微かに漂う懸念
(1)

「これはこれは……。お嬢ちゃんには、ニ人の相手をしてもらっていたようだね」
 にっこりと微笑み、そう言いながら、幻撞が呪術部屋の中へと入ってきた。
 柚巴を前に、虎紅と芽里が優しく微笑んでいる時のことだった。
 うちとけはじめた三人の会話が弾み出すと、それを邪魔するかのように幻撞が現れた。
 やはり、このにこにこ顔の老紳士は、何を考えているのかわからない。
 普段にこにこ顔なだけに、いっそうそう思えてならない。
 限夢界の問題児、世凪ですらも、そのステッキでつんつんとつついてしまえるのだから、たいしたものである。
「お師匠さま!!」
 幻撞が部屋の中へ入ってくると、芽里が驚きの声を上げた。
 しかし、虎紅はたいしたもので、落ち着いている。
 当然柚巴は、すでに幻撞の気配に気づいていたので、さらっとした顔をしている。
 ただ一人、芽里だけが、これである。
 そのような芽里に、幻撞はやれやれと肩をすくめる。
「虎紅、早速ですまないが、あれについて調べてくれないか? どうやら、また流行しそうなのだ」
 こつこつとステッキを二度ほど鳴らせ、幻撞はさらりとそんなことを言った。
「え? あれですか!? それは大変ではないですか。わかりました。早速調査に参ります」
 幻撞の言葉を聞き、急に虎紅の顔が険しくなる。
 当然、その変化を柚巴は見逃してはいない。
 眉間にしわを寄せ、二人の会話に耳を傾ける。
 瞬時に、呪術部屋の空気が重くなったような気がした。
「頼んだよ」
「はい。では、柚巴殿。わたしはこれで失礼します」
 幻撞にそう答えると、虎紅は柚巴にすっと一礼をし、そのままどこか慌てたように部屋から出て行ってしまった。
 その後姿を、柚巴も幻撞も、芽里でさえもどこか険しい顔で見送る。
「幻撞おじいちゃん。あれ≠チて?」
 虎紅が出て行った扉をじっと見つめ、柚巴がぽつりとつぶやいた。
 すると幻撞は、柚巴に顔を向け、ふっと困ったように微笑む。
「ああ……。ちょっとね……」
 それはまるで誤魔化しているように見えた。
 そして、柚巴には知られたくないといったように感じた。
 そんな幻撞のよそよそしさに、柚巴はどこか疎外感のようなものを感じてしまった。
 急に、しゅんとしずまり返ってしまった。
 やはり、こんなところでも思い知らされる。
 柚巴は本当に、限夢界のことをまだまだわかっていないのだと。
 どんなことでも教えて欲しいのに、全ては教えてもらえない。
 やはりいつまでたっても、一線をひかれたままなのだろうか――
 もちろん、当の幻撞にはそんなつもりはなく、むしろ柚巴に余計な心配をかけまいと配慮してのことなのだろうけれど、それが柚巴にとっては、どこかやりきれない淋しさを感じさせられてしまうのは、まぎれもない事実だった。
 急に淋しそうに沈んでしまった柚巴に、芽里は気づき、きゅっと顔をゆがめる。
 そして、わざとらしく、あっけらかんと言う。
「あれとは、例の伝染病のことですね? お師匠さま」
「め、芽里!!」
 芽里のその言葉に、幻撞が慌てる。
 それは当たり前である。
 まさに、そのことを柚巴に隠したがっているのだから。
「芽里は納得できないのです。なぜ、柚巴さまに秘密にしようとするのですか? 柚巴さまは、もうれっきとしたこちらの世界の王族なのですよ!?」
 芽里はそう言い捨てる。それが当たり前のように。
 幻撞の、余計なことを言ってという非難の眼差しが、おしみなく芽里に注がれる。
 しかし芽里もたいしたもので、そんなものはさらりと受け流してしまう。
 やはりこの少女、ただものではない。
 まったく、いい性格をしているものである。
 それでも、芽里のそんな行いは、柚巴の心を軽くしていた。
「あ、ああ。そうだが……その……。うちのご主人さまは、無茶をするお人だから……」
 ふうと半分諦めたようなため息をもらし、だけどやはり少し動揺したように幻撞はそうつぶやいた。
 そして、ちらりと柚巴を盗み見る。
 盗み見たそこでは、当たり前だが、柚巴は険しい顔で幻撞と芽里の会話を聞いていた。
「柚巴さま。我々の仕事は小悪魔の管理だけではなく、正体不明の病気の解明や、伝染病の予防なども含まれているのです。それで虎紅は今、その調査に行ったのですよ」
「あ……。ありがとう。芽里さん」
 そんな、幻撞に言わせると、一言も二言も余分なこと、言わなくていいことまで、芽里は柚巴に教えてくれる。
 さすがに柚巴も、うろたえたような幻撞を気の毒に思ったのか、肩をすくめ、戸惑いながら芽里に礼を言った。
 すると芽里は、にこっと微笑み、やはりあっけらかんと言い捨てる。
「いいえ〜。お師匠さまが何も言わないからです。芽里はそういうの好きじゃないですから」
 そして、ふんと鼻で笑うように、ちろりと幻撞を見る。
 自分の師匠にこの態度。
 芽里という少女は、これでなかなかに侮れないのかもしれない。
「芽里……!」
 当然、じろりという幻撞のにらみが芽里に入る。
 いつもにこにこ顔の老紳士も、この芽里にかかってはたわいもないようである。
 それはもちろん、いい意味ではなく――
 そのような気の毒な幻撞に、柚巴は遠慮がちに微笑みかける。
「幻撞おじいちゃん。わたしは、何でもこの世界のことは知りたいの。今でもすでにかなりの出遅れがあるから、できるだけそれをうめていきたいの。少しでも……世凪の力になりたいから……」
「お嬢ちゃん……」
 やれやれ、やはり困ったご主人様だと、幻撞は諦めたように首を横にふり、微笑んだ。
 そこにはもう、かわいい孫を見守る祖父のような眼差ししかなかった。
 これまでの動揺したものではなく、全面的に柚巴の意思を尊重するといったような……。
 そして、柚巴の成長ぶりを喜んでいるような……。
 そんな見守る優しい思い。
「そうだったな。すまない。忘れていたよ。たしかに無茶をする人だが、それは誰かを思ってのことだった……」
 ふうとため息をもらしながら、そう言った。
「お師匠さま。世凪って何ですか? どうして柚巴さまが、世凪なんかのために何かしたいのですか?」
 黙って柚巴と幻撞の会話を聞いていた芽里が、もう我慢ならないとばかりに、そう口をはさんできた。
 そして、どうにも納得がいかないと、じっと幻撞を見つめる。
 それが、今芽里が不満に思っているその言葉を発した柚巴でなく、幻撞に向けられているという辺りが、やはり芽里らしいところである。
 どうやら芽里は、手放しで柚巴の側にまわるらしい。
 芽里も、久々に出会った同じ年頃の少女に、親しみを覚えていたらしい。
 王子の婚約者という尊い存在でありながら、そんなものはみじんも感じさせず、くだけた感じでつき合えそうだったから、余計に好感を抱いてしまう。
 そして、芽里が発したその言葉は、当然だけれど、柚巴と幻撞を動揺させるには十分すぎた。
「そ、それは〜……」
 あちゃあと顔をゆがめる幻撞の横で、柚巴がそう口ごもる。
「ったく、仕様がないな。いいよ。言っても」
 すると突然、どこからともなくそんなふてぶてしい声が聞こえてきた。
 そして次の瞬間には、すっと世凪が姿を現していた。
 椅子に座っていた柚巴の首に、後ろから手をまわし、抱きつくようなかたちで。
 柚巴はそんな世凪に困ったような視線を向けつつも、その手を振り解こうとはしない。
 むしろ嬉しそうに、巻きつけられた腕にそっと触れている。
「ただし、芽里とやら。今から言うことは、決して他言しないように」
 世凪はにやりとそう言って、すりっと柚巴の頬に自分の頬をすり寄せた。
 そして、気持ち良さそうに、柚巴の感触を堪能しはじめてしまった。
 ごろごろと。
「ほえ?」
 そんな世凪に、芽里は当然、あっけにとられている。
 あまつさえ、そんな奇妙な声を上げるほどである。
 柚巴と幻撞はただじっと、困ったように世凪を見つめていた。
 そして、心の内では、芽里を気の毒に思っていた。
 これから、芽里にふりかかるある言葉を思い――
「俺が、王子様、その人だよっ」
 世凪は楽しそうに、さらりとそんなことを言ってのけた。
 そして、ひょいっと柚巴を抱き上げる。
 そうやって、きゅっと柚巴を抱きしめたりして。
 ずいぶんおあずけを食らっていたのか、世凪は本当に幸せそうに柚巴を堪能している。
「え……?」
 世凪のその言葉を聞いた瞬間、芽里の額から、たらーりと一筋の冷や汗が流れ落ちていた。
 そして、まじまじと世凪を凝視する。
 そのような芽里を見て、柚巴は頭痛がする思いがした。
 それは当然、世凪のこのふざけた行いのために。
 頭を抱え、ため息まじりに言葉をもらす。
「……本当だよ、芽里さん」
 そのすぐ後に、世凪に、じっと非難するような視線を注ぐ。
「もう、世凪。こんなに簡単にばらしちゃって大丈夫なの?」
 その言葉には、少し世凪を心配するような色もうかがえた。
 何やかやと言っても、柚巴は、世凪のことが気にかかるらしい。
 一人でする王宮の探検も楽しいけれど、やはりこうやって世凪といる時がいちばん幸せだと、暗に言っていた。
 恥ずかしいから、そんなことは口に出して言えないけれど。
「え? ああ」
 柚巴の言葉に、世凪は上の空……どこか誤魔化しているといったように、そんな生半可な返事をする。
 それでは、当然、柚巴も不審に思う。
「だって、王子の身の安全のためにって……」
 疑うように、じっと世凪を見つめた。
 すると世凪は、一瞬すまなそうな微笑を浮かべた。
 しかしすぐに、いつものふてぶてしい俺様な態度に戻り、さらりと言い捨てる。
「それ嘘。別に誰が襲ってこようが、この俺がそう簡単にやられるわけがないだろ? ただ、王子としての勤めをすることも、必要以上に他人にかしずかれることも、うっとうしいから秘密にしているだけ。面倒なことは嫌いだからな」
 そうやって、腹立たしいくらいけらけらと笑う。
 同時に、問答無用で世凪に、額に青筋を浮かべた柚巴の鉄槌が下ったことは言うまでもない。
 さらにおまけに、世凪の腕からするりと柚巴が抜け出てしまい、世凪はもう柚巴を楽しめなくなったことも――
 まったく、詰めの甘い馬鹿な俺様王子様である。


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update:04/02/24