さりげない優しさ
(2)

「汚いところですみません。何しろ、この部屋の住人が住人なもので〜」
 ぽりぽりと頭をかきながら、あはっと愛想笑いを浮かべた。
 どうやら、芽里自身も、ここが十分普通ではないことは承知しているようである。
 しかし、承知していてなお、それを放置するとは……。
 そこには、あえて触れてはいけないのかもしれない。
 芽里の乙女心とやらを思えば。
「住人?」
 柚巴も芽里に合わせ、愛想笑いを浮かべるにとどめた。
 やはり、触れてはいけないことには触れない方が賢明である。
 先ほど、芽里の暴挙によってあけられた椅子に、芽里にすすめられるまま柚巴は腰を下ろした。
 その椅子は、見かけとは違い、案外座り心地のよい椅子だった。
 だから柚巴は一瞬、ん?と驚きを見せていた。
 しかし、タイミングよく、芽里は、先ほど置いていたカップを再び持ち上げているところで、柚巴のその表情は見ていない。
 それは、柚巴にも芽里にも、運のよいことだったかもしれない。
 芽里は、くるりと柚巴に向き直り、手に持つカップを手渡す。
 カップからは、ゆらゆらと、真っ白い湯気がのぼっている。
 そして、この薄暗い部屋には不似合いの、ティックルのよい香り……。
 まさか、こんなところでも、華久夜お気に入り、高級茶葉のティックルに出会えるとは思っていなかった。
 当然、柚巴は驚きを見せる。
 そんな柚巴を見て、芽里はくすくすっと笑う。
 返ってくるべき反応が返ってきて、楽しんでいるようである。
「ここを任されているのが、お師匠さまなのです。そして、虎紅と芽里は、ここで仕事をしています」
「何のお仕事?」
 かちゃりとカップを持ち上げ、柚巴は首をかしげた。
 すると、まるで真似でもしているかのように、芽里も首をかしげる。
「あれ? お師匠さまから聞いていませんか? この部屋と隣の封印部屋二つを使って、小悪魔の管理をしているのですよ。お師匠さまは、もとは近衛の将軍だったのですが、今は現将軍に後を任されて、ここで芽里たちにご指導くださっているのです」
 芽里は、カップを持ったまま、ぽんと飛び上がり、書物が散乱した机の上に……いや、その書物の上に腰を下ろした。
 さすがは、まがりなりにも限夢人。
 このような、とうてい人間では無理な芸当でも簡単にやってのける。
 芽里がそこに座ると、まるで柚巴を見下ろすようなかたちになっているが、そんなことは、柚巴も芽里も気にしてはいないようである。
 まったく芽里という少女は、言葉こそ丁寧だが、さっぱり柚巴を敬ってはいないらしい。
 まあ、そんな気さくな振る舞いは、かえって柚巴に好印象、そして親近感を与えるのだけれど。
「小悪魔の管理って……。鬼栖ちゃんのような?」
「はい。もともと、小悪魔の事象自体あってないようなものなので、この人数なのですよね〜。全部で三人」
 芽里はそう言って、楽しそうにけらけらと笑う。
 まったく、芽里は無邪気なのか、それともたんなるお馬鹿さんなのか……。
 しかし、同じ年頃の限夢人の少女と出会うのは、そして話すのは、芽里がはじめてなので、柚巴は嬉しさでいっぱいだった。
 もちろん、華久夜もいるけれど、彼女はやはり妹のような存在で……。
 こうやって会話をすることは、楽しかった。
 芽里と話していると、その間だけではあるけれど、あの抱える不安を忘れることができるような気がした。
 ほんの少しの間だけれど、それが柚巴の心を軽くする。
 そのような柚巴の内なる思いに気づいたのか、けらけらと笑うことをやめ、芽里は優しく微笑んだ。ふんわりと。
「でも、こうやって柚巴さまとお話できるとは、思ってもいませんでした」
「え?」
 突然の話の転換に、柚巴は口に運ぶ途中のカップをそこでとめ、思わず芽里を凝視していた。
 そんな柚巴の様子に、芽里は肩をすくめる。
 そして、嬉しそうににっこりと微笑んだ。
「だって柚巴さまといえば、今や時の人! まさか王子の心を射止めてしまわれるとは」
 あまつさえ、握りこぶしなどつくったりして。
 さらには、にやにやと、まるで柚巴をからかうように見たりして。
 どうやらこの芽里という少女、なかなかにくせものかもしれない。
 おちゃらけて、間抜けで、おっちょこちょいに見せかけて。
「射止めてって……」
 当然のように、柚巴は芽里の言葉に、顔を赤くしてうろたえる。
 左手に持つソーサーの上に、がちゃんとカップを戻して。
 そして、その目は、きょろきょろとせわしなく動いていたりして。
 明らかに、動揺している。
 それがまた、芽里の目にはかわいらしく映って、さらにいたずら心をくすぐられてしまう。
「照れない照れない」
 芽里はにやにやと柚巴を見つめる。
 完全に、顔を赤くしてうろたえる柚巴を楽しんでいる。
「別に照れてなんか……」
 柚巴はやはりそう言って、少しすねたようにぷいっと顔をそむけた。
 そむけたそこでも、相変わらず顔は赤いままで……。
 もうからかわないでよと、その体いっぱいで抗議しているようでもある。
「くす……。柚巴さまは、やっぱり他の王族の方とは違いますね」
 そのような柚巴を見て、芽里は嬉しそうに微笑んだ。
 その言葉に、柚巴はゆっくりと芽里に顔を戻す。
 そして、ふと、淋しそうな、苦しそうな表情を浮かべた。
 再びすいっと視線をそらし、先ほど芽里が落とした書物に落とす。
 まるで、今にも泣き出してしまいそうな、そんな切なげな姿をしていた。
「それはそうだと思うけれど……。だってわたしは、人間なのだし。それにまだ、王族では……」
 そうやって、苦しげに言葉をしぼり出す。
 それは、真の柚巴の思い。
 気づいていて、だけど気づかないふりをしていた事実。
 それが、伽魅奈の出現によってつきつけられた、認めざるを得ない事実。
 それだけは、どうやっても変えることのできない事実。
 越えられない、壁。
 柚巴は人間で、世凪は限夢人――
「そうじゃありませんよ。気さくないい方という意味で、芽里は言ったのです。それに、別に人間だとか限夢人だとか関係ないじゃないですか。でも芽里は、そういう柚巴さまが気に入りました」
 芽里は、持っていたカップを、積み上げられた不安定な書物の上に置き、ひょいっと床に飛び降りた。
 そして、すっと柚巴の肩に手を置き、柚巴の顔をのぞきこむように優しく語りかけた。
「え……!?」
 驚き、がばっと顔を上げた柚巴に、芽里はあらためてにっこりと微笑みかける。
 そんなものは、気にしなくていいのですよ、と。
「……実は、お師匠さまから聞きました。柚巴さまが、最高神・シュテファンから託された言葉を……。でも、きっと、そんなのは関係なしに、王子はあなたを選ばれたのですよね〜。うん、なんかわかる気がします!」
 柚巴の肩においていた手に、きゅっと力をこめ、芽里はそう力説した。
 本当に、芽里は柚巴さまが気に入ったのです!と、そのような思いをこめて。
 そして、またふんわりと微笑み、その手を自分へとすいっと引き戻す。
「あのですね。もしよろしければ、これからもこうやって遊びに来てくださいね。もともとここは暇なので、お客様は嬉しいのです」
 そのように、少しおどけてみせて。
 芽里のその心遣いが、さりげない優しさが、柚巴はともて嬉しく思えた。
 こうやって気にかけてくれる人がいるという事実が。
 そして、いつまでもうじうじと落ち込んでいられないと、柚巴を奮い立たせる。
 やはり、どうやっても覆すことのできない事実には、まだまだ心が痛むけれど。不安だけれど……。
「あなたは……わたしが人間でも、それでも……」
 少し不安な色を浮かべたその瞳が、じっと芽里の姿をとらえる。
 すると芽里は、その瞳に真正面から向き合い、かげりのない微笑みを浮かべた。
 そして、きっぱりと断言する。
「当たり前です」
「ありがとう……」
 芽里のその言葉に、柚巴はどこか救われたような気がした。
 いいのだと。このまま王子の……世凪のそばにいてもいいのだと――
 柚巴の中で、気づかぬうちに、世凪の存在は、そこまで大きくなっていたようである。
 柚巴は、少し照れたように、そしてその照れを隠すように、柔らかく微笑んだ。
 それに答えるように、芽里もにっこりと微笑む。


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update:04/02/18