落とされる陰
(1)

 限夢界。
 限夢宮、呪術部屋。
 そこに、この部屋には似つかわしくない……いや、不自然な人物がいた。
 燭台の灯りだけで明かりをとる、ほんのり薄暗いその呪術部屋の入り口に、汚らわしそうに顔をゆがめ立つ一人の姫君。
 本来ならこんなところへは来たくなどなかったけれど、仕方なく来てやったのだと、体全部を使っていっているその姫君。
 その姫君は、いつだったか、王にクレームをつけ、祐、亜真、麻阿佐といった使い魔たちに喧嘩を売った伽魅奈だった。
 伽魅奈がここ、呪術部屋にその姿を見せるとは、どう考えても腑に落ちない。落ちるわけがない。
「……」
 半分呆然と、しかしこの上なく汚らわしそうに、自分の足元をにらみつけている。
 伽魅奈の足元には、今まさに、気味の悪い黒い毛むくじゃらの物体が転がっているから。
 いや、転がっているのではなく……そこに立っている?
 しかも、伽魅奈に負けず劣らずの、この上なく偉そうな態度でふんぞり返って。
 伽魅奈の膝にも及ばないその背丈で、懸命に伽魅奈をにらみ上げている。
 そのような姿を見せられると、この不気味な黒い物体も、案外健気に思えてきてしまうから不思議である。
「何ですの? これ」
 当然、伽魅奈は憎らしげにそうつぶやくと、げしっと足元に転がっている黒い物体を蹴飛ばした。
 瞬間、黒い物体は「ふぎゃんっ」と不細工な鳴き声を上げ、ごろんと一回転した。
 そしてまた、ばばっと体勢を立て直し、その口を開こうとする。
 が、とたん、その口は何かに覆われ、開くことができなくなってしまった。
 体も宙を舞い、ふがあっふごおっと、開くことのできない口でぎゃあぎゃあうなっている。
「……これは、小悪魔の鬼栖ですよ。伽魅奈姫」
 そう冷静に、かつ、どこか馬鹿にしたように答える虎紅の腕の中に、鬼栖は気づけば移動していた。
 伽魅奈に蹴飛ばされ転がった鬼栖を、虎紅が拾い上げていた。
 これ以上、この馬鹿馬鹿しい事態をややこしくされては困るので。
 一人でもって、一人と一匹の面倒くさい輩を相手にしなければならないと、虎紅はうんざり顔である。
「そんなことを聞いているのではないわ。どうして、ここに小悪魔がいるのかと聞いているのよ。こんなもの、さっさと封印してしまいなさい!」
 冷静に答える虎紅に、それが余計に腹立たしく、伽魅奈はかちんときて、やはり必要以上にそうまくしたてる。
 このお姫様はどうやら、ぎゃんぎゃんと無駄にうなることを得意としているらしい。
 どこかの不細工小悪魔のように。
 当然、ただ頭にがんがん響く雑音しか発しない伽魅奈に、虎紅は面倒くさそうに答える。
 ぴしっと鬼栖の口に、沈黙の拘束を施し、鬼栖を解放して。
 沈黙の拘束の理由は、当然、うるさいから。それ一つである。
 解放された鬼栖は、今度は悔しそうに虎紅の足元で、必死で何か文句をつけているようである。
 しかし、音にならないその文句は、あっさりと虎紅に無視されてしまう。
 さらには、さらりと、ぶにゅっと踏みつぶされる始末。
 まったく鬼栖は、邪魔者以外の扱いは受けられないようである。
 事実、ちょこまかと動くその黒い物体は、邪魔なのだけれど。
「そう言われましてもね、これは今は従魔なのですよ。ですから、主の許可なしには封印できません」
 やはり虎紅は、面倒くさそうにそう答えるだけである。
 うるさくなくなった鬼栖を放置し、床に散らばる書物を拾い上げはじめた。
 それではまるで、伽魅奈ですら、まともに相手にする気はないといったようである。
 当然、虎紅のそんな態度に、伽魅奈はぴくぴくと、額に浮かべる青筋の数を増やしていく。
 まだ、どうにか、理性は保たれているようである。
 まだ、どうにか、破壊活動には至っていないから。
 伽魅奈にしては、殊勝かつ、立派なことである。
「……従魔ですって? 一体、どなたのですの?」
 ひくひくっと頬の筋肉をひきつらせつつも、つとめて冷静を装ってそう問いかける。
 胸の内は、今にも爆発してしまいそうなほど煮えくり返っているけれど。
「柚巴殿です。邪魔なので、ここで預かっていて欲しいと頼まれましたのでね」
 拾い上げた書物を、やはり書物が散らかった机の上で、ぽんぽんと二、三冊そろえる。
 そして、アンバランスに積み上げられている書物の上にそれを重ねる。
 虎紅なりに片づけているようであるけれど、これでは結局同じことである。
 おっちょこちょいの芽里辺りが机にぶつかり、その衝撃でアンバランスに積み上げられた書物は、ばたばたばた〜と軽快な音を立てて崩れ落ちることは必至だろう。
「おい、虎紅! 俺様を邪魔者扱いするな! 柚巴は決して、そんなことは言っていないぞ!!」
 虎紅が書物を拾い上げることによって解放されていた鬼栖は、今まさに虎紅が積み上げたばかりの書物の上にぴょんと飛び乗り、そう怒鳴り散らす。
 強引に、虎紅の施した拘束を破り。
 鬼栖も、一応それなりの力は持ち合わせているようである。虎紅の拘束を破るくらいの力は。
 まあ、虎紅があまり本気で術を施していなかった……という辺りが、簡単に破ることのできた本当の理由だろうけれど。
 鬼栖が飛び乗ると同時に、ばさあっと書物がまた散らばったことは言うまでもない。
 その雪崩に巻き込まれ、鬼栖も床へ転げ落ちたことも……。
 どうやら、芽里の手をかりるまでもなく、書物はもとのもくあみである。
 転げ落ちた床では、もやしのような手をぶんぶん振りまわし、ぎゃんぎゃんわめき散らしている。
 自分が招いた事態であるというのに、床に転がり落ちたのは、あたかも虎紅が原因であるかのように。
 そんな鬼栖に冷ややかな視線を落とし、虎紅はため息まじりに言う。
「同じことでしょう? 柚巴殿が、一人になりたいから預かって欲しいといって、お前をここにおいて行ったのだから」
「くっ……」
 そう、虎紅の言葉がもたらされると、鬼栖は瞬時に黙ってしまった。
 悔しそうに――やはりあくまで、そう感じるだけで――虎紅をにらみつけ。
 ぎゅっともやしの手を握り締め、拳をつくり。
 ぎゃんぎゃんうなることしか能のない鬼栖は、虎紅の一言でノックアウト。
 いちばん触れられたくないところに、触れられてしまったばかりに。
「やはり、これはあの人間の娘の持ち物でしたのね。……まったく、ペットにするなら他にあるでしょう? よりにもよって、こんな下品なもの。品位を疑いますわ」
 床に転がる鬼栖を小馬鹿にするように見下ろし、伽魅奈がそう言い捨てた。
 当然、腰に手などをあて、ふんとふんぞり返り。
 見事に、型どおりのことをしてくれる姫君である。
「……虎紅。こいつ、喰っていいか?」
 当然、鬼栖は目をすわらせ、おもしろくなさそうにぽつりとつぶやく。
 鬼栖でも、ご主人様を馬鹿にされては、さすがにおもしろくないようである。
 こう見えても、それなりの忠義心は持ち合わせているらしい。
 そして、ころんと転がっていた床から、すいっと立ち上がった。
 立ち上がったところで、その姿にたいして差はないのだけれど。
 ふわふわの真っ黒い球体が、ばらばら散らばった本の海の中にいるその様は、ある意味滑稽である。
 まあ、鬼栖のその姿自体、もともとある意味滑稽だけれど。
「それはやめておきなさい。お腹を壊しますよ」
 本の上で仁王立ちしている――ように見えるだけ。あくまで――鬼栖をひょいっとつまみ上げ、虎紅はやはり呆れたようにはあとため息をもらす。
 虎紅につまみ上げられた鬼栖は、虎紅の顔の前で一瞬目を見開き、そして「それは言えているな」と、爆笑をはじめてしまった。
 その笑いに合わせるように、鬼栖の体はぶらんぶらんと揺れている。
 そんな鬼栖を、虎紅は、やはりうっとうしそうに、再び書物の海へとぽいっと放り投げた。
 ころんと転がった鬼栖はまた、そこでぎゃんぎゃんとうなりはじめる。
 今度は、虎紅への恨み言で。
 そのような二人――一人と一匹?――の会話を聞いていた伽魅奈は、顔を真っ赤にし、ぶるぶると震えていた。
「な、な、なんと無礼な!!」
 そして、腹立たしげに言葉をしぼりだす。
 この伽魅奈を見る限りでは、その怒りはもう限界に達しているようである。
 こんな少しの言葉、短時間で、怒りを限界に達することのできる伽魅奈の短気ぶりは、ある意味表彰ものかもしれない。
「無礼なのはそちらでしょう。いいえ、あなたのしようとしていることは、無礼を通りこして反逆ですか?」
 しかし、そんな伽魅奈に対して、虎紅はあくまで冷静である。
 当然、伽魅奈を見下すような視線を向けている。
 見下した中にも、十分威圧を込めて。
虚空薬(こくうやく)をくれとは……! 限夢人にとっては多少体にしびれがくる程度ですみますが、これを人間に使えば猛毒になります。……伽魅奈姫は、当然ご存知ですよね?」
 そう言った虎紅の目が、ぎらんと伽魅奈をとらえた。
 瞬間、伽魅奈は悔しそうに一歩退く。
 そのような伽魅奈に、やはり虎紅は「この小物が」とでも言いたげに、見下すような視線を注ぐ。
「あなたが何をしようとしているのかは深くは追求しません。……ただ、これだけは理解しておいていただこう。わたしは、あなたと柚巴殿、どちらが大切かというと、間違いなく柚巴殿です。わかったのなら、さっさとここをお立ち去りください!」
 虎紅はそう言うと、きっと伽魅奈をにらみつけた。
 当然、その目に込められているものは、頑とした拒絶の色である。
 すると伽魅奈は、やはり悔しそうに、きゅっと唇をかむ。
「……覚えていなさい。きっと後悔してよ」
「楽しみにしています」
 伽魅奈のこれ以上ないというほど怒りの込められたその負けおしみに、虎紅はにっこりと微笑みそう返した。
 しかも、嫌味なほどさらりと。
 そして、やはり、きっと伽魅奈をにらみつける。
 虎紅のその言葉と視線を受け、伽魅奈は、悔しそうに扉の横の壁を一発殴り、くるりと踵を返し、どすどすと呪術部屋から去っていった。
 どこか陰湿な感じ漂う、その薄暗い廊下を。
 伽魅奈が立っていたそこには、ぱらぱらと崩れ落ちる石壁が残されている。
 その伽魅奈が打ちつけた壁の丸くえぐれた部分を見ながら、虎紅はまたため息をもらす。
「やれやれ。困ったお姫さまですね……」
 そして、呪術部屋の扉へと向かう。
「――さてと、これは王に報告せねばなりませんね」
 そうやって、開けられた扉から、虎紅は呪術部屋を出ていく。
 虎紅の独り言を耳にした鬼栖は、ぴんと反応し、慌てて書物の海から駆け出してきた。
「待て! 俺様も行く!!」
 そう言って、廊下の向こうへ消えていく虎紅の後を、ちょこまかとついて行く。
 薄暗い廊下が、一人と一匹の姿をのみ込んでいく。


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update:04/03/14