微かに漂う懸念
(2)

 世凪は今、宙にぷかぷかと浮いている。
 その薄暗い、燭台の灯りだけを頼りにした呪術部屋の中で。
 椅子に腰かける柚巴にぴっとりより添うように、ぷかぷかと。
 それは、あたかも椅子に座っているような、そのような感じだった。
 パントマイムも真っ青の見事な出来栄えである。
 偉そうに足を組み、空気椅子に座っている。
 そして、左手にはスプーンをのせたソーサー、右手にはカップを持ち、ふてぶてしいながらに気品を漂わせ、優雅に振るまったりして……。
 世凪が優雅に振るまえば振るまうだけ、まわりの者は不愉快になるから不思議である。
「ふわあ〜。それにしても驚きました。あの限夢界にその名を轟かせる、問題児の世凪……あ、世凪さまが王子だったとは……」
 柚巴の横で、まるで柚巴に甘えるように浮いている世凪をまじまじと見つめ、芽里がため息をもらす。
 そんな芽里を、世凪は面白くなさそうにじろりと見る。
 カップの中のティックルのお茶を、ゆらりと揺らせて。
「さまはつけるな。あくまで王子ということは秘密なのだ。まだごくわずかの者しか知らない。普段は今までのように振るまってくれ」
 言葉とは、言い方とは裏腹に、あくまで世凪の態度は不遜きわまりない。
 さすがは、王子の上に、俺様。俺様王子様。
 自らがお願いをしているにもかかわらず、それはまるで命令のように聞こえるからたちが悪い。
 ……いや……実際、命令なのか?
 芽里はそんな世凪の態度にも気を悪くした様子はなく、むしろ逆に恐縮してしまっているようである。
 ごくっとつばを飲み、神妙な面持ちで世凪を見る。
「はい。……でも、なんだか今まで思っていたより、案外、世凪……は、いい人かもしれませんね?」
 あまつさえ、そう言ってにっこり微笑んだりなどして……。
 当然、そんな気色悪いことこの上ないことを言われては、世凪の背筋にぞくぞくっと冷たいものがはしらないわけがない。
 そのようなことは、生まれてこの方、恐らく、言われたことはないだろう。
 幼い頃は、その稀に見る強い力を恐れられ、疎外され、今は今で、その問題児ぶりで疎まれ……。
 世凪が生きてきたこれまでで、柚巴以外の口から、受け入れられるような言葉など、好意的な言葉など、聞いたことがなかったのだから。
 いや、柚巴だけでなく、梓海道もまた、言葉にこそしていないが、その存在をもって世凪の全てを受け入れ、そして忠実に仕えてきた。
 世凪にとって絶対なのは、この世で柚巴ただ一人。
 そして、信用できるのは、柚巴と梓海道だけである。
 そのような二人以外からはじめて聞いたその好意的な言葉は、妙に世凪の胸をくすぐったくさせる。
 思わず、ぼりぼりとかきむしりたくなるくらい……。
「はあ!?」
 そうやって、あてつけるように馬鹿にした声をもらしてみても、それはかえって柚巴の目にはおかしく映っていた。
 まるで、素直じゃないこどもを見るように、とても優しい目をしていた。
 この素直じゃなくて俺様な王子様は、これまで人のあたたかい心に触れたことがなかったのだろう。
 それ故、人の心に人一倍敏感で、そして不器用なのだろう。
 柚巴はまるで、母親のような気持ちで世凪を見つめていた。
 思わずぷいっとそらしたその顔が、ほんのり赤みを帯びていたから、おかしくてくすくすっと笑わずにはいられない。
 本当、素直じゃない俺様王子様。
「まあ、そうかもしれないな。世凪は、お嬢ちゃんと出会ってから、次第に丸くなってきておる」
 そのような世凪に気づいていて、あえて世凪の気を逆なでることを言うのが、この老紳士、いつもにこにこ顔の幻撞である。
 ふぉっふぉっと、我関せず笑い声を上げる。
 いかにも人の良さそうな笑顔を浮かべるこの老紳士は、もしかすると……誰よりも腹黒いかもしれない。
 柚巴も世凪も、最近、ひしひしとそう感じるようになってきた。
 芽里にとっては、すでに当たり前となっていたその事実であるが。
「お前、殺す!」
 世凪はそう言うと、カップをソーサーの上に置き、ぼきっと右手を鳴らした。
 当然、ぎろりとしたにらみを入れつつ。
「もう、世凪ってば」
 そんな世凪を呆れたように見て、ぺしっとその右手をたたくのは、もちろん柚巴の仕事である。
 むうっと非難の眼差しを世凪に向ける。
 しかしそんなものでも、柚巴の視界の中に入れる……というだけで、嬉しくなってしまうのだから、もうこの俺様王子様もたいしたことはない。
 どんなに稀有な力を有していようが……。どんなに破天荒だろうが……。
 柚巴に見つめられ、うろたえてしまうから、世凪はもうどうしたって柚巴に頭が上がらないことはたしかのようである。
 世凪の世界は、柚巴を中心に動いているから、それもいたしかたないのかもしれないけれど……。
 これで、いずれは世界の中心たる王になる……というのだから、この限夢界は、果たして大丈夫なのだろうか?
「なるほど! 今のでよくわかりました。世凪は柚巴さまに弱いのですね」
 そんな二人のやり取りを見て、芽里は妙に納得したようにそうひとりごちる。
 すると当然、この人、俺様王子様、世凪が黙っているはずがない。
 この上なく不愉快だと、芽里をぎんとにらみつける。
 しかし、先ほど、柚巴にめろめろなところを見せられたばかりとあっては、そんな世凪のにらみも、怖くも何ともない。
 幻撞が、つい世凪をからかっておもしろがるのもわかる気がする。
「ところで世凪。伽魅奈姫はどうした?」
 くすくすと笑いながら、ふいに幻撞がそんなことを世凪に尋ねた。
 その瞬間、ぴくりと柚巴の眉がゆがむ。
 その名は、今いちばん聞きたくなかった名である。
 よりにもよって、王子のお妃候補の一人であった、その姫君の名――
 瞬時に、柚巴の心はまた、重く沈みこむ。
「ああ。あの女か。別になんとも……。まったく、こっちはいい迷惑だ。親父の姉の娘だか何だか知らんが、調子にのっていやがる」
 世凪は、当然というように、けっとはき捨てた。
 それは本当に、汚らわしそうに。
 その名を聞くのも、思い出すのも吐き気がする、虫唾がはしるというように、世凪は心から嫌っているようである。
 そのような世凪の態度に、柚巴はどこか救われたような気がした。
 しかし、それでほっと安堵できる自分の心の貧しさに、自己嫌悪したりして……。
 どうにも複雑な感情が、柚巴の心の中で入り乱れる。
 喜んではいけないはずなのに……だけど喜んでしまう。
 そんな自分が、嫌だった。
「……じゃあ、世凪は何とも思っていないのね?」
 くいっと世凪の趣味の悪い黒マントをつまみ、不安げな眼差しで世凪を見つめた。
 すると世凪は、本当に何を言われているのか、その言葉の裏に何が隠されているのかわかっていないらしく、不愉快そうに顔をゆがめていく。
「だからそう言っているだろう? 思ってたまるか! あいつが王族でなければ、半殺しにしているところだ」
「うわあ〜。相当嫌っているのですね〜」
 そんな世凪の態度に、芽里は感心したように、少し楽しそうに、そう言ってのけた。
 世凪は世凪で、ああ腹立たしい!と、一人で勝手に憤っている。
 柚巴の抱く不安などおかまいなしに。
 芽里は、そんな二人の気持ちの行き違いに気づいているらしく、しかしそれを教える気もないらしく、楽しそうににこにこと微笑んでいる。
 ……やはり、食えない少女である。
 さらには、そんな三人を、これまた、「若いっていいなあ」というように、愉快そうに眺めている幻撞がいるから……限夢界というところは、本当にもう……。
 柚巴にとっては、ここ最近、ふんだりけったりなことばかり起こる。
 世凪も世凪で……少しくらい、柚巴の思いに気づいてあげてもよいだろうに……。
 そのように超ニブだと、柚巴に嫌気をさされるのも時間の問題かもしれない。
 まったく……この俺様王子様は。


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update:04/02/27