残酷な現実
(1)

 その光景は、あまりにも残酷すぎた。
 凄まじかった。
 思わず目を覆いたくなるような、そんな絶望的な光景。
 その景色を見た瞬間、柚巴は思わずふいっと目をそらしてしまっていた。
 そんな柚巴に即座に気づいた世凪は、もちろん、頭からすっぽりと、そしてふわりと、自らの悪趣味黒マントで包み込む。
 そして、きゅっと抱き寄せた。
 抱き寄せた柚巴は、心なしか、小刻みに震えているように感じた。
 世凪は、柚巴にだけは決して見せたくなかった光景を、とうとう見せてしまったと、胸の内で苦虫を噛みつぶす。
 こんな残酷な光景……柚巴には(こく) すぎる。
 世凪だけでなく、それをともに目にした、莱牙もそう感じていた。
 一言で言えば、見るに堪えない光景。
 これが、あのパルバラ病の脅威。そして、なれの果て……。
 世凪や莱牙でさえも、こんな光景ははじめて見る。
 もちろん、彼らが生きてきた中で、パルバラ病が流行したのだって、今回がはじめてである。
 限夢人は、無事寿命をまっとうすることができたならば、その人生の中で、一度経験するかしないか……。
 そんな、数千年に一度の流行を迎えたパルバラ病の惨状が、眼前に広がっている。
 世凪や莱牙ですら、目をそむけたくなるほどのその光景。
 また、城下では、すでに死人がたくさん出ているようである。
 いや、それは推測ではなく、確定。決定。
 今目の前に広がるその光景は、まぎれもなくそれを証明している。
 あちらこちらに、死体がごろごろと転がっているのだから。
 健康な者の姿など、目にすることができないだろう。
 そして、何故だか、腐敗臭も発生しはじめていた。
 パルバラ病を確認して、さほど時間は経過していないはずであるのに……。
 この異様にはやい腐敗は、一体どういうことだろうか?と、そこに少しの違和感を覚えていた。
 しかし、今はそんなことに気をとられている暇はない。
 世凪たちには、しなければならない、もっと大切な他のことがあるから。
 持ち帰ったこのパルバラの実を使い、一刻も早く薬をつくる。
 それが、彼らに課せられた使命である。
 それにしても、予想以上に、ここの状況は悪いようである。
 道端にごろごろと捨てられた死体。
 いくらパルバラ病を患ったからといっても、このおざなりな死体の処分の仕方は、一体……?
 ――一瞬、そう思ってみたものの、よくよく考えれば、それは仕方がないことなのだろう。
 このような、容易に目にすることのできる城下には、貧しい者、力のない者ばかりが暮らしている。
 富める者、力のある者は、それぞれ城下の高級住宅地区や郊外に大きな屋敷をかまえている。
 ひしめくように建てられた、崩れかけの数階建ての建物には……今、道端に転がっているような者たちばかりが暮らしている。
 彼らは、まともな治療すら受けられない。
 その程度の生活水準しかない。
 その日その日を、必死で生き抜く。そんな人々。
 これが、厳しくも、限夢界のもう一つの現実。
 柚巴が今まで見てきた限夢界からは、想像すらできない現実。
 なんと、幸せに、そして守られていたのだろうか。
 全ての負のものに触れぬように、きれいなものだけにかこまれて暮らしてきた柚巴。
 そして、それを守り抜こうとする、世凪や使い魔たち。
 一体、何が正しいのかわからなくなる。
 しかし、ただ一つわかること。
 それは、今、世凪の腕の中で震える柚巴を、ぎゅっと抱きしめてあげる。
 それだけは、誰にも否定させない。
「と、とにかく、王宮で薬をつくらねば! 芽里、お前は師匠を呼んで来てくれ!」
 ぐっと息をのみ、どうにかそれだけをしぼり出せた。
 しかし、虎紅の顔色は決してよいものではない。
 彼とて、王宮に仕える者。
 どちらかといえば、普段、よい暮らしをしている者になる。
 裏の城下……スラムに、虎紅とてそうそう慣れているわけではない。
 何より、今当たり前のように目の前に転がる死体の山が、虎紅を絶句させる。
「……」
 しぼり出された虎紅の言葉に、反応する言葉はなかった。
 呆然と、ぼんやりと、薄暗い道を眺める芽里がそこにいる。
 いつもの、必要以上に元気でうるさい芽里の反応がないので、虎紅は怪訝に思い、芽里の顔をのぞきこむ。
「め、芽里!? どうした!!」
 そして、虎紅は目を見張ってしまった。
 あの芽里が、あまりものその悲惨な惨状に、思考を失っているように表情をなくし、真っ青な顔をしていた。
 それに、虎紅は思わず顔を苦痛にゆがめる。
 普段、うるさいくらいに元気な芽里だが……芽里とて、一人の少女。
 こんな光景を目の当たりにして、平静でいられるはずがないだろう。
 今の彼女の状態は、当然といえよう。
 今、芽里が抱いているであろう衝撃を思い、虎紅は心を痛める。
 迷惑で邪魔で仕方がない相棒だって、相棒にはかわりないから。
 相棒が苦しんでいるのがわかっていて、それでもあえて鞭打てるほど、虎紅とて冷酷ではない。
 そのような二人を、世凪に抱きしめられ、すっぽりと覆いつくしている黒マントの隙間から、柚巴は見ていた。
 ショックを受けている芽里に衝撃を受けた虎紅を見て、柚巴は顔をきっと険しくする。
 そして、がばっとマントの中から、顔だけ出してくる。
「芽里さん! しっかりして……!!」
 柚巴にだって、自分がそうであったように、二人の苦しみがわからないわけではない。
 しかし、今はそんなことを言っている場合ではないと、自らを奮い立たせ、多少酷であろうと思えるその言葉を発した。
 柚巴の体は、相変わらず小刻みに震えている。
 そうやって世凪の抱きしめる腕に抗って顔を出したものの、またすぐに世凪によって、マントの中にすっぽりとおさめられてしまった。
「お前は顔を出すな!」
 今度は、そう簡単にはふりほどけないように、少し力を入れて。
「せ、世凪!?」
 そのような世凪に、マントの中から、驚いたようなくぐもった声がもれてきた。
 しかし、世凪はその声を、さらっと無視する。
 もう勝手な真似はさせないと、多少強引に柚巴を抱き続ける。
「す、すみません。一瞬、我を失いそうでした。――わかりました。では、芽里はお師匠さまを呼んできます。虎紅は先に王宮へ行って、用意をしておいて」
 柚巴の勝手な行動が功を奏したのか、芽里はどうにか我に返れていた。
「ああ。わかった」
 芽里のその言葉に素直にうなずき、虎紅は、莱牙からパルバラの実を受け取る。
 そして、全部で三つのパルバラの実を持ち、すうと姿を消していった。
 世凪、莱牙、芽里、鬼栖は、それぞれ複雑そうな表情をたたえ、消えていく虎紅を見送っていた。
 柚巴だけが、世凪の悪趣味な黒マントに覆われ、それを見送ることができない。
 次第に薄まっていく虎紅の気配から、それを察していた。
 虎紅が完全に姿を消したことを確認すると、世凪はすいっと芽里に視線を移した。
「芽里、俺につかまれ」
「え……?」
 突然の世凪のそんな言葉に、芽里はきょとんと世凪を見つめる。
 すると世凪は、まるで舌打ちするように芽里を一瞥し、そしてふいっと視線をそらす。
 ったく……。こいつは、面倒な奴だな。鈍すぎると、馬鹿にしたように。
 その横で、莱牙も多少馬鹿にしたような冷たい眼差しを芽里に送っていた。
 この二人の王族にかかれば、柚巴以外は、全て面倒くさい。はたまた馬鹿な存在になってしまう。
 ……そう。時には、王ですらも――
「一気に莱牙の屋敷まで飛ぶ」
「は、はい!」
 面倒くさそうに告げられた世凪のその言葉で、芽里はようやく世凪の言いたいことを理解し、慌てて返事をした。
 それから、がばっと柚巴を抱く世凪の腕をつかむ。
 ちゃっかりと、鬼栖までも、世凪の左足にがっちりしがみついた。
 そして、その瞬間、世凪たちの姿はその場から消えていた。


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update:04/05/26