望まぬ犠牲者
(3)

 呪術部屋を後にし、幻撞と別れた柚巴は、王宮の中にいるはずだろう世凪の気を懸命にたどり、大勢の人が行きかうエントランスホールまでやってきた。
 世凪を見つけたい一心で、必死に世凪の気を探っていた。
 さすがの柚巴とはいえ、この広い広い王宮では、世凪の気を探り当てることはなかなかに難しい。
 そこに愛の力でも加えた世凪なら、いともたやすくやってのけられるかもしれないが、柚巴はそこまではできない。
 微かに感じた世凪の気に敏感に反応し、ようやくたどりつけた。
 世凪のもとにたどりついた時には、息も切れ切れだった。
 ぜいぜいはあはあと荒い呼吸をしている。
 世凪は、ホールの中央で妙に存在感のあるオーラを放ち、そこに立っていた。
 そして、王宮に仕える者たちに機敏に指示を出していた。
 時折、鈍い動きから、世凪に怒鳴りつけられる臣下などもいた。
 重臣たちにとっては、きびきびとした動きなど、もうはるか昔のものなので、今さらてきぱきと動けといわれても無理なはなしである。
 しかし、「ひっ」と悲鳴を上げつつ、世凪怖さに渋々その指示に従っているようであった。
 そう。普段なら、世凪の言うことなど決して誰もききはしないだろうに、むしろ汚らわしくにらみ、相手にもしないところだろうが、今回に限っては、世凪に迫力負けして……いや、緊急事態に気づいていて、世凪の指示に従っているようである。
 ぬくぬくとその地位にあぐらをかく彼らにも、まだ緊急事態への対応という意識が残っていたようである。
 その辺りは、腐りきった彼らでも十分に誉めてあげられるだろう。
 世凪は、うっとうしそうで邪魔くさそうであるが。
「世凪!」
 世凪の名を呼び、柚巴が世凪へと駆け寄っていった。
 駆け寄ってくる柚巴に気づき、世凪はその胸いっぱいを使い、ぽすっと迎え入れる。
 荒い息をもらす柚巴に、少しの休息を与えるように。
 そして、自分の胸にある柚巴の耳に、顔をすっと寄せる。
「それで、どうだった?」
 そうやって、耳打ちをした。
 すると柚巴は、ぐいっと世凪を引きはなし、ちょいちょいと手招きをする。
 世凪は柚巴のその行動に素直に従い、柚巴の口元へと耳を持っていく。
「うん……。それが……あと数人分しか……」
 はあと大きく深呼吸をし、荒い息を整えて、柚巴は静かにそう告げた。
 すると、一瞬、世凪の顔が険しくゆがみ、そしてあきらめたようにため息をもらした。
「そうか。やはりな。……わかった。後は俺が何とかする。お前は……」
 ふわりと、まだ呼吸の荒い柚巴の頬に包むように触れ、世凪は優しく柚巴を見つめる。
 そのような世凪を、柚巴は少し淋しそうで、だけど険しい眼差しで見つめ返す。
「使い魔たちを連れて、人間界に帰れ?」
「……!?」
 まっすぐに向けられた柚巴の視線と言葉に、世凪はばっと目を見開いた。
 明らかに、あの世凪が驚きの色を見せている。
 まさか、柚巴の口からその言葉がもたらされるなど、世凪は思ってもいなかったらしい。
 限夢人が人間と契約を結ぶ最大の利益を、柚巴は知らないはずなのだから、それも無理はないだろう。
 それは、決して秘密というわけではないが、しかし、あえて語るようなことでもない。
 だから当然、柚巴は知らないものと思っていた。
 しかし、柚巴はそれを知っていた。
 その事実が、世凪を一瞬動揺させてしまった。
 そう。あくまで一瞬。
 次の瞬間には、また落ち着いた口調で、柚巴にこう告げていたから。
 その目は、淋しさと苦しさ……その他様々な思いをつめ込んだような光を放ち、柚巴を見つめている。
「……そうか。幻撞にそう言われたのか。わかっているのなら、さっさとそうしろ」
 今この瞬間も、ずっと柚巴を抱きしめていたい衝動を必死におさえ、世凪は冷たく柚巴を突き放す。
 しかし、完全には冷たくも、引き放すこともできない。
 その目だけは、柚巴を求めるように見つめている。
 一人の男としての世凪と、この緊急事態に対峙しようとしている世凪が、彼の中で激戦を繰り広げているようである。
 一人の男としての世凪は、このまま柚巴をそばにおいておきたいと願っている。
 パルバラ病は人間には感染しないのだから、そばにおいていたとしても害はないだろう。
 しかし、緊急事態に対峙しようとしている世凪は、それを決して許してくれない。
 これ以上の事態の悪化を防ぐため、これ以上感染者を出さないため、まだ無事な使い魔たちを人間界へ避難させてやらねばならない。
 もう数人分しか残っていないというパルバラの薬では、多くの者たちを救うことは不可能だろう。
 ならばせめて、今無事な者たちが感染しないように予防することが、最善の法だと考える。
 自らの胸の内で繰り広げる葛藤が、世凪を苦しめる。
「うん……。――じゃあ、世凪も気をつけて……」
 そのような苦しい世凪の思いをくみとったのか、柚巴は案外素直に世凪の言葉に従った。
 恐らく柚巴は、自分が世凪のお荷物にならない道を選んだのだろう。
 多くの者たちに指示を下す、世凪のその姿を見て。
「あ……ああ?」
 一方、世凪はというと、柚巴のあまりにも素直な返事に、驚きを隠せないでいるようである。
 柚巴のことだから、自分もこの世界にとどまって、何かの力になりたい。
 少なくとも、最後には諦めたとしても、最初のうちはそんな抵抗を見せると思っていたから。
 柚巴とは、そういう少女であると思っていたから。
 予想通りにいってくれない柚巴に、少しの淋しさを覚えたかもしれない。その驚きと同時に。
 しかし、今はそんな感傷にひたっている場合ではない。
 今大切なことは、これから感染が広まるであろうパルバラ病に、荒れるであろう治安に、いかに対応していくかということである。
 世凪のもとを去っていく柚巴の後姿をひかれるように見つめながら、世凪は再びパルバラ病のことだけに思考を戻していく。


「柚巴! ここにいたのかい!!」
 世凪のもとを去り、ちょうど王宮の門が目の前に見えてきた時である。
 まさに、門をくぐってこちらへ入ってきたばかりの紗霧羅が、叫びながら柚巴へと駆け寄ってくる。
 柚巴はこれから城下へ出て、莱牙と紗霧羅のもとへ行こうとしていた。
 しかし、訪ねる予定のうちの一人がタイミングよく向こうからやってきたので、少し驚いているようである。
 思わず、駆けていた足を、その場でぴたっと止めてしまう程度に。
 そして、紗霧羅が駆け寄ってくるのを、ぼうっと見つめていた。
 紗霧羅がようやく柚巴のもとまでやってくると、柚巴は不思議そうに紗霧羅を見上げた。
「うん。それより、紗霧羅ちゃん……?」
 そうやって、首をかしげながら。
 世凪と婚約して、こちらの世界にしばしばやって来るようになって以来、紗霧羅は特に用がない限り、柚巴の前に現れなくなっていたはずなのに……。
 自分の本来の仕事を優先していたはずなのに……。
 柚巴はそんなことを、漠然と考えていた。
 紗霧羅は、そんな柚巴の腕を、強引にぐいっと引き、踵を返す。
「ちょうどいい。一緒に来てくれ。華久夜さまが大変なんだ。だから今、翁に薬を……」
 勢いよく放たれたその言葉は、語尾は少し元気がなかった。
 苦しそうに、ふっと口をつぐんでしまった。
 ふいっと柚巴から視線をそらす。
 それは、明らかに、わざと、ではなく、思わず、であるように柚巴の目には映った。
 そして、ぴんときた。
 「翁」と「薬」。
 その二つの言葉から導き出される答えは、今はたった一つ――


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update:04/04/05