残酷な現実
(2)

 ここは、限夢界の城下。
 大きな屋敷がたち並ぶ一角。
 そこに、莱牙の屋敷もある。
 その屋敷の一室で、静かな寝息を立て、華久夜が眠っていた。
 華久夜が眠る寝室に、突如叫び声が上がる。
「幻撞おじいちゃん、帰ったよ!」
 一瞬、(くう) がぴかっと光ったかと思うと、その中から、世凪、莱牙、芽里、鬼栖、そして世凪の黒マントの隙間からちょこんと顔をのぞかせる柚巴が、ぽんと現れた。
 瞬間、普段冷静なあの幻撞が、座っていた椅子を蹴倒し、がたんと立ち上がる。
 そして、世凪とともにすとんと着地した柚巴を凝視する。
「お、お嬢ちゃん!!」
 幻撞のこの慌てぶりから、事態は好転していないことが瞬時にうかがえた。
 柚巴たちは、自分たちがいかに危険な場所へパルバラの実をとりに行っていたかなど、すでに失念している。
 幻撞の驚きのほとんどが、無事に帰ってきた柚巴たちに向けられたものだと、当然柚巴たちが思いつくはずがない。
「お師匠さま! 王宮へお急ぎください。虎紅が先に行って用意をしています!!」
 いまだ驚きの色を見せる幻撞の両腕をがばっと握り、芽里が早口でまくしたてる。
 それでようやく、驚きから我に返り戻しつつある幻撞が、探るように芽里を見つめた。
 そして、期待をこめた表情で、がばっと柚巴を見つめる。
「ということは……!?」
 力のこもった声が聞こえてくる。
「はい。無事、パルバラの実を手に入れて戻って参りました」
 その目はたしかに柚巴の姿をとらえていて、その声の持ち主はまったく視界に入っていないというのに、声の持ち主はそんなことにはまったく気にとめた様子なくそう言った。
 そんなことを気にかけるよりも、もっと重要なことがあるから。
「わかった……。では、すまんが、わしはこれで……」
 芽里を一瞥し、合図を送った。
 それに芽里も、こくんとうなずく。
 一瞥の後、再び向けられた幻撞の視線の先には、険しい表情をたたえた世凪の姿があった。
 そして、その腕の中には、まっすぐに向けられた柚巴の瞳がある。
 それは、まるで何かを訴えられているような、そんなするどい眼差し。
 それに、幻撞は、違和感を覚えてしまった。
 この少女は……自分のご主人様は、こんなにするどい眼差しの持ち主だっただろうか。
 たしかに、一度こうと決めたら頑としてかえない、そんな少女であったけれど……。
 ここまで人の心をとらえる、逆らえないような視線ははじめて……。
 その視線の向こうに、ある光景が見えたような気がした。
 それは、一体どのような光景だったのか――
「ああ。行って来い」
 柚巴の視線に違和感を覚える幻撞に、落ち着いた世凪の声がかけられた。
 それで柚巴に気をとられ、どこかぼうっとしていた幻撞は、はっと我に返り、芽里とともに姿を消していった。

「……それにしても、よく無事で戻れたな……!」
 幻撞と芽里が消えたすぐ後に、世凪の腕から乱暴に柚巴を奪い取り、紗霧羅はそう言って柚巴を抱きしめた。
 当然、瞬間、王子様、とてつもなくご機嫌ななめ。
 しかし、それにもかまわず、さすがは紗霧羅姐さん、うりうりと柚巴の頬に自分の頬をすり寄せ、愛しそうに抱きしめ続ける。
 それを目の当たりにした王子様のご機嫌は、さらに下降の一途をたどり、真下、三二〇度……とすすみ、仕舞いには三六〇度、一回転して戻ってきてしまった。
 ご機嫌ななめがたくさんといったところだろうか?
「本当に心配しました。姫さまたちが発たれてから、もう一週間が経ってしまっていますから」
 ぎゅうと柚巴を抱きしめる紗霧羅の横に歩み寄り、眉尻を下げた由岐耶が、安堵したようにそう言ってきた。
 本当ならば、由岐耶も紗霧羅のように、ぎゅっと柚巴を抱きしめ、その喜びを表現したいところだけれど……それは、当然のようにはばかられ、不可能である。
 あくまでも、相手はこの世界の王子様の婚約者。
 そうでなくても、そんな軽々しい行いをできる相手ではない。
 あの春の日、心奪われた小さな少女は……自分が仕える男の娘。
 その少女に、軽率な振る舞いができるはずがない。
 そして何より、大切にしたい少女。
 その少女を、自ら傷つけるようなことは……天地がひっくり返ったってできるはずがない。
 由岐耶が望むもの。
 それは、柚巴の幸せ。
 そして、柚巴の笑顔を守ること。
 やわらかく優しい、そして愛らしく微笑む柚巴の笑顔を――
「え……!? 今、なんて!?」
 由岐耶の言葉が柚巴にもたらされると、少し照れたように紗霧羅に抱かれていた柚巴は、がばっと紗霧羅を振りほどき、由岐耶の胸の辺りのシャツをがしっとつかんだ。
 そして、由岐耶を凝視する。
 心なしか、青ざめているようにも見える。
 柚巴が由岐耶に迫った瞬間、世凪の眉がぴくりと動いたことは言うまでもない。
 ぎゅっと握り締めた拳をふるふると小刻みに震わせ、必死に怒りをこらえている。
 その辺りは、世凪も少しは成長したと言えるだろう。
 以前の世凪なら、問答無用で、柚巴を自分の腕の中に瞬間移動させていたところだから。
 いきなりの柚巴の迫りように、由岐耶は思わずだじろいでしまった。
 こうやって自分を見つめてくる柚巴に胸の内で幸せを感じつつ、あくまでそれを悟られないように。
 いきなりの柚巴の行動に驚いているだけ、と装う。
 本当は、そんなものより、今柚巴に触れられている……というそのことだけに、意識が集中しているなど、そんなことは決して悟られてはならない。
 自分のために。
 そして、とりわけ柚巴の幸せのために。
 何も知らないことこそが、時に幸せなこともある。
 由岐耶が柚巴に寄せる思いは、まさしくそのような思い。
 知らない方が幸せな思い……。
「え……? ですから、一週間がすぎたと……」
 真剣に見つめてくる柚巴から、少し視線をそらし、由岐耶は冷静を装いつつも、動揺を隠しきれないといったふうにそうつぶやいた。
 その動揺のうちには、もちろん、今、柚巴がすぐ目の前にいる……ということも含まれているが、必要以上に驚く柚巴にもあった。
 何故、こんなことでそんなに真剣に迫ってくるのか?と、多少不思議にも感じた。
 由岐耶の言葉を受け、目を見開き驚く柚巴に、由岐耶は首をかしげるしかできなかった。
「……どうやら、あちらとこちら、時間の流れるはやさが違うようだな」
 そのような柚巴と由岐耶の横で、世凪が憎らしげにそうつぶやいた。
 そして、やはりと言おうか、がばっと柚巴を自分の胸に抱き戻す。
 とうとう、我慢の限界に達したらしい。
 これ以上、柚巴と由岐耶をくっつけておくわけにはいかない。
 柚巴を再び胸に抱くことができ、世凪はようやく安心できたようである。
 困惑する柚巴をよそに、世凪は妙に納得したように、満足したように、ふんといつもの不遜な態度をとっている。
「そうか。だから、あれほど街が荒れていたのか。一日しか経っていないはずが、おかしいとは思ったが……。――華久夜!」
 ちっと舌打ちした後、莱牙がそうぽつりともらす。
 自分の言葉に、一週間がすぎているという事実をはっきりと確認したのか、顔を強張らせた。
 そして、急いで、華久夜が眠るベッドへ駆け寄った。
 駆け寄り、寝ている華久夜の顔をのぞきこんでみると……すうすうと気持ち良さそうに寝息をたてていた。
 それを見て、莱牙から、安堵したようにずるっと体中の力が抜けた。
 ただ、そこでへなへなと倒れこまない辺りが、いかにも莱牙らしい。
 こんな時でも、そんな格好悪い真似はできないと、どうにかそれをこらえきった。
 まったく、変なところでプライドの高い傍流王族様である。


* TOP * HOME *
update:04/05/30