悲しみの中の願い
(3)

「以前、わたし話したよね? 佐倉蒼太郎がしようとしていたこと。そして、その後どうなったか……」
 胸の前で握る手に再び力をこめ、柚巴は庚子を見つめる。
 それに答えるように、庚子も真剣な眼差しを柚巴へと向けた。
「ああ……」
 庚子の相槌に柚巴は力なく微笑み、そして意を決して続きを語りだす。
「あの後ね、佐倉蒼太郎の使い魔が、佐倉蒼太郎を人間界まで連れて帰ってきたのだけれど……。佐倉蒼太郎は、自分に御使威の血の契約がなくなったことと、悲願が打ち砕かれたことにショックを受け、自ら命を絶った……。そう言われているのだけれどね、実は……そうじゃなくて、彼の使い魔が殺したの。あの人ならやりかねないわ……。きっと、佐倉蒼太郎のその後の苦しみを思い、そうしたのね……。自分も苦しむことになるのに――」
 まるで自らの苦しみのように、柚巴は庚子にそう告げる。
 そんな柚巴を見ていると、たしかに柚巴は変わったと思わされる。
 しかし、それは悪い意味ではなくいい意味で……。
 そうあらためて思わされてしまう。
 それが、嬉しいようであり、だけどどこか物悲しいのは何故だろう?と、庚子は自分の理解不能の感情に苦笑いを浮かべる。
 喜ばしいはずのこの変化を、素直に喜ぶことができない自分が情けなく思う。
 柚巴のその変化は、二人の間に見えない壁をもたらしたように思えて。
 それが、庚子を素直にさせてくれない。
「ああ、そうだな。そうかもしれないな。……柚巴には、わかるのだろう?」
 辛そうに、だけど優しく、庚子は柚巴にそう問いかける。
 すっと、柚巴の頬にかかる髪に触れながら。
「うん……」
 柚巴はそんな庚子をじっと見つめ、ゆっくりとうなずいた。
 庚子は、もうわかっている。知っている。
 柚巴が、もう以前の柚巴ではなくなってしまったことを。
 柚巴はそれを感じながら、うなずいていた。
 庚子はそんな柚巴に、苦笑いを見せることしかできなかった。
 自らの複雑な感情のままに。
 今は、はっきりしたことは言えないから。今はまだ……。
 今はまだ、自分でも自分の気持ちがわからない。
「そっか……」
 そうつぶやくと、柚巴の髪に触れていた手をそのままに、くいっと柚巴を抱き寄せた。
 そして、きゅっと肩を抱く。
 それはまるで、柚巴を守るように抱かれている。
 そこから、柚巴も庚子の思いが伝わったのか、嬉しそうに、だけどやはりどこか辛そうに微笑む。
「それで? その使い魔はどうしたんだ?」
 自分の腕の中にいる柚巴に、庚子はそう先を促す。
 たとえここで庚子が先を促さずとも柚巴は告げていただろうけれど、少しでも柚巴が言い出しやすいようにときっかけをつくってやった。
 きっかけなしに柚巴の口からそれを言わせるには、かなりの勇気がいるだろうから。とても辛いだろうから。
「今は、王宮の地下深くにある牢の中で、永遠の刑に処せられているわ」
 柚巴も庚子のその優しさを汲み取り、静かに答えた。
「永遠の刑?」
 首をかしげる庚子に、一度こくんとうなずく。
 そして、語り出す。
「死ぬまで、誰にも会えず誰とも話せず、一人孤独にたえるという刑のことらしいの。彼は自らも死にたいと言ったけれど……。だって、彼にとっては、生きている事の方がよほど罰になるでしょう? だから、そうしたのだって……。それ程に、彼は罪深かったのね……」
 柚巴はそう話し終えると、今にも泣き出してしまいそうな顔で、庚子をじっと見つめた。
 それはまるで、何かを伝えるように訴えるように見つめていた。
 当然庚子にもそんなことはわかっている。
 そして、柚巴が庚子に何を伝えたいのか、何を求めているのかもわかってしまう。
 だから、自然動いていた。体が。
 辛そうに庚子を見つめる柚巴を、ぎゅっと抱きしめていた。
 そうすることで、少しは柚巴の苦しみをやわらげてあげることができるように思えたから。
「柚巴……。ありがとう。話してくれて」
 抱きしめた柚巴の耳元で、そっと優しくささやいた。
 一体、柚巴は、どのような思いで、このことを庚子に教えてくれたのだろうか。
 辛いことを思い出すことになるのに……。
 まだ、近い過去のこと。傷は……癒えていないだろうに。
 いいや。この傷は、一生癒えることはないだろう。
 蒼太郎が柚巴たちにもたらした衝撃は、それほどに大きなものであるから。
 蒼太郎がしでかしたことは、それほどに大変なことであるから。
 大切なこの友達の心の傷を、少しでいいから自分にも分けて欲しい。
 そうすることによって、柚巴の傷が少しでもやわらぐならなおのこと――
「ううん。ごめんね、今まで黙っていて」
 柚巴は庚子の腕の中で、小さく首を横にふり、ぽすっと庚子の胸に頭をもたれかける。
 そんなどこか甘えるこどものような柚巴に、庚子はくすっと微笑んだ。
「いや……。いいよ」
 そうして、ぽんぽんと柚巴の頭をなでる。
 まったくわたしの友達は、甘えん坊だな……とからかうように。
 しかし、柚巴はそれに反発することなく、そうなんだよと、さらに甘えるように庚子に自分の体重を預けていく。
「なあ。じゃあ、わたしも言っておこうかな」
 ぽんぽんとなでていた手をとめ、庚子は両手を柚巴の両肩にのせた。
 そして、どこか辛そうに微笑む。
 柚巴の目をとらえ。
「……庚子ちゃん?」
 そんな庚子の言葉、そして表情に、柚巴は急に不安を感じ、じっと見つめた。
 すると庚子は、柚巴からふいっと視線をそらし、吐き出すように言葉をもらしはじめる。
「今まで黙っていたけれど、わたしさ……何か忘れているような気がするんだよ。なんかこう、片翼を失ったようなそんな感じ。虚無感というか、喪失感というか……。なんでだろうな?」
 言い終えると再び柚巴へと視線を戻し、そして辛そうに柚巴をじっと見つめた。
 柚巴を見つめる庚子は、いつも見る庚子ではなく、どこか頼りなく、そして小さく見えてしまう。
 淋しさと、悲しみにたえるように、そのように見える。
「え……!?」
 今、庚子からもたらされた言葉。そして、今の庚子の様子。
 それは、柚巴にとんでもない衝撃を与えた。
 さあっと、頭が真っ白になったように感じられてならない。
 それは……すなわち――
「それがさ、ここ最近なんだよ。何か……大切なことを忘れているような気がする。なあ、柚巴、あんたにはこれが何かわかるか?」
 そう言って、切なそうに微笑んだ庚子の顔は、妙に印象的だった。
 これまで決してのぞかせたことのない、辛そうな表情を見せる庚子。
 何より、愛しい者を追い求めている……恋する女のような庚子。
 淋しそうに柚巴を見つめる庚子のこの姿は……それは、一体何を意味するものなのか……。
 柚巴には、わかってしまったような気がする。
 庚子は、恐らく――

 失くした片翼。それはすなわち、多紀。
 庚子のおさななじみで悪友の、九条多紀。彼しかいない。
 まるで一対の翼のように、いつも一緒にいた。
 まわりからどんなに(うと)んじられようと、二人は一緒にいるだけで、それだけで十分というように、ひょうひょうと振る舞っていた。生きていた。
 それが、柚巴が出会った頃の二人。
 互いの存在は、柚巴の想像の域をこえるほど、互いにとっては大きなものだったのかもしれない。
 二人は、恐らく……ただのおさななじみではなかっただろう。
 何もかもわかり合い、そして一緒にいるように見えていた。
 まるで兄弟のように育ってきた二人。
 そして、少なくとも庚子は、知らず知らず、おさななじみ以上の感情を多紀に抱いていたに違いない。
 柚巴は、今はじめてそれに気づかされたような気がする。
 それが、あらためて柚巴に大きな衝撃を与える。
 一体、今まで、二人の何を見てきたのだろう。
 そして、そんな大切なおさななじみを庚子から奪ったのは……まぎれもなく、柚巴である。
 多紀はもともと……柚巴のために遣わされた、限夢界のものだったから……。
 柚巴が望む望まずにしろ、それが変えることのできない事実――


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update:04/03/08