望まぬ犠牲者
(2)

「世凪、よかったの? 王様についていなくて」
 ようやく世凪から解放された柚巴が、すたすたと先を歩く世凪を懸命に追いかけながらそう問いかける。
 さすがに、臣下の目がたくさんある王宮の中を歩きまわるには、柚巴を抱いたままでは問題がある。
 いまだ王子の正体が世凪であると隠されたままであるので、柚巴が世凪に抱えられていては、卑猥な邪推を招きかねない。
 だから世凪は、この上なくおしい気がする中、渋々柚巴を解放した。
 世凪はあくまで、今もって限夢界の暴れん坊、迷惑者でなければならない。
「かまわない。あいつは殺しても死なない奴だから。それよりも、今は王宮の秩序と衛生を保たねばならない」
 本当は柚巴に合わせて歩いてやりたいところだけれど、そうもいっていられない状況なので、世凪は自分のペースですたすたと歩き続ける。
 一生懸命自分の後をついてくる柚巴をかわいそうに思うと同時に、かわいらしくも思っているのだから……この王子様には、緊張感というものは備わっていないらしい。
 限夢界が危ないというこの期に及んで、やはり世凪の頭からは柚巴の存在が抜けることはない。
「うん!」
 世凪にしてはやけにまともな受け答えをするので、柚巴はそれにつられて返事をした。
 多少荒い息をさせながら。
 さすがに、もうそろそろ、世凪についてまわるのは疲れはじめているようである。
 ただでさえ人間と限夢人の体力には雲泥の差があるというのに……本当に、世凪は歩くのがはやいから。
 そして、柚巴はふと気づいた。
 これまで、世凪はどれだけ歩くはやさを自分に合わせてくれていたのだろうかと。
 そんな、俺様王子様にはあり得ないほどのさりげない優しさに、柚巴はほんの少し……嬉しさを感じていた。
 このような状況であるのに、胸がぽっとあたたかくなったような……。
 これでは、俺様王子様の不謹慎な思いをとがめることができない。
 息を切らせはじめた柚巴に目ざとく気づいた世凪は、振り返り、柚巴に優しく声をかける。
「柚巴。お前は幻撞のところへ行って、あとどのくらいパルバラの薬が残っているか確認してきてくれ」
 柚巴を小間使いのように扱っているようにも思えるが、これはこれで、世凪のさりげない優しさの一つだった。
 これ以上自分についてまわって柚巴が疲れないように、別行動を促したのである。
 また、幻撞のもとならば、送り出すには十分安心である。
 これが、まさか莱牙などであれば、世凪は絶対に柚巴とは行動を別にはしないだろう。
 もうほとんど隠居しかけの幻撞なら、安心なのである。いろいろな意味で。
 そしてまた、柚巴に頼んだそのことも、事実、世凪には知る必要のあることだった。
「わかった!」
 柚巴は、世凪についてまわるだけでなく、自分にもできることができたと、嬉しそうに返事をした。
 そのような柚巴を、世凪はやはりかわいいと思いつつも、少し淋しさを感じていた。
 何しろ、柚巴を送り出してしまえば、もう自分の後を懸命についてくるかわいい柚巴を見ることができなくなってしまうのだから。
 本当ならば、ずっとずっとひと時もはなれず、自分のそばにおいておきたいのだけれど。
 それは、今は我慢しなければならない。
 世凪にとっては、断腸の思いでの決断だった。
 そのような世凪の内なる葛藤になど、当然柚巴は気づいておらず、くるりと踵を返し、呪術部屋へと駆けて行った。


 以前通った時は、とても嫌な感じがした呪術部屋へと続くその廊下も、柚巴はまったく気にもとめず駆け抜ける。
 人間、一つ大事なことがあれば、それ以外は目に入らないとはよくいったものである。
 今の柚巴が、まさしくそうだった。
「幻撞おじいちゃん!!」
 ようやく呪術部屋にたどりついたかと思うと、柚巴はノックも忘れ、ばんと勢いよく扉を開いた。
 この古い扉をそのように乱暴に扱っては、すぐに壊れてしまうというのに、それすら気にとめることなく。
 ……いや、気づいていない?
 扉を開くと同時に、柚巴は部屋の中へと飛び込んだ。
 するとそこでは、柚巴がやって来ることなど百も承知していたのだろう、さして驚いた様子もなく、幻撞が薬らしきものの調合をしていた。
 相変わらずの、ちらかし放題の机の上に、ほんの少し隙間をつくり、そこで。
 いつ崩れ落ちてくるかわからない、書物の山の横で。
 まったくもう。ここの住人たちは、本当に、その辺りにおいては無頓着のようである。
「お嬢ちゃん、悪いことは言わん。莱牙さまや紗霧羅を連れて、人間界に避難おし」
 当然、柚巴が飛び込んできたことは幻撞も承知しているが、作業をしたまま柚巴に顔を向けようともせず、それだけを言った。
 飛び込んできた柚巴の用件すら、聞く気はないらしい。
 ただ、今自分が柚巴に伝えたいことだけを伝える。
 今幻撞が調合している薬は、パルバラ薬ではない。
 しかし、少しでも症状をやわらげられればと、別の薬を用意していたのである。
 普段、のほほんと遊びまわっていても、する時はちゃんと仕事をしているようである。
 幻撞のその言葉に、柚巴がいい気がするはずがなかった。
「嫌。それに、人間のわたしなら感染しないと世凪が言っていたよ。だから、わたしにも何か手伝わせて。――それと……世凪がパルバラの薬の残量を聞いてきて欲しいって……」
 柚巴は、一向に柚巴を見ようとしない幻撞へとずかずかと歩いていき、その横にくるとくいっと幻撞の腕を引いた。
 自分の方を向くようにと、わざとそうしたのである。幻撞の作業の邪魔になるとわかっていても。
 もちろん、柚巴のその行動によって、幻撞は柚巴に向き合わなければならなくなる。
 ゆっくりと、机の上から柚巴へと視線を移し、もの言いたげに柚巴を見る。
 多少、困ったように。
 そして、あえて非難するように。
 また、重苦しい空気もはらんでいたかもしれない。
「……パルバラの薬は、残り数人分しかない」
 非難は柚巴へ、重苦しい空気は、今幻撞が発した言葉に向けられていると、柚巴は瞬時に悟った。
「え……!?」
 柚巴もまた、瞬間、険しい顔を幻撞に向けていた。
 今、幻撞の口から出たその事実は、あまりにも信じがたいものだったから。
 あと数人分しか残っていないとは……。
 それでは、伝染病といわれているパルバラ病に、対峙できないではないかと柚巴は思った。
 この世界のことも、ましてやパルバラ病に関しては皆無に近い知識しかない柚巴でも、それだけはわかる。
 それはすなわち、とてつもなく大変なことだということだけは……。
 当然、そんな柚巴の思いなど幻撞も承知しているようで、はあと重苦しいため息をもらし、柚巴を見つめる。
「お嬢ちゃんは知らんのだろうが、パルバラの実は貴重なのだ。だから、その実からつくる薬もまた貴重なのだ」
 これは、どうにもならないことだと、半分諦めたような視線を流す。
 あのいつもにこにこ顔の老紳士からは、想像もできない言葉と表情である。
 それほどまでに、パルバラ病というものは、限夢人たちにとっては脅威なのだろう。
「……じゃあ、どうすれば……?」
 柚巴は何ともやりきれない思いに、ぎゅっと唇をかみしめる。
 これまでの幻撞の言葉から、事態の好転はあまり望めないだろうと悟ったから。
 じわりじわりと、絶望が押し寄せてきているような、そんな感覚にとらわれる。
 そのような、最悪な事態を思わず想像してしまった柚巴に、幻撞は辛そうに語りかけてくる。
 柚巴が今、辛い思いをしていると知っているから、そのような表情になってしまったのだろう。
 この幻撞という老紳士もまた、柚巴を大切に思っているうちの一人だから。
 できることならば、柚巴には、辛い思いなどさせたくはない。
 しかし、今はそう言っていられるような状況ではない。
 だから、幻撞は決意する。柚巴に辛い思いをさせることになるそれを。
「今は、とにかく予防に徹することだ。お嬢ちゃんは、こちらの世界にいる使い魔たちを人間界に避難させておくれ。それが何よりの予防になる。……それが、使い魔に与えられた特権でもある」
 そうやって、幻撞の言葉がもたらされた瞬間、柚巴は目を見開き幻撞を見つめていた。
 そう。気づいてしまったのである。知ってしまったのである。
 使い魔たちが隠している、使い魔になる利益≠。
「……もしかして……今まで語られなかった、人間と契約をかわす利益って……」
 幻撞は、どこか辛そうに、そして淋しそうに柚巴を見つめた。
 ぽんと、柚巴の肩に触れ。
「ああ。こういう時のために……人間界へ避難できるように……」
 重苦しく、幻撞の口から、肯定の言葉がもたらされる。
 それで、柚巴はさらに衝撃を受けた。
 同時に、すっとその事実を受け入れた。
 そうだったのか……と、全てを悟ったように。
 妙に納得できてしまうのが、少し不思議ではあったけれど。
 そして、もう反抗はしないと、諦めた。
「わかった……。被害を最小限におさえる……。そのためには鬼になれ……と?」
 ふいっと幻撞から視線をそらし、柚巴は辛そうに言葉をしぼり出す。
 そのような柚巴をすっと抱き寄せ、幻撞は優しく、労わるようにささやく。
「その通り。早速連絡してやっておくれ」
 きゅっと柚巴を抱きしめた。
 それは、柚巴に声援を送っているようだった。
「……はい」
 幻撞の腕の中、柚巴は、きゅっとその胸に顔をおしつけ、それだけをつぶやいた。
 柚巴の小さな肩は震え、その手はぎゅっと握り締められている。
 どうすることもできない決意を胸に秘め。
 本当は、もっと別の方法で、この世界の人々の力になりたいのに――


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update:04/04/01