花嫁襲来
(3)

 伽魅奈のお妃宣言が、世凪によってあっさりと覆されてから三日。
 そして、柚巴がはじめて胸に抱くその不安を吐露してから三日。
 今もって、王子の妃をめぐって、それぞれがいろいろな思いを抱いている。
 ある者は、大切な者のために、その思いを断ち切ろうとして。だけどできなくて……。
 ある者は、大切な者の幸せを願って、必死で自分に納得させようとして。だけどなかなかうまくいかなくて……。
 ある者は、自分こそが王子の妃にふさわしいと思っていて。だけどからまわるだけで……。
 ある者は、自分の妃はもうこの者としか考えられなくて。それを信じて疑わなくて……。
 ある者は、大切な者が大嫌いな男に傷つけられまいか不安を抱えて。だけどそれは表に出せなくて……。
 ある者は、漠然としていた不安がようやくかたちを成しはじめてきて、それで怖くなって。不安になって。とうとうあふれてしまって……。
 そんないろいろな思いがからみ合い、王子のお妃決定は波紋を呼んでいる。
 限夢界は、おめでたい報せで満たされているかもしれないが、それにかかわる当事者たちの心は嵐で。渦巻いている――
 そして、何より柚巴を不安にさせるのは、花嫁襲来。
 それによってあらためて気づかされた、自分の立場。
 自分が……限夢人ではなく人間という事実。
 それをつきつけられる。


 そんな、自分の力ではどうすることもできない現実をつきつけられ、重い気持ちのまま、柚巴はまたここに来ていた。
 限夢宮。神域。神のドーム。
 大切な友達と別れた、苦い思い出の場所。
 だけど同時に、沈んだ柚巴の心を癒してくれる場所。
 神のドームは、今や、柚巴にとっては、そんな皮肉な場所となりつつある。
 ここにくる度に、あの楽しかった頃が思い出され、そして苦しくなる、悲しくなるというのに、何故だか柚巴はここへ来てしまう。
 ここへ来れば、またひょうひょうとした態度で、けろっと笑い飛ばしてくれるかもしれないと。
 この沈んだ心を。自分ではどうしようもできない心を。
 あの大切な友達なら。彼ならなんとかしてくれるのではないかと……。
 そう、それこそ、何事もなかったかのようにけろりとそこに姿を現し。
 そんなことは、起こるはずはないとわかっていても、ついつい足を運んでしまう。
 王子の婚約者となった今、神のドームへの出入りの自由を許されてしまったから、ついつい足を踏み入れてしまう。
 色とりどりのステンドグラスの光に包まれたその空間は、淋しさと同時に、何故だか落ち着きを運んできてくれるようで。
 もうここは、柚巴にとってなくてはならない場所になっているかもしれない。
 一通り心が落ち着きを取り戻したのか、柚巴は楕円形に広がった出入り口から姿を現した。
 柚巴が神のドームからでてくると、ちょうどその目の前には王が立っていた。
 そして、少し複雑そうに苦笑いを浮かべている。
 そんな王の姿を見て、柚巴は目をしばたたかせた。
 今起こっていることは現実なのかと。
「柚巴」
「王様……?」
 柚巴の名を呼ぶ王の声で、柚巴はようやく現実の世界に引き戻されたような心地がした。
 そして、目の前に王が立っていることもまた、現実であると瞬時に納得する。
 しかし何故、今ここに王がいるのか……それについては謎のままである。
 王自ら、このような場所に?
「やはり、ここに来ておったのか」
 そんな驚く柚巴にかまうことなく、王はそうつぶやき、すっと神のドームを見上げた。
 仰ぐように。
 そして、そのままのかたちで、語りだす。
「話は聞いたぞ。智神・タキーシャの言葉も……」
 誰に語るでもなく話されているようであったが、間違いなく柚巴へ向けてのものだった。
 それは、柚巴も承知している。
「そうですか。だけど、人間のわたしに、どうしろというのでしょうね?」
 柚巴は、静かにそう言って、肩をすくめた。
 自らを嘲笑うかのように。
 実際、多紀に……智神・タキーシャにそう告げられたものの、柚巴にはその言葉の意味が、まだいまいちよく理解できていない。
 いや、信じられない。
 異なる世界の人間であるばかりではない。
 自分のような何の力もない少女に、一体何ができるのだろうか?
 守られてばかりいる、そんな自分に――
 柚巴は、最近、自分の存在は、ふわふわと宙を舞っていて、危なげなもののように感じていた。
 今にも消えてなくなってしまいそうな、そんなおぼろげな存在。
 それは、世凪と思いが通じ合った時から感じていたのかもしれない。
 漠然と抱える、不安――
 そうやって、肩をすくめ、困ってみせる柚巴に、王はゆっくりと視線を移してきた。
 いつか見たように、どこか威厳があり恐ろしいような雰囲気はそこにはなかった。
 ただ、優しく柚巴を見つめている。
 そんな柔らかい雰囲気をまとう王に、柚巴はやはり、どう対応すればよいのか少し戸惑ってしまう。
「それにしても、王様。あなたは本当、意地悪ですね? 世凪が嫌いだという気持ちがわかります」
 そんなしおらしい態度を見せたと思った矢先、それまでのものと一変して、いたって強気にそう王につめ寄る。
 ずいっと王に近寄り、王を見上げるように見つめ。
 さらには、その口の端が少し笑っていたりもして。
 それは、何かを誤魔化しているようにも見えた。
 ……何か……ではなく、自らの思いを、だったかもしれない。
 そんな柚巴に、今度は王が肩をすくめることになってしまった。
 しかし、そこには嫌な顔一つなく、むしろ優しい光を宿したその目で柚巴を見つめ、微笑ましそうな表情をたたえていた。
 不思議なくらい。
 威厳があり、どこか恐ろしい感じがある普段の王は、もしかすると、つくられた王のかたちかもしれない。
 本来の王とは、このような優しそうな紳士なのかもしれない。
 その見た目からは想像ができないほど。
 あの世凪の父親のことはあり、王もまた一筋縄ではいかないようであるけれど。
「どうやらわたしは、お前にも嫌われてしまったようだな?」
「当たり前です。どうして、あんなにまわりくどいことをするのですか? わたし、本当にあの時は駄目かと思いましたよ」
 ぷうと頬をふくらませ、抗議するように柚巴は王を見上げる。
 だけどその目は、決して非難などしておらず、むしろ柔らかく微笑んでいる。
「多少、壁があった方がおもしろかろう?」
 そのような柚巴の態度に気をよくしたのか、王はあっけらかんとそう言い放った。
 どこか、茶目っ気をにじませつつ。
 にやりと柚巴を見たりして。
「そういう壁はいりません!」
 そんな王の態度に、柚巴はさらにぷうと頬をふくらませ、ぷいっとそっぽを向いた。
 すると王は、目を細め、愛しそうに柚巴を見つめる。
 そして、どこか淋しそうな、だけどやはり優しい微笑みを浮かべ、ぽんぽんと柚巴の頭を軽くなでる。
 そのいきなりの王の行動に、柚巴は面食らったように再び王を見つめた。
「王……様?」
 再び柚巴が視線を向けたそこには、今まで見たことのない父親の顔をした王がいた。
 そして、切なそうに柚巴を見つめ、ふわりとその髪をなでる。
「あれをよろしく頼む。あれが心を許したのは、お前だけだ」
「……」
 王の言葉に柚巴は何も答えることができず、ただじっと王を見つめる。
 王が何を言おうとしているのか、それは何となくはわかるような気がするけれど……何故、そんなことを今さら?
 どうして柚巴に……?
 柚巴は、急に心がすうと寒くなる思いがした。
 何か……自分では支えきれない大きな不安が押し寄せてくるようで、急に苦しくなった。胸が……。
 しかし、思い当たるものがないわけではない……。それも事実である。
「あの……。一つ、聞いてもいいですか?」
 いまだ、柚巴の髪に柔らかく触れたままの王に、柚巴は静かに問う。
 じっと王を見つめ。
「何だ?」
「先日、伽魅奈姫という人に会いました。彼女が言うには、本当は自分が王子のお妃になるはずだったと……」
 それが、柚巴が抱く不安……。
 頭のどこかではわかっていたけれど、無意識に考えないようにしていたこと。
 それが、現実に目の前につきつけられた今、考えずにはいられなくなった。
 そして、柚巴を苦しめずにはいられない。
 本当なら、決して結ばれることのなかった、異なった世界に住む二人だから……。
 王は、柚巴のその問いに、あからさまに嫌そうに顔をゆがめた。
「ああ、あの娘か。あの娘は、まだそんなことを言っているのか」
 そして、うんざりといった様子で、そうはき捨てる。
 そんな王のぞんざいな態度が、柚巴を怪訝に思わせた。
「まだ……とは?」
 じっと王を見つめる。
 それはまるで詰問するかのように。
 その柚巴の行動が、今の柚巴の思い全てを物語っているようであった。
 不安で……不安でたまらないのだろう。
 果たして……世凪には、自分で本当によいのかと……。
 もっとふさわしい、同じ世界の少女がいるのではないかと……。
 そんな、考えなくてもいい不安にかられる。
「世凪もわたしもその気はないから、ずっと諦めるよう言っておるのだが……どうもまだこだわっているようだ。しかし、安心しろ。もうあれの妃はお前しかいない」
「……」
 柚巴の不安をくみとったのか、王はきっぱりとそう言い放った。
 くいっと、柚巴の目もとに、ぬぐうように自分の指を押しあて。
 知らず知らず……柚巴の目には、涙がにじんでいたらしい。
 不安で……。苦しくて……。
 その思いが、柚巴の意思を無視し、涙を導く。
 柚巴は、王のその行動ではじめて自分の涙に気づき、気まずそうにふいっと顔をそらした。
 そのような柚巴を見て、王は苦笑いを浮かべる。
「まあ、たしかに、そう言っても気にかかるだろう。いずれわたしが決着をつけてやろう」
「あの……! そのようなつもりじゃなくて……」
 王の申し出に、柚巴は慌てて待ったをかける。
 しかし、王は柚巴の言葉などすでに聞こうとはしていなかった。
 ただ、自分の考えを語るのみ。
「わかっておる。だが、どちらにしてもそうしなければならない。伽魅奈は王子の……いずれ王となる者の妃にはなれぬ」
 そうやって、柚巴の次の言葉を阻止してしまった。
 そして、話を別の方向へと(いざな)う。
「それは、どういう意味ですか?」
 柚巴が、そう聞き返さずにはいられないように仕向ける。
 やはり王は、柚巴とはくらべものにならないほど、その生を歩んできただけある。
 柚巴など、王にかかればひとたまりもないようである。
 かつて、世凪を取り戻すために王に挑んだあの時のように……。
 まるで、手のひらの上でころがされている気分になる。
「そのままだ。あの娘はわかっておらぬ。王子の妃としていちばん大切なことを。そして、あの娘は一生かけてもそれを手に入れることはできない」
 どこか冷たく、王はきっぱりとそう言い切った。
「いちばん大切なこと?」
 柚巴は、不安な表情を浮かべ、首をかしげる。
 それはもしかしたら……自分にもかかわることかもしれないから。
 それを、自分もわかっていなかったら、やはり……?
 しかし、そんな柚巴の思いなど、当然、王はお見通しである。
「そうだ。だが、お前はそれを持っている。だからわたしは、お前に期待しているのだぞ?」
「……ありがとうございます」
 少しおどけるようにそう言った王に、柚巴はどこか釈然としないといった様子で、静かにそれだけをつぶやいた。
 そして、一度目をつむり、ゆっくりとその目を開ける。
 再び目を開けた時には、柚巴の目には、先ほどまでの不安の色をにじませた光はもうなかった。
 いや、不安はあったけれど、それを懸命に隠そうとしている。
 一瞬間に、柚巴の中で、何かが変化したらしい。何かに気づいたらしい。
 それは、王の優しさが、柚巴に伝わったからかもしれない。証かもしれない。
「だけど良かったです。そう言っていただけると、わたしもまだ世凪のために何かできるのだと希望がわいてきます」
 そうやって、やはりどこかぎこちなく微笑む。
「お前は、本当に何もわかっていないのだな。まあ、そんなところに世凪はやられたのだろう」
 そんな柚巴に王は困ったように肩をすくめ、そしてまた優しい光のこもるその瞳で柚巴を見つめる。
 ふわりと風がかすめるように、柚巴の髪に触れ。
 王の手から、さらさらと柚巴の髪が落ちていく。
「そ、そんなことより、せ、世凪はどうしたのですか? 今日は、まったく見ていないのですが……」
 王のいつもとあまりにも違うその様子、そしてとりわけその言葉――そんなところに世凪はやられたのだろうという、その言葉――に、柚巴は急に恥ずかしくなった。
 そして、その照れを隠すように、慌ててそんなことを言う。
 もちろん、そんな照れ隠しなど、余計王を楽しませるものになってしまう。
「ああ、あれには今、王の仕事をたたき込んでいるところだ」
 そう言うと、王はからからと、実に楽しそうに笑い出してしまった。
 その様子を、柚巴はあっけにとられたように見上げている。
 世凪は恐らく……今頃、とんでもないめにあっているのだろうと。
 王のこの楽しそうな笑いが、何よりの証拠である。
 一筋のさわやかな風が、神域に王の笑い声を浸透させる。神域外に運ぶ。


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update:04/02/12