悲しみの中の願い
(2)

「いらっしゃいませ。庚子さん」
 庚子を連れ、帰宅すると、由岐耶が出迎えた。
 御使威邸。玄関ホール。
 柚巴が扉の前に立つと、ひとりでに扉が開かれていた。
 それは当然、今出迎えた由岐耶のなせる業である。
 柚巴の気配を誰よりも敏感に察知し、他の使い魔たちを押しのけ玄関ホールにかけてきたのである。
 他の使い魔たちも承知したもので、由岐耶にあっさりとその役を譲った。
 ここに、竜桐がいなかったから可能だった……などとは、あえて言わないけれど。
 そこに竜桐がいれば、当然その役は竜桐にとってかわられてしまう。
 そして、今に至る。
 そんな経過をみじんも感じさせない、由岐耶のこの妙に落ち着いた態度は、祐や亜真といった使い魔たちに笑いを提供してくれる。
 いつも冷静沈着なあの由岐耶が、柚巴のこととなると、とたんにペースが乱されてしまうのだから無理もない。
「はあ〜。相変わらず、あんたのところの使い魔は驚かせてくれるな」
 手も触れていないのに開いた扉、そして開けられた扉の向こうに微笑みを浮かべて当たり前のように立っている由岐耶を目にし、庚子が驚かないはずがない。
 この御使威邸には、異なった世界の住人たちが住んでいるとわかっていても、やはり何度経験しても驚くものは驚くのである。
「まだ慣れないの?」
 ほうっと胸をなで下ろす庚子の顔をのぞきこみながら、柚巴はどこかからかうようにそう言ってきた。
 当然、いつもとは逆のこの関係に、庚子がおもしろいわけがない。
「うるさいよ」
 むすうと口をとがらせ、のぞきこむ柚巴の顔をじろっとにらみつける。
 しかし、柚巴にはまったくこたえた様子はなく、むしろさらにおかしそうにくすりと肩をすくめた。
 次第に、思い通りに遊ばれてくれなくなってきた柚巴に、庚子はやはりおもしろくなく感じてしまう。
 以前はもっとおどおどとしていて、こういった冗談を言う少女ではなかったのに……と、どこか悔しい思いがわいてくる。
 だけどそれでも、こうやって変化した柚巴も悪くはないと思ってしまうから、どうにも自分の気持ちがわからなくなる。
 悪くはない変化だと思ってしまうのだから、仕方がない。
 守ってやらなければ……と思っていた少女が、いつの間にか成長したように感じる。
「じゃあ、由岐耶さん。わたしたちは部屋に行きますので」
 しつこいくらいにくすくすと笑いながら、柚巴は、開けていた扉を閉めたばかりの由岐耶に声をかけた。
「はい。後ほど、お茶をお持ちします」
 すると当然、由岐耶の微笑みが柚巴へ注がれる。
 そのような手放しで柚巴に微笑みを向ける由岐耶に、柚巴はどこか気まずそうに肩をすくめた。
 これから自分が言おうとしていることは、少なからず由岐耶に違和感を与えるとわかっているから。
「いえ、結構です。……誰も近づかないようにお願いできますか?」
「は!? しかし、それでは……」
 由岐耶は当然のことながら、そう顔をゆがめる。
「お願いします」
 柚巴は顔をゆがめる由岐耶の前に歩み寄り、由岐耶を見上げるように見つめる。
 真剣な光を帯びた眼差しで。
 それで、由岐耶は一瞬言葉を失い、同時に小さな衝撃を受けたように苦しそうな表情を浮かべた。
 そしてすぐに、ふいっと柚巴から目をそらした。
「わ、わかりました」
 柚巴のお願いに弱い由岐耶は、渋々承知せざるを得ないのである。
 本当は、そんなことは承服しかねるのだが、こんなに真剣な目で見つめられては、由岐耶などひとたまりもない。
 どうやっても、柚巴のお願いにだけはかなわない。
 そんな柚巴と由岐耶を、庚子はどこか怪訝そうに見ていた。


「で、人払いまでしないと話せないことって何?」
 柚巴の私室へ入ると、庚子は当たり前のようにぽんとベッドに腰をおろした。
 柚巴のふかふかのベッドは、ぼすんと庚子の体を吸い込んでしまう。
 体を埋める庚子の横に、柚巴もすっと腰をおろした。
「うん……。実はね、あの噂、案外嘘ではないの」
 ベッドに腰かけ、膝の上でぎゅっと手を握り締めながら、柚巴はそうぽつりとつぶやいた。
 かすかに……握るその手が、震えているように見えるような気がする。
 そのような柚巴を横目でちらっと盗み見て、庚子ははあと小さくため息をもらした。
「ということはやっぱり、あんたは何かを知っているんだな?」
 そして、あっけらかんとそう言い放つ。
 すると柚巴は、庚子にばっと顔を向け、一瞬驚いたように見つめた。
 だけどすぐにまた、顔をもとの位置に戻し、苦笑いを浮かべる。
「そういうことかな?」
 握っていた手を胸までもってきて、そこでさらに力をこめ握り締めた。
 どこか苦しそうに口を開く。
「さっき、庚子ちゃんが言っていたこと……。本当はね、佐倉蒼太郎は、家出じゃなくて……もう亡くなっているの。佐倉家では外にもらそうとはしていないけれど、そんなの、わたしたちにしてみれば意味のないことでしょう?」
 そこまで言うと、柚巴は顔色をうかがうようにじっと庚子を見つめた。
 しかし庚子は、柚巴の顔を見ようとはせず、どこか呆然としたようにぽつりとつぶやく。
「――死んでいたのか……」
 どこか、やりきれないといった感じでもあった。
 あれだけ毛嫌いしていた、そして例の誘拐事件を起こしてからは憎く思っていた相手であるが、それがもうすでに亡くなっていたと聞いては、やりきれないものがある。
 どんなに憎い相手でも、その死はとても重いものだから……。
 嫌いでも、憎くても、人の死は、胸にぽっかりと穴をあけたようなむなしさを与える。
 そのような庚子に気づいているが、柚巴はあえて言葉を続ける。
 最後まで、きっちり庚子に伝えなければならないから。
 このことを話すと決めた時、それも同時に決意していたから。
 それが、どんなに辛いものであろうと。
 御使威家と限夢界のことに巻き込まれてしまった庚子には、知る権利があると思うから。
「それでね……自殺……だと言われている」
「言われている?」
 柚巴の言葉に、庚子は即座に顔をゆがめた。
 そこには、ひっかからずにいられない言い方があったから。
 断言するのではなく、聞き及んだようにそのことをもたらされては……疑問を抱かずにはいられない。
 当然、柚巴も、庚子が疑問を抱くことなど承知している。
「うん。死に方とかね、そういうものが自殺のそれだといわれているけれど、あれはそういうものには思えないの」
 険しい顔で、じっと庚子を見つめる。
 やはり、庚子の顔色をうかがうように。庚子の様子を見逃さないように。
「え……? あんた見たのか!?」
 柚巴の言葉に、庚子は即座にそう反応した。
 当然、その表情は決していいものではない。
 今、口にはしてみたものの、もしその答えが「YES」だったら……と、すでに言わなければよかったと後悔しているようにも見える。
 「YES」の答えが返ってきた時、どう反応すればよいのか、答えればよいのかわからない。
 そして、もし「YES」ならば……柚巴ならば、その時のことを庚子に伝えてくれるだろう。
 自らも苦しみながら……。
 そうなれば、必然、柚巴はその時と同じ苦しみを再び味わうことになる。
 柚巴に再び苦しみを味わわせる……。
 それだけは、絶対に許すことができない。させられない。
 庚子は自らの発言に、後悔する。
 そして同時に、その答えが「NO」であるようにと切に願う。
 言ってしまったものは……もう取り返せないから。せめて、そうであれ……と。
「見て……はいない。でもわかるの。佐倉蒼太郎は、使い魔に殺されたのよ」
 柚巴から返ってきた答えは、ある種望みどおりであり、ある種恐れていた答えだったかもしれない。
 柚巴は見ていないと、望み通りの答えをくれた。
 しかし、その後に発せられた言葉が問題である。
 佐倉蒼太郎は……使い魔に殺された!?
 それは……一体!?
 じっと庚子を見つめる柚巴の苦渋の表情からも、やはり庚子は自分の発言を悔いた。
 柚巴を苦しめさせるつもりはなかったのに――
「つ、使い魔に殺された!? ……って、あんたそれ……!!」
 しかし、今柚巴の口からもたらされたその驚きの言葉に、庚子はそう聞き返さずにはいられなかったことも事実である。
 思わず、前のめりに柚巴に迫るかたちになってしまった。
 庚子は蒼白な顔で、ぎょっと柚巴を凝視する。
 そんな庚子に、柚巴は眉尻を下げ、苦く微笑む。
 辛そうに……。
「……これを、由岐耶さんたちの前で話すとあまりいい気はしないと思うから、だから近づかないように言ったの」
「そうか……」
 驚きの色を見せていた庚子の顔から、覇気がすっとなくなり、力なく身を戻していく。
 そして、庚子は、やはり苦しそうに微笑んだ。
 柚巴の言っていることはよくわかる。
 柚巴は、由岐耶たち使い魔のことを思いそうしたのだと。
 たしかに、使い魔たちにしてみれば、それはいいことではないだろう。
 同じ使い魔が、主人の命を自らの手で絶ったと言われては……。
 彼ら使い魔たちは当然そのことは知っているであろうが、知っていても辛いものは辛い。
 自らの手で主人を殺めた使い魔に残るもの……。
 それは、救いようのない後悔と苦しみだけである。


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update:04/03/05