの上なく面倒くさそうに、適当にそう答える王。
 あまつさえ、王子に責任転嫁までする始末。
 本当に、面倒くさくてたまらないらしい。
「叔父様は、王子を甘やかしすぎなのですわ! どうして、今さら人間の女など……」
 伽魅奈の怒りはさらに増したらしく、仕舞いには王に対する不平にまでいたってしまった。
 悔しそうに、ぎりっと唇を噛む。
 どうやら、この口ぶりから王の姪にあたるらしいが、さすがにこれはまずいだろう。
 限夢界の王といえば、気難しく恐ろしい人物ということで、城下では、あくまで城下では有名なのだから。
 いや。それを抜きにしても、王に対する言葉としては、これはいささかどうかと思われる。
「王! では、直接王子に会わせてくださいな。まだ一度もお目にかかったことがないのですよ。……そちらも信じられませんわ。どうして王は、王子を隠したがるのです!?」
 右足をだんと一歩踏み出し、今にも食らいつきそうな迫力で伽魅奈は王に迫る。
 当然王も、本当は相手にもしたくないであろうに、一応は姪に礼をとり相手をしてやる。
「伽魅奈姫。いつも言っておるだろう。それは、王子の身を守るためであって……」
「そのような理屈は通用しませんわ! げんに人間の娘ごときが王子のお顔を知っていて、このわたくしが知らないなんて、馬鹿にしていますわ!!」
 しかし、そんなことは、怒れる伽魅奈には通じるはずもなく、さらにまくしたてる。
 もうこうなっては手がつけられないとばかりに、王は完全にあきれ返り、はあと大きくため息をついた。
 そして、疲れたように玉座を立つ。
 伽魅奈はそれを目にした瞬間、額にあった青筋が、ぷつっと音を立てて切れた。
「お待ちください、王! わたくしを無視しますの!!」
 当然といおうか、頭に血が上った伽魅奈をまともに相手にするはずもなく、王は伽魅奈を無視して、そのまま去っていってしまった。
 そんな王の態度に、伽魅奈は悔しそうにじだんだを踏む。
 伽魅奈姫、完全にお怒り&ぷっつんです。
「なんてこと! 王まで人間の娘にほだされてしまいましたの!? 人間なんて、所詮、わたくしたち限夢人に守られなければ何もできないじゃない! あんな下賤な者のために、王も王子も……!!」
「それ以上は口をお慎み下さい。品位を疑われますよ? 伽魅奈姫」
 怒れる伽魅奈に、そのような冷静な言葉が投げかけられた。
 かと思った瞬間、すっと梓海道が姿を現した。
「梓海道! 立場をわきまえなさい。わたくしに、そのような口をきいても良いと思っているの!?」
 当然、伽魅奈は梓海道を怒鳴りつける。
 そんな伽魅奈に冷たい視線を向け、梓海道はため息まじりに言葉を出す。
「お間違いのないように。わたくしは、あくまで王家……王子に仕える従僕です。たとえ王族のあなたでも、正統なる王家の者以外の指図は受けません。――では、これで失礼します」
 一応は礼をとるらしく、一礼し、さっと踵を返し姿を消していく。
 その瞬間、伽魅奈にこの上なく冷ややかな視線を投げかけることを、梓海道は忘れてはいなかった。
 普段から、何かといっては困った姫君であるが、今回はやりすぎですと梓海道は無言で告げていた。
「なんてことかしら! みんなそろってこのわたくしを馬鹿にして……!!」
 梓海道の姿が消えるやいなや、悔しそうに怒鳴り散らし、柱を一本破壊して、踏み出した足元から大理石の床にひびを入れて、そのまま謁見の間を後にした。
 当然、その後も、伽魅奈の怒れるオーラが王宮の床にひびを入れ、あちらこちらを無意識のうちに破壊していったことは言うまでもない。
 彼女は、ある意味、華久夜以上に、破壊活動を得意とする姫君かもしれない。


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update:04/01/31