望まぬ犠牲者
(1)

 パルバラ病。
 それは、数千年に一度の割合で発生する、限夢人を死にいたらしめる恐ろしい病気。
 その病気は凄まじい勢いで広がり、限夢界ほとんどの限夢人を殺してしまうほどの威力をもつ伝染病。
 たとえ命は助かっても、後遺症が残ることもある。
 このパルバラ病が発生する時は、何かしらこの世界に異変が起きているとも、増えすぎた人口を減らすために、冥界の神・ヘルネスが病をもたらすとも言われている。
 ある意味、神がかり的な病かもしれない。
 まるで、迷信めいたいわくを持つ病。
 それが、パルバラ病。
 その名は、唯一病に効果のあるパルバラの実からつくる薬によって病が治ることからきている。
 パルバラの薬は、パルバラ病の特効薬である。


「パ、パルバラ病だって!?」
 あの世凪が、少し取り乱したふうに叫んだ。
 心なしか、その顔の色もよくはない。
 多少青ざめて、焦っているようにも見える。
 あの、俺様王子様の世凪が、である。
「世凪……?」
 そんないつもとは違う世凪を、柚巴は怪訝そうに見つめる。
 このような世凪を、柚巴ですらまだ見たことがなかったから。
 こどものように甘えてくる世凪や、こどものようにすねる世凪、そして柚巴を愛しそうに見つめる世凪なら、何度も見たことはあるけれど……。
 それはもちろん、柚巴だけに向けられたものであると柚巴は知っているので、それ以外にも柚巴が知らない世凪の顔がまだあったのかと思うと、少し淋しくなったりする。
 世凪と虎紅の様子から、今はそんな時ではないとわかってはいても、思わずそう感じてしまう。
 それはやはり、柚巴も知らず知らず、世凪に惹かれている証拠なのだろうか?
「ああ、大丈夫だ。――すまん、柚巴。多紀に会わせてやれなくなった」
 不安そうに世凪を見つめる柚巴に、世凪はやはり優しく微笑む。
 しかし、素直に微笑んでいるのではなく、どこか苦く苦しそうに微笑んでいる。
 そのような表情を浮かべるので、さらにいつもとは違うことを思い知らされる。
 このような世凪は、見たことがない。
「ううん。それよりも、そんなに大変な病気なの?」
 柚巴は、そう思いつつも、やはりそうはいっていられない様子なので、とにかく今はこの状況を理解することに務めることにした。
 二人がこれほど取り乱しているのだから、恐らく……ただごとではないだろうことはわかるから。
「ああ。人間のお前には感染しないから安心だが、限夢人にとっては……致命的だ!」
 柚巴の問いかけに、世凪は一瞬目を見開き驚いたような顔を見せた。
 しかしすぐに、そうやって柚巴に簡単に説明してやる。
 やはり、この時の世凪も、普段からは想像ができないほどうろたえていた。
 そして、何かを考えこむように、急に黙り込んでしまった。
 そのような世凪を、虎紅は青い顔でじっと見つめている。
「行こう!」
 世凪の赤く長い髪を一房ぐいっと引っ張り、柚巴がふいにそう言った。
 当然、いきなりの柚巴の言葉に、世凪も虎紅も面食らったように柚巴を見つめる。
「え……?」
 柚巴はつかむ世凪の髪をさらにぐいっと引っ張り、自分の顔に世凪の顔を引き寄せる。
「こんなところでうろたえている場合じゃないでしょう! 何かすることがあるのでしょう? だから、虎紅さんはわたしたちを迎えにきたのでしょう!?」
 多少怒鳴るように世凪にそう言うと、世凪はやはり目を見開き柚巴を見つめた。
 虎紅も同様である。
 まるで、目からうろこでも落ちてきそうである。
 この二人にとっては、今柚巴がもたらした言葉は、意外すぎるものだったらしい。
 まさか、柚巴からそのようなことを言われるとはな……と、多少自嘲気味でもあった。
 本当は、ここでいちばん取り乱してはいけないのは自分だったのに……と。
 パルバラ病の発生というとんでもない事実の前で、つい……。
「あ、ああ。そうだな。すまん。俺がこんなことでうろたえている場合ではなかったな。――行くぞ! 虎紅!」
 相変わらず柚巴を腕に抱いたまま、世凪はふわりとマントを翻した。
 そのマントの向こうで、世凪の言葉にはっと我に返った虎紅が、きっと険しい顔をして答える。
「はい!」
 そう言って、姿を消していく世凪に続き、虎紅も姿を消した。
 その光景を、先ほどから、一歩はなれたところで伽魅奈が呆然と眺めていた。
 伽魅奈もまた、虎紅がもたらした事実に、我を失っているようである。
 それは、あまりにも衝撃的なことだったから。
 限夢人にとって、パルバラ病は、ある意味、暴れん坊世凪よりも何よりも恐ろしいものである。
 感染すれば……一〇〇パーセントに近い確率で死にいたるのだから、それは仕方がないことだろう。
 また、感染力も、極めて強い。
 パルバラ病の前では、いかに力のある限夢人とて尻ごみしてしまう。
「そ、そんな……。パルバラ病ですって……!? ――こうしてはいられませんわ! はやく屋敷に帰って、対策を施さなくては……!!」
 伽魅奈はそうひとりごちるように叫ぶと、建物の中へとばっと駆け出した。
 どうやら、瞬間移動という便利なものを使うことさえ忘れるくらい、取り乱しているようである。
 あの伽魅奈にすらこのような動揺を与えるのだから、パルバラ病とは、限夢人にとっては、相当に恐ろしい病気なのだろう。


「王! 王! 王はいるか!!」
 王宮の奥深く。
 王の私室が設けられた、最奥。
 そこから、乱暴に叫ぶ世凪の声が聞こえてくる。
 そして同時に、王の私室の扉が乱暴に開かれた。
 あと少し力を加えていれば、間違いなく、この大きく頑丈で豪華な扉は壊れていたことだろう。
 今でもまだ、みしみしとおかしな音を立てている。
 当然、世凪のことだから、そんなことにはかまわず、ずかずかと王の私室へと足を踏み入れる。
 しかし、そこに王の姿はなく、世凪は怪訝に顔をゆがめた。
 たしかに、ここから王の気配がしてくるのに……と。
 すると、ぴんと何かに気づき、すぐ横にある別の扉へと歩いていく。
 そしてやはり、乱暴にその扉を開け放つ。
「寄るな!!」
 瞬間、そのような怒鳴り声が襲いかかってきた。
「な、なんだと、親父! それどころではないのだ!!」
 当然、短気の俺様王子様なので、王の怒声に額の青筋をぶっつりとぶっち切った。
 柚巴を抱いていることなどさらっと忘れ、王に怒鳴り返す。
 柚巴は世凪の腕の中、きーんと耳に響く世凪の怒鳴り声に顔をゆがめている。
 しかし、世凪をとめようとはしていない。
 いや、とめる余裕すらなく、世凪は完全にぷっつんときているようである。
 まったく……この親子は、相変わらずなのだから……。
「違う。わたしも感染してしまったのだ! だから寄るでない!!」
 そう言った王を見ると、たしかに……天幕の下りた天蓋つきのベッドに横たわっている。
 そのことに、今さらながらに世凪は気づく。
「……世凪。本当なのです。王の……王に謁見をお願いして気づきました。ですから、パルバラ病が発生したのも……」
 世凪の後についてきていた虎紅が、おずおずとそう世凪に耳打ちをしてきた。
「くそっ……!!」
 虎紅の言葉で、ようやく事の次第を無理無理のみこみ、悔しそうにちっと舌打ちをした。
 虎紅の言葉を聞くまで、まだ王が病に倒れたことを認めたくなかったらしい。
 素直じゃない親子の素直じゃない愛情が、そうさせている。
「ご安心ください。王にはもうパルバラの薬を投与済みです。あとは、回復を待つだけです。しかし、完治するまではどうか……」
 虎紅は、世凪を制止するようにさらにそう言ってくる。
 素直じゃない俺様王子様の足が、一歩王へと歩み寄ったことに気づいたから。
「わかった。……それで、俺は今から何をすればいいのだ? 梓海道」
 虎紅の言葉に一瞬びくんと体を震わせると、世凪はまたいつもの不遜な態度にはやがわりした。
 ふてぶてしく、梓海道の名を呼ぶ。
 すると、当たり前のように、すうと世凪の前に梓海道が姿を現した。
 そして、世凪の足元にひざまずく。
「ひとまずは、この安全な王宮におとどまりを」
 言いにくそうに、梓海道は静かにそう言った。
「やはりそうきたか。馬鹿馬鹿しい。こんなことになっているのに、おとなしくしていられるか。行くぞ、柚巴!」
 世凪はそうやって、それをふんと鼻で笑い飛ばしてしまった。
 腕の中にいる柚巴をきゅっと抱きしめる。
 どんな時でも、俺様王子様は、柚巴をはなす気はないらしい。
 いい加減、柚巴もおろして欲しいとは思っていたが、世凪の腕の中は安心できるから、ついつい長居したくなってしまう。
 もう少し……もう少し……と。
 恥ずかしかったはじめの頃の思いなど、もうどこかへ消えてしまっている。
 「おろして」とは言えなかった。
「う、うん!」
 世凪の腕の中、柚巴はそう答えた。
「お待ちください。世凪さま。あなたまで感染してしまっては……!」
 マントを翻し、くるりと踵を返した世凪を、梓海道が慌ててとめにはしる。
 王宮にとどまるように言ったばかりであるのに、このわが道をいく俺様王子様は、やはり言うことを聞いてはくれないのだと、多少うんざりしながら。
 普段なら世凪のわがままも容認できるが……今は通常とは違う。
 異常……非常事態なのだから。
「うるさい。お前は親父の面倒でもみていろ。来い、虎紅!」
 とめる梓海道を乱暴に振り払い、世凪は、ぽかんと二人のやりとりを見ていた虎紅に声をかける。
 今さらであるが、王にそうとは聞いていたが、世凪が王子であると、今まさにつきつけられているので、それに面食らってしまっていたようである。
 本当に……本当に、あの世凪が王子だったとは……と、少し落胆したようでもあった。
 虎紅もまた、どこかのおっちょこちょいな使い魔麻阿佐同様、世凪を嫌う一人だったから。
 まさかその世凪が王子だったとは……と、やはりまだ心のどこかでは認められないようである。
 しかし、今はそんな個人の感情に惑わされている場合ではなく、それよりも優先しなければならないことがあるので、虎紅は素直に世凪に従うことにした。
 柚巴を抱え、マントをなびかせ颯爽と歩き去る世凪の後を追い、すたすたと王の私室をはなれて行った。
「お、王。よろしかったのでしょうか? 世凪さまを行かせてしまっても……!?」
 結局、世凪をとめることができず、見送ることになってしまった梓海道は、おろおろと王に意向を求める。
 すると、天幕の向こうから、王の落ち着いた声がとどいてくる。
「かまわん。好きにさせておけ。どうせ言ってもきかんだろう。――それよりも、梓海道。お前も、わたしからはなれていろ」
「しかし……」
 世凪をみすみす行かせてしまい、そして王のそばにもいるな……と言われてしまった梓海道は、困惑気味にそうつぶやいた。
 先ほど、自分の本来の主世凪に、王の面倒をみていろと命令されてしまった手前、どうすればよいのかわからなくなってしまった。
 梓海道にとって世凪の命令に忠実に従うことは、こんな時でも重要なことだから。
 本当は、今すぐにでも世凪の後を追いかけ、連れ戻したいところだけれど……。
 そして、梓海道なら、それをやってのけてしまうだろう。
 忠実であると同時に、本当に世凪の身を案じた時は、その命令に背く勇気を梓海道は持ち合わせているから。
「いいから行け。お前も感染するぞ」
 そのような梓海道の内なる葛藤に気づいているのか、王はそう言って部屋から出るように促す。
 世凪の命令も絶対であるが、だからといって王をおろそかにすることもできない。
 それが、世凪の命にかかわるようなことでない限り……。
 だから梓海道は、渋々王の命をきくことにした。
 そしてそれは、何より梓海道も望んでいたことかもしれない。
 王から解放されれば、梓海道は世凪の後を追うことができるのだから。
「は、はい。申し訳ございません」
 梓海道は深く一礼すると、そのかたちのまますうっと姿を消していった。
 後には、ベッドに横たわる王だけが残された。
 他の側近たちも、感染するからと、王はそばからはなしている。
「……まったく。わたしも年をとったものだ。こんな病にかかるとは……」
 梓海道が完全に消えたことを確認すると、王はぽつりとそうひとりごちた。
 そして、ゆっくりと目をつむり、静かに眠りに落ちていく。
 しんと静まり返った、その寝室で。


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update:04/03/27