望まぬ犠牲者
(4)

「パルバラの……薬?」
 紗霧羅のそらした顔の前に、険しくゆがめる柚巴の顔がいつの間にかあった。
 「翁」と「薬」とともに発せられた「華久夜」という名が、どうにも気になって仕方ないらしい。
 そして、嫌な予感が柚巴の脳裏をよぎる。
「あ、ああ……」
 紗霧羅は、柚巴がパルバラ病について知っているのだとわかり、少し驚いたように柚巴を見つめてしまった。
 人間界にはなく、限夢界にだけあるパルバラ病を、まさか柚巴が知っているとは思っていなかった。
 それは、柚巴には伝える必要のないことだったから。
 何千年に一度発生するといわれているそんな病気など、人間の柚巴は知る必要がない。
 知ったところで、多く見積もっても百やそこらの寿命の柚巴が、その病気に対面する確率は低いのだから。
 しかし、運悪く、今、その病気が流行しはじめている。
 複雑な思いを抱えつつ、紗霧羅はじっと柚巴を見つめるしかできなかった。
「……残りが、あとわずかなのですって」
 複雑な思いを抱え、複雑に微笑む紗霧羅に、柚巴は静かにそう告げた。
 「パルバラの薬」を紗霧羅が肯定したということは、すなわち、華久夜は……王同様、感染してしまっている?
 柚巴の中を、苦い思いが駆け巡る。
 しかし、それを外に出すまいと、必死にこらえる。
「そうか……。でも、それでも大丈夫だ」
「え?」
 柚巴をふわりと抱き寄せ、紗霧羅はため息まじりにそうつぶやいた。
 当然、紗霧羅のつぶやきに、柚巴は怪訝な思いを抱く。
 「大丈夫」とは、一体……どういうことだろうか?
 その答えは、すぐに紗霧羅からもたらされた。
「薬は王族なら使える。だから、今とりに来たところだ」
 つまりは、そういうことである。
 残り少ない貴重な薬でも、王族であれば使えるということである。
 言いかえれば、どんなに死人が出ようが、苦しもうが、王族以外には使わせないということである。
 柚巴は、言葉にこめられたそのような裏の意味を瞬時に悟り、信じられないと紗霧羅を見つめた。
「それって、紗霧羅ちゃん……?」
 当然返ってくるとわかっていた柚巴の言葉と表情に、紗霧羅は苦く笑うことしかできなかった。
「そういうところなんだ。限夢界(ここ)は」
 困ったように眉尻を下げ、やはり苦く笑う。
 体をかたくしてしまっている柚巴の背を、軽くぽんとたたき。
 限夢界の裏の部分を垣間見、驚愕を隠せないでいる柚巴に、紗霧羅が今してやれることはそれしかなかった。
 本当は、柚巴には、こんな汚い部分は見せたくなかったのに……と、胸の内でやはり苦く笑っていた。


 幻撞にパルバラの薬をもらうために、柚巴は、紗霧羅とともに、再び王宮の奥へと引き返してきた。
 呪術部屋へと向かう途中、忙しなく駆けまわる臣下たちとすれ違った。
 そのような様子を見て、柚巴の横に寄り添っていた紗霧羅がぽつりとこぼす。
「王宮はすごい騒ぎだな」
 がしがしっと頭をかき、困ったように、悔しそうに、舌打ちをする。
「え? 城下はそうじゃないの?」
 紗霧羅の言葉に、柚巴は首をかしげた。
 王宮内でこの騒ぎだから、城下は当然、もっと大変な騒ぎになっているだろうと思っていたので、紗霧羅のその言葉は意外だったらしい。
「ああ、今のところはな。まだ城下はこれほどでは……。――王宮がこれだけ騒がしいということは、ここで誰かが……?」
 首をかしげる柚巴に、紗霧羅はあまり言いたくなさそうに柚巴をちらっと見る。
 本当に、こんな醜い部分など、柚巴には見せたくないのに……と、紗霧羅は口にこそ出していないが、体中でそういっているようだった。
 心底そう思っているようだった。
 どうやら紗霧羅姐さんとしては、汚いものには触れさせず、こわれものを扱うように、柚巴を大切に大切に守っていきたいようである。
 それこそ、どこかの俺様王子様と並ぶ勢いで。
 いつの間に、それほどまでに柚巴を大切に思うようになっていたのかはわからないが……しかし、今そう思うのだけは事実である。
 柚巴には、きれなものだけを見せて守っていきたいと思っている。願っている。
 そのような、甘やかすだけの愛情はいけないとわかってはいるけれど……柚巴には、そう思わせるものがあるから、もうこれは紗霧羅の意思ではどうしようもない。
 ……と、責任転嫁じみた言い訳をこじつけ、紗霧羅はむりやり自分に言い聞かせる。
 本当に……使い魔になるとは不思議なことだと思う。
 他人に無頓着だった紗霧羅が、これほど自分以外の誰かを大切に思い、執着するなんて……。
 これが、使い魔に与えられる、いちばん意外な感情で、いちばんやっかいな思いなのかもしれない。
 そう、ぼんやりと紗霧羅は思いはじめていた。
「うん……。王様が……」
 紗霧羅の問いかけに、柚巴はかげりを見せた。
 うつむき、辛そうにぽつりとそうもらす。
「お……!」
 瞬間、紗霧羅は思わず叫びそうになってしまった。
 が、とっさにそれをぐっとこらえる。
 両手で、自分の口をふさぎ。
 何しろ、今叫ぼうとした言葉は、「王が!? パルバラ病に!?」だったのだから。
 そんなことを叫んでしまったら、今王宮中を駆けまわる臣下たちに、油を注ぐようなことになってしまう。
 そして、瞬く間に、限夢界全部を巻き込んだ大騒動になってしまうだろう。
 それは、今はどうしてもさけなければならない事態である。
「……そうか、だが、もう薬は投与済みだろう?」
 がばっと口をおさえた手をゆっくりとはなしていき、柚巴の耳元でこっそりと問いかける。
 すると柚巴は、じっと紗霧羅を見つめ、こくっとうなずいた。
「うん……」
 柚巴のその様子を見て、紗霧羅ははあと大きなため息をもらす。
 そして、ぽんと柚巴の背を軽くたたき、先へと促す。
 駆けまわる人々とぶつからないように、守るように自分へときゅっと抱き寄せ。
 柚巴は、そんなさりげない紗霧羅の優しさに、少し困ったように微笑んでいる。
 どうして紗霧羅は、ここまで柚巴を大切にしてくれるのだろうか?とでも思っていたのかもしれない。
 半分、その場のノリのようなかたちで柚巴の使い魔になった紗霧羅なのに……。
 しかし、そうはいっても、決して紗霧羅を信用していないわけではない。
 むしろ、信頼を寄せている。
 この頼れる姐御肌の紗霧羅姐さんに……。
 ただ、自分に、ここまでしてもらう価値が果たしてあるのだろうか?と、ふと、時々思ってしまうだけ。
 そう。特にこのような時。
 大変なことが起こって、少しでもその役に立てればと思っているけれど……結局は、足手まといにしかなっていないのではと思わされる、この時。
 この時ほど、自分の存在の小ささに、頼りなさに、情けなくなることはない。
 本当は、みんなと一緒に走りまわりたいのに……。
 しかし、何の力もない人間の柚巴には、そんなことはとうていかなわない。
 ならば、彼らの邪魔にならないように振る舞うしか……もう柚巴には残されていない。


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update:04/04/09