片道切符
(1)

 最近はそれほどでもなくなったが、やはり呪術部屋へと続くその廊下は、陰湿な空気が漂い、あまり気持ちのいいものではない。
 パルバラの薬の残量を確認しに行った先ほどは、それで頭がいっぱいで、その雰囲気を感じる余裕はなかった。
 そしてまた、今回もそんな余裕はない。
 それは、パルバラ病にかかった華久夜のための薬をもらいに行くという目的が、頭にあったからかもしれない。
 もしくは、先ほどの由岐耶の様子が、気になって仕方がなかったからかもしれない。
 柚巴の頭は、今はそんなことを考えている場合ではないのに、余計なことばかりを考えてしまう。
 そうやって、複雑な気持ちを抱え、柚巴たちは幻撞から薬をもらった。
 そして、薬をもらうとすぐに、莱牙の屋敷までやって来た。
 莱牙の屋敷までやってくると、すぐに華久夜が休む寝室へと連れてこられた。
 そして、今、目の前には、力なくベッドに横たわる華久夜の姿がある。
 その横には、心配そうに寄り添う莱牙の姿もあった。
 普段、かわいくないだの何だのと言っている妹だけれど、やはり心配で仕方がないようである。
「柚巴……。来てくれたの?」
 そうやって、弱々しく、ベッドから柚巴の手へと向けて、華久夜の手がのばされてきた。
 柚巴はそれに気づくと、すぐにその手をとり、きゅっと握り締める。
 どこか、苦しそうな表情をたたえていた。
 いつも無駄に元気で、兄を兄とも思わぬ狼藉を働くあの華久夜が、今はこんなにも頼りなく見えるのだから、柚巴が受けた衝撃はいかばかりだっただろうか。
 そのような二人の様子を、一緒にやって来た紗霧羅と由岐耶は、一歩はなれてみていた。
 柚巴は人間だから感染する恐れはないが、彼らには感染の恐れがある。
 いくらパルバラ病から逃げることはしないといっても、無駄に感染者を増やすわけにはいかない。
 だから、すぐそばに駆け寄りたい衝動をおさえ、一歩はなれて二人を見守っていた。
 同じ空間を共有していては、感染力の強いパルバラ病の前では同じかもしれないが、気休め程度にはなるだろう。
 莱牙も、華久夜に寄り添っていたが、柚巴がやってきたことに気づくと、さっとその場所を柚巴に譲り、紗霧羅たちのもとまで下がっていた。
 いつもしいたげられているその小生意気な妹を、心配そうに見つめている。
「うん……。それよりも、もう大丈夫よ。紗霧羅ちゃんが薬を……」
 華久夜の手をとり、多少荒い息をするその頬にそっと触れる。
 瞬間、華久夜は、気持ち良さそうに目を細めた。
「いらない」
 しかし、次の時には、きっと険しい表情をつくり、そう言っていた。
「え……?」
 柚巴は、自分の耳を疑ってしまった。
 今華久夜の口から出たその言葉が、とうてい信じられるものでなかったから。
 柚巴は、驚きをあらわにし、華久夜を見つめる。
 「どうして、いらないの?」「これを飲めば、楽になれるのよ?」と、華久夜に言い聞かせるように。
 華久夜も、そんな柚巴の思いに気づいているようで、少し辛そうにふいっと柚巴から視線をそらした。
 その優しさに気づいているけれど、だけどそれでも突き放さなければならないと。
「だって……その薬は貴重だと聞くわ……。そして、それは王族から使われていくと……。わたし、そんなの嫌いなの」
 再び柚巴に視線を戻し、華久夜は訴えるようにそう言った。
 瞬間、柚巴の表情が、辛そうにゆがむ。
「華久夜ちゃん……」
「ねえ、柚巴ならわかってくれるわよね?」
 柚巴のその表情、つぶやきから、華久夜は柚巴の気持ちを察したのか、すぐにそう尋ねてきた。
 確認するような言葉であったけれど、それはもう確信していると。
 柚巴なら、わたしの気持ちをわかってくれる。わかってくれないはずがない。
 だって……柚巴って、そういう人でしょう?と――
 華久夜は、自分の手を握る柚巴の手を、きゅっと握り返した。
 柚巴は、それにぴくんと少しの反応を見せ、そして静かに、ゆっくりとうなずく。
「う……ん」
 そうやってまた、柚巴も握る手に少し力をこめる。
 そして、二人、仕様がないよね?と、苦笑いを浮かべた。
 その様子を見ていた、こちらの三人、特に莱牙が黙っているはずがなかった。
 すぐさま柚巴と華久夜のもとへと駆け寄ってきて、怒声を発する。
 その顔は、とても苦しそうだった。
「華久夜! お前は何を馬鹿なことを言っている!? それを投与しなければ、お前は死ぬのだぞ!!」
 華久夜と手を握り合う柚巴の横からずいっとその身を乗り出し、莱牙は真っ青な顔で華久夜に迫る。
 しかし、そのような焦りの色を見せる莱牙を、華久夜は冷めた眼差しで見つめる。
 心なしか、先ほどより、またいちだんと華久夜の顔色が悪くなったように感じる。
「それくらいわかっているわよ。うるさいわね、お兄様。だから……だからよ。それは、もっと、わたし以上に必要としている人にあげればいいわ」
 華久夜ははき捨てるようにそう言うと、きっと莱牙をにらみつけた。
 そのにらみに、莱牙は多少気おされるように、顔をゆがめる。
「華久夜……」
 そして、辛そうに、そう華久夜の名を呼んでいた。
 たしかに、華久夜の言うことには一理あるし、それが華久夜の望みなのだろう。
 それで華久夜は満足だろうが、しかし……見ているまわりの者にとっては、それはとても辛いことである。
 苦しそうに荒い息をし、それでも懸命に強がってみせる華久夜のその姿は、莱牙のみならず、柚巴にも、由岐耶や紗霧羅にも痛々しく見えていた。
 それでも、柚巴は華久夜の意思を尊重した。
 莱牙とて、こういう時でなければ、華久夜のどんなわがままでもきいてやるけれど、事がその命にかかわることとなると話は別になる。
 しかし、莱牙は知っている。
 この妹は、たちの悪いことに、一度言い出したら、頑として譲らない。
 それは、柚巴に通じるものがある……。
 莱牙は、柚巴もそうであるが、華久夜の、そういう意地っぱりなところを気に入っている。
 自分の身を投げうってでも、誰かのために――
 そういう思いは、莱牙では決して抱けないものだから。
 見も知らない赤の他人なんてどうでもいい。
 そんな者のために、今目の前にいる大切な者の命が消えていくことが、この上なく辛い。
 自分の大切な者のためなら何だってできるが、それが赤の他人となると……。
 自分には、絶対無理だ。
 そうやって、華久夜がどれだけ頑固者か心得ている莱牙は、胸をかきむしられるような苦しみに襲われる。
 どうやったら、この妹は、素直に薬を飲んでくれるのだろうか。
 そうやって、責めるように華久夜を見つめていると、華久夜はふいに口を開いた。
「それとも、お兄様。お兄様が、もっとたくさんのパルバラの実を持ってくることができるというのなら、わたしはそれをもらってもいいわ」
 試すように、くすりと華久夜は笑う。
 色のない顔で、必死に不敵な微笑みをつくり。
 それがまた、痛々しく見える。
 もう、微笑むことすら辛いはずだろうに……。
 華久夜の言葉が莱牙にもたらされた瞬間、莱牙は目を見開き華久夜を凝視していた。
「……!!」
 返す言葉が出てこなかった。
 今、華久夜の口から出た言葉は、とんでもない言葉だったから。
 それを知っていてなお、この妹はそんな残酷なことを言う。
 それではまるで……莱牙に、華久夜の命は諦めろと言っているようなものである。
 何故なら……そのパルバラの実というものは――
「ねえ? できないでしょう。だったら余計なことは……」
 言葉につまった莱牙を見て、華久夜は意地悪くそんなことを言う。
 瞬間、莱牙は、かちんときたのか、ばっと立ち上がり叫んだ。
 その表情は、もう自棄を起こしているようにも見える。
「やってやる! やればいいんだな!? やれば、お前はおとなしく薬を使うのだな!?」
「お、お兄様!?」
 莱牙の叫びを耳にした瞬間、急に華久夜が慌て出した。
「嘘よ、冗談よ。やめて、お兄様。そんな危険なこと……!!」
 どうやら、華久夜は、はじめから莱牙にはそのようなことは無理とわかっていて、あのようなことを言ったようである。
 そして、予想を裏切った莱牙の叫びに、華久夜ははっと気づいた。
 失言だったと……。
 とんでもないことを言ってしまったのだと、今さらながらに慌てることになってしまった。
 もうほとんどいうことをきかなくなったその体を必死に奮い立たせ、莱牙にすがるように華久夜はその手をのばしていく。
 そんな必死の華久夜から、莱牙はすいっと視線をそらした。
 瞬間、華久夜の表情が、絶望の色を見せた。
 こうなってしまったお兄様には、きっと……もう何を言っても無駄だと……。
 そんな二人の間にたたされた柚巴は、ただ困ったように二人を見ていた。
 どうすることもできなくて。
 二人の会話を、柚巴はいまいち理解できていなかった。
 それは、柚巴が知らないことを語られているような気がしたから。
 事実、そうであったのだけれど――


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update:04/04/17