望まぬ犠牲者
(5)

「さっきの続きだが、城下ではまだ、パルバラ病が発生したことは知られていない。知らせる前に、混乱や暴動が起きないように手をまわしているところだ。それがすめば知らせるだろう」
 呪術部屋へと向かうその道すがら、紗霧羅は柚巴に城下の様子を告げてきた。
「そういうものなの?」
 城下では、パルバラ病が発生していることは知られていないというそのことが、不思議に思ったのだろう。
 柚巴はそのままの顔で、紗霧羅を見上げる。
「ああ……。ここは人間界とは違う。下手に手を打たないうちに知らせてしまうと、伝染病なんかより大変なことになる」
 柚巴の頭をくしゃりとなで、紗霧羅は苦笑いを浮かべた。
 柚巴には、紗霧羅のその行動の意図するところがわからないらしい。
 やはり、首をかしげ、紗霧羅を見てくる。
 伝染病なんかより大変なことになる……ということは、つまりは、恐怖にかられた輩が大暴れし、暴動に発展する。
 そして、ついには、出さなくてもよい犠牲まで出してしまう……ということである。
 限夢人は下手に力を持っているだけに、一度暴動が起これば、城下一帯血の海になるまで、それはおさまることはないだろう。
 城下の治安を守る役職にある紗霧羅には、そのことが手に取るようにわかってしまうらしい。
「それよりも、こいつらをまとめているのは誰だ? 王が臥しているのなら……」
 まだ年若い男が紗霧羅の横を駆け抜けていくと同時に、紗霧羅はふと思い出したように柚巴にそう尋ねてきた。
 今さらではあるが、たしかに、それは当然疑問に思ってしかるべきことだろう。
 この王宮内は普段、王がとりまとめているのだから。
 その王が指示を下せない状態の今、やけに統率のとれた動きをする臣下たちを奇妙に思っても仕方ないことである。
「世凪よ」
 紗霧羅の問いかけに、当たり前のように柚巴がそう答えた。
「世凪が!? みんなあいつの言うことを素直にきいているのか!?」
 柚巴の言葉が発せられた瞬間、紗霧羅は驚きをあらわにした。
 ぎょっと柚巴を凝視する。
 そのような紗霧羅の様子に、柚巴は困ったように肩をすくめた。
 やっぱり世凪って、どうしようもない人ねと言いたげに。
「きいていますよ。世凪は、王の証をふりかざしていますから」
 肩をすくめる柚巴と、驚く紗霧羅に、突然そのような声がかかり、同時に二人の前に由岐耶が姿を現した。
 景色の中から、すうと現れ、その姿を濃くしてくる。
「ゆ、由岐耶さん! どうしてここに……!?」
 突然現れた由岐耶に、柚巴は驚きをあらわにする。
 当然、由岐耶は今頃は、人間界にいると思っていたのに……と、柚巴の顔はそういっている。
 由岐耶は、そのような柚巴に一瞬、ふっと微笑みかけ、そして瞬時にきっと険しい顔にして、こう続ける。
「こちらの世界の様子がおかしかったので、様子を見に……。そうするとこの騒ぎです。わたしも、世凪と一緒に動いていたところです」
「はは……。さすがは王の証だ」
 由岐耶の言葉に、どこか脱力したように紗霧羅がそうつぶやいた。
 そして、何がそんなに楽しいのか、くすくすと笑い出す。
 そのような紗霧羅を見て、柚巴はやはり首をかしげる。
「王の証って、そんなにすごいのですか?」
 どうやら、それが気になったようである。
 柚巴の問いに、由岐耶は、「ああ!」と、今ようやく気づいたように、「王の証」のことを知らない柚巴に、それについて説明しはじめる。
 たしかに、柚巴は知らなくて当たり前なのである。
「ええ。それを持っている者の発言は、王のそれに値します。王の代理のようなものですね。皆、何故世凪がそのようなものを持っているのか不思議に思っていますが、王が病の今、誰でもいいから指導者が必要なのでしょう。それが、あの世凪であろうと、です」
 由岐耶はそう言い終えると、またふわりと柚巴に微笑みかけた。
 しかし、由岐耶の言葉を受け、何やら考え込んでいるふうの柚巴には、その微笑みはまったく目に入っていないようである。
 これでは、由岐耶は微笑み損というものである。
 と思いきや、由岐耶はそれでも満足らしい。
 その目が、優しく柚巴の次の行動を待っているから。
「そっか……。――それよりも由岐耶さん、あなたもはやく避難した方が……」
「わたしはしませんよ。先ほど竜桐さまたちにも連絡をしましたので、そのうちこちらにやって来るでしょう」
 ようやく柚巴から発せられた言葉に、由岐耶はさらっとそう即答した。
 まるでそれが当たり前というかのように。
「え……? でも……」
 由岐耶のあまりにもあっさりとしたその答えに、柚巴は不思議そうに由岐耶を見つめる。
 その目は、おろおろと忙しなく動いている。
 そのような柚巴に、由岐耶はやはり、優しく微笑みかけていた。
 姫さまは、困ったお方ですね……と、軽口をたたきつつも、愛しいとその目がいっている。
 そして、小さくため息をもらした。
 これ以上、柚巴を混乱させてもかわいそうだと思って。
「わたしたちは、そのために使い魔になったのではありません。主人に惹かれたからですよ。姫さま」
 ふわっと柚巴の髪になでるように触れ、優しく微笑みかける。
 そのような由岐耶の様子を、柚巴はどこか驚いたように見つめていた。
 優しく微笑むその下に、かげりのようなものを見つけていたからかもしれない。
 優しく微笑んでいるけれど、だけど……その下では、違った感情を抱いているように柚巴には見えていた。
 柚巴の髪に触れるその手が、少しぎこちなさを感じさせる。
 由岐耶は、主人に惹かれて使い魔になったと柚巴に告げた。
 それは、柚巴を少しでも安心させられればと思って言った言葉。
 本当は、それとはまったく違うのだけれど。
 むしろ、惹かれたのではなく、憎くて。自棄を起こして。
 嫌いな人間の手下に、尊敬する竜桐が成り下がってしまったから……。
 慕う竜桐をそそのかし、たぶらかした人間に一矢報いるため……。
 竜桐の考えは、やはりどうしたって理解できない。
 何故、劣る人間に自ら仕えようというのか。そこからして理解できない。
 そんなことは、今となっては、柚巴に告げることはできないが……。
 これが、由岐耶が弦樋の使い魔になった本当の理由。
 その後いろいろあり、今のような関係になったが、柚巴を守りたいと思うようになったが……。
 そう思うようになるまでには、ずいぶん遠まわりをしたように思えてならない。
 そして、今の自分は、それほど嫌いではない。
 あの頃、人間の使い魔になるその心がわからないと言っていたあの頃の自分では、とうてい持つことのできない感情だっただろう。
 今はこうやって、柚巴のそばにいられるだけで幸せだというのに……。
 まさか、こんな現在が待っていようとは、あの時の自分は思いもよらなかった。
 しかし、そんなことは、今さらすぎて、柚巴に告げる必要はない。
 ただこうやってそばにいて、守ることさえできれば……。
 それだけで、今は十分だから。
 そして、柚巴に、自分のそんな汚い部分は見せたくない。
 嫌われたくないから……。
 本当は、柚巴が普段言うように、自分はできた人間ではないのだけれど……。
 そうやって、胸の内で、自らをせせら笑っていた。
 柚巴のためだけに、いい人であり続けようとする自分を。
「柚巴、急ごう」
 髪に触れる由岐耶を見ていた柚巴に、紗霧羅がそう声をかけてきた。
 すると瞬時に、はっと我に返った柚巴が、紗霧羅に相槌をうつ。
「う、うん!」
 するりと由岐耶の手の中から柚巴の髪がすり抜け、そしてふわりとはなれていった。
 それに、由岐耶は一瞬、とりとめのない淋しさに襲われてしまった。
 こんな時なのに、不謹慎にも、もっと柚巴の髪に触れていたいという自分がたしかにそこにいた。
 それに気づき、由岐耶は慌てて頭をふり、そのような浅ましい思いを振り払おうとする。
 そして、いつもの由岐耶を取り戻し、何事もなかったかのように柚巴に尋ねる。
「姫さま? どうかされたのですか?」
 由岐耶は、やはり、自分のそのような演技力に、苦笑した。
 柚巴に嫌われたくないというそれだけのために、保身のためだけに、いい人を演じられるから。
「うん。華久夜ちゃんが……華久夜ちゃんが、感染してしまったみたいなの……!!」
 由岐耶の問いに、柚巴はふっと辛そうな顔を見せ、そしてきゅっと由岐耶の腕をつかんできた。
 その目は、すがるように由岐耶を見ていたかもしれない。
 瞳いっぱいにこめられたその光が、不安といっている。
 瞬間、思わず、柚巴を抱きしめてしまいそうになった。
 しかし、そんな衝動も簡単に払いのけられるくらい、今柚巴の口からもたらされたことは衝撃的だった。
「え……!?」
 そうやって、険しく顔をゆがめられるくらい。
 そして、触れた柚巴の手を、嬉しいと感じることを忘れるくらい。
 それは、衝撃的――


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update:04/04/14