さりげない優しさ
(3)

「芽里? 誰か来ているのか?」
 そう言いながら、どこか訝しげな表情を浮かべ、虎紅が呪術部屋に入ってきた。
「あ、虎紅おかえり〜」
 虎紅に気づき、芽里はぶらぶらと手を振り、むかえ入れる。
 そのような芽里に、虎紅は、やはりどっと疲れたような気分に襲われる。
 がっくりと肩を落とし、呆れたように芽里に視線を移した。
 それと同時に、芽里の横に、ちょこんと椅子に腰かけている柚巴の姿が飛び込んできた。
 瞬間、びたんと音を立て、今閉めたばかりの扉に背をはりつけ驚く。
 まさか、この部屋で絶対に目にすることはないと思っていたその人物が、そこにいるのだから、驚くなという方が無理なはなしだった。虎紅にとっては。
「ゆ、柚巴殿!!」
 びたんとはりつけたその背を、懸命に引きはがしながら、多少どもったように驚きの声をしぼりだす。
 そのような虎紅の姿に、柚巴は苦笑いを浮かべ、ぺこりと頭を下げる。
「お邪魔しています」
 すると虎紅も慌てて、がばっと頭を下げた。
 そして、再び上げたその顔で、目を見開き、どこか青い顔色で、またしぼりだすように言葉を紡ぐ。
「い、いえ。それはかまわないのですが、このようなむさくるしいところへ……? 芽里! お前は何を考えている!?」
 そう言い終わるやいなや、虎紅はぎろりと芽里をにらみつけていた。
 芽里はそのような虎紅の視線に、むうとふくれて、じろりとにらみ返す。
「だって〜……」
 そのような、すねた声をもらして。
 そこでようやくタイミングをつかめたのか、柚巴が慌てて仲裁に入ってくる。
 まさか、自分が原因でこの二人に仲違いなどされては大変だと。
 そして……この二人は、どこか彼らを思い起こさせる。
 そう。庚子と多紀……。
 それぞれに性格はまったく違うけれど、こうやって口げんかをする辺りは、彼らに似ている。
 彼らも、このように柚巴を楽しい気分にさせてくれていた。
 少し……いや、多分に困ったところはあったけれど……。
 口げんかをする二人の仲裁に入る。
 それは、柚巴にとって、当たり前の行為だっただけに――
「あ、気にしないでください。わたしがお邪魔しちゃっているだけなので。それに、芽里さんにお話を聞けて楽しかったです」
 再びそれを実行できることは嬉しさと同時に、やりきれなさを柚巴に運んできた。
 似ているけれど……やはり違う。
 もう、庚子と多紀の口げんかをその目で見ることはないと思うと、淋しくなる。悲しくなる。切なくなる。
 もう多紀は、かえってはこないのだから……。
「芽里に……ですか?」
 虎紅のその言葉によって、柚巴は一瞬、どこか遠くへ馳せていたその思いを、ぐいっと引き戻されたような感覚に襲われた。
 そして、慌てて虎紅の問いに答える。
 それはまるで、誤魔化すように。
 今抱いていた思いを。
「はい。幻撞おじいちゃんのこととか、あなた方のお仕事のこととか……。わたしは、まだまだ知らないことばかりですね」
 ふうと苦笑いを浮かべた。
 そのような柚巴を、虎紅は一瞬、苦しそうに見ていた。
 そして、一度深呼吸をし、いつものようにどこか冷たい表情に戻る。
 彼のそれは、冷静を装った表情ともいえないことはない。
「そのようなことはありませんよ。あなたは、こちらの世界を理解しようと努力されているではありませんか」
「え……?」
 虎紅の口から出たその意外な言葉に、柚巴は驚きの色を隠せないでいた。
 左手にソーサーを持ち、その上にのせたカップに右手を添えたそのままのかたちで、動きをとめ、じっと虎紅を見つめている。
 そのような柚巴に、芽里はやはりどこか困ったように肩をすくめ、苦笑いを浮かべている。
 一方虎紅は、相変わらずの無表情を決め込んでいる。
「聞きました。本来なら、あちらの世界でしなければならないことがあるのに、少しでも暇を見つけては、こちらに来ているそうですね」
 そう言って、ふっと小さなため息をもらす。
 それは、決して柚巴を否定するものではなく、むしろ親愛の情が含まれているような感じだった。
 そのような虎紅の振る舞いに、芽里は明らかな驚きをみせている。
 あの虎紅が……?と。
 たしか虎紅は、あまり柚巴のことをよくは思っていなかったはずでは……?
 芽里は、訳がわからなくなり、一人で首をひねっている。
「そ、それは、ただたんに、せ……王子に会いに来ているだけで……」
 本来虎紅の口から出るはずもなかった肯定的なその言葉に、柚巴はどもりながら答えた。
 それは、虎紅の言葉に照れているのではなく、明らかに、今自分が発した言葉に照れていることがわかるから、くすっと笑わずにはいられない。
 世凪に会いに来ている……。
 そんな言葉が、まさか自分の口から、こんなに当たり前のように出ようとは思ってもいなかった。
 すでに、自分にとって、世凪はそのような存在になっていたのだとあらためて気づかされ、そこに驚きを覚えずにはいられなかった。
 まさか、柚巴の口から、こんなかわいらしい言葉が出ようとは……。あの世凪相手に……。
 だけど、それに気づくと同時に、心のどこかがぽっとあたたかくなったような気がするのも、気のせいではないだろうとちゃんとわかっていた。
 あらためて、柚巴は世凪を好きになっていたのだと気づかされる。
「それでいいのですよ。こちらの世界に足を運び、こちらの世界に慣れることこそが必要なのですから」
 そのような、自分の言葉に自分でうろたえる柚巴のあどけない様子に、虎紅は、虎紅らしからぬ優しい微笑みを浮かべた。
 そして、微笑ましくも思えていた。
「そういうものなのですか?」
 虎紅の言葉に、やはり柚巴は訳がわからないと首をかしげる。
 まったくこの少女は、いつも肝心なところが抜けている。
 他のことになら勘がよいくせに、こと自分のことになるとこうである。
 この辺りは、まだ……世凪と出会い、限夢界にさらわれる前とかわらないところ。
 思わず、庚子と多紀がからかってしまう柚巴のまま。
「そういうものです。……これからいろいろと大変かもしれませんが、頑張ってください。我々も、及ばずながら協力いたします」
 虎紅はふっと微笑んだ。
「あ、ありがとうございます」
 柚巴は照れたふうに、少し困って微笑む。
 そのような柚巴の姿を見て、虎紅もまた困ったように優しく微笑む。
 芽里はやはり、そんな虎紅を狐につままれたように見ている。
 あの、あまり他人に興味がなさそうで、柚巴のことをよく思っていなかった虎紅が、こうも柚巴に好意的であるのが信じられないようである。
 芽里は、柚巴のことを知ったその時から、おもしろそうというそんな気持ちで好意的に思っていたが、虎紅はむしろ否定的だった。
 人間が王子の妃など、と……。
 しかしその虎紅も、今やどうしたことか、柚巴を受け入れようとしている。
 この急激な変化は、一体どういうことだろうか……?
 柚巴とはやはり、限夢人を惹きつけてしまう存在なのだろうか?
 虎紅までもを、一瞬にして魅了してしまう魅力が、柚巴に……?
 柚巴は、他の限夢人の時もそうであったが、その心をもって、限夢人を惹きつけるようである。
 世凪や莱牙がそうであったように、一瞬にしてその心を射止めてしまう。
 麻阿佐がそうであったように、柚巴の言葉が彼らの心を救う。
 由岐耶がそうであったように、存在自体が影響を与える。
 決して、限夢人では持ち合わせていないものを、柚巴は持ち合わせているから。
 それは何なのかは、わからないが――
 王の言葉をかりるとするならば、それは、王子の妃、しいては王妃の資質かもしれない。
 世凪の伴侶となるべき条件――
「……どうやらわたしは、あなたを少し誤解していたようです。申し訳ありませんでした」
 虎紅が柚巴に惹かれてしまったことを裏づけるように、虎紅の口からそのような言葉が出た。
 虎紅は、これまでの自分の考えを悔いあらためているようだった。
 理由もなく……いや、人間というだけで、柚巴のことを否定していた自分を――
 柚巴は決して、邪険にしてはならない存在。そして、守るべき存在なのだと気づかされる。
「え……? 誤解って……?」
 そんな虎紅の思いなど、柚巴にとってはやはりこの程度だった。
 気づきもしない、かわいそうな虎紅の思い。
 またそこから、守らなければと思わされてしまうから、やはり不思議な魅力を持つ少女である。
 しきりに首をかしげる柚巴を見て、虎紅は胸の奥でそう思う。
 そのような虎紅に気づき、芽里はふっと優しく微笑んでいた。


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update:04/02/21