落とされる陰
(2)

 柚巴をお姫様だっこした世凪が、神のドームから姿を現した。
 これはまさしく、間違いなしに、王子様がお姫様にするお姫様だっこ。
 正真正銘、王子様によるお姫様のためのお姫様だっこ。
 世凪は一応、これでも王子。
 何を間違ったか、王子。
 そして柚巴は、その婚約者。
 何より普段から、使い魔たちからは「姫」と呼ばれている。
 夢見る女の子が憧れてならないそのお姫様だっこをされているはずなのだけれど、柚巴はあまり嬉しそうではない。
 本当は嬉しいのだけれど、それよりもどきどきと胸の高鳴りの方が気になって仕方がない。
 そしてやっぱり、少し……いや、かなり恥ずかしい。
 王子様によるお姫様だっこ。
 このような場面を他人に見られてしまったら、その時はもう穴に入りたくなってしまうかもしれない。
 いや、入っても入り足りない。
 柚巴は、世凪の腕の中、そんなことを思っていた。
 柚巴でも、複雑な乙女心というものを持ち合わせているらしい。
 しかし、この俺様王子様にかかれば、そんなものはどうでもいいのだけれど。
 そしてまた、よかれと思ってしていることなので、絶対に柚巴の内なる葛藤になど気づかないだろう。
 自分の腕の中におとなしくおさまっている柚巴が、もうかわいくて仕方がないといった様子である。
 そして当然、はなそうなどとはみじんも思っていないだろう。
 たとえこの場に、王が姿を現したとしても、ひょうひょうと柚巴を抱いたままだろう。
 先ほど、ある意味爆弾発言をやってのけたにもかかわらず、世凪はもうご機嫌である。
 しかし、それを見せては柚巴に逃げられてしまうので、どうにか神妙な顔をつくって誤魔化して。
 この俺様王子様も、なかなか賢くなってきたらしい。
 その時、お願いだから、ここに誰も現れないでと願っている柚巴に、不幸が舞い込んできた。
 前方の回廊の柱の陰から、人影がちらっと姿をのぞかせた。
 そうかと思うと、その人影は柱の陰から全容を現し、そしてこちらへと近づいてくる。
 それに気づいた柚巴は、世凪の腕の中、多少抵抗するように身じろぎをする。
 しかしそんなものは、当然のように世凪にさらっと無視され、そのまま世凪の腕の中におさまったままである。
 柚巴は少し困ったように、恥ずかしそうに世凪の顔をちらっと盗み見て、そして諦めたようにぽすっとその胸に頭をもたれかけた。
 柚巴のそんな行動を、この俺様王子様ときたら、素直に柚巴が甘えてきている……ととったらしく、一瞬、ふにゃっと表情がゆるんでいた。
 まったく……この王子様は……。
 この上なく、プラス思考の持ち主のようである。
 そうやって二人がいちゃついていると、先ほどの人影が、二人の前にやって来て立ちはだかった。
 そして、憎らしげに口を開く。
 ぎろっと、世凪の腕の中にいる柚巴をにらみつけて。
「……あら? いいご身分ですこと。あの世凪にそんなことをさせるなんて。――育ちが知れましてよ?」
 そんな意地の悪いことを言うこの人影は、伽魅奈だった。
 先ほど、虎紅にさらりと追い払われた伽魅奈。
 その腹いせとばかりに、世凪の腕の中にいる柚巴を見つけ、嫌味を言うためにわざわざここまでやって来たらしい。
 その、あの世凪と一緒にいる柚巴のもとまで、わざわざ。
 いや、のこのこ?
 世凪など、まともに相手にしないのが賢明であると、当然伽魅奈も知っているはずだろうに……。
 まあ、このお姫様にそんなことを言っても無駄だろうけれど。
「放っておけ、柚巴」
 どうやら、世凪の方が伽魅奈より、少しは賢いようである。
 さらっと伽魅奈を無視し、柚巴にそうささやく。
「言われなくても」
 すると当然、面倒くさそうに柚巴がそう答えた。
 あの柚巴にすらこのような言動をとらせてしまうのだから、伽魅奈も相当嫌われたものである。
 まあ、柚巴にとっては、この伽魅奈という姫君は、恋敵のようなものなので、嫌うなという方が無理なことなのかもしれないけれど。
 あまり他人を嫌いにならない柚巴にまでも、このようにあしらわれてしまうのだから、伽魅奈はある意味すごい姫君かもしれない。
 そうやって、柚巴にも世凪にも無視されてしまった伽魅奈は、当然烈火の如く怒り狂う。瞬時に。
 柚巴でうさばらしをしようと思っていたのが、さらっと無視されてしまったので、それは当たり前かもしれない。
「お待ちなさい! わたくしを無視する気!?」
 そうわめき散らす伽魅奈に、相変わらず柚巴を抱いたまま、世凪はくるりと背を向けた。
「聞こえない。聞こえない」
 馬鹿馬鹿しそうにそう言った次の瞬間には、ふわっと柔らかな笑みを柚巴に落としていた。
 そのような世凪の豹変ぶりを目の当たりにした柚巴は、きょとんと首をかしげていた。
 世凪の精一杯の思いも、柚巴には気づいてもらえないらしい。
 この時ばかりは、さすがに世凪に同情を禁じえない……かもしれない。
「柚巴。一気に飛ぶから、しっかりつかまっていろよ?」
 そのような柚巴に、世凪は少し残念そうに苦笑いをもらす。
 そして、柚巴を抱く手に、少し力をこめる。
「う、うん」
 柚巴は世凪の言葉に答えると、当たり前のように世凪の首に自分の両腕をまわした。
 そして、きゅっと抱きつく。
 その瞬間、世凪の心臓が、ずきゅ〜んと飛び出しそうになったことは言うまでもない。
 こんなに素直に、柚巴が世凪に抱きつくとは思っていなかった。
 柚巴のことだから、恥ずかしがってためらって、なかなか言うことをきいてくれないと思っていた。
 やはり、恥らう柚巴もかわいいが、素直な柚巴はもっとかわいい。
 そんなことを、この状況の中、世凪は感じていた。
 まったく……緊張感のかけらもない男である。この王子様は。
「待ちなさいと言っているでしょう!」
 そうやって、傍目にはいちゃついているとしか見えない世凪の足元に、突然、氷の玉が投げつけられた。
 ばりんと大きな音を立て、足元で氷の玉がはじけ飛ぶ。
 しかし、当然のことながら、その欠片が世凪にも柚巴にもぶつかることはない。
 投げられた瞬間、見えない壁をさらりとつくり、防御していたのである。
 やはりこの王子様は、どうにも癪に障ることをさらりとやってのけてくれる。
 氷の玉の欠片をさらっと退けた世凪は、馬鹿にするように伽魅奈を一瞥し、くっと肩で笑った。
 その世凪に、伽魅奈が激怒しないなど、当然のことながらあり得ない。
 再び、手に氷の塊をつくりはじめる。
 それに気づいた世凪は、上体だけを伽魅奈に向け、じろりとにらみつけた。
「……俺とやる気か?」
 威圧をこめて、そのようなことをつぶやきながら。
 その表情は、まさしく極悪人。
 さすがは、限夢界にその名をとどろかせる暴れん坊。
 今にも、容赦のない攻撃を仕かけてきてもおかしくない。
 伽魅奈などたわいもないとばかりに、にやにやと嫌味な笑みを浮かべている。
 そのような世凪を目の当たりにし、伽魅奈は一瞬たじろいだ。
 しかしすぐに、きっと世凪をにらみつけ、気位だけなら一級品、怖いもの知らずなその根性で、さらに食い下がってくる。
「お黙り! このわたくしが、お前ごときの脅しに屈するとでも思って!?」
 たしかに、ドレスに隠れたその足はがたがたといっているにもかかわらず、ふてぶてしい表情だけは相変わらずである。
 この表情は、まるで誰かさんを見ているようである。
 限夢界の王族というものは、みんなこのようなのだろうか?
 祐や亜真、麻阿佐たちではないが、そう思わずにはいられなくなる。伽魅奈のこのような姿を見せられては。
「駄目だ、これは。この姫さん、まったく自分の実力をわかっていない。王族一のおちこぼれが」
 そのような伽魅奈を見て、あの世凪が気の毒そうにはあとため息をもらした。
 しかし、やはり、すぐにくすくすといった馬鹿にした笑いをはじめる。
 世凪ではないが、たしかに、世凪に敵う者など、この限夢界にそうはいないだろう。
 いや、絶対にいない。
 何しろ世凪は、王ですら恐れるほどの力の持ち主なのだから。


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update:04/03/17